5月の走行記録です。
本妻号 103㌔ 累計 43,196㌔
愛人一号 296㌔ 累計 2,095㌔
合計 399㌔ 45,291㌔
久しぶりに400㌔近く走りましたが、これは3泊4日の房総ツアーに出掛けた結果です。愛人一号の走行距離も2000㌔を越えました。
これで一応「ダホン-ルート」を買った目的は達成したのですが、これからの扱いを考慮中です。今回の利用で輪行の実態を体験できたので改善点も見えてきました。やはりこれからも自転車旅行は続けたいし、「輪行」が主流になるでしょう。と言っても愛人一号を改造する気はありません。ちょっとした手直し、アクセサリーの変更くらいでしょうか。確かにその余地はあるのですが元が安い自転車ですからそんなに費用をかけたくはないというのが本音ではあります。
今日は本妻号のリアのブレーキシューを取り換えてました。近々サドルを交換する予定です。これで3個目です。現在、表面の皮が摩擦でだいぶ剥げてきましたので。
2017年5月29日月曜日
房総半島輪行旅行
5月22日(月)~25日(木)で房総半島ほぼ一周の自転車旅行に行ってきました。3年越しで考えていた「輪行」の旅です。「ダホン ルート」という折り畳み自転車を買ったのもそのためだったのですがなかなか実行に移せずにいました。
この歳になると、何か新しい事をするのに臆病というか億劫になるもので、実際に具体的に計画を立て始めたのは多分3月に入ってからだったと思います。行動を起こすのに何が障害だったかというと、多分、輪行についてたくさんの情報を持ってしまったからだと考えています。「何とかなるさ」で出発するわけにはいかないのですね。
自転車旅行自体はもう10回以上こなしているので不安はないのですが、「輪行」するというただ一点がいつも引っかかっていました。自転車を畳んだり広げたりする場所はあるのか、車内や駅構内の混雑具合はどれ程のものか、実際に車内に持ち込むとき駅員と悶着無しに出来るのか…、等々。また、輪行とは別の懸念もあります。「小口径自転車」という問題です。ホイール径20インチです。そもそもこれが効率が悪い事は十分承知しておりますし長距離には不向きとは常識なのです。30~40㌔くらいのポタリングが適当とされています。しかし今回はざっと250㌔を4日間で走らなくてはいけません。一日平均60㌔以上です。70歳になろうとする私に耐えられるか。
そして5月22日(月)午前6時横浜の自宅を出発しました。
この歳になると、何か新しい事をするのに臆病というか億劫になるもので、実際に具体的に計画を立て始めたのは多分3月に入ってからだったと思います。行動を起こすのに何が障害だったかというと、多分、輪行についてたくさんの情報を持ってしまったからだと考えています。「何とかなるさ」で出発するわけにはいかないのですね。
自転車旅行自体はもう10回以上こなしているので不安はないのですが、「輪行」するというただ一点がいつも引っかかっていました。自転車を畳んだり広げたりする場所はあるのか、車内や駅構内の混雑具合はどれ程のものか、実際に車内に持ち込むとき駅員と悶着無しに出来るのか…、等々。また、輪行とは別の懸念もあります。「小口径自転車」という問題です。ホイール径20インチです。そもそもこれが効率が悪い事は十分承知しておりますし長距離には不向きとは常識なのです。30~40㌔くらいのポタリングが適当とされています。しかし今回はざっと250㌔を4日間で走らなくてはいけません。一日平均60㌔以上です。70歳になろうとする私に耐えられるか。
(こんなコースでした)
そして5月22日(月)午前6時横浜の自宅を出発しました。
まず数分の市営地下鉄へ。10数分で横浜駅へ。ここからもう「誤算」が始まりました。まず輪行袋の肩紐が金具(といってもプスティックですが)から外れどうにも収まらず、結局そこに結び付けて応急修理。さらに車内は相当数の乗客がおりかなり気を使わないと自転車を置く場所に苦労しました。サラリーマンの朝は早いのですね。
更に間の悪い事に横浜駅にて便意を催し、ホームに自転車を置いたままトイレに行き用をたしたために予定の佐原直通の「成田快速ライナー」に乗り遅れてしまい、乗った列車で千葉まで行き、乗換えで成田、そして佐原には10:11と、予定より1時間も遅くなってしまいました。そして千葉までの「横須賀線」も相当混んでいました。
