8/11~8/14の日程で娘家族(娘夫婦と中2、小4の男子)と自分達老夫婦計6名で「しまなみ海道」弾丸ツアーに行ってきました。無事全員戻れたのが何よりの事でした。
詳しい旅程等は後にしますが、使った交通機関だけでも、航空機、新幹線、在来線、タクシー、レンタカー、渡船(フェリー)、リフト、自転車という具合で、こんな旅行は今までしたことがありません。スケジュールや諸手配は一切娘達に任せました。実は旅行中に孫のイベントの関係で一日早く帰らなければならなくなり、急遽一泊減の調整をして、それでも何とかまとめ上げて、概ねの目的達成ができたのは大したものです。娘夫婦の企画能力は素晴らしく、それも殆どスマホとタブレットで処理をしていたようです。
私達に「パパたちはどうする?」と聞かれても「一緒に動きます、同行させてください。」と答えるのみで、「おんぶにだっこ」状態でした。
(一日目)
早朝、前日から泊まっていた息子親子に羽田空港まで送ってもらう。そこで娘と孫A(中2)と落ち合う。搭乗券の予約購入一切を任せてあるので会えてホッとする。
セキュリティーチェックでこの自転車用マルチツールが引っ掛かりました。たまたまこの中に4㌢程のブレードがあるのがダメなのだそうです。別送させられました。
松山空港から道後温泉近くのホテルへタクシー行、荷物を預け、昼食、松山城・坂の上ミュージアムなどを見学。
夜遅く娘の旦那マーくん、孫B(小4)が到着。
(二日目)
朝食後タクシーにてJR松山駅に移動、今治まで鉄道移動。
駅前のサイクリングターミナルでレンタサイクルを借りる。当初は自前の愛人一号を輪行する事を考えていたのですが、細かい移動が多いので涙を飲んで断念しました。マアマアのGIANTのクロスが借りられ、そこに以前改装したフロントバッグを着けて準備完了。その間にマー君はレンタカーを借り、孫ABは事前に送った自車を組み立てて、駅前に全員集合。
当日は駅前から、来島海峡大橋、伯方・大島橋大橋、大三島橋、多々羅大橋と4つの橋を渡り生口島まで37、5㌔を走ったのですが、驚くべきはマー君はその全てをランニングで通した事です。娘と家人はレンタカーです。しまなみ海道の起点「サンライズ糸山」で昼食。
(ランニング中のマー君)
マー君は日常的に10㌔~20㌔を走っているそうで、当初はダイエット目的で始めたのですが、今では走らないと心身の均衡が保てないという「中毒」状況です。いづれにせよ私の理解を超えた存在です。
基本的には私が先頭、BAの順です。Bは何だかんだ言って私を追い越そうとします。確かに御ジイさんは足が衰え(そもそもそれ程強くない)術後の回復を確認するのが目的なので、マーペースで進むのですが、そのスピードがBには我慢できないらしい。
Bは「権威」というものを認めにくく「世の中には秩序が必要だ」という事を教えるのに苦労します。今回私は「保護者」「引率者」としての責任を自覚しているのですが、Bにすれば「そんな責任を頼んだ覚えがない」という事になるようです。
何とか6時前にペンション「輪空」(LINK)に到着。しばらくしてマー君もランニングで到着。32㌔を走り切りました。やっぱりおかしい。
熱中症気味ではありましたが、取敢えず今日の全行程を事故無く走り切れた事に満足しました。
ここに2013年に同じようなコースを走ったブログ記録を挿入しておきます。目的地の輪空(LINK)を今回も予約しています。
6:06 ホテル出発。6:50 サンライズ糸山到着 ロビーはどこかの社員研修の若者で一杯だった。これが満室の原因だった。
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こんなお洒落なプレートをいただき、8時頃出発。
家人は自分が選んだ「ママチャリ」で一応内装3段。荷物が積めるからという理由だそうだ。
来島大橋→大島(山越えに相当苦労して、村上水軍資料館に寄る)→大島大橋→伯方島→大三島(多々良大橋の付け根の道の駅でのんびり昼食)ここで12:40 40㌔
橋へのアプローチの登りがママチャリではややきついかも知れない。少なくとも自分はしたくない。
本日最後の多々良大橋を渡り、生口島の東側にある開業したてのペンション輪空(RINK)に到着したのは
15:15 50.76㌔
予定より大分早く着いてしまったが、コールドレモン水のウェルカムドリンクで迎えていただいた。ここは名前のとおり「自転車野郎」が開業したペンション。食事も最高。お勧めです。
明日は尾道までの、予定35㌔。
以上過去ブログ挿入終わり
(三日目)
本日は新しく橋が開通した「ゆめしま海道」を走り因島のホテルまでのメインの日です。
