2017年12月31日日曜日

12月の記録と2017年総括

今年も大晦日になりました。
先程、民生委員の関係で印鑑をもらいに地区会長のお宅にお邪魔し、帰りにドミノピザに寄り昼用にピザを2枚買って帰りました。それが自転車の乗り納めでした。
その結果12月の記録は以下のとおりでした。

本妻号   48㌔   累計 43,536㌔
愛人一号  74㌔   累計  2,909㌔ 
合計      122㌔      46,445㌔

本妻号を昼間、愛人一号を夜用と分けましたのでこんな具合になりました。それにしても乗っていませんね。

恒例の累計記録をまとめました。

06年(8月~12月)             1,090㌔
07年        6,531  (累計     7,621㌔  )
08年        6,155  (     13,776  )
09年        5,021  (     18,797  )
10年        4,423  (     23,220  )
11年        4,513  (     27,433  )
12年        4,747  (     32,180  )
13年        4,021  (     36,201  )
14年        3,912    (     40,113    )
15年          2,010  (     42,123  )
16年        2106   (     44,229  )

で、69歳を迎えた昨年2017年は 
17年        2,365㌔ (累計   46,594㌔  )
                  内 愛人1号  1,375㌔

という事になりました。この3年では最高ではありますが、房総旅行をしたためと思われ、基本的には変化なし、といったところでしょうか。

今年も色々な事がありました。義母・叔母をはじめ色々な方が亡くなりました。しかし9月には息子の初めての子供、零ちゃんが産まれ、順調に育っています。自転車生活も待望の愛人一号による輪行ツアーが出来たし、ヨットレースは2回も出ることが出来ました。
持病の糖尿も高めではありますが安値安定といったところでまずまずの1年ではなかったかと思っています。

そして来年早々には70歳の誕生日を迎えます。それに先立って横浜市の敬老パスを取得しました。これでりっぱな老人の仲間入りが出来ました。何とか「そこそこ」の70歳台を過ごしたいと思います。



思えば60歳台は自転車中心に過ごしてきたように思います。感謝しています。これは何とか維持したいのですが、どうも中心というわけには行かないようです。

体と精神の活性化は「お出かけ」にあると最近感じるようになり、これからはそこを柱に生活を回していけたらどうにかなるのではないかと考えております。

「余命」という文言が実感を伴ってきました。



2017年12月1日金曜日

11月の走行記録など

11月の走行記録

本妻号   48㌔   累計 43,536㌔
愛人一号  74㌔   累計  2,909㌔ 
合計      122㌔      46,445㌔

というように極めて低調でした。目下、2台を何となく使い分け併用しております。ただ、メインは愛人一号ではあります。それでもメインテナンスは小まめに実施しております。チェーンオイルも購入して、ギア、チェーン、プーリーの駆動部分はきれいにするよう心掛けています。今日はブレーキ調整と愛人一号のサイコンの電池交換と設定のし直しをしました。いつでもどちらでも即乗車可能な状態にしておくのが現在の自転車生活です。

それにしても11月は何かと忙しい月でした。民生委員関係や地域活動での催事が相当数あってその他クラス会の幹事など当事者、担当者の役割が多くありました。そして下旬の4日間は息子の嫁のご両親が初宮参りを兼ねて孫の顔を見に沖縄からこちらへ来られたので、その対応にてんやわんやでした。もっとも、大変なのは家人で私は大したことはしていません。

孫の零ちゃんも生後2か月を過ぎ、順調で何よりです。どんな子供になっていくのか楽しみです。

12月になると横浜市の「敬老パス」が購入できるのを機に、マイナンバーカードを申請しようと思っています。

年が明けると70歳です。


2017年10月31日火曜日

久しぶりの走行記録

6・7・8・9・10月の合計走行記録

本妻号   292㌔   累計 43,488㌔
愛人一号  740㌔   累計  2,835㌔ 
合計    1,032㌔      46,323㌔

といったところです。殆ど愛人一号を日常の足で使っていますので完全に本妻号と逆転しております。滅多に使わないと本妻号に錆が浮くので、たまには油を差して乗っている程度です。両人とも至って調子よく働いていてくれます。愛人一号のライトも順調です。

それにしても5ヶ月で1000㌔はいかにも少ないと思います。もうこれでは「自転車乗り」とは言えませんね。

今日が10月の月末ですが、何かとても忙しい数か月を過ごしたような気がしています。一番は零ちゃんの誕生です。その他、地域活動関係(これが一番多かったのですが選挙もありました)、ヨットレース、親族とのお付き合い等々。まあ、体が動く内が華とも言いますのでありがたい事だとしておきます。

