2010年8月30日月曜日

16日目 7月1日(木) 雨

納沙布岬を回り再度厚床へ戻る

コース 根室→納沙布岬→落石→初田牛→厚床
距離94.61㌔(道内885㌔) 時間5:49 平均16.2㎞/h

06:00 ホテル出発。 多少雨が降っていたが昨日の決断どおり出発。この先しばらく天候の回復は期待できない。コンビニでパンやジャムを購入。海沿いの高台をアップダウンを繰り返して進む。雨というより霧に近いかもしれない。リアの点滅燈をつける。突然、どこからかブーン・ブーンといううなり音が聞こえてきたが、アレは姿は見えないが風力発電機のブレードが風を切る音だろう。半島北側には中頃と先端部にしか集落がない。寂しい景色だ。



08:20 納沙布岬着 25.43㌔ 名称は不確かだが「北方領土館」のような立派な施設があり展望台などもあるのだが、開館前で、勿論客も居ない。雨模様ということもあり寒々しい限りだ。満足な朝食も食べていないので食堂を探したが未だ営業開始前、やっと見つけたラーメン屋で食べてたカニラーメンはいただけない。スープがダメなら具もお粗末過ぎる。典型的な「観光地」の食堂だ。記念写真を何枚か撮って(霧で北方領土は見えない)半島の南岸を通って戻る。                 

南側は北と比べてはるかに人家が多い。それにアップダウンも少ない。行きに要した時間の2/3ほどで根室の町に戻ったが市街地には入らず(ということはR44を戻る事はせず)根室本線沿いの道道R310からR142へのルートで厚床へ戻る事にする。

ほとんど住宅地の中の道を少し早目に左折したばっかりに(ショートカットできると判断)途中で道を失い、予定しなかった日本最東端の駅「東根室駅」前を通れたのは幸いだったがR142へ出方が判らなくなった。セブンイレブンで休んだ時に、客で来ていたトラックドライバーさんに道を尋ねると「そこまで載せていってやる」と言ってくれたがそれではあんまりなので辞退した。確かにわかりにくいのだがその運転手の説明が良かったのか、何キロか走った所でプロパーコースに乗れて、やれやれと走っていると、後ろから先般のトラックが来て「大丈夫だったか、そう、この道でOKだよ」と言って走り去った。ひょっとすると心配で追いかけて来てくれたのかなとありがたく思ったものだが、本当にそうだったのかな。

その先は北海道らしい道が続く。(つまり人家があまりない)屯田兵村の記念館があったりもする。昼近くになっても食堂がない。雨は降り続いている。

落石の交差点に着いても食堂がない。マップルで見てもこの先厚床までありそうもないのだ雨は降り続いており、かなり寒い。止むを得ず角のJOMOのスタンドに頼んで、事務所の中で昼食をとらせてもらった。手持の食パンとバター・ジャムだ。ところで今晩の宿が未定だ。根室の観光協会でもらっておいた旅館リストには厚床地区には一軒しか載っておらず、その「早坂旅館」に電話をしてみると、声の感じではおばあさんが出て、食事は出せないので素泊まりなら良いという事で予約が完了。これでひと安心。JOMOさんには暑く礼を申し上げて、自販機で暖かい缶コーヒーを買い込んで

13:20 落石 JOMOのGS発 68.5㌔ 落石からいったん根室本線から離れるが別当賀(ベットガ)でまた戻り、(この間の道路状況の記憶が殆んどない、雨の中だったのでひたすら漕いだのだろう。それでもほぼ平坦だったように思う)

14:55 厚床着 94.61㌔ 早坂旅館のおばあさんには一方ならぬお世話になった。靴を乾かすための新聞紙を大量にいただいたし、お湯をポットで何回ももらうし、朝食用に買った弁当を冷蔵庫には入れさせてもらう等々。昭和3年開業、当時は博労相手に大繁盛だったという早坂旅館はおばあさんの代で閉めるという。

