先月15日、自転車にて転倒し、相当のダメージを受けてしまいましたが、左手の平と右脇腹の痛みは約5週間ほどで、殆ど感じない程度に治まりました。そもそも日常生活に支障をきたす程ではなかったのですし、骨に異常がない事はレントゲン結果や自分の感覚でも分かっていたのですが、なかなか痛みが引かないのが気にはなっていました。
やはり歳のせいなのでしょうか、【回復が遅い】を実感しました。
11月15日(火)夕方、本妻号でリハビリサイクリングの帰り途、もうすぐ自宅という所、セブンイレブンの前の横断歩道での事です。
赤信号で向こうへの渡りを待っており、青に代わったところで渡ろうとしました。渡ったところでUターン気味に右折して10㍍程戻り、今度は左折して自宅前の路地に入るというコースです。
子連れの若いお母さんが渡るのを先に行かせて、その後から 渡り始めたのですが、その2人が気になったのか、余りスピードが出ていないときに右にハンドルを切ったせいかバランスを崩し右側にステーンと倒れてしまいました。バス通りの真ん中でした。余りの痛さにしばらく立ち上がれずにいたところ、どこから来たのかわからない(横断歩道を渡ろとしていた人か、停車中の車から降りてくれたのか)若い男に抱きかかえられ向こう側に連れられ、自転車も運んでくれました。若いお母さんも「大丈夫ですか」としばらく立ち止まって見守ってくれました。その間、信号は変わっていなかったのか車も両車線とも停止していました。
(多分)ものの1分くらいうずくまっている内に何とかなりそうな気がして皆さんに「大丈夫です。ありがとうございました。」とお礼を言って立ち上がることができました。痛みはあるものの感覚的に骨折などの大事には至っていないなとは感じていました。また、頭は打ってはいません。
そこから100㍍程の自宅には自力で漕いで戻れました。車体にも大きなダメージはありませんでした。右に倒れるとバックミラーが破損するのですが、それすら無事でした。
家に帰ってズボンを脱いで調べると右脚の脛に壮大なやつと中小の擦過傷があり、血まみれで、見た目は大怪我のようでした。左にも少々の個所がありましたが、所詮擦過傷ですから特に治療はせず水洗いのうえ、消毒薬(無色の赤チン?)を塗布しておきました。
それで時間が経てば何という事もなくなるだろうと思っていたところ、左手の平、親指の付け根辺りの痛みが全然引きません。18日位から甲から手首にかけてかなりの内出血と思われる変色が出てきました。
痛みは相変わらずです。特に左手を突いたりするとズシンと響くのです。親指は普通に動かせるので、ひょっとしたらヒビでも入ったかなと感じつつ今日(22日)に至り、近くの外科に行ってきました。レントゲン写真を5枚ほど撮って調べてもらったのですが、明らかな所見はありませんでした。長い付き合いのその女医さんは「どうします、湿布薬でも出しましょうか?」と言う程度の事なので、「どうせすぐ剝がれちゃうし、鎮痛剤という程でもないので」と言って様子を見る事にして(特に何もしない)帰ってきました。
歳はとりたくないものです。転倒もそうですが、直りが遅いのも困ったことです。
これで多分最後です。
昨晩寝ながら、フト思いついてしまいました。
前回の写真でも分かる通り、リアのサイドバッグがいかにもチンチクリンなのですね。そしてそれ程容量もない 。(もちろん、それでも一向にかまわないし、その気なら昔キャンピングの際に着けたリアバッグだって健在です。)
写真のバッグを再利用できないかというアイディアが睡眠に入る寸前にひらめいたのです。これはもう10年近く仕事に使っていた物で、ターポリン素材でちゃんとしたメーカー製でまだまだ使えるのですが、最近めっきり出番がなく、お蔵入りしていました。思い入れのあるショルダーバッグではあります。
こんなふうに上に2か所紐をつけ、下にマジックテープを取り付けました。
リアキャリアに取付けて、こんな風になりました。結構恰好いい。常時着けっ放しにする積りです。ショルダーベルトは残してバッグ内に畳み込んであるのが難点ですが、カットする決断ができませんでした。簡単な作業でしたので昨日中に出来上がっていました。