(佐原駅)
早速自転車を展開してようやく走り始める事が出来ました。犬吠崎に向けて出発。天気は晴朗。この辺りはいわゆる水郷地帯で伊能忠敬記念館があったり相当の観光地でもあるのですが、以前来たこともありパス。通り道にある「香取神宮」に今回の唯一の観光、参拝。そして天ざるの昼食。
(香取神宮)
概ね利根川に沿って国道356号をたまには土手道をひたすら東へ。多分40㌔辺りから左脚が攣り始めたので、堪らず道端の薬局でエアサロンパスの強力版のようなものを買い込み吹付けながら進む。
最後はやや登りがきつかったが犬吠崎に。予約してある宿探しには手間取ったが何とか16:00到着。
(バックは犬吠崎)
最後はやや登りがきつかったが犬吠崎に。予約してある宿探しには手間取ったが何とか16:00到着。
(第一日目犬吠崎の宿)
走行距離 51.6㌔ 時間 3:30 平均時速 14.4㌔
5月23日(火) 第二日目 晴れ
ひたすら九十九里浜を南下し、いすみ鉄道始発駅のある「大原」を目指します。
6:00 出発。 今日はかつてない長距離を走ることになるので早朝の出発です。
概ね1時間10㌔ペースで進みます。とにかく向かい風がきつく気温が高いのでちょくちょく補給をしたり休んだりしました。「自転車道」も地図上ではあるのですが、実際は砂に埋もれたりして、とても走れたものではなく殆ど県道30号線と国道128号線を走りました。
一宮海岸辺りがサーフィンの名所らしく国際大会が開かれていたり、そんな客目当てのロッジやショップ、カフェが目立ちました。老人としては風紀・治安上ちょっと心配気味な面もありますが、まあ、余計なお世話ですよね。
やはり今日も左脚裏の筋が痛み、スプレーを吹き付けながらの一日でした。
(第二日目大原の宿)
走行距離 90.0㌔ 時間6:25 平均速度 13.6㌔
(走った90㌔は想定より10㌔も多かった)
5月24日(水) 第三日目 晴れ
今日は今回のハイライトの日です。ここ大原からいすみ鉄道で終点上総中野まで行き、そこから小湊辺りまで下ってきて海岸線沿いに下り千倉までの予定です。
(いすみ鉄道:1両編成)
(+¥210で畳まずに持ち込める)
あらかじめいすみ鉄道に電話をして「そのまま持ち込める」事は確認しておきましたが、念のため前日電話してみると、「混みあう時間は避けてほしい」と言う事で7時台の通学時間帯を避けるとこんな時間になりました。
8:40 大原 発
9:24 上総中野 着
乗車時間中延べの利用者は5人程で、これなら自転車持ち込み可かと思いました。しかしながら、上の写真の場所もそもそもは車椅子用で、別に自転車を優遇とか歓迎しているわけでも無さそうです。
実は当駅から海岸までの走りは当然下りが主で、極端に言えば漕がずに済んで、スピード制御だけが仕事かと思っていたので、その為にスタートからヘルメットも被って気合を入れたのですがそんな事はなくアップダウンが結構ありました。只海岸へぶつかる最後の下り3㌔程は平均8%くらいの九十九折で、今回随一の瞬間最高時速50.0㌔を記録しました。後で調べましたら、上総中野駅の標高は90㍍くらいで大した事はありませんでした。
その後鴨川を過ぎマイペースで進み、予定より早く15:40宿到着
乗車時間中延べの利用者は5人程で、これなら自転車持ち込み可かと思いました。しかしながら、上の写真の場所もそもそもは車椅子用で、別に自転車を優遇とか歓迎しているわけでも無さそうです。
実は当駅から海岸までの走りは当然下りが主で、極端に言えば漕がずに済んで、スピード制御だけが仕事かと思っていたので、その為にスタートからヘルメットも被って気合を入れたのですがそんな事はなくアップダウンが結構ありました。只海岸へぶつかる最後の下り3㌔程は平均8%くらいの九十九折で、今回随一の瞬間最高時速50.0㌔を記録しました。後で調べましたら、上総中野駅の標高は90㍍くらいで大した事はありませんでした。
その後鴨川を過ぎマイペースで進み、予定より早く15:40宿到着
(三日目の千倉の宿)
