先週、S氏の29ftクルーザーを上架して船底塗料の塗り直しを手伝った。今日はそのテストのショートクルージングだ。
とりあえずベイサイドマリーナから八景島を目指したのだが、余りの天候の良さにつられ横須賀沖の「猿島」の東側まで来てしまった。するとオーナーS氏が不意に「横須賀港に入った事がないので行ってみましょう」と提案され、予定を変更した。横須賀港が近付いて来た時、S氏は水路誌を見ながら「ここを右に行くと田浦方面ですよね」言った。その時私は、あっと思い当たった。そこは現在海上自衛隊の自衛艦隊司令部のあるところで、実は私が中学1年から高校2年の1学期(その後移転した)まで過ごした母校のあった場所なのだった。
それでは是非行きましょうというS氏の好意に甘えて、矢印の針路をとり元母校に向かった。5年間見てきたその海側から眺める元母校の景色は、上物は随分変わっていたものの、当時を思い出すには十分だった。
左上は高校校舎があった辺りで、体育館として使っていた建物はどうも変わっていないようだ。右上は中学校舎、本部建物があった所だ。自衛艦は当時のままの岸壁を使用していた。もっとも我が母校は戦前の海軍(多分水雷学校)施設の跡地を使用していたので、元の持ち主に返ったという事だ。
昼食は対岸の誰のものともわからぬ台船に横付けして持参のおにぎり。母校を正面に見ながら春の穏やかな日差しの下で食べるおにぎりは、また格別だ。
米国海軍が使用している基地に停泊中の「空母」を右手に遠望しながら帰途につく。上潮に乗って3ノット程度ののんびりとしたクローズドホールドの(風に向かって進む事)セイリングを続け、マリーナ近くでジブ(前の方にあるセイル)をたたみ入港準備にかかろうかという時に事件は起きた。
しばらく前からスロットルレバーを目一杯押し込んでも回転が上がらなかったのだ。それでも2000回転位までは上がるので(5ノット程度は機走できる)何とかなるだろうと、後日点検することにして航海を続けてきたのだが、それまで2~3m/secの風が急に13~15m/secに吹き上がってきたのだ。しかも向かい風。加えて、その頃は1300回転位にまで落ちていた。
入港する際は、速度を落とし、細い水路を通りバース(繋留のために割り当てられた浮き桟橋付きのスペース)に入れなければならないので、セイルは全て下ろし機走するのが原則なのだが、風に逆らって進むにはエンジン出力が足りないのだ。最悪の場合、推進力を得る為にセイルを張ったまま入港する危険を冒さなければならない事態だ。
S氏の判断は的確だった。「セイルを張って沖出ししましょう。」 ジブをまた張り直して、できるだけマリーナの入り口より風上にもっていこうというのだ。一旦風上に出られれば、弱い出力のエンジンでも何とか追い風に乗って入港できるという判断だ。
その間のセイリングはかなりシビアだった。ジブはリーフ(セイル面積を小さくたたむこと)したものの、メインセイルまでは手が回らない、ほぼ横倒しになりかけたりもしたが、メインセイルはやや風を逃がし気味にセットして走らせ続けた。マリーナ入り口を風下に見る位置まで到達して、ジブとメインをたたんで機走に切り替え、何とかマリーナ内に艇を持ち込んだときにはホッとした。バースに舫い終わるとS氏の顔にも安堵の表情が浮かぶ。
それでも、一通りの後始末が終われば、いつものようにコーヒーと菓子パンで、反省会を兼ねた語らいのひと時。夏の長期クルージングの計画等に話の花が咲く。
付け足しのようだが、もちろん自宅・ベイサイドマリーナ往復には愛車を使用。(これは自転車日記なのだ)
本日の走行距離 37.22㎞ 午後7:45帰宅