でもやはり「自転車旅行」への思いは消し難いのです。

2017年9月26日火曜日

零クン誕生

最近自転車の話題が少なく、走行記録も滞りがちになっております。

この2か月くらい愛人1号ばかりを使っていたところ、なんと本妻号のフロントの3枚ギアの一番大きいヤツに錆が浮いているのを発見しました。急遽錆止め等の手入れを施し、その他メインテナンスをしてやりました。やはりたまには乗ってやらないといけないようです。

今月19日夜分、長男(といっても姉との2人姉弟ですが)に第一子が産まれました。別に何が、というわけではないのですが心配で心配でたまらない期間を過ごしただけにうれしさもひとしおです。2800gの元気な男の子でした。「私には産まれるまで性別は教えるな」と指示はしていたのですが、うすうす「男」だなと感じていました。

昨日嫁さんと一緒に我が家へ退院してきました。産後の諸々が落ち着くまで1~3週間ほど我が家で過ごす事になったからです。

迎える準備としてTVを購入しBS受信の工作を施し、風呂のボイラーを交換しました。

それはともかくとして、その赤ん坊の名前が「」(レイ)というのですよ。

なんとも哲学的な名前ではありませんか。由来は聞いていません。どんな思いが籠められているのでしょうか。この子が大きくなった時「何で零なの」と聞かれたとき説明責任は息子夫婦にあるのですがねえ。

何度か抱かせてもらいましたが小さくて可愛い。それにしても、家人は生き返ったように活き活きとしてきました。いそいそと立ち働いています。おかげで私もこの2日間、恵まれた食生活を送っております。赤ちゃん万歳!

2017年9月17日日曜日

2017タモリカップ参戦

去年は乗艇「AKATSUKI」のオーナーの体調不良のために参戦できず残念な思いを残したこの「タモリカップレース」に今年は参加できました。クルーの一員だった甥が夭折してしまった穴は愚息が埋めてくれ良いチームができたと思います。       


9月9日(土)、とても良い天気でした。


上の写真は出航直後に別の艇からAKATSUKIを撮ってもらったものですが、ここには私は写っていません。実は私、出航準備中に桟橋から落水しまして、この時はキャビン内で全身着替えをしておりました。ドジな事です。        

レース前には「みらいへ」(中央の3本マスト)の前を観艦式のように行進して艇名をコールされてレースへの正式エントリーとなります。みらいへのデッキ上にタモリさんが船長服で立っていて「行ってらっしゃーい」と手を振ってくれます。
       


180艇以上の参加があり壮観です。この時はまだ風がありました。ところが徐々に落ちてきてスタート時刻にはほぼ無風状態に陥りました。舵も効かない状態です。

15時までにフィニッシュできないとDNF(Don’t Finish)となりポイントがもらえなくなりますが、我々はDNS(Don’t Start)つまりスタートラインすら切れないのではないかとの思いにとらわれました。スタートの号砲が鳴ってもなかなかスタートラインが切れません。スタートは風上に向かってなされますが無風では如何ともなりません。それどころか潮の影響で後退して岸に寄せられ行く始末です。

それでも何とか奇跡を願って15時まで粘ってはみたのですが第1マーク(スタートラインから風上に約1マイル先に設置)の姿すら見ることができませんでした。

不完全燃焼のままマリーナへ戻り、行き交う参加者に「フィニッシュできました?」と尋ねると全員「だめだった」との返事でした。

夕方からはお楽しみのお祭り騒ぎのベキューパーティーで盛り上がりました。これが毎年楽しい。

只、他に楽しみが残っていました。パーティーは「表彰式」でもあるのです。10以上あるクラス毎に優勝艇が表彰されるのですが(後でわかった事ですが完走できた艇は30艇にも満たなかった。それもレース仕様の特別クラスで早い時間にスタートしている)クラス中全艇フニッシュしていないとなると「抽選」になり、我々にもチャンスが巡って来たのです。本来の優勝よりこちらの方が確率は高いなどと情けない事を話しながら待ちましたが、こちらもダメでした。残念!

只、抽選当たりの艇にもトロフィーだけで「副賞」(賞品)がないのを知ると「まあ、それほど悔しがる事もないよね」と変に胸をなでおろしたのであります。やっぱりさもしいのかな。あとは飲食に集中し食べ過ぎました。

