2009年11月25日水曜日

楽しみとしての自転車と憂国忌

最近いわゆる「サイクリング」をしていない。用事があって(目的地があって)自転車に乗ることのほうが多い。「生活の足」というわけだ。そんな時には概ね余り楽しくはない。

今日は久し振りに「走り」に出かけた。朝方降っていた雨も上がり、午後には爽やかな空に変わっていたから、走りたい気分になったというわけだ。と言っても夕方からは出かけるので、余り長くは走れない。「鶴見川下流コース」を選択した。そう言えば半年くらいこのコースを走っていないなあ。

下水処理場辺りから土手道に登り、しばらくして河川敷のサイクリングロードに降り、綱島を抜けてしばらく行ってまた土手道に登り、国道1号線を過ぎて済生会病院の先まで来るとおよそ家から10㎞。走行時平均21㎞/hのペースで頑張ったので少し汗ばんでくる。ほぼ無風で絶好のコンディションだ。久し振りに「走った」ので息が上がる。ベンチで水分補給とタバコで一息入れ、隣に座った糖尿病のお爺さんとひとしきりお話をしてから、帰路に着いたのだが、往路ほどの疲労感は無かった。いつもの事だが10㎞を過ぎた辺りから体が馴染んでくるのだ。

2時間ほどで帰宅、シャワー・昼食を済ませて、永田町の星陵会館で行われる「第39回憂国忌」に出かけた。この3年、発起人の一人から誘いを受けて出かけているのだが、今回のお目当ては

シンポジウム 「現代に蘇る三島思想」

パネラー   富岡幸一郎(文藝評論家、司会)
        杉原志啓 (評論家、徳富蘇峰研究家)
        西部 邁 (評論家、『表現者』顧問)
        西村幸祐 (評論家、『撃論ムック』編集長)

という部分だった。

それぞれ面白い発言があったが、西部が、あの11月25日の市谷での檄文に触れ
「たかが成文化された憲法に三島が命をぶつけるほどこだわったのは、ややお門違いではないか。大義とは個々人の胸の内にあるんじゃないか」と言ったのが印象に残った。

確かにあの檄文を改めて読むと、結論として書かれていることは自衛隊員に「これ(伝統ある日本)を骨抜きにしてしまった憲法に体をぶっつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死のう」と、心中を呼びかけているのだ。ちょっとおかしい。それにあの文章、論理がわからないし、風格が無い。ひょっとすると書かれたのではなく、あのバルコニーからの絶叫を活字にしたのかな。

こんなボクでも「命より大事なもの」とは何だろうと少しは考えさせられたし、あと、いまの政治についてわかったことは「現在、保守と言える政党は無い」ということだった。

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