しかし、今日は全く違う工作に1日中取り組んだ関係でサイクリングはできませんでした。明日はそこそこの天気なようなのでチョイ乗りには出かけたいものです。
やっぱり出かけました。2日続けての遠乗りです。30㌔程走りました。
ダウンのベストと毛糸帽で出掛けたのですが、途中で脱いでしまったほどの暑さでした。一応の目的地は10㌔程の娘の家としましたが、別に事前連絡もしていなかったのですが、近くから電話をしてみると案の定、4人とも留守でした。
裏庭の濡れ縁で暫し休息をさせてもらい、亡くなった母がお世話になった老人施設に向かいました。
今日は朝からの余りの天気の良さにつられて40㌔を走ってきました。
行く先はベイサイドマリーナ。そちらの船の上でマックのビッグマックでランチという計画がすぐにでき上がり10時の出発。
実は先日オーナーのS氏からメールがあり、先のレースの結果「飛び賞」となって、その賞品が船内にあるのでいつでも引き取りに来てくださいという事なので、それもこの際実行しようと考えたわけです。
もちろん「本妻号」使用です。これでベイサイドに行くのは何年振りだか想い出せない程昔の感があります。やはり「愛人一号」よりはスピードがでますね。
予定通り昼を挟んで「AKATSUKI」船上にてまったりと過ごし、帰途はのんびり走って3時頃帰宅。
こんなスタイルで出掛けました。前籠は外し、バッグが3つ着いています。前籠を外したのに伴ってライトを付け替えようと色々やったところうまくゆかず、結局ダイナモライトを新しく購入(2000円位)して、苦労の末何とか取付けたのが上の写真です。永らくカバーをかけてお蔵入りしていた「本妻号」をこの4・5日かけて再整備しました。一応今日の午前中に終了したので、好天の午後30㌔程鶴見川コースを走ってきました。
色々と思うところがあり再整備したのですが、やっぱり本妻に戻ってくるという事なのでしょうか。(以下の写真はクリックしますと拡大されます。)
15日(土)、久しぶりのレースに出場してきました。「第25回YBMオープンヨットレース」 です。このレースは横浜ベイサイドマリーナ(YBM)主催の年に一度のかなり大掛かりなもので、我々「AKATSUKI」チームはオーナーS氏を中心に過去6回程参加してきたものです。
その都度メンバーを募ってのチームです。もともとがレースを目指す艇ではなくファミリーユース目的なので「勝つ」のが目的ではなく、ある程度レースの緊張とスリルを味わって、ヨットの奥深さを感じたいというオーナーと私の考えから参加を始めたのが6年前でした。しかしオーナーと私だけではレース操作に不安があり、経験のある若い乗員に頼ってきました。最近では息子やそのジュニアヨットクラブ時代の同級生やそのクラブ関係者が乗ってくれるようになりました。今回は、息子は不参加でしたがその同級生3人(といっても中年おじさん)と元クラブコーチの計4人が集まってくれて計6人のメンバーでのぞみました。
今回のための練習はたった一回でしたが、若い頃躰で覚えた技術や感覚はすぐに取り戻せるようで、当日は全てこの息の合った4人にお任せで、S氏と私は専らバラストと観戦者でした。とは言いながら、「そろそろタックした方がいいんじゃない」とか「フィニッシュラインの何処を狙っていくんだ」などと余計な発言を結構したような気がしますが「次のブローを待ってからタックします」など打てば響く反応があり、楽しい限りです。老ヨット乗りの理想かもしれません。
幸い天気にも恵まれ楽しい一日を過ごす事ができました。成績は「今いち」といったところでしたが久しぶりの海を存分に楽しみました。
8/11~8/14の日程で娘家族(娘夫婦と中2、小4の男子)と自分達老夫婦計6名で「しまなみ海道」弾丸ツアーに行ってきました。無事全員戻れたのが何よりの事でした。
詳しい旅程等は後にしますが、使った交通機関だけでも、航空機、新幹線、在来線、タクシー、レンタカー、渡船(フェリー)、リフト、自転車という具合で、こんな旅行は今までしたことがありません。スケジュールや諸手配は一切娘達に任せました。実は旅行中に孫のイベントの関係で一日早く帰らなければならなくなり、急遽一泊減の調整をして、それでも何とかまとめ上げて、概ねの目的達成ができたのは大したものです。娘夫婦の企画能力は素晴らしく、それも殆どスマホとタブレットで処理をしていたようです。
