今回はベネツィアで12時間以上寝込んでしまい、これは「ベニスに死す」かと思いきや持ち直し、以後、ベネツィアでは「大運河」をサンマルコからリアルト橋まで舟で2往復もして、水際からの風景を堪能し
その時、全ての水上タクシーの船尾に立っていた「イタリア海軍旗」を見て、是非にも欲しくなりました。しかし、ベネチアとはもうお別れです。
次の訪問地はフレンツェ。何としてもここで入手したいものです。
とは思いはしたものの何のあてもなく、ドゥオーモ近くの通りをブラブラ歩いているとき、イタリア国旗が売られている地味なお土産屋が眼に入り聞いてみる事にしました。
そこの老店主(品のある聡明そうな老婆)に
そこの老店主(品のある聡明そうな老婆)に
(ここからはいい加減な英語とイタリア語の掛け合い)
私 「イタリアの国旗が欲しい」
店主 「そこにたくさんあるがどれがいい?」
私 「国旗なのだが、海軍が使っていて、軍艦にて用いるものだ」
店主 「どこが違うのだ」
私 「紙を貸してくれ、簡単にイラストしてみる」
と、下の軍艦旗の絵をサラサラと書いたつもりだが自信は無かった。ところが大いに理解していただけたようで、
と、下の軍艦旗の絵をサラサラと書いたつもりだが自信は無かった。ところが大いに理解していただけたようで、
店主 「おおそれか。真ん中の白地の中の盾が4分割されているのだ。ひとつはベネツィア、それからアマルフィ…」
私 「それから、ジェノヴァにピサ、そう、その旗です」
店主 「だけどここには置いていないのよ、残念ながら」
私 「わざわざそれを買いに日本から来たんだから、どこならあるか教えてください」
店主 「わかったわ。たしかポルタ ロッサのマリナ ミリターレならあるわよ」
私 (必死に書き取り) 「これでよろしいか」 とメモッたものを見せると
店主 「パーフェクト」 と親指を立ててくれた。誉められました。
夕方、ホテルに戻り地図上でポルタ ロッサ(通り)は見つかったのだが、マリナ ミリターレが判らず添乗員さんとも検討しました。ベネツイアならともかく、この内陸部のトスカーナに海軍省があるとは思えないし、謎のままではありましたが、品の良い教養あふれる老婆の言葉を信じて、明日探す事にしました。
翌朝、朝一番で探し始め、3組の警官、1人のコンビニの店主、1人の通行人に聞いた挙句、やっと件の「場所」に辿り着きました。一人には「聞いたこともない」と言われガックリして、次の人には「ああ、知ってる。そこを右に曲がってすぐだ」と言われて行って見ると見当たらず、それでも「近くにある」希望が持てただけましだと言い聞かせて探しまわったのです。何せ、フィレンツェの街の路地は細く、不規則なのです。結局、ポルタ ロッサではなかったが、すぐ近所で、ウフィッツィ美術館などがあるシニョーリア広場が望める路地にありました。角を曲がったら唐突に現れた、という感じでした。欣喜雀躍、万歳三唱。
実はマリンファッションの店・ブティックでした。只、製品に例の海軍ロゴを使うライセンス権を持っているらしい。
だが、軍艦旗は置いて無かった。おまけに、店の女主は、これは法令に則った官給品だから絶対にこういう店では売っていないと自信をもって言うではありませんか。ま、一応断念した次第です。
それでもせっかく来たのだからと家人はセイリングジャケット風コートを、私は海軍風綿カーディガン風ジャケットを、友人にはロゴ入りキャップを買いました。(おかげで生まれて初めて海外旅行の際の免税払い戻しというのを受けました)
それでもせっかく来たのだからと家人はセイリングジャケット風コートを、私は海軍風綿カーディガン風ジャケットを、友人にはロゴ入りキャップを買いました。(おかげで生まれて初めて海外旅行の際の免税払い戻しというのを受けました)
それでは、前の写真の旗はどこで買えたのかというと、夕方の散歩の帰りにホテル(中央駅前)の裏手の「ミリタリーショップ」で偶然見つけました。何でも有名な「石鹸屋」の斜向かいです。
他人(ひと)の話をどこまで信じるのか悩むところです。
他人(ひと)の話をどこまで信じるのか悩むところです。
さて、最後の訪問地はローマです。
復活祭と教皇パウロ・ヨハネ2世の列聖式を控え、街中は原宿状態。観光の途中、例の「ローマの休日」でオードリーがジェラートを舐めながら下りてきたスペイン広場の階段を登って行って、バルコニー風のところから街中を見下ろした時です。サンピエトロ寺院のドームを背景に何やら赤い旗が翻っているのが目に飛び込んできました。忘れもしない「マルタ騎士団」のマルタ十字の団旗です。
