2011年1月31日月曜日

1月の走行距離

例によって今月の走行距離の記録です。

走行距離 … 264.44㌔      累計 … 23,485㌔

今月は300㌔には届きませんでした。 そもそも通勤日が少なく、釣りにも行けず、何やかやと用事が多かったのが原因です。誕生日記念走行など意識的な走行には三回程出かけましたが、やはりその程度では足りないようです。

2月は日にちが少ないので、その分意識的に走りに出かける積りです。

この寒さは私にとってはプラスなので(汗を余りかかずに済む)頑張ります。

2011年1月25日火曜日

誕生日のポタリング

今日は私の63回目の誕生日。 記念?に今まで自転車で行った事がない所に行こうと思い、鶴見川を下って河口まで行ってきました。

概ね新横浜の日産スタジアム辺りから鶴見川コースをスタート。綱島で東横線、少し先で新幹線の鉄橋を潜り、2~3㌔ほど進むと、所謂サイクリングコースと呼べる部分は終り、堤防上のコース(つまり、橋の下は潜れず道路を横断しなければならない)に変わります。ここいらまでは、よく走るところです。そのまま行くと、右手に大きな済生会病院があるのですが、その手前で対岸に渡りました。漕艇練習所や国道1号線、15号線を越えてゆくとJRの鉄橋に突き当たり、堤防上は行き止まりとなります。この辺りから未知の領域になるのです。

止むを得ず左に下り、一般道(時には細い道になる)を河口方向に進むのですが、京浜急行のガードを潜り産業道路に出ると、そこから先は全て工場用地で進めません。それなら、対岸ならもう少し行けるだろうと思い横浜方向に曲がって大きな橋(名前は不明)を渡ると、「左(つまり河口方向)大黒埠頭」の道路標識があったのでそれに従いました。途中かなり危険な、運河と鉄道引込み線を跨ぐ高架道路を超えると、左は日産自動車の工場。どうもその辺りが鶴見川の河口だと思われるのですが、確かめる事はできませんでした。

結局そのまま進んで、最後は山を越えるような大黒大橋を渡って大黒ふ頭まで来てしまいました。


左にちょこっと見えているのはベイブリッジの橋脚の基礎です。背景はランドマークタワーをはじめとするMM21地区になります。天気には恵まれ、まずまずの記念走行にはなりました。

その後は国道15号に戻り、慣れたコースで東神奈川経由で帰宅。概ね40㌔のポタリングでした。
この調子ならまだしばらくは自転車生活が楽しめそうです。
今年のキャンプツーリングは多分過去最長になりそうなので、何とかこの状態を維持したいものです。

2011年1月5日水曜日

初走り

正月2日、今年の初走りは箱根駅伝の応援だった。

スタートからはヌクヌクとTVで観戦し、トップが鶴見中継所を過ぎた辺りで我が家を出発。        

3.3㌔程のところにある東神奈川と横浜駅の間にある国道15号沿いのとある場所。9:10頃到着。実はここはいつもの釣行のほぼ中間点にあるなじみの場所だ。既にかなりの人出があった。R15号の少し手前で自転車を停め、道幅中間点の安全地帯で待機していたら(実はここが絶好のポジション)警備の警官に「向こう側に渡ってくれ」と言われた。そこに居ていけない理由が何もないはずなので理由を尋ねると「皆さんにあちらで応援してもらっているから」と訳のわからない事を言う。少しイヤミを言ってから「要するにここに居ちゃいけない、向こうに行けって言っているのね」と念を押してから移動した。あくまでも拒否したらどうなるのだろう?

それでも上の写真が撮れるほどの位置取りができた。写真は早稲田大学第二走者平賀翔太クン(区間4位)の力走。

気の毒だったのは神奈川大学。一応地元校なので大学関係者が応援に駆出されて「選手はツボウチといいます。皆さん名前を呼んで応援してください」と大声で請願しているのに、当のツボウチくんはなかなか来ない。(確か最下位)やっと姿が見えた頃には観客がボロボロと帰り始めていた。

それにしても私は「写真」が下手だとつくづく思う。この駅伝もそうだが、ここ何年も写真を撮っているのに未だ「これぞ」というのがない。旅行に行くたびに何百枚と撮っては来るのだが、その感動を伝えるものは殆んどない。

「良い写真」「上手い写真」とは何かと聞かれると、上手く言えないのだが、例えば娘夫婦や姪達若い者には「良い写真」が多い。家人は「センスよ」というが、そのセンスとは何なのだろう。

2010年12月31日金曜日

12月・2010年のまとめ

昨日、今月の走り納めの積りで、地下鉄で5駅ほど先の「センター南」の「シネマ109」まで、元旦に行く積りの映画の指定券を買いに行った。近くにある去年まで亡母がお世話になっていた老人施設も巡ってきた。大体20㌔の行程だが色々と思い出のあるコースだ。愛車も絶好調。私の体もこれといった問題はなさそうだった。

