2010年12月31日金曜日
12月・2010年のまとめ
これで12月の走行距離は233.83㌔。1日から10日まで留守にした事を考えると十分だろう。
ついでに今までの走行履歴をまとめておこうと思う。
2006年(8月~12月) 1,090㌔
2007年 6531㌔ ( 累計 7,621㌔ )
2008年 6155 (〃 13,776 )
2009年 5021 (〃 18,797 )
2010年 4423 (〃 23,220 )
まあよくも走ったと思う。 さあてだ、来年はどこへ行こうか。腹案はあるのだが、もう少し詰めが必要なので、それは後日。
2010年12月16日木曜日
オーストラリア自転車事情
ここでは主に自転車事情についてご報告していきます。
下の写真はパースの街中です。かなりの広さに亘って「自転車レーン」が設けられています。所によっては郊外にまで伸びており、それを詳細に解説している小冊子まで配布されています。これには感心しました。街中交通の中ではっきりと自転車の位置付けがなされている事がわかります。
下はアデレードの南ビクトリーハーバーの町ですが、街中移動に自転車が普通に使われており、それも「きちんとした」自転車で、いわゆる「ママチャリ」は殆んど見かけませんでした。私の愛車のメーカーである「ジャイアント」の自転車も多数見かけました。
非常に景色の素晴らしい島内一周を楽しむ事ができます。随所に下のような風景が展開されます。
2010年11月30日火曜日
2010年11月26日金曜日
松永太郎さんご葬儀
皆様からお預かりしたご好意で「レモン映画講座の仲間」の名前で供花させていただきました。左下段右から3つ目です。
2010年10月31日日曜日
10月の走行距離
サイクルメーターの記録に拠れば今月の走行距離は354.66㎞となっている。(累計22,644㎞)久し振りにひと月の走行距離が300㎞を超えた。 これは相当意識してたたき出した数字だ。7月に北海道から帰って以来しばらくはひと月100㎞台が続いてしまい、これでは脚力維持が出来ないと感じ、何度か鶴見川コースに20㌔、30㌔の走りこみに出かけ、釣り場にも足しげく通ったおかげだ。
と云うのも、来年に向けて「あるプラン」があり、それのためには脚力を鍛えておかなければ…と考えるようになった事が原因だ。もう一度ツーリングに出かけたい、その一心だ。
12月には、また少し走れなくなるので、来月11月には300㎞超えを目指して頑張ろう。
2010年10月29日金曜日
久し振りのサイズ
27日でやっと国勢調査員がお役御免となりホッとしています。
満を持しての釣行でした。と言っても手持の餌がないので、先ず餌買いから始めなければならず(上洲屋の開店は10時)第一投は11時近くになりました。そのとたん、いきなり子メジナではありましたが第一号が上がりました。このところ早い時期に一匹目(それも小さいヤツが)が上がり、それっきりというパターンが続いていたので、今日もそれかと、あまり期待はしないで続けました。
ところが今日は盛んに魚信があり10㌢前後の小物ではありますが次々と掛かってきました。こんなのは本当に久しぶりです。気温は低いし、台風の影響か風が相当強く、警官はウヨウヨその辺を巡回しているしで、必ずしも条件は良くはないのですが、バナナを食べながら大物を楽しみにねばりました。
12時を回った頃、5匹ほど釣れたのですが、どうもその内の3匹は(同一人物ではなく)同一魚ではないかとの疑いが今でもあります。サイズだけではなく(人相ではなく)魚相も似ているように思えるのです。
そんなこんなで、少し場所を移動した時に上がったのが、下の写真のメジナでした。久し振りの手応えに感動しました。ひょっとすると1年ぶりくらいではないでしょうか。家で実測したところ23㌢ありました。