何よりもオーナー家族と友人、息子と海の上で一日が過ごせた事がたまらなく幸せを感じさせる出来事でした。

2017年8月8日火曜日

ダイナモランプ取り付け

ようやく愛人一号のダイナモランプを取り付けました。アマゾンで一番評価が高い物を発注して購入しました。ハブダイナモ(前輪の車軸の中に発電機が組み込まれているもの)付きホイールへの交換よりはるかに安価で、輪行旅行に出かける時もすぐに取り外せるメリットからこのようなダイナモとランプが一体になった物にしたわけです。ちなみに本妻号は独立した二つの部分から成り立っています。これで電池の煩わしさから解放です。重量が若干増えたり、走行時ペダルがやや重くなりますがやはりメリットの方が大きいと判断しました。
取り付けには少し苦労しました。「小口径」という事と「フロントキャリア」を取り付けた事が原因なのですが、あらかじめ想定していたことなので手持ちの金具にアルミ板を加工したものを加えて、何とか指示書にある通りの正常な位置に収まりました。ちょこっと室内で試してみたところ問題はないようです。
あとは強度と耐久性に対する信頼性が残るのですが、こればかりはしばらく使ってみなくては結論が出ませんので様子を見ていきます。籠下にあったライトは外して予備としてサドルバッグにしまいました。
これが完成形です。早速今晩の通勤に出動です。

しばらくは「日常使い」にいたします。

2017年8月6日日曜日

愛人一号 7速化しました

やってしまいました。 かなり長い間どうしようかウジウジしていたのですが、老い先がそれ程ないことを考え(ちっと大げさ)踏み切りました。

そもそもの始まりは4速目のギアがどう調整してもカリカリ、クキクキするので(といっても大したものではなく、また4速を使わなくても日常使用にさほど問題はないのですが)房総旅行から帰ってきて、いっその事スプロケット(ギア一式)交換しようと思ったのです。

そこで慾が出てしまったのです。もともとのギアは6枚構成なのですがどうせ交換するならいっそのことそれを7枚にグレードアップしようかなと思ってしまったのです。ただ、その考えは本来私の考えとは異なっております。グレードアップを目指して改装するなら、初めから上級機種を買えばいいのです。根性がさもしい、潔くない、思慮が足りないと思う訳です。しかし思ってしまったものは仕様がありません。

一般にギア数を増やそうと考える人は、現在のスピードに物足りなさを覚え、一番小さいギアの下にもう一段小さいものを増やして「高速化」を目指すようです。しかし私はそうではなく一番大きいギアの上にさらに大きいギアを増やして「楽ちん化」を目指したのです。

細かい数字は省きますが、下の写真でもお分かりかと思いますが、7枚目のギアが相当飛び抜けて大きいのがお分かりかと思います。これがトラブルの元となるとも知らず、持ち込んだ自転車屋さんの大迷惑を掛けてしまいました。




そもそも「改装」は「自己責任」においてなされなければいけません。もしも自転車さんに7速化を断られたら、素直に帰ってきたと思います。そこは十分自覚していた積りです。私だって一応自分でやってみようと企てはしたのです。が、知識、技量、工具など足りないものだらけだったのです。だったら「勉強・修行しろ」というのが正論なのですが、老い先短い事を考えるとそんな悠長な事も言っていられません。「トライアル アンド エラー」が怖いのですのです。だったら「諦めろ」というのが正しいのでしょうが、年寄りは頑固でズルい物なのです。

一方では、素人は無理をしないでプロにお願いした方が無難だという「大人の判断」もあります。あるいは「お金で解決できることはその方が良い結果を生む」という知恵もあります。

そんなこんなで、自転車屋さんには余分なパーツを仕入れさせてしまったり、多大な時間を取らせてしまったり迷惑を掛けてしまいました。

まあ、いろいろ「無理筋」の改装でしたが無事終了して昨日引き取ってきました。2週間以上かかりました。あと、発電ライトを着けて終わりです。

2017年7月16日日曜日

愛人1号をいじりました

5月の「房総半島輪行ツーリング」を終えて、リアキャリア、その下に設置した小物入れを撤去して一旦は畳んでしまい込みました。と言うのもリアキャリアの支柱の長さゆえにシートポストが十分に下がらず、輪行バッグに収めた時にサドルの収納が不完全になるからです。で、次回のツーリング用には、以前ママチャリから外した荷台の足を切り落とし、その分をアルミのパイプで調整したものを制作して備えました。こちらは別の荷物と一緒に運ぶ予定にしました。

それで次の出番までおとなしくさせようと思ったのですが、「このままで終わってしまったら可哀そうだ」と考え直し(多分身近な人の死や病気が原因かもしれません)、日常的に使ってあげる事にいたしました。

と、なると、ママチャリ化する事を意味し、早速運搬機能が必要となり、フロントキャリアをネットで格安で手に入れ、籠を拾ってきてくっつけてみました。籠はバイク用ですがまあ、そんなにおかしくはなく比較的きれいなのでどうでしょうか。

チェーンロックやライト(写真ではキャリア下に装着しています)、工具、空気入れなどを入れるサドルバッグもネットで格安で購入ました。ここにはリアライトを着けられます。これで何とか使えるようになりました。