走行距離 53.0㌔ 時間 3:34 平均速度 14.7㌔
5月25日(木) 第四日目 曇り
最後の日になりました。事故もなく無事にここまで来られたので慎重に行くことにします。が、実は小雨の予報もありやや急かされる心境ではあります。
浜金谷よりフェリーで久里浜へ渡るのですが、当フェリーの点検期間に当たり便数が少なくなっており(2時間に1本)、14:35発には乗る積りで出発しました。
8:30 出発
野島灯台を過ぎて10㌔程行ったところで、洲崎灯台方面をショートカットして(実はこのコースは過去に2回走った事があり)国道410号線をそのままに北上するコースをとりました。これは事前の計画通りです。
(ここからは記録ではなく記憶で書いているので数字は不確かですが)
道端に「フェリー乗り場まで30㌔」という表示板があり時計を見ると10:30でした。私なりに頑張れば予定の便のひとつ前12:40発に間に合う所まで来ていました。
只、この自転車で時速15㌔で2時間走り続けるのは相当な苦行です。相当迷いましたが、帰りの電車(京浜急行)のラッシュ時間などを考えると早ければ早いほど良いとの結論に達し、「頑張る」事にしました。
そこからは時計とのにらめっこでした。海岸沿いとは言いながらそれなりにアップダウンがあり、大嫌いなトンネルも多く(それでも余り恐怖感はありませんでした。)私なりには疾走致しました。「寄ろうかな」と考えていた保田漁港の「ばんや」にも寄らず、金谷直前の北海道黄金海岸を思わせる「隧道・覆道」恐怖の連続も走り抜け、金谷に着いたのは12:20。
走行距離 58.7㌔ 時間 3:14 平均時速 18.0㌔
(この平均時速18㌔は特筆モノ、本妻号での本調子の時と同等です)
余裕で間に合いました。ここでは自転車を畳めば人間運賃のみで乗れるのですが、久里浜港から駅までの事を考えると面倒でもあり、別にお金に困っているわけでもないので、490円払ってそのまま積み込み。
12:40 金谷港 出航
13:20 久里浜港 入港
観音崎を右手に観ながら船内で食べたソフトクリームは美味しかったです。
京急久里浜駅までそのまま自走して(10分くらい)、駅下で畳みました。そんなに時間はかかりませんが、好奇の目で見られる事は確かです。
(京浜急行の中です)
快速特急で横浜まで行き、ホームそのままで普通に乗換え仲木戸下車。駅下の高架通路で元に戻し、そのまま帰宅。
15:20頃帰着。
いつもながら我が家に帰るとほっとします。
2017年5月1日月曜日
4月の記録
4月の走行記録は以下の通りです。
本妻号 33㌔ 累計 43,093㌔
愛人一号 163㌔ 累計 1,799㌔
合計 196㌔ 44,892㌔
4月は本妻号と愛人一号の比率が完全に逆転しました。3月以来「愛人」をメインに日常の足として使っています。リアのギア4段目の「カクカク」は相変わらずですが、その他は極めて良好、普通に使えています。それもこれも今月に予定している輪行サイクリングを意識しての事ではあります。
出発は下旬の予定ですが、大まかな計画はできました。
三日目 いすみ鉄道にて「上総中野駅」まで輪行。周辺を観光し、勝浦まで外房をめざし千倉付近にて宿泊。
四日目 房総半島南端を経て東京湾側「浜金谷」まで走り、フェリーで久里浜へ渡り、京急にて輪行・帰宅。
ざっとこんなプランです。あとはブレーキシュウの交換、宿の選定とコース地図の準備、輪行作業の習熟が残っています。
意外だったのは房総半島の広さでした。そもそも二泊三日程度で考えていたのですが、具体的に地図に当たってみると、少なくても「一周」を意識した時には半島内距離だけで250㌔程度となり、やはり四日ないと辛い事がわかりました。
このプランの「売り」は途中いすみ鉄道の輪行を交えたところです。「一周」となると海岸線ばかりでどうしても単調になりがちです。さりとて内陸部を走るとなると、登りの辛さが頭に浮かぶ軟弱者が考えたプランです。せっかく輪行しているので「登り」は話題の鉄道を使い、内陸部は基本的に「下り」で済まそうという訳です。
別の話になりますが、
もうひとつ嬉しいことがありました。お世話になっているクルーザーのオーナーの健康が回復し、4月から再習熟訓練が始まったことです。5月、6月の計画も入ってきました。楽しみな事です。