これでも、今の私には大物なのです。こればかりは早速鱗を落し、内臓を取り除き「お持ち帰り」です。今日の夕食はメジナの塩焼きが加わります。
その後にも小物が2匹上がり合計では8匹でした。2時過ぎには竿を収めました。大満足な釣行でした。
本日の走行距離 14.49㌔(つまり我が家と県庁近くの上州屋の往復距離という事です)
時間 52分 平均時速 16.5㎞/h
2010年10月28日木曜日
アクセス数4000超え
2010年10月23日土曜日
ハーフカットモデル
2010年10月15日金曜日
今日の釣果
2010年10月14日木曜日
サドルの交換
2010年10月1日金曜日
9月の走行距離 他
下の写真は友人M氏の作品です。今月末に電話があり、「とにかく出来上がったから観に来い」 と言われて、通勤途中に寄り道をして見せてもらいました。
M氏はヨットマンですが、「帆船模型製作こそが男の究極の趣味だ」と言っていました。その為に退職後は自宅から少し離れたところに工作室としてアパートを借りてしまった程です。
この帆船は「チャールズ ロイヤル ヨット」といってイギリス皇太子の遊び用のヨットだそうです。全長50㌢くらいの比較的小振りなモノですが、非常に精巧にできていました。特に塗装が素晴らしい。
この作品は息子さんへの結婚祝なのです。
私にも作りかけの模型(と言っても20年間から)があるので、何とかしなくてはという気持にさせられました。
2010年9月28日火曜日
昨今の事
実は忙しいのです。実際は大して忙しくはないのですが、心理的に余裕がない状態です。
最大の原因は「国勢調査」です。町内会の役員をしている関係で調査員を引き受けたのですが、これがもう大変。件数の多さもさることながら(私は100件程度)、調査票は原則手渡し、という事は相手が在宅中でなければなりません。圏内に2棟のマンションがあり、そこには、共稼ぎ家庭や単身者が多く、昼間在宅というのは少数派です。しかも調査員向けのマニュアルには午前9時以前、午後9時以降の訪問は避けろとあるので困ったものです。
皆さんの対応はマチマチで予想された事なので、なんとか乗り切れるのですが、配布・回収・提出とそれぞれ期日・締め切りが決まっているので、それまでに決着させなければいけないという圧迫感が大変なものなのです。私より年下の町会副会長さんなどは、現役サラリーマンなのですが、その重圧で夜も寝られなくなってしまったそうです。半分冗談ですが、結構きつい事は事実です。
それに加えて町内のお祭りが加わっています。私自身は「会計」さんなので運営の実際には余り関わらなくてもよいのですが、カネの出入りが絡むところには居なくてはならず、仕事のローテーションとの兼ね合いを見ながら調整しています。おかげで、この数ヶ月前からは「手帳」を常時携帯していなくてはならなくなりました。
そんなこんなで心の余裕がもてず、通勤以外にはほとんど自転車に乗っていません。愛車はツーリングモードからママチャリモードに変更し、それに伴い夜間ライトも新規購入しました。これについては後日書き込みます。
2010年9月17日金曜日
2010年9月10日金曜日
2010年9月6日月曜日
23・24日目 7月8・9日(木・金) 晴れ・曇り
コース 大洗→土浦→荒川沖(泊まり)→東京→横浜
距離63.27㌔+91.56㌔(計154.83㌔) 時間3:22+5:03
平均18.8km/h 18.0km/h
23日目 7月8日(木)晴れ
午前中は船内で映画を見たりして過ごす。ほとんど陸は見えているのにsoftbankはつながらない。他の携帯はつながっているようなのに…。
14:00 大洗到着