そうなると、今度は7速化を考えている今日この頃ですが、次回ツーリングをいつ(どこにするかはほぼ決めています)にするか思案中でもあります。


2017年7月1日土曜日

台湾自転車事情

私は自分自身一応「自転車乗り」だと思っています。少なくとも「自転車旅行愛好家」ではあります。そんな関係で外国の街へ行くと、そこの自転車事情が気になりそれなりにレポ-トをしてきました。その都市の自転車行政や住民の自転車へのかかわり方が興味を引くのですが、日本での対応を考える手掛かりにもなります。

さて今回のクルージングツアーでは台北に2泊し、その近郊も含めて実質2日間ほどの滞在でしたので、それほど多く観察したわけではありません。

一言で言って「台北市内はバイク・スクター」の街だと言えるのではないかと思いました。

都市住民の「足」としてバイク(スクーター型)が圧倒的に道を占拠しています。(その写真がなくて申し訳ない)専用の駐車場(駐輪場)も到る所に設けられ無料だそうです。
繁華街の道の両側にはバイクがぎっしり並んでいました。特に若者の間ではそれに2人乗りして遊びに行くのが一種のステータスのように見受けられます。

そんな中、自転車の影は薄いものです。レンタサイクルもあるようですが、あまり見かけませんでした。(下の2枚)専用レーンも気が付きませんでした。



自転車自体(バイクと比較して)、特にスポーツバイクはほとんど見かけず、それもクロスが中心でした。当然駐輪規制は無いようで適当に停めているようです。ただしきっちりロックはされています。やはり「持ち去り」はあるのでしょう。たまたま写真を撮った2枚は「GIANT」のescapeでしたが、やはり台湾企業で世界最大のメーカーの威力でしょうか。


下の写真は基隆郊外の「九份」という昔の金鉱山の跡に出来た新興の観光地から下を見たものですが、相当な高度だとお分かりいただけると思います。300数十メートルです。

ここに至る道路は道幅が狭く急こう配な九十九折なので大型バスでは相当スリルがありました。台湾の運転手は運転が果敢というか乱暴なのです。そんなところで数多くのロードバイクを見かけたのには驚きました。高度差300メートルとはかなりのもので、まして急こう配でクネクネ道となれば私はダメです。思い出しました、屋久島で「白谷雲水峡」へ登る道に似ていました。ヒルクライムの聖地とでも考えられているのかもしれません。苦しいだけならまだしも危険が隣り合わせなので、あのヒルクライマー達には敬意を表します。
以上、台湾自転車事情でした。

2017年6月29日木曜日

クルージングツアーの記録

先日、下の写真のようなツアーに家人同伴で行ってきました。

実は5月の中旬にライン川の6泊7日のリバークルーズを含むツアーに申し込みをしていたのですがお客が集まらず中止となりがっかりしました。このリバークルーズは長年の夢で「究極のクルージング」ではないかと考えます。ヨーロッパ巡りをするならお勧めです。それはさておき、そんな時にこのツアーのパンフが目に入ったのが運のつき、早速申し込みをしてしまいました。

もうひとつ実は、何年か前にエーゲ海を中心としたクルージングに参加したことがあり、その楽しさを知っていましたので飛びついてしまったという経緯もあります。

「クルージングは安い」と言う事をご存じでしょうか。と言うより最近は安いクルージングが増えている、クルージングの大衆化が大いに進んでいるのです。

後で船の写真が出てきますが相当豪華な大型客船です。しかも今回申し込んだのは募集上、上から2番目の「海側バルコニー付きキャビン」という結構なところです。この「海側」「バルコニー付き」と言うのは客船の船室にとって一種のステータスなのです。
こんな船に3泊4日乗れて、しかも船内食事は相当な質のものが無料で楽しめ、天気に恵まれればリゾート満喫生活がおくれるのです。

それに加えて台北では50年前に学生時代に来た時に「一体どんな人が泊まるのだろう」と思った超一流ホテル円山大飯店に2泊も泊まるのです。

それで13万円を割るお値段です。これを「安い」と言うのは生意気ですが、今どきちょっとした国内旅行でもこの位はかかってしまうのではないでしょうか。それもこれも「クルージング」自体の安さのなせる業です。多分クルージング部分の料金は3万~4万のはずです。

大体こんなスケジュールです。

1日目 成田→台北 (台北泊)
2日目 市内・十份観光(台北泊)
3日目 基隆にて乗船 夕刻那覇に向け出航(船内泊)
4日目 昼頃那覇着 夕刻石垣島に向け出航(船内泊)
5日目 昼頃石垣島着 夜基隆に向け出航(船内泊)
6日目 朝基隆着 九份観光後台北→成田

我が団体は31名、殆どが老夫婦。所謂リピーターのようです。

台北市内観光は私にとっては「おまけ」のようなもので、50年経つと随分変わるものだという程度のものでした。お決まりの故宮博物館とかをまわります。下の写真は「忠烈祠」の衛兵交代風景です。なぜか空軍が受け持っていました。