本妻号 33㌔ 累計 43,093㌔
愛人一号 163㌔ 累計 1,799㌔
合計 196㌔ 44,892㌔
4月は本妻号と愛人一号の比率が完全に逆転しました。3月以来「愛人」をメインに日常の足として使っています。リアのギア4段目の「カクカク」は相変わらずですが、その他は極めて良好、普通に使えています。それもこれも今月に予定している輪行サイクリングを意識しての事ではあります。
出発は下旬の予定ですが、大まかな計画はできました。
一日目 JRで利根川下流の「佐原駅」まで輪行し、その日は香取神宮などの観光をして、犬吠崎をめざし、銚子付近にて宿泊。
二日目 ひたすら九十九里を南下し、大原付近にて宿泊。
三日目 いすみ鉄道にて「上総中野駅」まで輪行。周辺を観光し、勝浦まで外房をめざし千倉付近にて宿泊。
四日目 房総半島南端を経て東京湾側「浜金谷」まで走り、フェリーで久里浜へ渡り、京急にて輪行・帰宅。
ざっとこんなプランです。あとはブレーキシュウの交換、宿の選定とコース地図の準備、輪行作業の習熟が残っています。
意外だったのは房総半島の広さでした。そもそも二泊三日程度で考えていたのですが、具体的に地図に当たってみると、少なくても「一周」を意識した時には半島内距離だけで250㌔程度となり、やはり四日ないと辛い事がわかりました。
このプランの「売り」は途中いすみ鉄道の輪行を交えたところです。「一周」となると海岸線ばかりでどうしても単調になりがちです。さりとて内陸部を走るとなると、登りの辛さが頭に浮かぶ軟弱者が考えたプランです。せっかく輪行しているので「登り」は話題の鉄道を使い、内陸部は基本的に「下り」で済まそうという訳です。
別の話になりますが、
もうひとつ嬉しいことがありました。お世話になっているクルーザーのオーナーの健康が回復し、4月から再習熟訓練が始まったことです。5月、6月の計画も入ってきました。楽しみな事です。
2017年4月1日土曜日
2・3月の記録
2・3月の走行記録は次の通り
本妻号 326㌔ 累計 43,060㌔
愛人一号 25㌔ 累計 1,636㌔
合計 351㌔ 44,696㌔
2月にまとめ損ねて2か月分の集計です。相変わらず走っていませんが、愛人一号を復活させました。
1年以上畳んだままでしたので少し心配になってきたのと、今年こそ彼女の出番ですよという気合のためです。タイヤの空気こそ抜けていましたが、その他は概ねもとのままで安心しましたが懸案事項がふたつありました。
ひとつはサイコンの具合でした。業界でも評判の格安モノで評価も分かれるのですが、案の定というべきか調子が今一つでした。走り始めてもなかなか表示が出ない、走行距離(DST)が当てにならない等です。そんな物かとも考えましたが、ひょっとして…と思い、受信部の電池を取り換えてみましたら何とか治ったようです。ついでにホイール径をきちんと計測し直して(1cm短かった)設定し直しました。
もう一つは携帯用の空気入れです。以前、購入したものがどうも納得いかないままあったのですが買い替えました。しまい場所の関係で長さの制約があり、また英式バルブ仕様でなければならないのでドンピシャリのものが見つからず諦めていたのですが、再度探し出して購入し試したところ満足のいくものでした。
ここしばらくは、輪行旅行の計画を練ることに専念してまいります。そのためにも愛人一号に乗る機会も増やそうと思います。
本妻号 326㌔ 累計 43,060㌔
愛人一号 25㌔ 累計 1,636㌔
合計 351㌔ 44,696㌔
2月にまとめ損ねて2か月分の集計です。相変わらず走っていませんが、愛人一号を復活させました。
1年以上畳んだままでしたので少し心配になってきたのと、今年こそ彼女の出番ですよという気合のためです。タイヤの空気こそ抜けていましたが、その他は概ねもとのままで安心しましたが懸案事項がふたつありました。
ひとつはサイコンの具合でした。業界でも評判の格安モノで評価も分かれるのですが、案の定というべきか調子が今一つでした。走り始めてもなかなか表示が出ない、走行距離(DST)が当てにならない等です。そんな物かとも考えましたが、ひょっとして…と思い、受信部の電池を取り換えてみましたら何とか治ったようです。ついでにホイール径をきちんと計測し直して(1cm短かった)設定し直しました。