復活祭と教皇パウロ・ヨハネ2世の列聖式を控え、街中は原宿状態。観光の途中、例の「ローマの休日」でオードリーがジェラートを舐めながら下りてきたスペイン広場の階段を登って行って、バルコニー風のところから街中を見下ろした時です。サンピエトロ寺院のドームを背景に何やら赤い旗が翻っているのが目に飛び込んできました。忘れもしない「マルタ騎士団」のマルタ十字の団旗です。
実は私「マルタ騎士団」オタクです。
ロードス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会
これが正式名称(コピペです)で、十字軍時代はパレスチナで医療活動を中心にキリスト教勢力の大事な戦力として活躍し、オスマンに追われてロードス島に逃れ、海軍力を背景に東地中海に棘のように存在し、さらにロードス島を追われ、流浪の末にスペイン王国より年に鷹一羽の年貢にてマルタ島を拝領し、資金力豊富な統制のとれた騎士団・修道会として、イスラムからの攻撃にも耐え、遂に防衛に成功し、ナポレオンに追われるまで海賊活動(聖戦ともいう)を中部地中海に展開し、一定の存在感を示し続けました。(この辺は塩野七生氏の「ロードス島戦記」に詳しい。)
聖ヨハネ騎士団 ⇒ ロードス騎士団 ⇒ マルタ騎士団 と通称も変遷しています。
聖ヨハネ騎士団 ⇒ ロードス騎士団 ⇒ マルタ騎士団 と通称も変遷しています。
私はロードス島にもマルタ島にも彼らの痕跡を求めて訪れています。特にマルタ島には5日間程、その首都バレッタで過ごしました。そして現在は国土を持たない国家としての扱いを受けており、本部がローマにある事は知っていました。
その旗が見えたものですから、オタク心に火が点きました。
まして、そこからの帰路、ガイド用のレシーバーから(小型車に分乗しての移動中で、添乗員さんは別の車だった)「この右手がマルタ騎士団の本部です」というアナウンスが聞こえたので、「明日表敬訪問しよう」という思いが固まりました。
ホテルに戻り、添乗員さんに、「あのマルタ騎士団の案内は、ローマ観光では普通になされるのか」を聞いたところ、彼女(添乗員さん)個人の思い入れだとの事でした。そして実際には行った事はないので、どのような対応がなされるのか全く不明という話で、詳しい場所の確認をして、翌朝同事務所を訪れる事にしました。
コンドッティ通り 68。
この通りは文字通りブランド通りで、本部のある建物も表はエルメスがあり、その先にはプラダなどもあり、いうなれば一等地です。
偶然持っていったネクタイが、マルタ島で買ってきたマルタ十字のものだったので(この時のみでしたが)キリリと着用に及び、何度かの逡巡の後に門衛に「日本からの訪問者で、何の推薦状も、予約もないのだが、何とか中を見せてもらえないだろうか」と依頼したところ、ダメだとすげない返事。そこを何とか、せめて詰所の役人に取り次いでもらえないかと粘ると、門中の事務所に案内してくれました。 幸先良いのかな?
しかし
しかし
そこまででした。英語のプレゼン能力のなさを痛感しました。何とか写真を撮る許可だけはもらったものの、それで満足せざるを得ませんでした。「遠路はるばるようこそ」とか「お楽しみいただいておりますか」のような言葉は遂になく、胡散臭さを解くことができませんでした。
しかし落ち着いて考えると、戦略的に十分練れていなかった事が問題でした。私の希望は何だったのか。思い出してみると「中を見せて欲しい」しか言わなかった気がします。マルタ騎士団が好きです、日本からはるばるやってきました、ほれ、このネクタイもマルタですよ等色々並べてもダメなんですよね。そもそも「表敬訪問」という概念が彼らにはあるのでしょうか、それすら不明です。
ここは事務所ではあっても、一国なのです。ですから「切手が欲しい」とか「コインが欲しい」とか「入国スタンプが欲しい」とかの希望を言った方が良かったかも知れません。それとも他に何か良い方策(建物の中を案内付で見せてもらえる程度の扱いを受ける)があっただろうか。
66歳のオトナの仕事としては、チト、お粗末でしたが、大満足でした。
ベネツィアでもフィレンツェでもローマでもこんな事に付き合わされてしまい、家人は一体どう思っているのだろうか。確かめるのも恐ろしい事ではあります。。
66歳のオトナの仕事としては、チト、お粗末でしたが、大満足でした。
ベネツィアでもフィレンツェでもローマでもこんな事に付き合わされてしまい、家人は一体どう思っているのだろうか。確かめるのも恐ろしい事ではあります。。
トピックスとしてはこんな所ですが、天候、ホテル(内容、立地)、添乗員さん、グループメンバーに恵まれ楽しい9日間でした。