先日メールをチェックしていたところ、ふとヤフオク情報で格安の自転車サドルが目に留まり、即決価格が出ていました。愛人1号用にどうだろうかと思ってしまったのが運の尽きでした。別に今のサドルに不具合があり、どうしても交換しなくてはという事もないのにプチっと入札、落札してしまいました。
早速本日到着、即付け替えました。
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このところ自分の歳のせいか新聞の死亡記事がやたらと気になります。
昨日4月13日にはひろさちやさんとジャック・ヒギンズの死亡記事が並んでいました。
30年間の前職の関係でたくさんの著名人、時の人と会ってきました。色々な方がいました。今にして思えば面白い仕事でした。また、贅沢な時間を過ごさせてもらいました。
そんな中で「この人すごいな」と感じた方の一人がひろさちやさんです。色々と批判の多い方でもあるのですが、私は巨人、中村元博士の後継ではないかとまで思っています。仏教の教えをわかりやすく語って、現代人に指針を与えてくれました。若造の私がカトリックだと知ると、カトリックの深いところまで語ってくれて却ってこちらが恐縮してしまいました。本当に理解の深い人ほど平易な言葉で語ってくれるものです。私は難解な専門用語で語る人を余り信用しません。
その下にはジャック・ヒギンズの訃報がありました。91歳でした。まだ生きていたのかと言うのが第一感でした。若いころ夢中になった記憶があります。「鷲は舞い降りた」が代表作と言われています。同題の映画も観ました。春本番という気持の良さにつられて10時過ぎからポタリングに出かけました。
今日のコースは鶴見川下流方面、前回とは反対方向です。新横浜を過ぎたあたりから土手に上がり、しばらくして河川敷のコースに降ります。綱島あたりで東横線のガードをくぐり、そして新幹線の下を過ぎ4㌔程行くとその自転車道は終わります。
そこから土手に上がったところには園芸屋があり、その駐車場隅にはベンチ、自販機、トイレ,灰皿があり私の定番の休憩所であったのですが、何と無くなっていました。すっかり平地となりロープが張りめぐされ、すっかり拍子抜けして、すぐにそこから引き返しました。
時速20㌔で走ると10分も持ちません。数十分間持続して走るには17㌔が良いところです。まだまだですね。
前回のブログのように3月27日に孫Bとベイサイドマリーナまでサイクリングをした件を、乗艇「AKATSUKI」のオーナーS氏へ報告したところ、29日にS氏より、31日に船を出したいのだが都合はいかがとの電話があり、私はOKですが孫たちも同行しても構わないですかと尋ねると、大歓迎との返事をいただきました。
早速娘夫婦に息子達にその旨を伝えて返事が欲しいと連絡をとりました。その結果上の息子、孫Aは行きたい、行ける。孫Bは行きたい、けれど塾との関係で行けないという事になりました。
当日はS氏の大学時代からのご友人のC.Sさんも同行するとの事でこれも嬉しい事が加わりました。わざわざ2時間かけて待ち合わせの場所まで来ていただけるのです。C.Sさんは造船工学の専門家でT大ヨット部の全盛期のキャプテンを務めた方です。さらに70歳を超えてから博士号をとられたという方でもあります。このお二人と同行させていただく私だけではなく孫Aにもきっと良い経験になるはずです。
当日は午後から雨も予想され、風も上がってくると思われるので、出航前、船上では港外まで機走して艇の調子を見て、状況次第でその辺をグルリとして戻っても良いかなという話でまとまりました。
その間にもオーナーS氏が艇の中を孫Aに案内してくれたり、簡単なチャートを見せて現在地や予定海面の説明などをしていただきました。私からはSさんの立場(オーナーでスキッパー)を細かく説明して、とにかく船の上ではスキッパーの指示、命令は必ず聞かなければならないと最低限の仕組みだけを言って聞かせました。そしてAの立場はゲストではあるが、訓練生でもあることを言い聞かせ、その指導は私が担当しました。出港準備はそれなりにいろいろな事があるのですが、なるべくAにも手伝わせて、その都度各部位の名称や役割の説明とか身のこなし方を教えました。多分半分も覚えていないと思いますが、それでいいのです。なんとかその責は果たせたかなと思っています。とは言いながら本音はAにヨット・クルーザーっていいなと感じてもらえれば十分なのです。