これで12月の走行距離は233.83㌔。1日から10日まで留守にした事を考えると十分だろう。

ついでに今までの走行履歴をまとめておこうと思う。

2006年(8月~12月)                 1,090㌔
2007年           6531㌔   ( 累計   7,621㌔ )
2008年           6155    (〃    13,776   )
2009年           5021    (〃    18,797   )
2010年           4423     (〃    23,220   )


まあよくも走ったと思う。 さあてだ、来年はどこへ行こうか。腹案はあるのだが、もう少し詰めが必要なので、それは後日。

2010年12月16日木曜日

オーストラリア自転車事情

12月1日から10日までオーストラリア観光に行ってきました。 西海岸のパースと南のアデレードが主な滞在場所です。

ここでは主に自転車事情についてご報告していきます。

下の写真はパースの街中です。かなりの広さに亘って「自転車レーン」が設けられています。所によっては郊外にまで伸びており、それを詳細に解説している小冊子まで配布されています。これには感心しました。街中交通の中ではっきりと自転車の位置付けがなされている事がわかります。


下はアデレードの南ビクトリーハーバーの町ですが、街中移動に自転車が普通に使われており、それも「きちんとした」自転車で、いわゆる「ママチャリ」は殆んど見かけませんでした。私の愛車のメーカーである「ジャイアント」の自転車も多数見かけました。

さりげなく停めてあった「キャノンデール」のロードレーサーです。

上の写真はパースの早朝、自転車通勤風景ですが、ご覧のようにヘルメット着用が義務のようで、これは昨年行ったニュージーランドでも同じでした。ヘルメット着用はわが国でも見習ったら良いと思います。これで自転車に乗ることの意識が相当変わるはずです。                                 
                                 
私が実際に自転車に乗ったのは、パースから程近い「ロットネスト島」のレンタサイクルだけです。この島は車の乗り入れが禁止されているので、島内の足として自転車が大活躍です。レンタサイクルも完備されており「きちんとした」自転車で、整備も完全でした。殆んどがマウンテンバイクですが、道路状況は完璧なので、ここはクロスバイクにして欲しいところです。

非常に景色の素晴らしい島内一周を楽しむ事ができます。随所に下のような風景が展開されます。

下の写真は島の西端の岬で撮ってもらったものですが、ご覧のように借りた自転車の後ろに荷台がついています。これは何かとありがたい心遣いだと思いました。                         
             
とにかく天気に恵まれ最高の気分でした。1周40㎞位ですがそこそこのアップダウンもあり、何とも素晴らしいサイクリングコースでした。わが国でも離島振興策のモデルとしてヒントになりそうです。

下は、島内で見かけた子供用牽引車。かって写真では見かけていて情報としては、「こんなものがある」事は知っていましたが、実際に見たのは初めてです。                            
                            
とても楽しそうで、子供を自転車で運ぶには素晴らしい道具なのですが、自転車専用レーンや専用道路が整備されていない日本の道路事情では、残念ながら無理かなと思いました。何とかこのような物が使える状況を実現させたいものです。






2010年11月30日火曜日

11月の実績

今月は342.16キロ走りました。目標達成でした。総累計は22,986キロです。(4年と3ヶ月くらい)天候に恵まれたために釣行に行ける機会が多かった事が原因です。もちろん目標を目指してはいましたが、途中で11月累計(これもサイクルメーターでカウントできます)を見る事はしません。ルールとして月末にだけ見るようにしています。その時にはちょっとワクワクします。

12月1日から自転車旅行ではありませんがオーストラリアに行きます。機会があれば、このブログにその様子を載せようと思っています。

2010年11月26日金曜日

松永太郎さんご葬儀

実は、本日26日は松永太郎さんを囲んでの忘年会の日でした。 映画講座の楽しい仲間が集まり、最近の映画の話題でわいわい盛り上がるはずでした。それなのに太郎さんは11月15日に急死してしまいました。信じられない思いを抱いたまま、23日東京根岸の西蔵院でのご葬儀に臨みました。
小雨模様のなか、ムーシカ文庫の関係者の皆様と20名程連れ立って参列しました。



皆様からお預かりしたご好意で「レモン映画講座の仲間」の名前で供花させていただきました。左下段右から3つ目です。




焼香台の左右には太郎さんの著作や写真、愛読書などが飾られていました。思索的なものと並んで「南北戦争」モノや「情報機関」モノが飾られているのを見て涙が出てきました。
8年前、学研M文庫から『南北戦争』ー49の作戦図で読む詳細戦記ーが出版されたとき、その事を直ちにご報告したところ、「有難う、でもそれもう原書で読んだから」と言われたことが昨日のように思い出されました。
もうあのような楽しい話しが出来ないのです。そんな思いをご友人の僧侶玲澄さんが弔辞で述べておられました。途中で「そうだ!」とか「異議なし!」と大声で叫びそうになりました。
奥様の健気なご挨拶を拝聴して終了となりましたが、有志13人連れ立って豆腐会席で有名な鶯谷「笹の雪」にて豆腐尽くしのお料理とお酒で精進落しをさせていただきました。ミニ「太郎さんを偲ぶ会」でした。
大切な友人を喪ってしまいました。