2025年12月2日火曜日

自転車旅行を実施しましたが…

 11月21日からルノーを輪行しての旅行をしてきました。先ず長野までは新幹線で行き大学時代のクラス会に参加しました。長野到着後、駅近の宿泊ホテルに自転車と荷物を預け、皆に合流し、旧家出の友人の屋敷に集まり、一流料亭に勝る壮大なもてなしを受け、最後には校歌、応援歌を合唱し、感謝と満足と幸せ感に満ちた集まりでした。

当日は長野泊、翌日は善光寺や東山魁夷美術館などを巡って昼食後解散。私は皆と別れ金沢に新幹線で移動、駅前で自転車を展開して香林坊近くのカプセルホテルに宿泊。市内ホテルの予約が全く取れず、やっと予約が取れた所。探すのにえらい苦労をして2時間くらいさまよった挙句ようやくたどり着いた次第。カプセルホテルって面白いところです。

翌日から自転車旅開始。当日は加賀までの予定。54㌔をのんびり走り4時半には大聖寺駅前のアパホテルに着きました。まあ順調と言えました。最上階の露天風呂にも入り疲れを癒しこれなら予定通り行程をこなせるなと期待しました。初めてのアパホテルでしたが、自転車の扱いが嬉しくてその他も含めて高評価をいたしました。

翌日は娘のダンナの実家(武生)に泊めていただく事になり、勇躍して出発しました。最初は順調だったのですが、(多分)5㌔程の所に300㍍程の峠があり、大した事は無かろうと進んだのですが、これが手強い。この峠越えで当日の「脚」を使い切ってしまいました。国道8号をひたすら南下するのですが、地図上では殆ど平に見えるのですが、実際は立体交差があり、跨線橋があり、更に河川にかかった橋もあり、その度に数百㍍の登りがあるのです。これが越えられない、疲れる。30㌔を超えた辺りからは1㌔進んでは一休み状態で、走ってもせいぜい時速12㌔がいいところ。しかも武生までの距離を短く見積もっていたようで到底明るい内に武生の目的地には着ける自信が無くなってきました。

それでも多少の意地のようなものが残っていたのか走り続けました。行けるところまでは走って、そこでSOSを出してサルベージをお願いしようとは思っていました。

例によって前の休憩から1㌔ほど走ったところで、側道(歩道)に入り縁石に腰を下ろし水分を補給し煙草をふかしていました。すると右上の方から「こんにちは」と男の声が聞こえ、散歩者が挨拶してくれたのかなと顔を上げると、娘のダンナの父親がニヤニヤ笑っているではありませんか!!!状況が理解できず頭の中は大混乱です。信じられない事態の発生です。訳が分からないまま、とにかく「地獄で仏」後光が差しておりました。

「この先に軽トラが置いてありますから回してきます」という言葉とともにその場を去り、すぐに戻って来られ、すぐさま荷台に愛車をそのまま積み込みました。私は軽トラが大好きです。

なんでも、私の到着が遅いので心配になり、国道を加賀方面に向かって走らせればどこかで見つかるだろうと走らせている内に、反対車線を颯爽と走っている私を見かけ、少し先でUターンをしてサルベージしていただいたという次第でした。これは殆ど奇跡とも言うべき驚きでした。

結局そこから武生の家までは30分程かかったでしょうか、奥様にまで出迎えられその晩は大歓迎を受けてしまいました。急な風来坊の訪問にも関わらず、飾らないご夫婦の人柄そのままの対応に甘えて、12時近くまで話し込んでしまいました。ご夫妻とも登山が趣味で百名山を踏破し、今でも毎週近くの800㍍の山に登っているとの事で、脱帽です。ここには書ききれない程多方面に話は広がり何とも楽しい一晩でした。

実は、翌日からの計画は確定しておらず、宿の予約もしていませんでした。

(ここまで書いてきて疲れたので、一旦お休みします。)

(続けます)

予定というより心積もりと言った方が近いと思いますが、ここ、武生からは鉄道で敦賀を経て琵琶湖東岸の北「余呉」辺りまで行き、そこから再度ルノーを展開して、のんびりと観光をしながら一泊二日で米原まで下って、新幹線で帰ろうかな…、そんなルートを思い描いていました。

翌朝、ご夫妻にその旨を告げて、ルノーを畳んだ上で、例の軽トラで武生駅まで運んでいただきました。そもそもこの企てを考えた時、歴史のある武生の町を(越前国の国府があったところで、信長の時代北陸方面軍司令官だった、柴田勝家が支配した地帯で、直接的には前田や佐々等が納めていた。)一日かけてゆっくり観光するのもいいかな等と思い描いていたのですが、前日の疲労感が強く、情けない事に夢物語になってしまいました。