もう一つは携帯用の空気入れです。以前、購入したものがどうも納得いかないままあったのですが買い替えました。しまい場所の関係で長さの制約があり、また英式バルブ仕様でなければならないのでドンピシャリのものが見つからず諦めていたのですが、再度探し出して購入し試したところ満足のいくものでした。
ここしばらくは、輪行旅行の計画を練ることに専念してまいります。そのためにも愛人一号に乗る機会も増やそうと思います。
2017年2月3日金曜日
1月の走行記録など
1月の走行記録 117㌔ 累計 42,734㌔
例によって走っていません。 色んな行事?が多いせいもあるのですが、毎日グダーと暮らしています。
昨日は珍しく何の予定もなく天気も最高が予想されたので、前日の段階では「走りに行く」積りで、家人にもそのように告げていたのですが、いざ朝起きて食事をしてテレビを見ていると何やら行動を起こすのが面倒になり、出かけず仕舞いでした。で、結局何をしていたかというと、文庫本の冒険小説を読んで、CDを聞き、「町会報」を書き始め、GYAOの自転車アニメを見て、TVKの「水曜どうでしょう Classic」を観ました。
ケツが重くなっています。 70歳前でこれでは先が?思いやられますので心を入れ替えなくては。
それでも頭のどこかには「輪行旅行」の件が頭からは離れず、「久しぶりに袋から出して組み立てて様子をみなくてはなあ…」と考えたりはするのです。
Action first
例によって走っていません。 色んな行事?が多いせいもあるのですが、毎日グダーと暮らしています。
昨日は珍しく何の予定もなく天気も最高が予想されたので、前日の段階では「走りに行く」積りで、家人にもそのように告げていたのですが、いざ朝起きて食事をしてテレビを見ていると何やら行動を起こすのが面倒になり、出かけず仕舞いでした。で、結局何をしていたかというと、文庫本の冒険小説を読んで、CDを聞き、「町会報」を書き始め、GYAOの自転車アニメを見て、TVKの「水曜どうでしょう Classic」を観ました。
ケツが重くなっています。 70歳前でこれでは先が?思いやられますので心を入れ替えなくては。
それでも頭のどこかには「輪行旅行」の件が頭からは離れず、「久しぶりに袋から出して組み立てて様子をみなくてはなあ…」と考えたりはするのです。
Action first
2017年1月1日日曜日
2016年総括
2016年が終わり2017年の元旦を迎えました。
恒例により今までの自転車走行記録をまとめておきます。
06年(8月~12月) 1,090㌔
07年 6,531 (累計 7,621㌔ )
08年 6,155 ( 13,776 )
09年 5,021 ( 18,797 )
10年 4,423 ( 23,220 )
11年 4,513 ( 27,433 )
12年 4,747 ( 32,180 )
13年 4,021 ( 36,201 )
14年 3,912 ( 40,113 )
15年 2,010 ( 42,123 )
で、68歳を迎えた昨年2016年は
16年 2,106㌔ (累計 44,229㌔ )
内 愛人1号 1,611㌔
実績は昨年とほぼ同様でした。つまりほとんど変わらない生活スタイルだったという事でしょうか。
昨年は色々な事がありました。
年初には幼馴染の近所のおばあさんが亡くなり、春先には大学時代からの友人を喪い、夏には息子の結婚が決まり沖縄に行きご両親に面会、年末には息子同様の甥を喪いました。そんな1年でした。
私、今月で69歳になります。今年こそは何としても、どんなかたちにせよ自転車旅行を実現させるつもりです。
恒例により今までの自転車走行記録をまとめておきます。
06年(8月~12月) 1,090㌔
07年 6,531 (累計 7,621㌔ )
08年 6,155 ( 13,776 )
09年 5,021 ( 18,797 )
10年 4,423 ( 23,220 )
11年 4,513 ( 27,433 )
12年 4,747 ( 32,180 )