十份」はかつての炭鉱跡で今は願い事を書いた熱気球(風船)を飛ばす事で集客している新興観光地だそうです。


3日目にいよいよ乗船となるのですが2000名以上が一気にチェックインするのですからそれは大騒ぎです。時間もかかります。疲れます。これはどの客船でも同じだと思います。特に団体ツアーが中心ですと大騒ぎです。半日がかりと言っても言い過ぎではありません。

今回の「サファイヤ・プリンセス」はイギリス船籍の11万6000トン、定員2600名という大型客船です。ただし三菱重工で造られたもので、火災に遭って再建造に近い過程を経たといういわくつきのものです。とは言っても豪華客船には違いありません。
詳細は下記をご覧ください。

http://www.princesscruises.jp/ships/sapphire-princess/


下の写真は石垣島の沖に停泊している時のものですが、恰好いい船です。ついでに、ここでは大きすぎて岸壁に横付けできず沖泊まりとなり、船の救命艇で20分くらいかけて島までお客を運びます。

色々な手続きの最後にクレジットカードの登録をすると写真のような船内カードが作られ、以後一切の支払いがこれでできるようになり、身分証・パスポート代わりとなります。

因みに私の部屋は12階の308といって左舷前方です。

今ではどこでもそうですが「禁煙」が原則、当然部屋もバルコニーでさえも禁煙です。乗船してまず最初の確認事項は「喫煙エリア」です。3か所しかありませんでした。ここ7階プロムナードデッキ左舷の一部、14階バーカウンター横、そして7階のカジノだけでした。これだけの事を聞き出すのは私の英語力では大変な努力を必要とします。


下の写真の灰皿がどれほど嬉しかった事でしょう。


沖縄・那覇では息子の嫁の父親が交通事故で入院しているので、島の北部の病院に見舞いに行っただけ、石垣島では船の救命艇で上陸し1時間ほど港周辺をぶらついて、あまりの暑さで駆け込んだカフェで美味しいコーヒーを飲んですぐ帰船。

それぞれ所謂観光に行った人もいたようですが、私は専ら船上生活を楽しみました。
下の写真のプールにしてもほぼ貸切で他には黒の極小ビキニのラテン系のお姉さんがいるだけです。

乗客2600人のうち2100人が台湾人、120人が日本人、同じくマレーシア人、あとはベトナム人、オーストラリア、ニュージーランド等だそうです。

台湾人のお客は家族連れが目立ちました。若夫婦の幼児連れ、お祖父さんやお祖母さんを筆頭にした大家族連れが目立ちました。お祖父さん等はそれこそステテコにランニングのような人が沢山いました。それだけ大衆的なクル-ズ船だというわけです。

レストランでの夕食時の服装(ドレスコード)も緩く、水着以外OKといったところです。
ちゃんとしたディナーを3食2か所のレストランで食べましたが、その中でもプライムリブは一見してボリュームに圧倒されましたがとてもおいしくいただけました。添乗員さんの計らいで大体グループメンバーと一緒で、日本語メニューも完備されています。

あっと言う間に穏やかな好天に恵まれたクルージングが終わり基隆に帰港し、バスで1時間ほどの「九份」という伊香保と江の島を混ぜたような階段の町、昔の金鉱山街を観光しました。家人は以前来た事があるそうで、私はそれほど興味がなく、早々にレストランに入り食事と休憩。その後台北の桃園空港から成田へという行程です。が、空港に着いたものの、チャイナ航空の機材不良で機体の交換という事態が発生し、出発が3時間くらい遅れ、成田に着いたのが23時を回ってしまい、その日は空港近辺のホテル泊りとなってしまいました。航空会社の勘定もちですが、翌日の朝食までは交渉してもダメでした。

いつもの事ですが、家に着いたときにはほっとしました。

でもやっぱりクルージングは楽しい。次はやはり「リバークルージング」か「ベネツィア・マルタ」でしょうか。

2017年6月1日木曜日

5月の走行記録

5月の走行記録です。

本妻号   103㌔   累計 43,196㌔
愛人一号  296㌔   累計  2,095㌔ 
合計    399㌔      45,291㌔

久しぶりに400㌔近く走りましたが、これは3泊4日の房総ツアーに出掛けた結果です。愛人一号の走行距離も2000㌔を越えました。

これで一応「ダホン-ルート」を買った目的は達成したのですが、これからの扱いを考慮中です。今回の利用で輪行の実態を体験できたので改善点も見えてきました。やはりこれからも自転車旅行は続けたいし、「輪行」が主流になるでしょう。と言っても愛人一号を改造する気はありません。ちょっとした手直し、アクセサリーの変更くらいでしょうか。確かにその余地はあるのですが元が安い自転車ですからそんなに費用をかけたくはないというのが本音ではあります。

