2011年10月22日土曜日

2011ツーリング 23日目(9/09)

昨晩は重要な作戦会議だった。「ツーリングマップル」と携帯ソフト「NAVITIME」で距離とコース(ルートや地形)を比べ残りの日数、自分の脚力、予想疲労度などを考え合わせながら、今後のスケジュールを最終的に決めなければならないのだ。
とにかく12日の新門司発の限界最終日まであと4日だ。余裕をみて3日とする。当初の予定通り、このまま萩、長門をめぐりグルーっと中国半島を回って下関・門司を目指しても200㌔程度、脚弱の私でも3日あれば何とかなるだろう。しかし「NAVITIME」で調べるとそのアップダウンは相当のものになり、それがほぼ全コース続くようだ。それでも、始の志からいっても、多分、こちらを選ぶのが正解なのだろうが(今・10/24ではそう思う)、登りのきつさを考えただけで敬遠してしまった。
さりとて、瀬戸内へ出るには、どのみち中国山脈を越えなければならないのだ。そこで、距離的にはそれ程得をするわけではないが、から 山口秋吉台付近を経由して行くことにした。まずは60㌔程のを目指す。

5:50 ホテル出発 昨晩までは本日のコースに、例のNAVITIME情報から、内陸を走る県道14号線を想定していたのだが、上のホテルの主によると「萩へのルートとしてあり得ない」との事で、海岸沿い・JR沿いの国道131号線を選んだ。

6:25 5㌔ 持石海水浴場付近の朝焼け7:00 15㌔ 人形トンネル(960㍍)を抜ける

7:22 17㌔  山口県に入る

8:00 26.5㌔ 須佐


8:44 31㌔ 大刈トンネル(1421㍍)を抜ける 長くて怖い 


今日に始まったことではないが、コース上には長短たくさんのトンネルが存在する。何度も書いたが、私はトンネルが嫌いだ。いや、怖い。できる事なら、そしてそれ程の登りが伴わなければ、迂回路を行くことがある。


9:00 34㌔ そんな迂回路のひとつ そして意外な絶景があったりする。トンネルはこんな景色を通行者から奪ってもいるのだ。ここで稲荷寿司の第二の朝食。
10:00 44㌔ サエガ峠


10:25 47㌔ 道の駅 阿武町  なんでもここが「道の駅」第一号だそうだ。


12:00 63㌔ 萩市街


萩は今回のツーリングでの「行きたい所」のひとつだった。何といっても長州藩の城下町として、明治維新の志士達ゆかりの地なのだ。それなのに、まず始めに駅の観光案内所に行ってしまったのが間違いだった。いや、それは正しいのだが、そこで得た情報が、根本的な判断を誤らせたのだ。


もちろん萩の観光案内パンフももらったが、更にお願いして下の写真の折りたたみを広げると、裏が山口県の地図になる便利でありがたいパンフもいただいた。それを見ながら、係のおねえさんと色々と話していく内に、どうも「観光などしている場合ではない」という気持ちになってきたのだ。


おかしな事なのだが、北海道の知床半島でも同じような事があった。まる一日を知床観光に充てようと思っていたのに、先に控えている「峠越え」にせかされるように、同所には一泊しただけで通り過ぎてしまったのだ。ヒトって本当に進歩しないね。自分には学習能力が乏しいのだろう。


とにかく萩から半島縦断で南下を始めたら、ルート上に山口まで宿泊場所はないという事実が重くのしかかってきた。しかもいくつもの峠を越えていかなければならないところだ。と言うことで、一刻も早く出かけようと考えてしまったようだ。また、今日中に越えておけば、明日からが楽になるという事もあった。


しかし、これは明らかに間違った判断だったと思う。そもそも、「萩をゆっくり観たい」を優先させて、そのためにはどうするかを考えるべきだった。今回は「中国山脈越え」という重さに負けていたのだ。さらにさかのぼれば、脚の弱さ、峠道に対する劣等感が原因だ。


正解は、これからの半日を萩観光に充て、今夜は萩泊。そして、明日瀬戸内まで出て、なるべく下関まで近づいておく。そして明後日、新門司よりフェリー…、これで計画通り一日の余裕をもったプランになったのだ。