私達に「パパたちはどうする?」と聞かれても「一緒に動きます、同行させてください。」と答えるのみで、「おんぶにだっこ」状態でした。
(一日目)
早朝、前日から泊まっていた息子親子に羽田空港まで送ってもらう。そこで娘と孫A(中2)と落ち合う。搭乗券の予約購入一切を任せてあるので会えてホッとする。
セキュリティーチェックでこの自転車用マルチツールが引っ掛かりました。たまたまこの中に4㌢程のブレードがあるのがダメなのだそうです。別送させられました。
松山空港から道後温泉近くのホテルへタクシー行、荷物を預け、昼食、松山城・坂の上ミュージアムなどを見学。
夜遅く娘の旦那マーくん、孫B(小4)が到着。
(二日目)
朝食後タクシーにてJR松山駅に移動、今治まで鉄道移動。
駅前のサイクリングターミナルでレンタサイクルを借りる。当初は自前の愛人一号を輪行する事を考えていたのですが、細かい移動が多いので涙を飲んで断念しました。マアマアのGIANTのクロスが借りられ、そこに以前改装したフロントバッグを着けて準備完了。その間にマー君はレンタカーを借り、孫ABは事前に送った自車を組み立てて、駅前に全員集合。
先日破損してしまったサイコンの後継を取り付けました。
ワイアレスで格安で機能はそこそこ、という観点から選んだのですが輸入品という事で到着まで3週間かかりました。
昨日1年経過後検査の結果を聞きにいつもの総合病院に行ってきました。
「外科」と「腫瘍内科」の両診療科で検査結果、データ診断の結果を聞いたのですが、「当面再発、転移の様子はなく、これで予後の措置は終了します」との事でした。腫瘍内科の女医さんに「これで先生ともお別れですか」と言うと「そうね、その方がいいのよ」と言われました。
別に心配をしていたわけではないものの、ホッとしたのも事実です。取敢えず「胃がん」卒業です。それでも年に何回かは外科には行きますし、「内分泌内科」(糖尿病)はしばらく観察が続きます。 それにしても日常が戻ってきたことが体感できたのはありがたい事です。
それでという事で、何か卒業記念の物を買おう(これはかなり飛躍があるのですが)と思いました。どこかへ大口の寄付をする気など毛頭なく、あと10年くらい使えて楽しめるものを考えたのですが腕時計とか自転車くらいしか思い浮かびません。
そうしたところ家人が、SONYのアイボ犬はどうだと言い出したのです。少し前の新聞のエッセイ欄にアイボを買った老夫婦の投稿がきっかけなのですが、私も面白いと思い色々と調べましたが、何かと制約があったり面倒くさい事がわかりました。また、そこが可愛いのでしょうが、何ともまだ、結論が出ません。
私はかなり及び腰です。
久しぶりの海でした。
来週の姉招待クルージングに備え、試運転航海のお誘いを受けてのクルージングでした。オーナーのSさんスキッパーの元、ご学友のケルト文学の権威Tさんも同行していただけました。(下の写真はTさん撮影です)。午前11時出航、陸上では耐えがたい気温なのですが、海上では3~4㍍の風があり心配されたエンジンは快調で、そこそこ快適なセーリングで大満足の3時間でした。
昨日の事です。
翌日の町内会の組長会準備のためにクラブへ行く途中の事です。出発前からサイコンの調子が悪かったのですがとにかく走り始めました。走り始めたものの不調は治らず、走りながらボタン操作をしたところ、取りつけ部分の爪が甘かったせいで、向こう側へ押し出す格好になってしまいスポンと外れた拍子に道路へ飛び出してしまいました。
直ぐに停まって回収しようとしたのですが車の往来が止まらず機会をうかがっていたところ、折悪しく大型トラックの餌食になり無残にもつぶされてしまいました。
物自体は安価なもので、諦めがついて帰宅後AMAZONで後継機を発注はしました。
その時、過去の走行距離の積算値を継承して、そこに入力するためのデータがない事に気付いてしまいました。凡その数値でも何とかならないかと、このブログをググッたところ以下の事が判明しました。
