前回の投稿が8/4でした。投稿の後すぐに愛人1号は畳んで仕舞い込みましたので、自転車記録は全て本妻号のみになります。
主に8・9・10月の走行記録
本妻号 424㌔ 累計 40,148㌔
愛人1号 0㌔ 累計 1,565㌔
合計 424㌔ 41,713㌔
遂に「本妻号」の走行記録が四万㌔を越えました。よくぞ耐えてくれました。あんたは偉い!
それにしても近頃走っていません。通勤以外に走ったのは横浜ベイサイドマリーナ往復と本日の鶴見川サイクリング位のものです。要するに「自転車乗り」とは言えなくなりました。それならば「何か」という事をお話ししていきます。
ひとつは「病人」です。8/4の前回書き込みの日は糖尿病の再検査で数値は相当改善していたのですが入院の方針は変わらず、8月の末から9月の頭まで約2週間の入院。これが今後にしわ寄せされる事になります。退院の日、その敷地を離れたところで立て続けに吸った煙草の美味しかった事と新横浜駅の近くで食べてラーメンの味は忘れられません。
次は「地域活動員」として心理的な意味も含めて相当多忙な日々でした。町会の担当役員として9月の「敬老の集い」の仕切り(これには該当者の名簿整理、記念品の手配、配布の手配、当日の運営等全て)をこなし、10月初めの「お祭り」の一切、その他副会長としての通常業務(町内会報の作成、組長会の運営等)があり、更に悪い事?には「国勢調査員」の仕事までが加わりました。そもそもこの業務は5年前にも一度経験しており、もう二度とするまいと思っていたものなのですが行きがかり上今回もやる羽目になっていしまいました。入院のおかげで他の皆さんより出遅れてしまい何やかやと10/15の提出日まで節目節目の期限に追われる毎日でした。更にこの時期民生委員として受け持ち地区の75歳以上の独居老人の各種調査という気骨の折れる事業まで加わったのですから大変なものでした。
もちろんその間月に14・5日程度のスポーツ会館勤務は真面目に励んでおりました。
しかしそれでも本命は「ヨットレーサー」を目指した事です。これには話せば長い訳があるのですが、要はレースの面白さに目覚め、昨年のリベンジに燃えた艇のオーナーに共感してしまった事が原因です。おまけに私自身予定していなかった、あのタモリさんがプロデュースする「タモリカップレース」にまで急遽出場する事になり、加えて私の知り合い(この経緯も面白いのですが、割愛)をレースキャプテンとして依頼したり、甥をクルーに仕立てたりとあわただしくも楽しい海生活を送りました。この間6日も海に出ました。こんな事はここ数十年なかった事です。
(タモリカップレースの参加メンバー5人)
9/12の「タモリカップ」は200艇近くの参加があり華やかな楽しいレースでした。目標はタイムリミット内ゴールでしたが1時間以上残しての余裕のゴール。キャプテンの腕の良さで何とか「レース」の形になりました。しかし成績的には満足のいくほどではなかったとなるとクルーの技量も忘れ、現金なもので欲が出るものです。フィニッシュ間際のミスやその他の反省点を修正すれば、次は入賞も不可能ではないと、オーナーはじめ一同真面目に10/17の「YBMオープンヨットレース」に臨んだのであります。これは横浜ベイサイドマリーナ主催のローカルレースではありますが、関東近郊では大掛かりな部類に入る本格的なクルーザーレースです。
(YBMオープンヨットレース当日の乗艇「AKATSUKI」)
我々の艇は船齢10年を越す「HUNTER29」という船型で決っして速く走る事を目的とした艇ではありません。どちらかというと家族で楽むための艇で、セール、擬装もそのようにできています。ただ、私は常々「この艇だってちゃんと走らせればまんざらではありませんよ」と言っていた手前、なんとかそこそこの成績を取りたいとは思っていました。同じような艇が(つまり速くなさそうな)同じクラスにまとめられ(40艇)、我がクラスは3番目グループとしてのスタートでした。
かなり甘い判定ではありましたが全体としてはそこそこのスタートでした。
一種のハンディキャップを多くもらっていた事も重なり、特に依頼されたキャプテンには、そんなにガリガリ行かなくってもいいのにと感じるほど「勝ちに行く姿勢」が見られました。やはりレースとなると燃えるのです。宿命のようなものでしょう。あの緊張感はたまりません。
上マークまで1マイルの通常のオリンピックコース(詳細は省きますが全長約5、5マイル、帆走距離約7マイル)、スタートは風下側からのジャストスタートでキャプテンの思惑通りの素晴らしいスタートの出来栄えでした。念のために言いますとこのスタート自体かなりの技量が要求されるものなのです。
スターボでスピードをつけてしばらく走ろうという矢先にジブのタックがちぎれ、ジブの下部がヒラヒラし、艇速が落ちるというアクシデントに見舞われ修復に時間を要し他艇に少し差をつけられはしたものの良く挽回して、風の良い時には7ノットでクローズドホールドが走れたのには大喜びしたものです。
結局2時間半の余裕をもって1時間44分でフィニッシュしました。快挙と言って良いでしょう。これで一応昨年のリベンジは達成できたのですが、やはり気になるのは成績です。私の見立てでは「後ろに少なくとも10艇は居た、そしてハンデで10位上がって20位」というものでした。入賞の対象にはなりませんが「跳び賞」の楽しみは十分にあります。
さて表彰パーティもそれなりに楽しいものでしたが、賞品運には見放されました。入賞を含めて何やかやで40艇中半数くらいは恩恵を受けられたのに、われらの艇番号「89」は遂に呼ばれませんでした。その場は「ああ、残念」で済んだのですが、帰りがけに受け取った順位表を見た途端「えっ」と叫んでしまいました。何と着順22位、修正後15位というもので思いのほか好成績だったのです。というより、何で15位が跳び賞対象にならなかったのかという不満が湧いたのです。20、25,30,35位などは該当しているのに…です。
大会本部に疑問を呈そうかという気持ちは十分にあったのですが、中年と老年のチームにはふさわしくないという結論に達しおとなしく引き上げてきました。
帰りがけに甥が車のキーを海に落とすというアクシデントがありましたが、本当に楽しい1日でした。
レースの事を長く書いてしまいましたが、要するに自転車に乗る時間はなかったと言いたかったのです。
こんな調子では予定していた「琵琶湖一周自転車旅行」は諦めざるをえないようです。
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