14:20 フェリーターミナル出発
実に足がよく動き、快調に走れる。いっそのこと夜通し走って横浜まで行ってしまおうかと思えるほどだ。何度も走った道、涸沼の南を回り、国道R6(水戸街道)にでる。
相変わらず愉しくない道だ。時々立体交差の高架があり、その度に安全のために下に降りる。これも愉しくない理由の一つだ。
時間的な観点から「土浦」泊まりに決めて、国道から降りて市街に入りビジネスホテルを訪ねてみるが、一軒目が高かったので他に3軒回るが全て空いていない。特に喫煙OK部屋となるとダメだった。結局最初のところに戻ってみたが、すでに予約済みになっていた。(真相は宿泊拒否ではないかと疑っている)。
結局また、水戸街道に戻りさらに10㌔ほど走って、3年前に泊まったことがある「荒川沖」駅前のビジネスホテルに投宿。
18:30 ホテルチェックイン
24日目 7月9日(金)曇り
08:00 ホテル出発
10:35 我孫子 デニーズ着 26㌔付近
往路でお世話になったコビアンさんにお迎えをしていただく。ささやかな北海道土産をお渡ししたのだが、逆にお土産に野菜をいただいてしまった。
11:15 デニーズ出発
途中昼食を食べ(メモの記載がなくどこで、何を食べたかは不明)、13時には言問橋を渡り都心部を抜け、横浜自宅近くの自転車店「サイクルエコ」さんに寄り、ツアーの無事終了と、車体故障が無かった事を報告する。
上の写真は「四つ木橋」から見た「スカイツリー」
16:10 帰着
家人と娘と孫の里樹クンが出迎えてくれた。
終わりました。さあ、明日は義父の納骨だ。義母も我が家に滞在中。、また、日常生活が始まる。
これで今回の北海道ツアーの記録は終わります。この記録はホームページに収める積りでしたが、容量の関係で途中からこのブログに書き込みました。もし始めからみたいという方が居りましたら
http://www2.ttcn.ne.jp/arekore/
に戻ってご覧ください。
2010年9月5日日曜日
22日目 7月7日(水) 曇り後晴れ
コース 静内→新冠→富川→鵡川→苫小牧
距離93.81㌔(道内1398㌔) 時間5:07 平均18.3㎞/h
05:00 起床 レトルトカレーの朝食
いよいよ北海道最後の日になってしまった。苫小牧からのフェリーは18:30発なので17:00までに着けばよい。実は7月10日には義父の納骨を行う事になっており、それに間に合うように帰れるかどうかわからないし、ダメだったらゴメンという事で家を出てきたのだが、今日の乗船だとドンピシャリの9日に帰宅できる。普段の行いが良いとこんなもんだ。
07:30 キャンプ場出発
国道へ出るまでは右側にサラブレットの牧場が続く。子馬も含めて元気に走り回っていた。昨日危うく見過ごすところだった、温泉への道標が下の写真。
08:20 新冠 道の駅「サラブレッドロード新冠」着 13.36㌔
横浜の家人へ電話をした直後にメールが入った。「こんな朝から一体誰だ」と思ったら、softbankからで、プリペイド残金が200円だというお知らせだった。まだフェリーの予約もしなくてはならないし、200円ではどうにもならない。出発前には5000円+αあったので十分足りると思っていたが、メールをたくさん出したので、思いの外通話料を使ってしまったようだ。
softbankのプリペイドはローソンでしかチャージできないのだが、北海道ではもしかすると事情が異なるかもしれないと思い、近くのセイコマートに行ってみたが、やはりダメだった。近くにローソンはないかと尋ねると、車で30分程の富川にあるという。マップルで調べると確かにそこにはローソン印がある。