夕食は「ラポール」ではなく焼肉「東光園」。手羽先が秀逸。

2010年8月29日日曜日

16日目 6月30日(水) 雨

根室連泊・加療の日
走行記録なし


根室の街はうねった尾根の上に伸びており、その尾根の北側は海、港に下る斜面となっている。市民病院はその斜面の中ほどにある。1時間程待ってようやく診察してもらえたが、それほどの重大事ではない事が判りホッとした。ただ、旅行中で初診だということで手続き的な事が結構大変だった。それでも健康保険証を持参していたので助かった面はある。旅行には保険証は必ず持参しましょう。医師が話しの分かる方で、事情を理解してくれてかなり大量の薬を出してくれた。それはありがたかったのだが、ボトル入りの湿布薬まで出されたので所持品が増えてしまい、その取替えのためのガーゼ、ラップ、バンソウ膏まで買うはめになってしまった。これはその後3日間は指示どおり実行した。あ、その為のソックスも買いましたよ。写真は診察券。


図書館でPC作業をしようと思ったが、月末という事で閉館。因みにPCはあるのかと聞いてみると「ない」という答え。時間をつぶす種を無くし路地裏の飲み屋で昼食。色っぽい女将から夕飯も食べに来てと誘われたので「また来るよ」と答えておいたが、夕食はホテルの近くで「自家焙煎珈琲とヘルシーフードのお店」という「マイウィング」でハンバーグカレー。

町中をふらついて時間をすごした。やたら「返せ!北方領土」的な看板が目立つが、下の写真のように道路標識にはロシア語表示も併記されている。
明日はよほどの悪天候でもない限り出発しよう。

2010年8月28日土曜日

14日目 6月29日(火) 曇り・霧

いつか来た道

コース : 尾岱沼→奥行→厚床→根室
距離82.5㌔(道内790㌔) その他記録なし


05:00 起床 起き出してみると寒い。天気が下り坂になっているようだ。ラーメンとおにぎりの朝食。隣のライダーさんとは別のキャンパーライダーさんも交えて3人で朝の「お茶」をしたのだが、その初老の方は今日で終りとかで、余ったドリップコーヒーをくれた。隣のライダーさんからは「FRISK」のようなものをいただいたが、私は何も差し上げるものがないので、昨日もらったターボライターを差し上げた。


今日の目的地は「根室」だ。概ね80㌔。まあ、のんびり行こう。ただ、天気が大丈夫かが気掛かりだ。

07:40 キャンプ場出発 上の写真は何の変哲もない橋だ。その下には名も知らない川が流れており、この橋はその川の最下流の橋なのだ。今のように海岸沿いの道を走っていると、当然の事だが渡る橋は大小を問わずその川の一番下流の橋となる。すぐ河口が見えている。いったいいくつの橋を渡った事だろうか。

R244は風蓮湖を避けるように内陸部へ湾曲していく。しばらく行くと奥行に出る。

09:50 奥行着 38㌔ 風速0㍍ 気温15度  実はこの奥行は最初の北海道行き(3年前)の時に通っている。その時はここを北上してきて、別海方向に向きを変えたのだ。本来は網走まで行ってそこから内陸部へ方向転換をする積りだったのだが少し腰が引けて早目に曲がりショートカットしたのだ。思い出しても不安だらけのツーリングだったなあ。

10:50 厚床着 49㌔ ここまでの10㌔はその時走ったコースだ。当時ここ厚床に差し掛かったとき、まだ、根室へ行こうか迷っていた。そして色々ひとりで理屈をつけて、R44からR244へ左折・北上したのを昨日のように思い出す。今日はそこを左折して東方の根室へ向かうのだが、ちょっとしたリベンジ気分ではある。

厚床で昼食をと考えていたが、交差点近くに2軒ある食堂はまだ開店前だった。GSで尋ねるとその内の一軒「ラ・ポール」が11時開店というので、しばらく店先で煙草を吸いながら待った。美人母娘が切盛りしている感じの良い店で、メニューに根室名物「エスカロップ」を見つけて即決定。バターライスにトンカツが乗りそこにデミグラスソースがかかっているというものだが、ここではバターの替わりにオリーブオイルを使っている。¥870は納得。開店まで待った甲斐があったというところだ



厚床から根室までは国道R44を35㌔ほど、東京、横浜間くらいのモノだ。普通なら2時間半で十分なところを3時間半以上かかってしまった。ひとつは途中の農場でトイレを借りた事が関係している。最初道端で農作業をしている人に拝借を頼んだところ、国道を挟んだ反対側にある家を勧められた。そこは立派な構えの家だった。待ったなしの状態だったので、いきなりお願いしたところ快く使わせていただき、コーヒーまでご馳走になってしまった。ありがとうございました。