①この電動車は2020年7/10(丁度2年前)納車。
②同年10/28にはすでにサイコンを取り付けている
③同年12/31の項で推定650㌔走っている。
④2021年1/31の項で402㌔表示となっていた。
さて、ここからが思案です。昨年5月の手術までは真面目に乗っておりその間の平均のひと月の走行距離は150㌔、体が相当戻ってきて普通に乗り始めたのが昨年の9月くらい。しかし、今年に入ってからは訓練のために愛人1号を多用しており電動はあまり乗っていない。などを考慮して電動車の月の平均走行距離を100㌔として、積算値を100㌔×21カ月=2,100㌔とする事にしました。
来週には代替サイコンが届きますので早速設定の上取り付けようと思っています。
昨日の事です。9時からの グランドゴルフの練習会からの帰宅後、昼飯前に床屋に行こうと考えていました。ラウンド中にホールインワンをだして気分良く帰宅したのですが、もう既に外気温は30℃オーバーで「年寄りはこんな時には外出などもってのほか」と考え直し一旦は床屋を諦めました。
抗がん剤治療の影響で一時は完全脱毛のツルツルになった頭髪も、ある時から生え始め(順調な回復という事でしょうか)今ではむさ苦しく感じられるようになっていました。今まで何回かは家人にハサミで短く切ってはもらっていたのですが限界になってきました。
家人は「なんか後ろの方の毛がモワモワしてカッコ悪いのよね」などと言うのでそれに乗じて、「わかった。そこまで言うなら思い切って丸坊主にしてくれ。失敗しても決して文句は言わないし、自分には見えないので気にしないので。」とか言って我が家の子供に使ったバリカン(家人は毛の長さ調整がダメになっていると言い腰が引けてはいましたが、検分したところ調整アダプターは正常でした)で6ミリにセットして全体をカットしてもらいました。はじめは恐る恐るやっていたのですが、しばらくすると自信ができたのでしょうか、スイスイとやってもらいました。30分くらいかかったでしょうか。
出来上がりが上の写真です。本人も会心の出来と満足だったらしく写真を撮りました。もちろん私も納得です。このところ腹の具合が落ち着いているので、今日は10時20分発で、亡くなった母がお世話になったセンター北にある老人施設を目標に走りました。
古巣のスポーツ会館の近くで鶴見川を渡り、IKEAを過ぎ新栄高校の坂を上り、わざわざ勝田団地の坂も上り8㌔程で着きました。
本妻号を買ったばかりで、しかも自分も若かった?のか毎週のように通ったものです。と言っても当初は一緒に食事をしたり、色々と話をして過ごしたのですが、だんだんと認知症が進んで来て話も通じなくなってくると、母の顔を見ればそれで十分な気がして殆どの場合は滞在10分なんて言うのが多くなりました。
8月26日(土)
11時半に、今日は氷のペットボトル麦茶を忘れずにホールダーに入れて、母の居る「茅ヶ崎老健」に行く。小机駅の手前を日産スタジアム方面に右に曲がるルートをとる。これだと新横浜駅付近のぐちゃぐちゃして走りにくいところを避けられる。ちょうどスタジアムを過ぎた所で従来のルートと合流する。真面目に走るとどのくらいのタイムが出るかを試そうと思っていたのでかなり無理をして真面目に漕ぐ。途中信号ストップの際にお茶を飲んだだけ。
「老健」まで9㎞を25分で着いた。平均時速21.5㎞は悪くない。
汗でびっしょりになったので入口で着替えてお茶を飲み煙草を吸い一息入れてから中に入る。小学生の八木節とお囃子+獅子舞を見てから無料のお菓子・食べモノ・飲み物などをもらうが、結局ほとんど私が食べる。一度外に連れ出し自転車を見せたら「高かったんだろう?」ともっともらしい事を言う。このところ、かなりまとも。只、「公代(注:母の妹、今は故人だが、当時まだ元気だった)にも乗せてやっておくれ。」という発言は意味不明。やっぱりおかしいのだ。 4時近くに出発。違うコースで帰るが20㎞には足り ないので六角橋プールに寄って一休みしてから帰宅。 (夜はまた植田に誘われて六角橋で飲む) ここまではおおむね1日20㎞のペースを達成できている。この調子だ。 本日走行距離合計20.82㎞ 累計120.6㎞ |