沖へ出てみるとそこそこの風(多分5~6㍍)があり天気もよいのでセールを上げ帆走になりました。4~5ノットの快走でした。そうなるとおじいさん3人はヨットが嫌いな方ではないのでご機嫌でどんどん南へ上って(いわゆるクローズドホールド)行き、八景島を右手に見ながら猿島が近く見える辺りまで来てしまいました。途中までは私がヘルムスをしていたのですがC.Sさんに久しぶりに舵をとりませんかと誘うと、初めはもう任せるよなんて言っていたのですが、「じゃあ」と言って交代しました。数十分も満喫したところで、眠そうにしていたAに代わりました。
真剣な姿です。風は安定していたので、とにかく陸上の目標を決めてそこからはずれないようにとだけ指示をしました。やはり中2(新学期から)ともなると理解力も上がりすぐに慣れたようでした。
予定時間になってきたので、その辺りでUターンをしてマリーナへの帰路につきました。フリーの走りになりますが、これがまた快適、Sさんは帆走は私たちに任せ趣味のハムを楽しんでいました。帰りはワンレグ(ジャイブの必要なし)で行けるのでここでもAにヘリムスをしてもらいました。大分慣れたようです。今のようにジャストヘルムなら手放しでも直進することを教えたので、以後少し手抜きも覚えたようです。
マリーナ眼前でセールを下ろし入港しようかという時、オーバーヒートのアラームが鳴りちょっとあわてましたが時間で回復し(原因は不明)無事帰着。
一応の後始末をしたところで、遅めの昼食です。程よい風に吹かれながらの食事はいつもの事ながらまた格別です。家人の心づくしのおにぎりとSさん用意のパン、先輩お二人の食欲も頼もしく、ややもするとAが負けそうな雰囲気でした。
その間もお二人がAに色々と話しかけてくれてAもそれに対応していました。学校の事、1回の授業でのOP体験等々。中でも面白く聞けたのが、父親まあ君の話題でした。スキーの腕前をはじめ物事に対する徹底した没入振りを楽しそうに自慢げに語っていました。息子の父親への親しみと尊敬は私のようなおじいさんから見て、嬉しく、好もしく思えました。普段は話しかけても碌な反応がない孫Aが生き生きとお喋りをしているのがとても新鮮でした。
後は私の担当のコーヒーを味わっていただき、最後の後始末と記念写真を撮って、船体の水洗いを済ませて退艇しました。
Sさんに最寄りの駅まで車で送っていただいたのですが、別れ際に「面白かったか、また来たいか」とAに聞いたところ、「はい」という返事だったのでお二人のご老人先輩も、私も満足した次第でした。孫Aの本音だと良いのですが…。
1週間の内に2人の孫に遊んでもらい、大満足の内に新年度が迎えられそうです。
あ、それから3月30日(セーリングの前日)糖尿病診察でいつもの病院にて、血液検査の後診察、面談があったのですが、現状維持で大丈夫との判断でした。大安心。
3月27日(日)小3の孫Bに誘われて、横浜ベイサイドマリーナ(横浜市金沢区) へサイクリングをしました。
いつもの事なのですが、前の晩「明日暇ですか」という電話がかかってきました。当方無職、年金暮らしの身なのを知っての上なので多少腹が立つのですが、こちらにも誘われたからには受けて立たねばというおじい様としての矜持というものもあり、またいささかの下心としてのプランも浮かんだので、「昼飯はおばあ様が用意してくれるので、なるべく早くウチに来なさい。何時頃なら大丈夫か」と聞くと昼頃にはというので、当日は万端の準備をして待っていました。使用車はもちろん愛人1号です。
下心というのはベイサイドマリーナ(我が家から約14㌔)へ行って、乗艇のAKATSUKI」の様子を見てきて欲しいというオーナーのSさんのそれとない要望に応えようというものです。