もうひとつは中年オーストラリア人夫婦のツーリストとの出合いだ。根室方面から走ってきた夫妻は、こちらが挨拶の積りで手を振ると、わざわざ道を渡ってきて何かと話し掛けるのだ。私は過去何回か欧米人キャンプツーリングサイクリストと出合ったが、その度胸に感心したものだ。言葉が違う外国の慣れない道をよくも何日間もツーリングできるものだ。やっぱりこの人達には(概ねアングロサクソン)叶わない。さすが植民地経営をしてきただけの事はあると、変に納得してしまう。しかも、前の晩は根室の「ライダーズハウス」に泊ったという。よほど冒険心が強いか、神経が太いのだろう。奥さんの方は華奢な体つきなのに、基本はキャンピングだという。素晴らしい。これから道内一周だそうだ。

さらに道の駅「スワン44ねむろ」で、サドルの表面が剥げてきたのでテープを巻いて補強し、ついでにグローブのほころびも繕ったりした。

それより何より、根室の街がうねった丘の尾根上に伸びている事が最大の理由だ。根室まであと7㌔という表示を見てからホテルに着くまで、少なくとも6つは、数十㍍の丘を越えさせられた。疲れは増すし速度はガタ落ちになる。


この写真からその状態が多少は感じられるだろうか。

何はともあれJR根室本線の終着駅「根室」に行き、お決まりの写真を撮ってから(それにしてもうらぶれている)、すぐ近くに見えたホテルに投宿。


15:30 「ホテルニューねむろ」チェックイン しばらく休んでから町を散歩。突然犬のはなしです。北海道ではよく犬に吠えられる。普通に走っていても、だ。一回だけだが追いかけられた事すらある。何故かと考える。恐らく北海道は人口が少ないのでよそ者が滅多に通らないということなのではないか。ひょっとすると警戒より人懐かしさで吠えるのだろうか。そんな気がする。
下の写真の犬もよく吠えてくれた。始めは威勢が良かったが、こちらから脅してやると、スゴスゴと小屋へ引っ込んだ。


夕刻になって、マップルに「地元で大人気の回転寿司」と紹介されている「花まる」にて夕食。サンマ、おひょうなどのにぎり、花咲がにの鉄砲汁など量・質ともに堪能して¥2013。

セブンイレブンで煙草、電池、抹茶ラテ、明日の朝食用のおにぎりセットなどを買って帰る。

虫刺されの後遺症からか左足首の腫れがひどく、他にも刺された痕が爛れてきたので、明日は走りを休んで病院へ行く事にする。丁度良い中休みだ。

書き忘れたのだが、ここ根室では少なくとも午後3時と午前8時に昔のヒット歌謡曲「ここに幸あり」のメロディが流れる。♪嵐も吹けば風も吹く 女の道よ…、のアレです。何でも作曲者がこの町出身らしいのだが。この事実を知人に一斉メールしたところ各方面から「面白い」と言ってもらえた。

2010年8月27日金曜日

13日目 6月28日(月) 晴れ

尾岱沼(オタイトウ)・野付半島

コース : 野付半島→尾岱沼ふれあいキャンプ場
距離54㌔(道内707㌔) 時間3:09 平均17.2㎞/h
今日は遠足の日だ。知床横断という今回のツアーのハイライトが終り、重荷を降ろしたような気分になり、これからは道東の未踏破コースを楽しもうと思う。敢えて目標を言えば納沙布岬ということになるが、まあ、のんびりとできればキャンプもというところだ。今日はその手始めとして野付半島めぐりに出かけることにする。宿泊はここ標津から直接行けば10㌔ほどの尾岱沼ふれあいキャンプ場。                                                              

08:30 ホテル出発 おにぎりや蚊取り線香を買いにいったん市街地に戻りから野付半島に向かう。

この野付半島は砂州が十数㌔の長さで根室半島に伸びているもので、非常に面白い地形を形造っている。先端部分には「トドワラ」といってトド松が海水で立ち枯れした幻想的な景色を見せてくれるということだ。しかもそこへの往復37㌔が快適な道路だという。

09:40 ネイチャーセンター着 16㌔程行くとネーチャーセンターだ。途中の道はまさに極楽サイクリング。地図からの想像よりはるかに幅のある地峡で漁港では網の手入れの真っ最中。(写真上)