とにかく富川を目指す。回り道をするのではないので別に焦る事はないのだが、その他に苫小牧市内では、荷物の殆んどを宅急便で送る手続きもする事を考えると、昨年、滑り込みでフェリーに間に合った時の苦しい思い出が蘇る。そう、のんびりともしていられないというところだ。
10:50 富川 ローソン着 47.5㌔
この間は日高地方特有のサラブレッドの牧場地帯で、かつて走ったこともあり、風景を楽しみながらのサイクリングなのだが、果たしてチャージできるのかが心配が頭から離れなかった。沙流川に架かるかなり長い橋を渡ると富川の町だ。かなり大きい町で、ローソンは平取に向かう国道R237沿いにあった。無事5000円のチャージが終り、今日の旅程の半分が過ぎたのでほっとする。余裕が出来たのでローソン特製のミニ天丼とアイスコーヒーをいただき
11:30 ローソン出発
この頃になるとすっかり晴れ上がり、暑いくらいだ。サングラスを装着。苫小牧への道程の前半は門別競馬場があったり、まだ牧場地帯で、心穏やかに走れるのだが、道の駅「むかわ四季の館」を過ぎた辺りから「日高自動車道」に沿うようになると最悪となる。所によっては左側に側線がなく、全くの産業道路で大型トラックがバンバン飛ばすしで危険この上ない。丁度、走るのを諦めた釧路湿原道路のようだった。
14:00 苫小牧市街着 84㌔
町中の空き地で日陰を探し、手持最後の食料、パン(バター・ジャムも)とおにぎりを食べる。おやつというより第二の昼食。
その後「クロネコヤマト」で、着替え1セット、タオル、洗面道具、雨具を残し全て横浜に送り返す。(¥3910)これも相当迷ったのだが、大洗から横浜までの160㌔を考え、また往路の不調を考えての出費だ。保険的必要経費。
15:20 苫小牧港着
余裕をもって到着。今日は後半余り楽しくない走りになってしまったが、足はよく動いたと思う。ひょっとすると、全行程中一番だったかも知れない。左足首は依然腫れたままだが、ペダルを踏む事に関しては全くマイナスとなっていない。前半などは平均時速20㌔で走れたのだから満足だ。
これで北海道が終了した。約1400㌔。楽しかった。色々な事があったし色々な人にお世話になり、楽しませてもらった。ありがとうございました。
最後に、乗船手続きを済ませ、埠頭で上の記念写真を撮りターミナルへ戻ってみると、「乗船券」を紛失してしまっていた。不覚だ。大変な手続きをとってから再発行かと思われた時、乗船待機場から拾得されたとの連絡が入り、事なきを得たので、一件落着。終わり良ければ全て良し。
2010年9月3日金曜日
21日目 7月6日(火) 曇り
コース えりも本町→様似→浦河→静内温泉
距離76.97㌔(道内1304㌔) 時間4:00 平均19.2㎞/h
07:50 旅館出発 今日はマップルで調べても、走りたくなるような道道、農道は見当たらない。山が海と近いという地形の関係だろう。おまけにこの地域には鉄道すらない。結局漁村を縫って走っている国道R336(襟裳国道)をひたすら北上するのみだ。
霧が濃い。左手の海岸では小船が出て昆布漁が盛んに行われている。道路の直ぐ下の岩場でもおばあさんが昆布を拾っている。これでも一日数千円くらいの上がりになるそうだが、いかにも重労働に見える。
この辺りのトラックは軽トラといえども、右の写真のような簡易クレーンを装備している。この一帯には満足な港が少ないために、道路直ぐ下まで船で昆布を持ってきて、道路脇に停めたトラックに巻き上げるのだ。道端には、その為の(文面は忘れたが)注意標識まで出ている。狭い道路の左側にその間ズーッと停車しているので、自転車旅行者としては、ちと迷惑なのだが、文句を言う積りは無い。