今日は本妻号のリアのブレーキシューを取り換えてました。近々サドルを交換する予定です。これで3個目です。現在、表面の皮が摩擦でだいぶ剥げてきましたので。

2017年5月29日月曜日

房総半島輪行旅行

5月22日(月)~25日(木)で房総半島ほぼ一周の自転車旅行に行ってきました。3年越しで考えていた「輪行」の旅です。「ダホン ルート」という折り畳み自転車を買ったのもそのためだったのですがなかなか実行に移せずにいました。

この歳になると、何か新しい事をするのに臆病というか億劫になるもので、実際に具体的に計画を立て始めたのは多分3月に入ってからだったと思います。行動を起こすのに何が障害だったかというと、多分、輪行についてたくさんの情報を持ってしまったからだと考えています。「何とかなるさ」で出発するわけにはいかないのですね。

自転車旅行自体はもう10回以上こなしているので不安はないのですが、「輪行」するというただ一点がいつも引っかかっていました。自転車を畳んだり広げたりする場所はあるのか、車内や駅構内の混雑具合はどれ程のものか、実際に車内に持ち込むとき駅員と悶着無しに出来るのか…、等々。また、輪行とは別の懸念もあります。「小口径自転車」という問題です。ホイール径20インチです。そもそもこれが効率が悪い事は十分承知しておりますし長距離には不向きとは常識なのです。30~40㌔くらいのポタリングが適当とされています。しかし今回はざっと250㌔を4日間で走らなくてはいけません。一日平均60㌔以上です。70歳になろうとする私に耐えられるか。

(こんなコースでした)


そして5月22日(月)午前6時横浜の自宅を出発しました。


まず数分の市営地下鉄へ。10数分で横浜駅へ。ここからもう「誤算」が始まりました。まず輪行袋の肩紐が金具(といってもプスティックですが)から外れどうにも収まらず、結局そこに結び付けて応急修理。さらに車内は相当数の乗客がおりかなり気を使わないと自転車を置く場所に苦労しました。サラリーマンの朝は早いのですね。

更に間の悪い事に横浜駅にて便意を催し、ホームに自転車を置いたままトイレに行き用をたしたために予定の佐原直通の「成田快速ライナー」に乗り遅れてしまい、乗った列車で千葉まで行き、乗換えで成田、そして佐原には10:11と、予定より1時間も遅くなってしまいました。そして千葉までの「横須賀線」も相当混んでいました。

(佐原駅)

早速自転車を展開してようやく走り始める事が出来ました。犬吠崎に向けて出発。天気は晴朗。この辺りはいわゆる水郷地帯で伊能忠敬記念館があったり相当の観光地でもあるのですが、以前来たこともありパス。通り道にある「香取神宮」に今回の唯一の観光、参拝。そして天ざるの昼食。
(香取神宮)
概ね利根川に沿って国道356号をたまには土手道をひたすら東へ。多分40㌔辺りから左脚が攣り始めたので、堪らず道端の薬局でエアサロンパスの強力版のようなものを買い込み吹付けながら進む。
(バックは犬吠崎)


最後はやや登りがきつかったが犬吠崎に。予約してある宿探しには手間取ったが何とか16:00到着。
(第一日目犬吠崎の宿)
走行距離 51.6㌔  時間 3:30  平均時速 14.4㌔


5月23日(火) 第二日目  晴れ

ひたすら九十九里浜を南下し、いすみ鉄道始発駅のある「大原」を目指します。
6:00 出発。 今日はかつてない長距離を走ることになるので早朝の出発です。

概ね1時間10㌔ペースで進みます。とにかく向かい風がきつく気温が高いのでちょくちょく補給をしたり休んだりしました。「自転車道」も地図上ではあるのですが、実際は砂に埋もれたりして、とても走れたものではなく殆ど県道30号線と国道128号線を走りました。

一宮海岸辺りがサーフィンの名所らしく国際大会が開かれていたり、そんな客目当てのロッジやショップ、カフェが目立ちました。老人としては風紀・治安上ちょっと心配気味な面もありますが、まあ、余計なお世話ですよね。

やはり今日も左脚裏の筋が痛み、スプレーを吹き付けながらの一日でした。

第二日目大原の宿)
走行距離 90.0㌔  時間6:25  平均速度 13.6㌔
(走った90㌔は想定より10㌔も多かった)


5月24日(水) 第三日目 晴れ

今日は今回のハイライトの日です。ここ大原からいすみ鉄道で終点上総中野まで行き、そこから小湊辺りまで下ってきて海岸線沿いに下り千倉までの予定です。

(いすみ鉄道:1両編成)