そこから「トドワラ」現場までは徒歩で20分程。車は入れず、営業馬車が通っている。人影は少ない。(写真中)トドワラは大した事はない。同様のものを普通に何回も見てきたし、謳い文句にある「幻想的」とは程遠い。パンフにある写真家の腕がよほど良かったとみえる。それでも往復の散歩道はまた格別だった。戻ってから、この先行けるところまで自転車で行ってみようと走ってみたが3㌔程で灯台があり、そこからはとても走る気になれない程度のダート道となり引き換えした。              

センターに戻り、「くなしり定食」の昼食をとって外に出ると、1台の自転車が走りこんできたのでその主としばらく話し込む。彼は自転車旅行者ではなく、車に積んでの旅行で、ここぞという所で自転車を下ろして走るんだそうだ。そういうのもアリですな。

そこへ「GIANTグレートジャーニー」でフル装備という見るからにキャンプツーリングという若者がやってきた。これまで自転車旅行者と出会っていなかったのが不思議なくらいなので、つい、話し込んでしまった。楽しいひと時。例によって情報交換をして別れた。

来た道を戻り、再び国道R335に出て、ものの数㌔で今日の宿泊地「尾岱沼ふれあいキャンプ場」に到着。(帰り道、道端で見かけた小鹿:写真下。)

14:15 キャンプ場着


ゴミ処理代込みで1泊¥740と比較的高い利用料だが、環境、設備からみて文句はない。広いサイトを見て周り設営終了後には、コインランドリーで溜まった汚れものを洗濯し、近くの町にトマトなどのおかずの買出しに出かける。そこではターボライターも買おうとしたのだが商品がなく、替わりに「景品の残りだ」と言って二つもらってしまった。ありがたい。

戻ってみると、隣のテントのライダーさんから「そこで買ってきたから」と花咲ガニと北海しまエビの茹でたのをいただいた。今夜の夕食は豪華版だった。

2010年8月26日木曜日

12日目 6月27日(日) 晴れ

ハイライト!知床峠越え

距離83㌔(道内653㌔) 時間6:14 平均13.3㎞/h
 
04:00 起床 昨晩少しばかり緊張した。夜半テントのすぐ外で物音が聞こえ、それは何か大型の動物が歩いている気配を感じさせるのだ。とっさに、いつも寝る時枕元に置いてある大型のナイフを手にとり、ブレードを起こし、息を潜め耳を澄ませた。恐らく鹿だろうと思いながらも熊だったらどうしよう、こんなテントはひとたまりもないな、もっと刃渡りの大きいナイフを持って来るんだったなどと気を揉んでいるうちに、それは遠ざかった。怖さから外に顔を出して正体を確かめる事さえ出来なかった。
 
それでも、その後は熟睡できた。
実は当初の予定では、ここ知床で連泊して、観光船で岬の先端まで行こうかとか、知床五湖を巡ろうかといろいろなプランを考えていたのだが、何故か急にその意欲がなくなってきた。時間は十分にあるのだが、何かに追い立てられているような気分なのだ。それだけ738㍍の峠越えを早く済ませたかったという事だろうか。                                
                           
05:30 キャンプ場出発                                                     
いったん宇登呂の街まで下り、国道R334に戻り峠を目指すと、いきなりかなりの登りが始まる。5㌔程で「知床自然センター」が見えてくる。半島横断道路は実質ここから始まる。また、ここから知床五湖やカムイワッカの湯へのツアーが出るのだが、横目で見ながら横断にかかる。上の写真は途中のプユニ岬付近から宇登呂の街を見下ろしたもの。もう相当登ってきている。センターから峠までは11㌔だ。