09:18 様似(サマニ)着 23.13㌔ ここがJR日高本線の終着駅。とは言ってもこれから先の沿道風景は変わらない。相変らず寂しい漁村を縫ってたんたんと走るだけ。起伏も大した事はない。本日の最終平均速度が19.2㎞/hというのもそれを物語っている。(これは私としては相当の速さだ)
昨日から駐車状態からスタンドを戻す時、何かコトン、ゴツンというような金属音がして気になっていた。何度かサイドバッグの固定状態を確認したが異常がなく原因不明だった。この辺りで原因がわかった。後輪のクイックリリースのレバーがリリース状態になっていた。つまりフレームの上に車輪がただ乗っかっているだけだったのだ。それで、スタンドを上げるとき一瞬、フレームと車輪が離れ、またフレームが落ちるので、その時コトンと音がしたのだ。きっと昨日黄金海岸で転倒し、リアのバッグが脱落した時レバーとぶつかり 外れたのだろう。気が付いて良かった。下り坂でスピードが出ているときに車体がバウンドしたりしたら大事故になるところだった。
10:25 浦河着 38.55㌔ 支庁がある町で、ここから国道がR235と名称が変わる。とはいっても整備された漁港がある漁村といった感じで、メインストリートといえどもどこか「張りぼて」の感じが否めない。(写真下)それでも町外れにある公園には海洋少年団も置かれ、設備からみてキャンプは可能だ。覚えておこう。
11:30 三石着 51.44㌔ 町中の食堂でひれかつ定食の昼食(¥880) この休憩中に本日の宿泊場所を25㌔ほど先の「緑のふるさと温泉の森キャンプ場」に決める。あとは天候が崩れない事を願うばかりだ。これが今回最後のキャンプになりそうだ。
マップルでみると、このキャンプ場は国道からほんのわずか2㌔ほど山の方に入ったところにあり、私のように足弱の自転車旅行者としては実にありがたいロケーションだ。しかも温泉付きというのだから、尚嬉しいではないか。
東静内のセイコマートで今夜のおかずとしてお新香とデザートのシュークリームを買う。(70㌔)霧も晴れ陽が差してきてほっとしたのもつかの間、JRの高架を越えたとたん雨になった。にわか雨だろうとは思いつつも、道路脇のバス停に自転車ごと避難して様子をみる事にする。道内のバス停の中には「ここなら泊れる」と感じるほどしっかりした造りのバス停が多いのだが、ここもそうだった。もしも雨がやまないとキャンプ計画がご破算になってしまうので気が気ではない。天気予報は曇りだったのが、頼みの綱だ。
十数分後、やや納まってきたので、さあ、行こうかとバス停を出たところ、すぐ目の前に「静内温泉」への標識があった。危うく見逃がすところだった。危ない危ない。
牧場を左に見てしばらく行くと、例の公的資金を受けたと思われる温泉施設が見えてきて(ということは、かなり立派な建物を意味する)早速キャンプの受付をしようとすると、キャンプ場は全く別の運営で、この先に事務所があるという。これもよくある話しなので指示にしたがって数百㍍ほど奥の一画まで走った。そこは森に囲まれた広々とした一画で、サイトには2張りほどテントが張ってあり、高床式のバンガローも見える。
14:00 頃 キャンプ場受付 ¥300円を支払い、早速設営開始。雨は何とかもちそうだ。30分位で完了し、自転車は未使用のバンガローの下に入れる。15時くらいからは、後着で隣に設営した老ライダーさんとお茶を楽しむ。
夕刻、ブラブラと温泉に行きサッパリする。湯上り後は当然コーヒー牛乳を飲む。
夕食は炊いたご飯(今晩で丁度持参の米が終わる)と缶詰のさんまの蒲焼とで丼メシ。お新香と松茸のお吸い物。持参の食料は明朝の即席ご飯とレトルトカレーできれいになくなる。予備の1㍑ポリタンも空にしよう。
夕食後はさらにもうひとり若手ライダーさんが加わり、21時くらいまで写真の炊事棟で各自持ち寄りの飲物、つまみで宴会?