そんな反省はさておき下のパンフはありがたかった。裏面を折りたたんで必要箇所が見えるようにして、ケースに入れ常時見えるようにして使った。駅前の食堂で昼食。ありがたいことに、店主と客が一緒になって相談にのってくれて最適ルートを探ってくれた。結論は、下関を目指すのなら、山口ではなく小郡に出た方が良いだろう言われ、確かにその通りなので、ありがたく従う事とした。地元のヒトは小郡というが、駅名では「新山口」となる。新山口の方が十数キロ西になっている。ここでも氷をいただいて


13:00 出発 結局萩では何ら観光はせず、街中の街道を抜けただけだった。町外れの川を渡ると、途端に登りが待っていた。


14:15 72.4㌔ 想定のコースと新コースとの分岐点 上の部分図を見ていただくと分かるが、いくつもの峠を越えた。概ね200㍍~250㍍。下の写真の雲雀峠では 14:30-15:00 2㌔殆ど歩いている。この峠で78㌔地点だ。だが道は良い。
16:00 89㌔ 呑水峠    16:40 96㌔ 才ケ峠   17:10 101㌔ 二本木峠


と越えてゆくうちにどんどん時間が過ぎてゆく。暗くなる前には新山口に着きたいものだ。二本木峠を越えても、まだ10㌔はあるなあ、と思って下るうちに、道は細い川沿いの自転車道風のところへと導かれていった。しかもその流れの向きは進行方向!分水嶺は越えたようだ。(この川は四十八瀬川)そこからの数㌔は今までの苦労が全て報いられるような、暗雲立ち込める曇天から一気に快晴に変わったようなものだった。降りきってからホテルを求めて新山口駅前に出るまでのコースは、尋ねた相手が悪かったために若干まごついたが、


18:00 ホテル チェックイン


本日の走行距離 110、64㌔ 走行時間 7:36 平均速度 14、5km/h

2011ツーリング 22日目(9/08)

6:05 ホテル 出発

昨晩スーパーで買っておいた「お稲荷さん・のり巻き弁当」の内お稲荷さんを食べホテルを出る。この時間に出ると、100㌔は楽に行ける。自転車ツーリングの秘訣は「早朝出発」。今日の目的地は島根県の(多分)最西の市、益田
一旦「大田市駅」に戻ってから国道9号線に乗る。やはり寂れている。ましてこの時間だと人影はない。
今日のコースは基本的にはJR山陰本線と並行しているのだが、それにしては、やたらとトンネル・峠道が多かった。下の図は走り始めて1時間ほどの五十猛(いそたけ)付近だが、このように、ある区間しばらく鉄道と離れる(それも陸側に)ときがそれに当たり、今日は馬路付近、湯里付近、周布付近、折居ー益田など何箇所もそういう区間がある。それぞれは標高差が100㍍に満たないのだが、トンネルが絡むので、体力だけではなく気力も消耗し、距離以上に疲労感が残るのだ。
7:40 20㌔ 湯里駅
写真は駅前のバス停の中からホームの反対側を見たところ。確かここはひと峠越えて下り切った所だったと思う。
8:30 32㌔ 黒松駅近く 道の駅サンピコごうつ
未だ開店前で、休憩室にて朝食残りののり巻きを食べる。第二の朝食。
右から3つめのポスターは「森山良子45周年記念コンサート」で「9月25日(日)江津市総合市民センター 前売り券¥5000、当日券¥5500」という物。九州で見かけた海援隊といい、団塊の世代の皆さんは、なんやかんやとしぶといねえ。嬉しいような、悲しいような…。

9:50 42㌔ 江の川を渡る かなり峠を越えてる割にはまあまあのペースだ。

11:30 62㌔ 例によって峠を越えて「浜田」の市街地へ出る。昼前に当日の予定の半分以上を走っておくと、後半あせらなくて済むので、理想の展開だ。

12:00ー12:50 67㌔ レストランにて昼食

そろそろ腹も減ってきたところで、浜田港を見下ろす高台に洒落たレストランがあった。食堂ではなくレストラン。振り返ってみると、今回のツーリング中「きちんとした」レストランで昼食を摂ったことがない。たいてい食堂かラーメン屋か道の駅かコンビニ弁当だったりする。常識人の自分は、レストランには今の服装や風袋が場違いだという事を承知しているからなのだが、今回は空腹に負けた。

しかし、いかに商売だとはいえ、そこの女主は私を暖かく迎えてくれ、カキフライ・チキンソテー・スープ・コーヒーの日替わりランチを出してくれた。おまけに、わざわざ、アイスピックで氷を砕いて持参のサーモスを満たしてくれた。思わず長居をしてしまった。