(+¥210で畳まずに持ち込める)
あらかじめいすみ鉄道に電話をして「そのまま持ち込める」事は確認しておきましたが、念のため前日電話してみると、「混みあう時間は避けてほしい」と言う事で7時台の通学時間帯を避けるとこんな時間になりました。

8:40  大原 発
9:24  上総中野 着

乗車時間中延べの利用者は5人程で、これなら自転車持ち込み可かと思いました。しかしながら、上の写真の場所もそもそもは車椅子用で、別に自転車を優遇とか歓迎しているわけでも無さそうです。

実は当駅から海岸までの走りは当然下りが主で、極端に言えば漕がずに済んで、スピード制御だけが仕事かと思っていたので、その為にスタートからヘルメットも被って気合を入れたのですがそんな事はなくアップダウンが結構ありました。只海岸へぶつかる最後の下り3㌔程は平均8%くらいの九十九折で、今回随一の瞬間最高時速50.0㌔を記録しました。後で調べましたら、上総中野駅の標高は90㍍くらいで大した事はありませんでした。

その後鴨川を過ぎマイペースで進み、予定より早く15:40宿到着

(三日目の千倉の宿)
走行距離 53.0㌔  時間 3:34 平均速度 14.7㌔


5月25日(木) 第四日目  曇り

最後の日になりました。事故もなく無事にここまで来られたので慎重に行くことにします。が、実は小雨の予報もありやや急かされる心境ではあります。

浜金谷よりフェリーで久里浜へ渡るのですが、当フェリーの点検期間に当たり便数が少なくなっており(2時間に1本)、14:35発には乗る積りで出発しました。

8:30 出発

野島灯台を過ぎて10㌔程行ったところで、洲崎灯台方面をショートカットして(実はこのコースは過去に2回走った事があり)国道410号線をそのままに北上するコースをとりました。これは事前の計画通りです。

ここからは記録ではなく記憶で書いているので数字は不確かですが

道端に「フェリー乗り場まで30㌔」という表示板があり時計を見ると10:30でした。私なりに頑張れば予定の便のひとつ前12:40発に間に合う所まで来ていました。
只、この自転車で時速15㌔で2時間走り続けるのは相当な苦行です。相当迷いましたが、帰りの電車(京浜急行)のラッシュ時間などを考えると早ければ早いほど良いとの結論に達し、「頑張る」事にしました。

そこからは時計とのにらめっこでした。海岸沿いとは言いながらそれなりにアップダウンがあり、大嫌いなトンネルも多く(それでも余り恐怖感はありませんでした。)私なりには疾走致しました。「寄ろうかな」と考えていた保田漁港の「ばんや」にも寄らず、金谷直前の北海道黄金海岸を思わせる「隧道・覆道」恐怖の連続も走り抜け、金谷に着いたのは12:20

走行距離 58.7㌔ 時間 3:14 平均時速 18.0㌔
(この平均時速18㌔は特筆モノ、本妻号での本調子の時と同等です)

余裕で間に合いました。ここでは自転車を畳めば人間運賃のみで乗れるのですが、久里浜港から駅までの事を考えると面倒でもあり、別にお金に困っているわけでもないので、490円払ってそのまま積み込み。

12:40 金谷港  出航
13:20 久里浜港 入港

観音崎を右手に観ながら船内で食べたソフトクリームは美味しかったです。

京急久里浜駅までそのまま自走して(10分くらい)、駅下で畳みました。そんなに時間はかかりませんが、好奇の目で見られる事は確かです。

(京浜急行の中です)

快速特急で横浜まで行き、ホームそのままで普通に乗換え仲木戸下車。駅下の高架通路で元に戻し、そのまま帰宅。

15:20頃帰着。

いつもながら我が家に帰るとほっとします。
















2017年5月1日月曜日

4月の記録

4月の走行記録は以下の通りです。


本妻号    33㌔   累計 43,093㌔
愛人一号  163㌔   累計  1,799㌔ 
合計    196㌔      44,892㌔

4月は本妻号と愛人一号の比率が完全に逆転しました。3月以来「愛人」をメインに日常の足として使っています。リアのギア4段目の「カクカク」は相変わらずですが、その他は極めて良好、普通に使えています。それもこれも今月に予定している輪行サイクリングを意識しての事ではあります。