久しぶりに港の赤レンガ倉庫街までのポタリングです。往復14㌔です。
多分半年ぶりではないでしょうか。10年前の遊び場所(釣り場)、インターコンチネンタルホテルの前の大岡川河口も通ってきました。そう言えば当時の仲間だった爺さん達はどうしているのだろう、釣れなくなったせいか、釣り場には人影もなく寂しい限りです。その頃は毎日のように通ったものです。常連の仲間達の何人かは亡くなったと、風のうわさで聞いたような気がするのですが…。ひょっとすると私もそんな風に言われているのかも知れない。
平日の午後ですが観光客と思しき人はかなりのものでした。赤レンガ倉庫自体は改装・休館でしたが、広場では何かのイベント準備でしょうか、数十張のテントが置かれていて作業員が忙しく働いていました。相当リキの入ったイベントと見受けました。
大桟橋には「飛鳥Ⅱ」が停泊していました。次の航海は何処行きなのでしょうか。
5月8日(日、母の日、家人誕生日)、午前中は恒例のNHK将棋トーナメントを観て午後気持ちの良い天候だったのでチョイ乗りに出かけました。もちろん愛人1号です。本当は新設の荷台に数㎏のバッグを積んで走ってみたかったのですが、括り用のショックコードをサドルバッグに入れただけでした。
古巣の小机スポーツ会館の前を過ぎ、Uターン気味に鶴見川土手に出て日産スタジアムで一息。
スタジアムには鯉のぼりがたくさん泳いでいました。今日でGWも終わりです。確か前日の土曜日、小学生サッカー大会がスタジアムで催されたというスポーツニュースがあり、鹿島の下部が優勝していました。圧倒的に上手。マリノスの下部は準決勝敗退。何人かのスーパープレイが紹介されていましたが、皆達者なものです。親御さんの熱狂ぶりにも驚きました。またもやりました。構想・設計一週間、製作・後始末に三日の大事業でした。
実はこのリアキャリアは4年前の北海道旅行前後から色々と試行錯誤を繰り返し、未解決となっていたのです。当初は廃車から取り外した物の再利用、手持ちの物の再活用など「再」にこだわっていました。数年前のブログにその顛末は書きました。
輪行・折り畳みを想定した時、邪魔になってはいけない、シートポストを下げたときそれが地面に届いて欲しい、荷物を積むのにある程度は幅と強度が必要、軽量にしたいなどいろいろな条件があって、旅行が具体的になったら考えようと保留しておいたのです。
別に旅行が具体化されたわけでも、必要に迫られたわけどもないのですが、ある夜ベッドに入って寝付くまでの間に「全て自作で完璧なモノができないか」とうっすらと青写真が浮かんできたのです。
翌日からその具体化に挑みました。材料はアルミの幅2㌢、厚さ1.5㍉の細長い板。これは過去にも使った事があり、手持ちの工具で切断、折り曲げ、穴あけができ、軽量でそこそこの強度もあるので他の選択肢はありません。しかも80㌢と50㌢くらいの部材が手元に残っていたので勿論使う予定です。
構造は市販製品を参考にしました。只実寸を出すのには相当苦労しました。荷台は水平が必要だしステーの長さで荷台の高さが変わってくるし、車体の取付穴とどう連結するかなど解決する課題がたくさんありました。
ある程度設計が固まった段階で総計を計算してみると手持ちの部材では足りず、結局、新たに2㍍を近くのホームセンターで買ってきました。この時ついでに柄付の平ヤスリも買って合計約千円のかかり、今回の出費はこれだけです。
結論から言うと、相当余るだろうと目論見は見事に外れほぼ全部使い切りました。部材を全部切り出し終わると(合計12本)、今度は連結方法です。溶接の技術はないので、ドリルで穴をあけビス留めするか、ブラインドリベットでかしめるかの二択で考えましたが、分解するときの容易さからビス留めにしました。
一旦組み上げてみたところ想定より積載面の高さが2㌢程高くなり気に入らないので分解して、ステーを4本2㌢程切りました。それにつれて車体との連結部材も作り直しです。何とか出来上がって取り付けたところが下の写真です。これ以上手は加えず、これが完成形です。