13:45 76㌔ 折居駅この辺りは海岸・山陰本線・国道9号線がわずかな間隔で並び、「走っている私の直ぐ右手を一両編成の ローカル列車がガタゴト走ってゆく」という、実に地方サイクリングらしい光景となる。

この後、直ぐに「道の駅 ゆうひパーク三隅」で休憩すると、R9は山陰本線とは離れ、一旦石見津田で出会いまた益田までは山中を走ることになる。例の「峠とトンネル」だ。中道峠、日ノ峠など名のある峠を越えて

16:45 益田のホテルにチェックイン

この日のメモには「何度もアップダウンとトンネルを通る。5㌔毎に休息をとる」と書いてある。途中の景色や出会った人より「峠とトンネル」が一番の関心事なのだ。

晩には、明日からの行動予定を決定する大事な作戦会議をひらいた。

本日の走行距離 102,62㌔ 走行時間 6:59 平均速度14,7㎞/h

2011年10月20日木曜日

2011ツーリング 21日目(9/07)

実は、この時点ではこれからの計画が固まっていない。どんなに遅くても12日の夕方には新門司港発のフェリーに乗らなくてはならないので、今日を含めてもあと6日間が限界だ。そして、ざっと見積もって500㌔の行程が残っている。安全を考えればあと5日とみて計画を立てなければならない。

従ってこれからの方針としては、次の宿泊地として、凡そ100㌔のところにある、そこそこの町を選定する事にした。そこで、本日の目的地を太田(おおだ)に決めたのだが、かの地について何の予備知識もない。第一、「おおだ」と読むことすら道路標識を見るまで知らなかったのだ。

7:30 ホテル 出発  ホテル提供の朝食をいただくと、こんな時刻になってしまう。

7:40 3㌔ 中海の東端で鳥取県から島根県に入る。

8:10 10㌔ 安来駅
あの「ドジョウすくい」の安来節の安来だ。駅もそれをコンセプトにしているようだ。ここでトイレを使わせていただいたが、とても整った素晴らしいものだった。今回使用した公衆トイレのナンバーワンだ。
9:30 30㌔ 中海の南岸が尽きると「松江」の南郊に差し掛かるが、市街地には向かわない。

10:05 35㌔ 宍道湖南岸を走ると、玉造温泉が直ぐだ。写真はその付近。
この辺り、天気も良く快走中。天気次第で気分が随分と変わるのは当然の事だが、自転車旅行では特にそれが顕著だ。こんな日は本当に、しみじみと健康と境遇に感謝し、幸せを感じる。

10:45 43㌔ 宍道湖南岸中ほどの来待
本日はずっと山陰本線沿いに走っており同名の駅がある。ひなびた感じの良い町なので?郵便局に寄り、現金をいささか引き出す。

11:10 48㌔ 宍道湖が尽きた辺りの「丸亀製麺所」で昼食
いつもながら安くて美味い。お稲荷さんも食べて480円。

12:00 50㌔ 道の駅 湯の川(「荘原駅」近く)
足湯で寛いでいると、隣に座った自転車趣味のおじさんが話しかけてきてしばらく談笑。先に上がったと思ったら、「差し入れだよ」とお茶のペットボトルを買ってきてくれた。本当にこういうのって嬉しいねえ。

14:00 65㌔ 出雲市付近通過
ここから北へ5~6㌔程で出雲大社へ至るのだが、以前お参りをしたことがあり、スケジュール的にもきついので、ここもパス。「先を急ぐ」気持が勝っていた。

14:40 78㌔ 道の駅キララ多伎(「おだ駅」付近)
午後に入ってからは向かい風が強く辛い思いをしている。向かい風の辛さは登りのそれ以上だ。

ここから5㌔ほどの「たき駅」辺りから山陰本線と離れ、国道9号線は目的地の大田市まで内陸部を行く。その前半部は完全な峠越えで、高さは大した事はないのだが、幅員がない割に工事個所が多く、加えて大型車の往来も激しく何度も怖い思いをした。今回の「怖かった個所ワースト3」に入る。しかも、下ってからも「もう着くはずだ」と期待しながら、いくら走ってもなかなか町らしくならず、不安になってきた。町の予備知識が全くないのでこのような事になるのだ。

16:30頃 やっと駅前に出たのだが、とてもビジネスホテルのあるような町の雰囲気ではない。普通の田舎の駅前の趣きなのだ。こんな時は土地の人に聞いてみるのが一番だ。