20日目 7月5日(月) 晴れ
コース 晩成温泉→広尾→黄金道路→襟裳岬横断→えりも本町
距離91.02㌔(道内1229㌔) 時間5:19 平均17.1㎞/h
04:00 起床 キャンプ時と同じように早く目覚めると、天気が良かったので近場を散歩。快晴の下では足元に朝日に輝く太平洋がキラキラと広がり実に爽快。
自転車のキャリアに積みっ放しだった荷物を全部降ろし、車体の点検・手入れを入念にする。その時、フロントのキャリアの下に自作したバッグ用のガードの支えが左右とも折れているのを発見。これはアルミパイプを加工したものだが、実は強度的に一番不安だったところなので「ああ、やっぱりもたなかったか」程度の感想で、ショックはない。それほど負荷が加わるところではないので、手持の細引きで縛り付け何とか補修した。(帰宅後もしばらくはそのままだった)そして泥や油埃を落とし、光るべきところは磨いて光らせてからチェーンや回転部分への注油。
07:45 温泉出発 厨房から氷をもらって詰めた。今日の天候だと本当に嬉しい。今日の予定コースはマップルを観ながら昨晩決めた。前の晩に「明日はどこを走ろうかな」と作戦を練るのは毎度のことながら楽しいものだ。予定のプロパーコース上に広尾の町があるのだが、その手前15㌔くらいのところで、一旦海側へ外れて走り、そこから南下して道道R1037で広尾に出ようというものだ。
こんな道です。両サイドは畑。ここを突き当たってから右折する。
途中のちょっとした町で、遊園地のような建物が目についたのでそばによると、小学校だった。「大樹町立中島小学校」。9時をまわっているのに何故か子供をはじめ人の気配がなく、右側の建物には「112年間の思い出ありがとう!中島小」の横幕が、やっぱり過疎なんだなあ。それにしても校舎は十分使えそうなので、用途変更して生まれ変わるのだろう。
南下を始めて13㌔程は殆んど直線で、程好くアップダウンがあり快適なサイクリング。わずかな日陰を見付けて小休止。サーモスの氷でギンギンに冷えたお茶が美味しい。
10:15 広尾着 37.67㌔ 相変らず晴れ。ガスボンベの一本売りを求めて町中を右往左往して少し時間をとられたが、ここからは襟裳岬を目指して国道R336を南下するのみだ。十勝港を過ぎると、いよいよ「黄金道路」が始まる。
黄金道路は30㌔にわたって太平洋岸の崖下ギリギリを走る道で、莫大な費用がかかったのでその名が付いたという。多数のトンネル(隧道)や半トンネル(覆道)が続き、3年前の初体験の時は身がすくんだものだ。一番長いトンネルで3215㍍ある。
11:30 ブンベの滝 45.82㌔ 黄金道路にはいってから4㌔ほどのところ。ひとつの名所ではあるので、いつもなら観光客で賑う所なのだが、今日は誰も居ない。滝のそばでパンとおにぎりの昼食。
13:05 黄金道路終り 71.83㌔ 右の写真は「望洋台」。それほどの緊張はなく抜けられたが、途中の覆道で、車道から左の側道に乗り上げようとした時、進入角度が足りなかったのと路面が濡れていたせいで転倒した。荷崩れを起こした事とちょっとした打撲だけで実害はなかったが、後からトラックが迫っていたりしたら、只では済まなかっただろう。
襟裳岬に行く積りは始めから無かった。襟裳岬については、3年前に「先端趣味」は満足させている。岬の付け根をショートカット、ちょっとした峠越えをする。(追分峠162㍍)知床峠と比べて「ちょっとした」と言ったまでで、70㌔走った後の峠越えはこの程度でもさすがに堪える。それでも何とか漕ぎ上り、ピークからの景色を楽しんだ後、下りは久し振りの長距離ダウンヒル。疲れを忘れるし、汗も引く。この部分は峠の練習にいいかも知れないと思う。(往復28㌔)
15:00 横断完了 88.81㌔ 下ったこちら側は霧だった。 ここから先25㌔でキャンプ場があるのだが、止めた。水戸黄門様ではないが「もうこの辺でいいでしょう」というところ。
えりも本町(3年前もこの町で宿泊した)のセイコマートでカフェオレとシュークリームでおやつをしてから
15:30 かめや旅館投宿。(朝食のみで¥6000) 自転車は写真のように玄関へ。今では宿泊所の評価の基準として、料金、食事、風呂などの設備は勿論なのだが、その他の大事な要素として「自転車の扱い」がある。「そんなもん、外に置いてください」などと言われたら、多分こちらから断るだろう。
夕食は町へ出て天ぷら定食(¥1500)。