只、私は疲労回復のため車移動。(因みに私は運転ができず、すべてのやり繰りが難しくなっている元凶なのです)私の自転車には前半マー君、後半の島巡りは(驚く事に)娘が乗ると言い出しました。確か45歳を超えているのではないかと思われるのですが、すっかりその気になって楽しそうにするので仕方がありません。そういえば学生時代には距離スキーの選手だったので多分大丈夫なのでしょう。
ペンションの裏で記念写真を撮って9:00位に出発。
まず、ABの希望で、昨日のコースを逆行して大三島に戻り、海釣りパークに行きました。この区間はマー君が自転車を漕ぎます。私は娘の助手席で涼しく楽ちんをしています。娘は大分前に免許をとっているのですが、最近まで車を持っておらず、必要な時はレンタカーで済ませ、それも運転巧者のマー君が担当するので殆ど運転経験がありません。そこでこの日のために少しは練習をしてきたというのですが、きわめて慎重な運転で安心しました。私からすれば「大したものだ」という事になります。
A、B共に釣りは初めてでボウズ。終いにはマー君も竿を借りてトライするもうまくゆかず、
そこで、御祖父さんがちょいとやらせてもらうとたちまち3匹の子カマスが上がりました。
いささか名誉回復。
多々羅大橋のたもとのしまなみ公園で昼食をとり、お決まりの「サイクリストの聖地」で記念写真。後ろは多々羅大橋。
再度多々羅大橋を渡り生口島へ戻り、昨晩停まった輪空の前を通り過ぎ、「ゆめしま海道」の岩城島への渡船口「洲江港」へ走る。ここ迄が娘の運転で、このフェリーへの車持ち込みは自信がないとみえ、ここでマー君と交代。母が息子2人を連れてサイクリングに変わります。
岩城島、生名島、上島、弓削島と4つの島を巡り、3つの橋を渡ります。途中かなり急な坂道があり、さらに岩城橋は、前半部分が空へ続く登坂がズーっと続くような、うんざりする景色で、車から見ると小さな粒がへばりついて動いているように見えます。母子3人ようやるわ。
更に驚くべきは生名島から因島へ渡るフェリーから、今晩の宿「ホテルいんのしま」が相当高い山の中腹に見えるのですが、急峻な登りが予想され母子3人には艱難辛苦が待っていそうな雰囲気です。
マー君の運転で、思った通りウネウネと曲がる細く急な山道を登って行ったのですが、その間、マー君が後から来る3人を心配する様子が感じられました。
先に着いて待つ事数十分、孫A.Bの姿が見えました。これはこれで大したものですが、母は未だです。どうした事かと心配になり(娘はいくつになっても娘ですので)迎えに坂を降りていくと、ヒイヒイ言いながら押してきました。よくやった、と思いながら自転車を受け取り、最後の登りは私が漕いでフィニッシュしました。
これにて3日目が終わったわけではありません。何と食事前にマー君と息子Bとで山頂まで登ってきたとのことでした。理解不能です。
(四日目)
朝食後、9時出発。
実は当初の計画ではこの日は広島泊りという予定でしたが、急遽孫Bのサッカーの練習日か試合日が翌日に決まったとかで本日帰りとなりました。娘夫婦は子供たちの自転車返送やレンタカーの返却変更やら相当頑張って本日帰りのスケジュールに変えてくれました。今の人たちは皆がこんな事がスイスイとできるのだろうか。
今日は「しまなみ海道」に戻るので私が自転車、マー君はランニング、娘の運転に戻ります。因島大橋を渡り向島、尾道へフェリーで渡り自転車を返却してサイクリングは終わります。トータルで約40㌔の旅程です。
途中しまなみビーチでおやつ休憩をとり、何とか走り通しました。
驚いたのはランニング中のマー君と自転車の孫A(中2)は互いに何処にいるかが地図上で確認できるアプリをもっており、Aは時々「今パパは1㌔後ろで、ここで待つとあと4分もあれば見えて来るよ」と情報を流すのですね。すごい世の中になったものです。
少し迷いましたが、12時くらいに尾道の対岸、向島のフェリー乗り場へ到着。これで私のサイクリング旅行は一応終着。ふう。
孫の2人は見事走り切ったし、マー君も気の済むまで走ったり運転をしてくれたり、娘も慣れない運転を慎重にこなし無事大役を果たし、家人は全員の健康を気にしつつ世話役を果たしてくれました。
皆さん、ありがとうございました。
尾道の町には滞留せず、折角だから宮島を見て帰るというので、娘は新幹線で残りはレンタカー(定員の関係で5人しか乗れない)で広島駅で合流することになりました。
広島から宮島口まではJR、私達老夫婦は宮島へフェリーで渡っても厳島神社見学はしないで、ひと休みしただけで宮島口へ逆戻りして駅前のカフェで涼んでいました。なんたって耐えがたく暑い。
帰ってきた娘夫婦と合流して広島駅に戻り、マー君はレンタカーを返し、17:48発の新幹線で戻ってきました。我が家着は22:30でした。
お疲れさまでした。
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