3人程でたむろしていたじいさんグループに尋ねると、心当たりのホテルを教えてくれるのだが、どうも道順で「ああでもない、こうでもない」と意見がまとまらず、終いに喧嘩風になってしまった。一人は最短の行き方を、もう一人はわかり易い道順を言い張るのでまとまらない。自分は側で聞いていて困った事になったと途方に暮れた。結局、凡その所を頭に入れて「わかりました、ありがとうございました」と退散させていただいた。これからは尋ねる相手を慎重に選ばなくてはならない。

17:00 ホテル チェックイン

本日の夕食は、ホテルの裏手にあるスーパーで調達した割引弁当。

本日の走行距離 97、43㌔ 走行時間 6:15 平均速度 15、5㎞/h

2011年10月18日火曜日

2011ツーリング 20日目(9/06)

出発前、元自転車乗りだという駐車場のおじさんとの自転車談義が長引き

8:00 ホテル出発

遅れたついでというわけではないが、市中の自転車屋さんに立ち寄りタイヤの空気を入れさせてもらった。(携帯のポンプでは圧が不十分と感じていた) また、たまたま「クロネコ」の集配車を見かけた事がきっかけで、やっとキャンプ道具一式を自宅に送り返す事に決心した。その運転手に、ざっと営業所の位置を聞いて向かったのだが、意外と見つけるのに手間取った。市街地の西を流れる千代川を渡り数㌔程のところだった。

大きな段ボールを買い、そこにテント一式、寝袋、マット、グランドシート、炊事道具一式、食材かなり、つり道具などをそこに詰め込み重量を測ったところ16kgだった。前部のサイドバッグ(主に衣類)ごと後ろのバッグに収めたので、写真のようにスッキリした姿になった。

但し、バーナー用のガスボンベは宅配便では送れないと拒否されたので、二つともおばちゃん従業員に進呈してきた。気持ち良く受け取ってくれた。

9:00 クロネコ 出発

9:45 15㌔ 白兎海岸 ここも神話の世界だ。

10:20 20㌔ 浜村付近 天気晴朗なれど波高し なれど 快調に走行

10:32 24㌔ 下の図のようにR9は自動車専用道となり、海側の旧道を行く

天神川を渡ると北条バイパスという海岸線を一直線に走る快走路となる。

11:45 40㌔ バイパス道端の農産物直売所で梨をひとつ剥いてもらう。そう言えば鳥取の名産は梨だ。美味しかったので、お世話になっている勤務先の同僚宛てにひと箱宅配。

12:15ー12:30 46㌔ 道の駅北条公園で休憩

13:00 51㌔ 道路際の日陰で、途中のローソンで買い込んだトロロソバやパンの昼食。

13:37 56㌔ 大谷付近でR9は東伯・中山道路となり、ここは自動車専用なので、以後はズーッと海沿いの旧道を行く。

15:50 80㌔ JR大山口駅近く(下の写真)
時々、自分でも何でその写真を撮ったかが思い出せないことがある。上の写真もそうなのだが、風力発電地帯だと言いたいのか、天気の良さか、側道をメインに走ったという事なのかわからない。

16:52 92㌔ 米子目前 うかつにも、大山の姿を初めて意識して見た。
17:30 米子市中心部のホテル チェックイン

その晩の作戦会議で、明日の予定として境港方向には行かない、中海・宍道湖は南岸をひたすら西に走る、松江には寄らない、出雲大社には寄らない…、等を決めた。残り日数の余裕がないのと、松江、出雲大社は以前行った事があるからだ。

本日の走行距離 99、96㌔ 走行時間 6:16 平均速度 15、9㎞/h

2011ツーリング 19日目(9/05)

6:00 ホテル出発

今日の心積りは餘部鉄橋を見て鳥取までの凡そ90㌔。雨模様の日だが前進あるのみ。

7:00 10㌔ 江野トンネル(約1000㍍)通過

しかし抜けた途端に、後輪の空気も抜けていた。パンクです。遂にやってしまった。まあ、今まで無事だったのがラッキーというべきで自転車旅行にパンクは付き物だ。トンネル内でペチャンコにならなかっただけ良かったとしなければならない。(原因は細かい鉄屑のようなものだった)