出発は下旬の予定ですが、大まかな計画はできました。

一日目  JRで利根川下流の「佐原駅」まで輪行し、その日は香取神宮などの観光をして、犬吠崎をめざし、銚子付近にて宿泊。

二日目  ひたすら九十九里を南下し、大原付近にて宿泊。 

三日目  いすみ鉄道にて「上総中野駅」まで輪行。周辺を観光し、勝浦まで外房をめざし千倉付近にて宿泊。


四日目  房総半島南端を経て東京湾側「浜金谷」まで走り、フェリーで久里浜へ渡り、京急にて輪行・帰宅。


ざっとこんなプランです。あとはブレーキシュウの交換、宿の選定とコース地図の準備、輪行作業の習熟が残っています。


意外だったのは房総半島の広さでした。そもそも二泊三日程度で考えていたのですが、具体的に地図に当たってみると、少なくても「一周」を意識した時には半島内距離だけで250㌔程度となり、やはり四日ないと辛い事がわかりました。


このプランの「売り」は途中いすみ鉄道の輪行を交えたところです。「一周」となると海岸線ばかりでどうしても単調になりがちです。さりとて内陸部を走るとなると、登りの辛さが頭に浮かぶ軟弱者が考えたプランです。せっかく輪行しているので「登り」は話題の鉄道を使い、内陸部は基本的に「下り」で済まそうという訳です。


別の話になりますが、


もうひとつ嬉しいことがありました。お世話になっているクルーザーのオーナーの健康が回復し、4月から再習熟訓練が始まったことです。5月、6月の計画も入ってきました。楽しみな事です。

2017年4月1日土曜日

2・3月の記録

2・3月の走行記録は次の通り

本妻号  326㌔   累計 43,060㌔
愛人一号  25㌔   累計  1,636㌔ 
合計   351㌔      44,696㌔


2月にまとめ損ねて2か月分の集計です。相変わらず走っていませんが、愛人一号を復活させました。

1年以上畳んだままでしたので少し心配になってきたのと、今年こそ彼女の出番ですよという気合のためです。タイヤの空気こそ抜けていましたが、その他は概ねもとのままで安心しましたが懸案事項がふたつありました。

ひとつはサイコンの具合でした。業界でも評判の格安モノで評価も分かれるのですが、案の定というべきか調子が今一つでした。走り始めてもなかなか表示が出ない、走行距離(DST)が当てにならない等です。そんな物かとも考えましたが、ひょっとして…と思い、受信部の電池を取り換えてみましたら何とか治ったようです。ついでにホイール径をきちんと計測し直して(1cm短かった)設定し直しました。

もう一つは携帯用の空気入れです。以前、購入したものがどうも納得いかないままあったのですが買い替えました。しまい場所の関係で長さの制約があり、また英式バルブ仕様でなければならないのでドンピシャリのものが見つからず諦めていたのですが、再度探し出して購入し試したところ満足のいくものでした。

ここしばらくは、輪行旅行の計画を練ることに専念してまいります。そのためにも愛人一号に乗る機会も増やそうと思います。

2017年2月3日金曜日

1月の走行記録など

1月の走行記録 117㌔  累計 42,734㌔

例によって走っていません。 色んな行事?が多いせいもあるのですが、毎日グダーと暮らしています。

昨日は珍しく何の予定もなく天気も最高が予想されたので、前日の段階では「走りに行く」積りで、家人にもそのように告げていたのですが、いざ朝起きて食事をしてテレビを見ていると何やら行動を起こすのが面倒になり、出かけず仕舞いでした。で、結局何をしていたかというと、文庫本の冒険小説を読んで、CDを聞き、「町会報」を書き始め、GYAOの自転車アニメを見て、TVKの「水曜どうでしょう Classic」を観ました。

ケツが重くなっています。 70歳前でこれでは先が?思いやられますので心を入れ替えなくては。

それでも頭のどこかには「輪行旅行」の件が頭からは離れず、「久しぶりに袋から出して組み立てて様子をみなくてはなあ…」と考えたりはするのです。

Action first

2017年1月1日日曜日

2016年総括

2016年が終わり2017年の元旦を迎えました。
恒例により今までの自転車走行記録をまとめておきます。

06年(8月~12月)  1,090㌔
07年        6,531  (累計     7,621㌔ )
08年        6,155  (     13,776  )
09年        5,021  (     18,797  )
10年        4,423  (     23,220  )
11年        4,513  (     27,433  )
12年        4,747  (     32,180  )
13年        4,021  (     36,201  )
14年        3,912    (     40,113    )
15年          2,010  (     42,123  )

で、68歳を迎えた昨年2016年は 

16年        2,106㌔ (累計   44,229㌔  )
               内 愛人1号  1,611㌔

実績は昨年とほぼ同様でした。つまりほとんど変わらない生活スタイルだったという事でしょうか。

昨年は色々な事がありました。

年初には幼馴染の近所のおばあさんが亡くなり、春先には大学時代からの友人を喪い、夏には息子の結婚が決まり沖縄に行きご両親に面会、年末には息子同様の甥を喪いました。そんな1年でした。

私、今月で69歳になります。今年こそは何としても、どんなかたちにせよ自転車旅行を実現させるつもりです。