13年 4,021 ( 36,201 )
14年 3,912 ( 40,113 )
15年 2,010 ( 42,123 )
で、68歳を迎えた昨年2016年は
16年 2,106㌔ (累計 44,229㌔ )
内 愛人1号 1,611㌔
実績は昨年とほぼ同様でした。つまりほとんど変わらない生活スタイルだったという事でしょうか。
昨年は色々な事がありました。
年初には幼馴染の近所のおばあさんが亡くなり、春先には大学時代からの友人を喪い、夏には息子の結婚が決まり沖縄に行きご両親に面会、年末には息子同様の甥を喪いました。そんな1年でした。
私、今月で69歳になります。今年こそは何としても、どんなかたちにせよ自転車旅行を実現させるつもりです。
2016年12月1日木曜日
11月のまとめ
11月の走行距離 134㌔
本妻号累計 42,413㌔
愛人一号(休眠中)累計 1,611㌔ 合計 44,024㌔
例によって走っていません。 通勤で7キロ×13日で約90キロ、ほかの40キロは若干のサイクリングと実用目的です。多分これからもこんな具合が続くのではないかと思います。冬用の温かいグローブを買いました。
今回のテーマはAmerica'sCupです。これの日本語表現でよくアメリカンカップとかアメンリカンズカップとかいう人がいますが困ったものです。「アメリカのカップ」でもなければ「アメリカ人のカップ」でもありません。
1851年第1回万博がイギリスで行われた際、記念行事としてワイト島一周ヨットレースが行われその時の勝者、アメリカ合衆国から参加した「アメリカ号」がビクトリア女王から銀杯を授与され、それを争奪するヨットレースが1870年より開催されました。 それが「America'sCup Race」なのです。つまり「アメリカ号のカップ」なのです。よって正しい日本語表記はアメリカスカップまたはアメリカズカップとなります。ヨットの世界では(特に沿岸部で行われるレースのなかで)一番注目されるレースで、オリンピックなど比べものにならないくらい世界中が熱狂するものです。(日本は例外です)
それはさておき、日本の係わりから言いますと1992年から2000年までに3回日本艇が参戦していずれも予選4位ということで、厳密な意味での「アメリカズカップ」には出られませんでした。初出場の92年の時にはそれは興奮しました。多分サッカーワールドカップに日本が初参加の興奮より個人的には大きかったと言えます。おかげで下のようなシチズンのヨットタイマーまで買ってしまいました。後日、今は亡き尊敬するヨットマンで素晴らしい随筆家(「キャビン夜話」等)の田邊英蔵氏とお会いした時に、同じ時計を彼の腕に認め、嬉しさのあまり、時刻補正をして差し上げた事を懐かしく思い出します。(以上余談)
当時は日本艇のスキッパーのクリス ディクソンとかオーストラリア艇のピーター ギルモア なんていうヨット乗りは日本でも有名でした。また、キャプテンを努めた南波誠さんは後日、航海中に落水し、死亡しました。(ひょっとすると今でも公式には行方不明 )そしてこれも後日の事ですが、そのギルモア一家が日本在住中に、彼にOP(子供用の入門艇ヨット)の乗り方をコーチし、一緒にそれでお遊びレースをした事がありました。ささやかな私の自慢のひとつです。
それもさておき、結局日本が「よく健闘した」程度の成績で以後スポンサーがつかず撤退してししまい遠い世界の出来事のように時は過ぎて行きました。その間色々とゴタゴタがあり、ルール解釈の争いや変な艇での戦いがあったりして、私の知っているアメリカズカップとは違う様相のレースになってしまい、興味が薄れてきたのは事実でした。
ところが今年になってソフトバンクがスポンサーとなって日本艇が挑戦する事になったというニュースが流れました。実に18年振りの快挙です。孫さんの計算とセンスを見直しています。
その予選ラウンド(ルイヴィトンカップという)が始まり日本勢の様子も伝わってくるようになり、遂には11月に北九州でも開催されました。これも史上初の日本開催です。2日間にわたってBS放送での特番もありました。それはもう楽しみにしていました。ご覧になった方はいらっしゃいますか?
