申し分の無い天候に恵まれ三浦半島方面に出かけてきました。
データから先に書いてしまうと
スタート : 09:30 帰着 : 19:00
走行距離 : 118.28㎞
最高速度 : 44.5㎞/h
走行時間 : 6:27
平均時速 : 18.3㎞/h
8時出発予定のところ寝坊したので大分出遅れてしまいました。その為に帰着が夜になる事が確実となり、明るい内に帰ろうというモチベーションが薄れ途中からダラダラ走りとなり、休みも多くなりペースとしては不満足なものでしたが、120㎞近くを走れた事に満足はしています。100㎞以上走ったのは本当に久し振りでした。
今回のコースには実に過去の色々な事を思い出させるものでした。以下はその辺を列挙していきます。
走り始めて1時間20分程で国道16号に再度出ましたが、その辺りからは「京浜急行」と並行するようになります。そもそも京浜急行自体が中学・高校通学に使っていたものです。「京浜田浦」が下車駅でしたが、駅前は相当変わっており、旧校舎は現在「海上自衛隊艦隊司令部」になっています。
横須賀の町を抜けて観音崎方面に進むと灯台のすぐ下が「走水海水浴場」です。確か高校生の頃かと思いますが、友人と海水浴にきて遭難しかけた事がありました。少し沖へ出てから、さあ岸に戻ろうとしても潮流が強くどんどん外海の方に流され、泳いでも泳いでも岸に近付かないのです。結局相当離れた場所に泳ぎ着いたのですが、あの時の焦りや恐怖感は今でも忘れられません。
観音崎の根元を回り、浦賀、久里浜を過ぎると長い三浦海岸に出ます。「野比海岸」はその一部なのですが、当時「都市の論理」なんていう本で変に有名になった羽仁五郎の家がここにあり、すぐ近くにA子さん(と言ってももちろんご存じないでしょうが)の別荘だか親戚の家があり、学生時代夏休みなどよく泳ぎに行きました。ワンピース水着の似合う美少女でしたが、後日、先輩の所に嫁に行きました。
( 野比の海岸 )
「剣崎」「城が島」をショートカットして内陸部に入り、長い坂を登りきると「引橋」の交差点。ここをヘアピンで右に曲がると相模湾沿いに入ります。
京浜急行「三崎口」駅前を過ぎ、坂道を下り切った辺りに西武が所有する「初声」のマリーナがあります。噂では付近一帯を開発する積りで西武が買い占め、ハーバー的な整備もしたのですが、計画が頓挫してしまったそうです。寂れた漁港といった趣きだけが残っており、当時は堤義明氏所有という噂のクルーザーだけが真中に停泊していました。ここでは息子のヨットクラブの役員として何回も夏休みの合宿を実施しました。大体2泊3日なのですが手配・準備で相当大変だった思いがあります。毎回無事終了すると、コーチ仲間と心から「お疲れ様」と言い合ったものです。 色々な事があった思い出の場所です。
さらに北上すると「佐島マリーナ」があります。ここでは前職時代よく企業研修をさせてもらいました。研修会場などは実際どこでも良いのですが、私個人の好みで毎年使っていました。何せ研修は始まってしまうと事務局としては暇で、余程気分の良い所でなくてはイヤになってしまいます。まあ、ひとつの役得でしょうか。
さらに北上すると「葉山マリーナ」にがあります。ここは小学生の娘と一緒にヨットの練習合宿に来た事があります。当時の練習艇はY15でした。安定の良い艇なのですが、かなりの強風と乗り手の未熟さで「沈」してしまい、早めに引き上げ、一緒にマリーナの風呂に浸かりながら沖の練習を見ていました。娘にもヨットの手ほどきをしようとしたのですね。
尚この「走水」→「逗子」は中・高時代、学校行事として「40㎞を歩く会?」があり、そのコースでもありました。
あとは一路「江ノ島」に向かうのですが、ここのヨットハーバーには何回通ったか分かりません。息子がジュニアヨットの現役時代から10数年間、レースや練習のために通ったものです。今回も橋を渡ってハーバーに行こうかとも考えたのですが、既に16時を回っており断念しました。沖では(多分江ノ島ジュニアヨトクラブの)OP艇が練習をしていました。
( 江ノ島海岸 )
この頃には既に90㎞以上走っており、相当足にきていました。以前150㎞以上走れた事が唯一の拠り所なのですが、練習不足か体力の衰えか分かりませんが、ちと情けない思いで19:00帰着しました。