普通電車に揺られて窓外の景色をボヤーと眺めている内にポツポツと雨が降り始め、乗換駅の敦賀に降りた時にはザアザア降りになってしまいました。予報を見ても好天は期待できない。これでは自転車旅は無理だなと、ホッとした?気分になった時が敗戦を認めた時でした。「もう自転車に乗らなくて済む」入学試験に落ちた時の一時の解放感。情けない安堵感。

それでもまだ未練が残っていて、ここまで来てそのまま帰っては勿体ないという思いから、とにかく「長浜」まで行き様子を見る事にしました。駅に着いた時には小降りにはなったものの雨は相変わらずでホッと?したのは事実でした。自転車と荷物を駅に預け、雨具を着て目の前にある長浜城(羽柴秀吉の居城だったことがある)を観に行き、街中を小一時間回りましたが、雨中の歩きは少しも楽しくない。これでは観光とも言えまい。煙草を吸おうにもその場所もない。

駅に戻り昼食をとり、米原駅まで行き、東海道新幹線ひかりで戻ってきました。

以上が今回の旅行の顛末です。ほかにもエピソードはたくさんありますがそれはいずれまた。これは成功だったか失敗だったかとう問題が残るのです。クラス会には出席し、自転車旅もでき、マー君の実家にも寄れた事は成功、あれだけ準備をして大騒ぎをしてたったの2日しか自転車に乗れなかった事、サルベージされてしまった事は大失敗でしょう。

ではあるものの、我が身の現状を知る事が出来たのが何よりの収穫だと思います。悔しいがこの現実は認めなくてはならないでしょう。これからの途は3つ考えられます。

①自転車旅行はきっぱり諦める ②電動アシスト付の自転車を買う ③ジムに通うなりして下半身と心肺機能の強化に励む

未だ結論が出ていません。

2025年10月16日木曜日

自転車生活強化月間

昨日から再度自転車旅に備えたトレーニング?を始めました。詳しくは省きますが、来月、ちょっとした旅を企画しています。ルノープラチナライト8を使った輪行です。

車体の整備は怠りなくしてあるので、筋力・体力の整備が主眼です。この日は鶴見川を上流に7㌔程、鴨居付近までの往復で15㌔走ってきました。筋力・心肺機能強化が目的ですのでインターバル走法も取り入れてあります。時速20㌔で5分漕ぎ続ける、時速22㌔で3分漕ぎ続けるなどを意識して3セット程こなしました。殆ど平坦な道なのでこなせました。途中1回の休憩をしただけです。これを3週間やる積りです。



2025年10月14日火曜日

ディスプレイ

 多分これでガスガン関連の記事は終わりにします。

何やかにやで10数丁のガンを集めてしまいました。これで止めます。もう置き場が無くなってしまいました。この部屋は屋根裏の関係で所謂壁が少なくもう限界になりました。

「武器庫」が満杯になり、ドイツの名銃3丁を傾斜天井にディスプレイとして外に出してみました。上から順に

ルガーP08、モーゼルm712(ストック付)、ワルサーP38です。

傾斜面に取りつけるのは思いの外大変で苦労しました。一時は断念しかけたのですが、道具箱や退蔵品をあさっている内にアイディアが浮かび、不格好ではありますが、何とか収まった次第です。

どれも完動品でエアを入れれば即発射可能ですので、すぐ取り出せるようにしてあります。また、そのように作るのが困難だったのですが、まあ、一応の完成をみました。たまには室内射撃を楽しみながら末永く傍に置こうと考えています。

実は不具合のある銃がいくつかあるので、しばらくはその修理を楽しみたいと思っていますが、これからは本来の「自転車ブログ」の本筋に戻って書いていきます。

2025年8月28日木曜日

その後の展開

 ガンコレクションについては、懸案だったモーゼルM712のストック(肩当)を入手しました。本体のグリップ後方に刻みがあり、そこにカッチとはめ込む体裁です。これで一段落にて当分は心穏やかに過ごせそうです。 

       

前回の投稿が7月6日だったのですが、そこから大分間が空いてしまったのは、実は今月の中旬3泊4日で娘と息子の家族でグアムに旅行をしてきました。9人そろっての旅行は多分最後になるだろうとの思いからですが、私個人の密かな目的は「ガンシューティング」でした。

幸いなことに息子夫婦が同行してくれ何とか果たす事ができました。4種類の拳銃で計30発程撃ってきました。特にコルト357マグナムの反動を存分に満喫して大満足でした。


これはその時の的ですがA評価です。銃の癖を把握する前に射撃が終わってしまったような感覚で、あと3倍程繰り返せばもう少し中心に集中させられたかもしれません。

それは、それとして何やかやと楽しい旅行でした。                                                   


2025年7月6日日曜日

遂にモーゼルM712が加わる

遂にモーゼルM712を入手しました。(真ん中の銃です)このガスガンはデザインの秀逸・忠実さだけでなく、実銃と同じくダダダダダと機関銃のような連射もできる優れモノです。私は持っていませんがグリップ にストック(肩当)を装着し小銃のような形でも使えるのです。昔の映画で大陸の馬賊の親分が馬に乗りながらバンバン撃っていたのを思い出します。