しかし面倒臭い。搭載荷物を降ろさなければならない。地面が濡れているので気をつかう。予備のチューブと取り替えるだけなので、さほどの仕事ではないが前輪と比べて後輪は手間取る。タイヤは取り替えたばかりなのでゴワゴワして収まりが悪い。なんやかんやで結構時間を食ったので、ついでにブレーキ調整や汚れ落し、注油なども入念にした。

8:00 完了・出発

R178はこの辺りでは但馬漁火ラインなどと言われているが、佐津IC付近から自動車専用道となり自転車通行不能。R178から外れて海岸沿いの佐津の町まで北上し、県道11号線に乗る事となる。海沿いの部分は、晴れていればさぞかし快適だろうと思える風景が見えるが(下の写真)基本的には、かなりのアップダウンが続く山道が多い。
リアのディレーラーの調子が悪い。しまいにはギアチェンジが出来なくなった。チェンジグリップが空回りしており、ワイヤーが切れたらしい。仕方なく手でチェーンを8枚中真中辺りのギア(多分25T)に移動させてそこで固定し、フロントのディレーラーだけで走ったのだが、なるべく早く自転車屋を見つけ修理しなくてはならない。ところが、途中の「そこそこ」の漁村で尋ねると近くには自転車はなく、かなり先の香住まで行かないとないと言う。香住近くで、たまたまパトカーに出会ったのでその所在を聞いてみると実に懇切に教えてくれた。(そこは郊外を走る幹線道路なので、町へは一旦そこを降り、かなり走らなければならない。)

懇切に教えてもらったものの自転車屋が見つからず、町中をウロウロしていると、後ろからクラクションが聞こえ、振り返ると先ほどのパトカーだった。又も警官が降りてきて「そこの橋を渡って、左に曲がり30㍍ほど行った右側」と懇切に教えてくれた。親切な警官なのか、よほど不審で後をつけて来たのか、どちらでも良いがありがたかった。おまわりさん、ありがとうございます。

やっと見つけた自転車屋だったが、調べてもらうとワイヤーは切れておらず、ギアチェンジ機構は正常に動いた。狐につままれた(事はないが)ような感じ。そこのオヤジさんは「ままそういう事もありますよ」と慰めてくれ、接触部分や回転部分に注油までしてくれた。雨宿りも兼ねてオヤジさんと自転車業界の現状など30分程話し込んでしまった。

香住から、またもR178自動車専用道で乗ることが出来ず、引き返し旧道を行ったのだが、これが相当に堪えるトンネル交じりの峠道の連続だった。

11:25 40㌔ 餘部鉄橋が見えてきた。
数年前に家人とバス旅行できた時には、もうすぐ架け替え工事が始まるというタイミングで、鉄骨が高々と組み上げられたトレッスル方式の姿がまだ見られたが、今は工事が完了している。そばで見上げると本当に高い。海側には「記念碑的」な意味なのだろうか、一部旧構造体が残っている。
真下のレストランでカレーライスの昼食をいただき、「今、餘部鉄橋の真下でランチ」と友人多数にメールを送った。帰りがけにはサーモス一杯の氷を頂戴し、雨の中を

12:15 出発 早速登りとなり

12:45 46㌔ 桃観トンネル(500㍍)を抜けると、50㌔付近まで快調に下る。浜坂付近で日本海に出て5㌔ほど走り

14:15 60㌔ 居組に至るが、ここからも本道は自動車専用道となり、旧道を行くが、これがまた相当な峠道。(下の写真)やっと山道を越えて海に出たところが小羽尾(15:10 67㌔)。 うっすらと晴れているようだが、波が残っている。
16:00 75㌔ 大岩付近でR178R9(山陰道)に合流

下の写真は合流後R9からR178を見下ろしたところ。
合流した途端に駟駆山峠(これも読めない:「しちやま」と読みます)を越すと鳥取バイパスとなるが、ここは自転車も走れる。1000㍍クラスの湯山トンネルと少し短いもうひとつのトンネルを抜けると、数㌔で鳥取の中心部に出る。

それにしても、鳥取レベルの県庁所在地でも、中心部から5㌔離れると全く都市の臭いがしなくなる。都市の広がりは本当に狭い部分でしかない。東京が他を圧して、桁違いに全てが大きいのだ。

17:15 鳥取市内のホテル チェックイン なお、今日は「降ったり止んだり」が多く、降りが激しい時は主にバス停で、数分~数十分程度の雨宿りを4・5回余儀なくされた。