私などは何と言ってよろしいのやら……、という感想です。まずヨットの概念が覆りせられました。今回のシリーズはAC45/72という大カタマラン艇を使用しているのですが、「これがヨットか」という代物です。私などは艇体(モノハル)の上のマストにメインセール、ジブセールは1枚か、稀に2枚張り、それにスピンネーカーまたはジェネカーというのがヨットの基本概念としてあるのですが、今回の艇は艤装全体がよく理解できませんでした。そもそもメインセールではなくウィングなるものがマストについています。なんじゃこれ?でもメインシートトリマーという役割はあるようで早福(これも懐かしい名前です)が努めていました。
何よりも異様なのは水中翼を持っている事で、浮き上がり滑走するのです。それも80㌔近いスピードがでます。フォイリングと言うそうです。従来のレースと言えば風上に向かってスタートと相場が決まっていて、一斉にスターボのクローズドホールドで走り出すのですが、このレースではいきなりリーチングスタートで、走り出した途端に浮き上がり、つまり飛んで行きます。ほとんどこのスタートで決まります。
では、と言ってスタート前の駆け引きはどうかというと、(多分)操作性がそれほど良くないので大味なもので、あっ、それから以前はすべてマッチレース(1対1)だったのが今回はフリートレース(大勢で競争)で、タイミングをとるだけが腕の見せ所で戦術も何もないような気がしました。
それにコースの作られ方もチンプンカンプンで、やはり従来のような「上・サイド・下」という形のほうがおじさんには嬉しい。
ただ、ただスピード感は異次元と言ってもよい。飛びます。その時に ブーンというような音(発生源はわかりません)が聞こえるのです。これは本当に凄い。筆舌に尽くし難い。よって、この辺で止めますが、スピード競争です。もちろん従来も艇の性能は大きな要素でしたが、今回はそれが80%位あるような気がします。クルーの腕は「如何にトップスピードを維持するか」に特化しているのではないかと思われるほどです。
「異形のヨットレース」というのが感想でした。要するに付いて行けませんでしたと、言う事です。
確か6艇出ており6レース観ましたがルイヴィトンカップではまたも4位というところが順当で、うまく行けば3位に食い込めるかも知れません。皆さん応援よろしくお願いたします。
本妻号累計 42,413㌔
愛人一号(休眠中)累計 1,611㌔ 合計 44,024㌔
例によって走っていません。 通勤で7キロ×13日で約90キロ、ほかの40キロは若干のサイクリングと実用目的です。多分これからもこんな具合が続くのではないかと思います。冬用の温かいグローブを買いました。
今回のテーマはAmerica'sCupです。これの日本語表現でよくアメリカンカップとかアメンリカンズカップとかいう人がいますが困ったものです。「アメリカのカップ」でもなければ「アメリカ人のカップ」でもありません。
1851年第1回万博がイギリスで行われた際、記念行事としてワイト島一周ヨットレースが行われその時の勝者、アメリカ合衆国から参加した「アメリカ号」がビクトリア女王から銀杯を授与され、それを争奪するヨットレースが1870年より開催されました。 それが「America'sCup Race」なのです。つまり「アメリカ号のカップ」なのです。よって正しい日本語表記はアメリカスカップまたはアメリカズカップとなります。ヨットの世界では(特に沿岸部で行われるレースのなかで)一番注目されるレースで、オリンピックなど比べものにならないくらい世界中が熱狂するものです。(日本は例外です)
それはさておき、日本の係わりから言いますと1992年から2000年までに3回日本艇が参戦していずれも予選4位ということで、厳密な意味での「アメリカズカップ」には出られませんでした。初出場の92年の時にはそれは興奮しました。多分サッカーワールドカップに日本が初参加の興奮より個人的には大きかったと言えます。おかげで下のようなシチズンのヨットタイマーまで買ってしまいました。後日、今は亡き尊敬するヨットマンで素晴らしい随筆家(「キャビン夜話」等)の田邊英蔵氏とお会いした時に、同じ時計を彼の腕に認め、嬉しさのあまり、時刻補正をして差し上げた事を懐かしく思い出します。(以上余談)