13時自宅発として14:30到着、30分マリーナ滞在、15時現地発、自宅帰着16:30と大まかな予定なのですが、我が家から孫Bの家まで(約10㌔程)送り届ける責任がある?と思い、そうなると17:00再出発、即帰路としても18:00我が家へ帰着となるのでかなりタイトなスケジュールという事になります。ある程度の覚悟の上でした。
孫Bは12時になっても来ません。その時点で我が家で昼食という予定はキャンセルで、おばあ様心配りの揚げたてのとんかつは弁当仕立てにしてもらい、到着先で食べさせる事となりました。
12:30くらいに到着したのですが、「さあ時間がないからすぐに出るぞ」という当方の言葉にも関わらずちょっと疲れたので休みたいと言う。心やさしいおばあ様は時間の事などまるで無頓着に、上がってバナナだけでも食べていきなさいと言うものだから孫Bは嬉しそうな顔をして腰を落ち着けてしまいました。当方はジリジリしながら待つこと数10分、ようやく、何とか13:00には出発することができました。一応予定通りではありました。
道中はMM21から横浜の中心街を抜け順調に進み予定より短時間で半分(8㌔程)まで来たときにふと「今日は日曜日だな」と思い当たりました。
実はベイサイドへの道の途中に息子がお世話になり、その後私がマネージャーとして過ごした云わば「古巣」とも言える「横浜ジュニアヨットクラブ」があり、そこは原則日曜のみ稼働なので、もしかしたら今日なら誰か知り合いがいるかなと思ったわけです。只、3月27日と言えばもう納艇(企業で言えば仕事納め)が済み、誰もいない可能性もあるけれど孫Bにクラブを見せるだけでもいいかなと思い、往復1㌔の寄り道をしました。
そうしたところ、クラブ前の岸壁に一人、キャンバスチェアーに座り、沖(と言っても工場に囲まれた磯子湾内)を見つめる老人が居りました。旧友との出会い。
私がまだジュニアクラブに関わっていた頃は子供の親同士、その後は専任チーフコーチ、そして現在はクラブ代表として活躍されているM氏です。会うのは何年振りでしょうか。実はM氏の奥方と我が連れ合いは未だに濃密な付き合いがあり、その関係で最近のM氏自身の様子は薄々知ってはいたのですが、実際に会って話が進むのもまた嬉しいものです。当日は練習日ではないのですが有志の自主練習とかで、海上の指導・監督は若手のコーチに任せ自身は陸上支援にまわっているとの事でした。一見好々爺風ですが30年前と変わらないヨットと子供に対する愛情は変わっていませんでした。そんな風景を見ながら孫Bは時間が気になるのか、退屈なのかそわそわし初めたので歓談を切り上げ、互いの健康をいたわり合い、一路ベイサイドを目指しました。そこからは約4㌔程の行程です。
15:00頃の到着でした。チェックインの手続きを省略(その方法はこの際不問)して、早速艇の係留してあるバースに向かいました。ざっと目視で外回りを点検し異常なし。コクピットで孫Bとの記念写真を撮り、私は持参のコーヒーで一服、孫Bはおばあ様が持たせたとんかつ弁当の遅い昼食を食べ、のんびり過ごしました。のんびり過ぎたかもしれません。
艇の事、セーリングの事を色々と話したのですが大した反応なし。多少の興味は持ったようなのがわずかな収穫でした。今日の新聞に鈴木勲さんの訃報が出ていました。
鈴木勲、彼は日本のジャズ、特にベースでレジェンド的存在です。昔から名前だけは知っていたのですが、13年前彼の演奏を聴く機会がありました。
地元の六角橋商店街の路地を入ったところにあった(ビッチェスブリュー)という10人も入れば一杯というジャズライブの店でした。当時私は知り合いのドラマーとの関係で足繫くその店に通っており、出演情報には敏感でした。(店は残念ながら閉店しました。)
そんな折、鈴木さんが出るというので当然聞きに行きましたが、その時は共演の纐纈雅代(こうけつ まさよ)という女性サックス奏者の存在を知った事の方が印象に残っています。纐纈さんが鈴木さんに師事しているという雰囲気でした。