密かに全行程漕ぎ上がろうとは思っていたが、最後の2㌔くらいで断念した。道はよく整備されているし、車の通りも少ない。野生の親子鹿には出会えたし、おまけに残雪まで見られたのだから環境としては申し分ない。それに上天気だ。しかし最後の最後になって、目の前に数百㍍上まで道がウネウネと上がって行く様を見上げた時、体力と気力が尽きてしまったようだ。
09:00 知床峠着 16.7㌔ 峠の駐車場には3台の観光バスが停まっていたが10分程度で全て出て行ったしまい、少しの間だが峠を独り占めした。写真の山が羅臼岳だ。汗がとめどなく滴り落ちて止まらず、出発時に買ったアクエリアスも底をついた。(もちろん普通の水は別途2㍑所持)最後は歩いたにせよ、観光客からは感嘆の目で見られ、それなりに達成感に浸りながら雄大な景色を満喫する。これからは根室海峡側の羅臼へ向かってのお約束の快適ダウンヒルが待っている。ここで、今回北海道で唯一回だけだったヘルメットを被る。
09:30 峠出発 羅臼までアッという間だった。登りの辛さの反動のように殆んどノーブレーキで九十九折の下りを楽しんだ。この時の最高速度が56㎞/hだった。本当なら途中の景色などを堪能しながら下れば良いものを、とも思うのだが、そこには自転車乗りの悲しい性が存在するのだ。下りではなるべくブレーキをかけたくないのだ。せっかく足で稼いで貯め込んだ「位置のエネルギー」は全て「速度」に変換したいのだ。それを減速というブレーキ摩擦や熱エネルギーなどと換えたくないのだ。結局50㎞/h近い速度になり、前方の道路上に神経を集中する余り、全体の風景の記憶があいまいになるのだ。だからいまでも耳元を過ぎる風のサーという音の印象は残っていても、景色のそれは殆んど残っていない。
                                                 
10:15 羅臼着 34.3㌔ 到着後最初にしたことは、自販機の500ccミルクティの一気飲み。羅臼は宇登呂ほどは賑っていない。知床への裏口という地位のようだ。天候さえ良ければ、この辺りからは国後島が直ぐそばに見えるそうだが、生憎と雲が低くなっており、殆んどそれと区別がつかない。
                                            
街の食堂でラーメンと昆布を巻いたおにぎりの昼食をいただき、本日の宿泊地を50㌔程先の標津(シベツ)に決める。
           
11:30 羅臼出発 難関をクリヤした安堵感から、残りは「おまけ」のような感じになり、のんびりと進む。国道R335を根室海峡を左に見ながら南下する。道は走りやすいが相変らず国後島は見えない。
                                                         
15:00 標津市街地着 80㌔くらい 街には着いたが、なかなか宿泊先が決まらない。予約というものをしない方が悪いのかもしれないが、こういう事態には慣れている。道すがらの看板で名前を見かけた旅館は対応が悪くこちらからお断り、二軒目声をかけても人が出てこない、結局街外れまで来てしまい、マップルにも出ている「国民宿舎ホテル楠」に投宿。私の感覚では料金高目(¥8800)だが、料理が抜群に美味しかったので何とか納得。だが、ここも室内禁煙。 
                                        
虫刺されの後遺症だろうか、左足首が異様に腫れてきている。悪化しなければ良いのだが…。

2010年8月25日水曜日

第11日目 6月26日(土) 晴れ

  いよいよ知床だあ!
















コース   呼人浦 → 網走 → 原生花園 → 斜里 → 宇登呂

距離 85㌔(道内合計 570㌔)  時間 5:07  平均 16.6㎞/h
                              














04:00 起床
早朝の気持ちの良い網走湖畔を散策。昨夜はよく眠れたし実に爽快。
夜の内に到着したライ
ダーさんが、もう朝食の準備をしている。私はのんびりとコーヒーを飲み、パンとスープの朝食をいただく。ここには蚊やブヨなどの虫が殆んどいないので、それだけでも嬉しい。

今日の目的地は、知床半島のオホーツク側の中頃にある宇登呂(ウトロ)。約90㌔だ。この3日間余り走っていなかったので気合をいれて出発する。

06:30 キャンプ場出発

網走への途中、ローソンで煙草(常に最低でもひと箱はスペアーを持つようにしていた)、おにぎり、アクエリアス等を補充する。

網走には監獄博物館や流氷館などの観光名所が色々あるのだが殆んど興味がなく、ただ、駅前でお決まりの記念写真を撮っただけ。砕氷観光船のオーロラ号のターミナルを過ぎ、道の駅で小休止をしただけで、JR釧網線沿いの国道R244(斜里国道)を「小清水原生花園」目指して進む。天気は快晴。

















北浜を過ぎ
ると、道は涛沸湖とオホーツク海に挟まれた細い洲の上を、ほぼ一直線に走る。ここを6㌔程行くと、夏場だけ営業する臨時駅「浜小清水」があり、その少し先に小清水原生花園がある。