当時は日本艇のスキッパーのクリス ディクソンとかオーストラリア艇のピーター ギルモア なんていうヨット乗りは日本でも有名でした。また、キャプテンを努めた南波誠さんは後日、航海中に落水し、死亡しました。(ひょっとすると今でも公式には行方不明 )そしてこれも後日の事ですが、そのギルモア一家が日本在住中に、彼にOP(子供用の入門艇ヨット)の乗り方をコーチし、一緒にそれでお遊びレースをした事がありました。ささやかな私の自慢のひとつです。
それもさておき、結局日本が「よく健闘した」程度の成績で以後スポンサーがつかず撤退してししまい遠い世界の出来事のように時は過ぎて行きました。その間色々とゴタゴタがあり、ルール解釈の争いや変な艇での戦いがあったりして、私の知っているアメリカズカップとは違う様相のレースになってしまい、興味が薄れてきたのは事実でした。
ところが今年になってソフトバンクがスポンサーとなって日本艇が挑戦する事になったというニュースが流れました。実に18年振りの快挙です。孫さんの計算とセンスを見直しています。
その予選ラウンド(ルイヴィトンカップという)が始まり日本勢の様子も伝わってくるようになり、遂には11月に北九州でも開催されました。これも史上初の日本開催です。2日間にわたってBS放送での特番もありました。それはもう楽しみにしていました。ご覧になった方はいらっしゃいますか?
私などは何と言ってよろしいのやら……、という感想です。まずヨットの概念が覆りせられました。今回のシリーズはAC45/72という大カタマラン艇を使用しているのですが、「これがヨットか」という代物です。私などは艇体(モノハル)の上のマストにメインセール、ジブセールは1枚か、稀に2枚張り、それにスピンネーカーまたはジェネカーというのがヨットの基本概念としてあるのですが、今回の艇は艤装全体がよく理解できませんでした。そもそもメインセールではなくウィングなるものがマストについています。なんじゃこれ?でもメインシートトリマーという役割はあるようで早福(これも懐かしい名前です)が努めていました。
何よりも異様なのは水中翼を持っている事で、浮き上がり滑走するのです。それも80㌔近いスピードがでます。フォイリングと言うそうです。従来のレースと言えば風上に向かってスタートと相場が決まっていて、一斉にスターボのクローズドホールドで走り出すのですが、このレースではいきなりリーチングスタートで、走り出した途端に浮き上がり、つまり飛んで行きます。ほとんどこのスタートで決まります。
では、と言ってスタート前の駆け引きはどうかというと、(多分)操作性がそれほど良くないので大味なもので、あっ、それから以前はすべてマッチレース(1対1)だったのが今回はフリートレース(大勢で競争)で、タイミングをとるだけが腕の見せ所で戦術も何もないような気がしました。
それにコースの作られ方もチンプンカンプンで、やはり従来のような「上・サイド・下」という形のほうがおじさんには嬉しい。
ただ、ただスピード感は異次元と言ってもよい。飛びます。その時に ブーンというような音(発生源はわかりません)が聞こえるのです。これは本当に凄い。筆舌に尽くし難い。よって、この辺で止めますが、スピード競争です。もちろん従来も艇の性能は大きな要素でしたが、今回はそれが80%位あるような気がします。クルーの腕は「如何にトップスピードを維持するか」に特化しているのではないかと思われるほどです。
「異形のヨットレース」というのが感想でした。要するに付いて行けませんでしたと、言う事です。
確か6艇出ており6レース観ましたがルイヴィトンカップではまたも4位というところが順当で、うまく行けば3位に食い込めるかも知れません。皆さん応援よろしくお願いたします。
登録:
投稿 (Atom)

