11月21日からルノーを輪行しての旅行をしてきました。先ず長野までは新幹線で行き大学時代のクラス会に参加しました。長野到着後、駅近の宿泊ホテルに自転車と荷物を預け、皆に合流し、旧家出の友人の屋敷に集まり、一流料亭に勝る壮大なもてなしを受け、最後には校歌、応援歌を合唱し、感謝と満足と幸せ感に満ちた集まりでした。
当日は長野泊、翌日は善光寺や東山魁夷美術館などを巡って昼食後解散。私は皆と別れ金沢に新幹線で移動、駅前で自転車を展開して香林坊近くのカプセルホテルに宿泊。市内ホテルの予約が全く取れず、やっと予約が取れた所。探すのにえらい苦労をして2時間くらいさまよった挙句ようやくたどり着いた次第。カプセルホテルって面白いところです。
翌日から自転車旅開始。当日は加賀までの予定。54㌔をのんびり走り4時半には大聖寺駅前のアパホテルに着きました。まあ順調と言えました。最上階の露天風呂にも入り疲れを癒しこれなら予定通り行程をこなせるなと期待しました。初めてのアパホテルでしたが、自転車の扱いが嬉しくてその他も含めて高評価をいたしました。
翌日は娘のダンナの実家(武生)に泊めていただく事になり、勇躍して出発しました。最初は順調だったのですが、(多分)5㌔程の所に300㍍程の峠があり、大した事は無かろうと進んだのですが、これが手強い。この峠越えで当日の「脚」を使い切ってしまいました。国道8号をひたすら南下するのですが、地図上では殆ど平に見えるのですが、実際は立体交差があり、跨線橋があり、更に河川にかかった橋もあり、その度に数百㍍の登りがあるのです。これが越えられない、疲れる。30㌔を超えた辺りからは1㌔進んでは一休み状態で、走ってもせいぜい時速12㌔がいいところ。しかも武生までの距離を短く見積もっていたようで到底明るい内に武生の目的地には着ける自信が無くなってきました。
それでも多少の意地のようなものが残っていたのか走り続けました。行けるところまでは走って、そこでSOSを出してサルベージをお願いしようとは思っていました。
例によって前の休憩から1㌔ほど走ったところで、側道(歩道)に入り縁石に腰を下ろし水分を補給し煙草をふかしていました。すると右上の方から「こんにちは」と男の声が聞こえ、散歩者が挨拶してくれたのかなと顔を上げると、娘のダンナの父親がニヤニヤ笑っているではありませんか!!!状況が理解できず頭の中は大混乱です。信じられない事態の発生です。訳が分からないまま、とにかく「地獄で仏」後光が差しておりました。
「この先に軽トラが置いてありますから回してきます」という言葉とともにその場を去り、すぐに戻って来られ、すぐさま荷台に愛車をそのまま積み込みました。私は軽トラが大好きです。
なんでも、私の到着が遅いので心配になり、国道を加賀方面に向かって走らせればどこかで見つかるだろうと走らせている内に、反対車線を颯爽と走っている私を見かけ、少し先でUターンをしてサルベージしていただいたという次第でした。これは殆ど奇跡とも言うべき驚きでした。
結局そこから武生の家までは30分程かかったでしょうか、奥様にまで出迎えられその晩は大歓迎を受けてしまいました。急な風来坊の訪問にも関わらず、飾らないご夫婦の人柄そのままの対応に甘えて、12時近くまで話し込んでしまいました。ご夫妻とも登山が趣味で百名山を踏破し、今でも毎週近くの800㍍の山に登っているとの事で、脱帽です。ここには書ききれない程多方面に話は広がり何とも楽しい一晩でした。
実は、翌日からの計画は確定しておらず、宿の予約もしていませんでした。
(ここまで書いてきて疲れたので、一旦お休みします。)
(続けます)
予定というより心積もりと言った方が近いと思いますが、ここ、武生からは鉄道で敦賀を経て琵琶湖東岸の北「余呉」辺りまで行き、そこから再度ルノーを展開して、のんびりと観光をしながら一泊二日で米原まで下って、新幹線で帰ろうかな…、そんなルートを思い描いていました。
翌朝、ご夫妻にその旨を告げて、ルノーを畳んだ上で、例の軽トラで武生駅まで運んでいただきました。そもそもこの企てを考えた時、歴史のある武生の町を(越前国の国府があったところで、信長の時代北陸方面軍司令官だった、柴田勝家が支配した地帯で、直接的には前田や佐々等が納めていた。)一日かけてゆっくり観光するのもいいかな等と思い描いていたのですが、前日の疲労感が強く、情けない事に夢物語になってしまいました。
普通電車に揺られて窓外の景色をボヤーと眺めている内にポツポツと雨が降り始め、乗換駅の敦賀に降りた時にはザアザア降りになってしまいました。予報を見ても好天は期待できない。これでは自転車旅は無理だなと、ホッとした?気分になった時が敗戦を認めた時でした。「もう自転車に乗らなくて済む」入学試験に落ちた時の一時の解放感。情けない安堵感。
それでもまだ未練が残っていて、ここまで来てそのまま帰っては勿体ないという思いから、とにかく「長浜」まで行き様子を見る事にしました。駅に着いた時には小降りにはなったものの雨は相変わらずでホッと?したのは事実でした。自転車と荷物を駅に預け、雨具を着て目の前にある長浜城(羽柴秀吉の居城だったことがある)を観に行き、街中を小一時間回りましたが、雨中の歩きは少しも楽しくない。これでは観光とも言えまい。煙草を吸おうにもその場所もない。
駅に戻り昼食をとり、米原駅まで行き、東海道新幹線ひかりで戻ってきました。
以上が今回の旅行の顛末です。ほかにもエピソードはたくさんありますがそれはいずれまた。これは成功だったか失敗だったかとう問題が残るのです。クラス会には出席し、自転車旅もでき、マー君の実家にも寄れた事は成功、あれだけ準備をして大騒ぎをしてたったの2日しか自転車に乗れなかった事、サルベージされてしまった事は大失敗でしょう。
ではあるものの、我が身の現状を知る事が出来たのが何よりの収穫だと思います。悔しいがこの現実は認めなくてはならないでしょう。これからの途は3つ考えられます。
①自転車旅行はきっぱり諦める ②電動アシスト付の自転車を買う ③ジムに通うなりして下半身と心肺機能の強化に励む
未だ結論が出ていません。