08:15 原生花園到着 23㌔

















さすがに道内でも有数の観光名所だけあって、観光バスも多数来ている。見物客も多い。そんな中に混じって展望台までは行ってみたが、花の見頃には未だ早いようだ。元々花を愛でる心が少ない私は、隣接する道の駅で牛乳を飲んだり、ソフトクリームうを食べたりして十分休養できたので満足する。

原生花園から国道R244はしばらく斜里の先まで内陸部を走る。私はなるべく海側を走りたく、鉄道に沿った道道を選び行けるところまで行く事にする。結局止別(ヤムベツ)の郵便局で現金を下ろし、その少し先で国道へ戻った。一路斜里の町を目指し、少し早いがそこで昼食をとる。
















10:00 斜里着 46㌔

ここまでの平均速度は19㎞/hだった。これは私にすればかなりのモノで、おかげでゆっくりと時間を気にせずに休憩をとることができた。実に「休憩」が多いツーリングだと自分でも感心する。
例によって、このレストランでも帰りがけに氷をもらいサーモスに詰め込んだ。ありがたい事だ。(上はあいのり幕の内 ¥990)

11時に出発して14時には宇登呂の街に着いてしまった。途中、向かい風に悩まされたし、若干登りにもなるのだが、好天がそれを補って左程苦にはならないから不思議だ。ただ、「ああこれで知床へ来たんだ」と感じるという「オシンコシン滝」が、落石事故があったとかで閉鎖中で近寄れなかったのが残念ではある。

宇登呂の街は思っていたより大きい。知床の観光ベースとして賑っている。とてもそこからは「原始の知床」を窺い知る事は出来ない。今夜お世話になる「国設知床野営場」は街から激坂を登った温泉街の外れにある。広々としたサイトが広がり、野生の鹿が出没し、その外れの「夕陽台」からは宇登呂の街が一望できる。
















14:50 キャンプ場着

受付を済ませ(¥350支払い)設営を済ませると(サイトが広いので反ってテントを張る場所に迷った)、歩いて数分の「夕陽台の湯」という公共の風呂屋に行って汗を流した。ここは
一般が500円(町民は300円)で眺めの良い露天風呂まであるなかなかの施設だ。公的資金が投入されているようで、このような施設が道内至る所にある。

















上り後、温泉街にある飲み屋兼食堂で夕食。お勧めの「そい」の煮物は美味だった。(定食で¥1000) やはりなんと言っても旅行の楽しみのかなりの部分は「食」にある。

















18時半時頃、日没時間を見計らって店を出て、キャンプ場内の「夕陽台」に来てみると、温泉街から繰り出した人で溢れていた。ここは知床で数少ない名所らしい。上の写真はそれらが引き上げた後の夕景。残り物には福がある。かなり良い写真が撮れた。

その後は、明日の峠越えに想いを馳せながらテントにもぐり就寝。
                                                                                                 

2010年8月21日土曜日

ホームページ作製復活

先月後半から、今回の北海道行きの記録を、ほぼ一日一ページのペースでホームページにアップしていたのだが、月末近くになってに、何故かサーバーに転送できなくなってしまった。

設定をいろいろといじってみたのだが復旧しない。そんなこんなで2日くらいが過ぎてしまった。その内に町会行事の盆踊りが始まり、気分的に落ち着かなくなり、更に義母が上京し(実際はそれでどうという事はまるで無いのだが)何やかやでひと月も過ぎてしまった。

さりとて、取り掛かろうというモチベーションが中々湧かず、と言ってもいつまでも放置しておく訳にもいかず、遂に昨日、製作ソフトの再インストールからやり直したのだがやっぱりダメ。切羽詰ってプロバイダーのサポセンに電話を掛けて助けを求めた。いろいろ試した揚句やっとの事で「サイトの容量オーバー」という事が判明した。まるで考えが及ばなかった事態だ。100MBが限度だそうで、それ以上の契約は出来ないとの事。困った。

解決策はサーバーからファイルを落すか、一部のファイルを別のサイトに移してリンクを貼る…、の二つだ。私の場合は前者しか選択肢がない。

さて、と言うわけでどれを落すかを決めなければならなくなった。まず、写真集を落とした。これはブログのスライドショーで見られるので問題が少ない。ただ、これだけではいくらも減らないのだ。止むを得ずブログを始める前の「日記」を落としたのだが、キッチリとサイズ計算をしたわけではないので、旅行全てがアップできるか不安が残っている。

という訳で、今日から又、製作・アップを始めた。