これでドイツの戦時中のモノが3種類揃ったので、夜な夜な撃ったり眺めたりする楽しみができました。

左からワルサー、モーゼル、ルガーと並んでいますが美しさから言えばワルサーでしょうね。

私はサバイバルゲームはしませんが、もしそこに持ち出すとすると上記の3つは使わず、別のベレッタかコルトを使いますね。理由は後日書き込みます。

それにしてもこの暑さでは、なかなか自転車訓練をする気にならないのは心苦しい限りではあります。

2025年7月1日火曜日

遂に公表します  カミングアウトだ

基本的にこのブログは私の自転車ライフを綴るものとしてスタートしたのですが、たまには釣りだったり、海外旅行だったり、映画だったりしたのですが、ここ数年積極的な自転車がらみの話題がない関係でオーディオとか病い・怪我の事が多くなってきました。

加えて20数年来お世話になったクルーザーが人手に渡る事となり、ヨットセーリングの世界とも縁が薄くなりそうです。思い出いっぱいの艇だったのでポッカリ穴の開いた精神状態です。

とは言ってもまだ自転車旅行を諦めたわけではないので、しばらくしたら旅行記がかけるかもしれません。

 (ここからがカミングアウトです)

実はここ1年程の間にエアソフトガン呼ばれる玩具のピストルを買い集めて楽しんでいます。BB弾と呼ばれる直径6㍉の小さな球体の弾を、フロンガス等の圧力で実際に飛ばせる一種のモデルガンです。いつの間にか10丁になりました。


ここに出したものは右がルガーP08、左がワルサーP38という銃で知る人ぞ知るドイツの名銃です。最近増えた2丁です。この2丁は年代も古く(ちょっよ専門的になりますが)、ガスブローバック方式と呼ばれるものですが、最近のコルト、ベレッタ、シグ・ザウアーなどとは内部構造が違います。リボルバーの3丁以外の自動拳銃は、連発をするたび上部のスライド部分が前後に往復し小気味よい動きをします。殆どヤフオクで購入したものですが全部当たりでした。

只、写真にはありませんがコルト45口径自動拳銃で軍用のモノだけは30年くらい以前の物なのですが、これがこの度の収集?の元になっています。入手のいきさつは省きますが、当時は隠匿に近い形で持っていたので余り頻繁に撃つ機会がなく、殆どお蔵入りの状態だったのです。ひょんな事から持ち出して試した所、良い動きを見せてくれたのが今回の衝動のきっかけとも言えます。いかつくていかにも当時のアメリカ陸軍が好みそうな傑作器で、今でもバンバン連発ができます。

あと、所ジョージさんの「世田谷ベース」の影響も大きいですね。

これを毎晩2・3丁づつ合計200~300発くらい撃って喜んでいます。とは言っても精密機械なのでスムーズにいくわけでは決してなく大体1回くらいは何らかのトラブルが発生しますが、快調裡に終わった時はぐっすりと安眠できるという訳です。(尤も毎日十分な安眠・睡眠がとれていますが。)

どんな世界にも達人が居て、それなりにYOUTUBEなどもあるので、それを観るのも楽しみなっています。

こういうのを「マイブーム」というのでしょう。ついに公表してしまいました。

実はもう一丁ドイツの名銃の購入を密かに考えております。いずれまたた。…

2025年6月11日水曜日

F.フォーサイスが死んだ

 今日の新聞にフレデリック・フォーサイスの死亡記事が出ていました。86歳だったそうです。


最近は余り読まなかった作家ですが本棚を探したところ、読み漁ったという程ではないにせよ、文庫本だけでもそこそこ読んでいたようです。

因みに以前のブログに戦争・スパイ・謀略・アクション関係の読書遍歴がまとめてありました。
1  ロバート・ラドラム
2  トム・クランシー
3  ブライアン・フリーマントル
4  クライブ・カッスラー
5  ジョン・ル・カレ
6  フレデリック・フォーサイス
7  ジャック・ヒギンズ
8  ケン・フォレット
9  ダグラス・リーマン
10 マイケル・バー・ゾーハー

話は変わりますが私が元職の時、初代内閣官房安全保障室長を務めた佐々淳行氏といささかの交流があり、その時彼から「フォーサイスが来日した時、オレに会いたいというんで会ったんだけど、ありゃ殆ど作家というより情報部員だね。小説のネタにしたいのか散々日本の情報組織について知りたがるんだよ。」というような話を聞いた記憶があります。

そんなわけで若干の親しみがあったのでしょう。それにしても私よりたった10歳年上というのには驚きました。少なくともひと世代上の人だと思っていました。改めて経歴をみると20歳の時空軍からジャーナリストへ転身しているのですね。

それにしても、このところ新聞の死亡欄が気になる今日この頃です。