本日の走行距離 91.55㌔ 走行時間 6:56 平均速度 13.2㎞/h

2011年10月17日月曜日

2011ツーリング 18日目(9/04)

8:45 民宿出発

雨はまだ降っており、風も相当強いが台風12号は既に日本海に抜け、状況がこれより悪くなる事はなさそうなので、雨がやや収まるのを待って出発する。おばちゃんが見送ってくれ、おにぎりをもたせてくれた。本当にお世話になりました。
それでも雨天走行装備だけは万全を期した。リフレクターベストまで着込んだが、これは結局この時だけの着用だった。
目的地は70㌔程の豊岡


国道178号線に出て(その辺りには浦嶋神社という何やら由緒ありそう名所があるのだが、今回はパス)登り続けて行くと丹後半島の最北端経ケ岬に達する。

9:48 11㌔ 経ケ岬トンネルを越える

トンネルを抜けて、国道から右に行くと岬の突端の灯台まで行けるのだが諸状況からパス。(どうも今回のツーリングではパスが多すぎる)それでも道端には時々猿が出没し、電柱の上から下を見張っている奴らもいた。それほど交通量が少ないという事なのだろう。その後しばらくは海岸ギリギリのR178なのだが、相変らず風は強い。多分10m/secは優に越えている。
5㌔程下って行くと宇川温泉よし野の里があったのだが、一昨日漁協で先ず教えられた旅館がここだったような気がする。とすれば、あの風雨の中峠越えを含めて15㌔も走らなければならなかったことになる。「来なくてよかった!」

11:15-11:45 25㌔ 道の駅テンキテンキ丹後

雨は上がっていたので雨具を脱ぐ。 この日のメモには昼食代がないところをみると、民宿でいただいたおにぎりと手持のお茶だけで本日の昼食としたらしい。もっとも、7時過ぎという時間に朝食をガッツリいただいていたので、おにぎりだけで充分と判断したのだろう。

走り初めて直ぐにかなり長い「新間人トンネル」を通過するが、これを読める人はまずいないだろう。「しんたいざとんねる」と読む。間人は地名。元々はこの字は「はしうど」とか「はしひと」と読むらしいが、これは聖徳太子の母の皇后名。それが地名となったのだが、住民がそれでは畏れ多いと思い、この地で皇后が退座したことからたいざと称するようになったという伝説があるそうだ。へえ、そうなんだ。

13:00 38㌔ 網野駅

ここはから再び北近畿タンゴ鉄道宮津線と付かず離れずのコースとなる。駅前の書店で文庫本を買う。なぜか、非常用食料と同じで、これが無いと不安なのだ。この後、数㌔でゴルフ場のある峠を越えるのだが、大した高さとは思われないのだが、越えてからの41㌔~45㌔にかけて相当な距離の爽快な下りが待っていた。「少し登って長く下る」という峠は、現金なもので何故か得をしたような気になる。

13:30 45㌔ 木津温泉駅

14:40 58㌔ 下の写真
はっきりと読めないが「久美浜交番」と書いてある。駅からわずかな距離の国道沿いなのだが、これが交番かと驚きパチリ。どう見ても警察署だ。きっと行政上の関係でそうなっているのだろうが、ここのトップは「番長」というのだろうか。

15:15 62㌔ 河梨峠(約150㍍)

この峠は京都府と兵庫県の県境 

下り切って円山川の豊岡大橋を渡れば、そこが豊岡だ。尤もこの円山川を7~8㌔ほど下れば城之崎温泉に至るが、例により諸事情から選択せず。

橋から上流を眺めると、相当水嵩が増しているのがいるのが判り、水が濁っている。

16:15 ホテル チェックイン

本日の走行距離 70.83㌔ 走行時間 5:00 平均速度14.1㎞/h

2011年10月13日木曜日

2011ツーリング 17日目(9/03)

朝目覚めると風が音を立てて吹いている。雨は降っていない。台風が近付いているのだ。早速おばちゃんにもう一泊をお願いする。朝食には梨のデザートが付いていた。

さて、今日1日全くの空白時間が出来たのだが、これと云ってすることも無く、見学に出かける先もない。基本的には手持の文庫本を読んで過ごす。例の往きのフェリーから持ってきたものだが、軽いアクション冒険小説。結局夜までには読み終わってしまい、民宿のおばさんに進呈してきた。

もうひとつ、これからのコースの検証とスケジュールの再確認という大事な作業をする事が出来た。当初の計画では、舞鶴→新門司を650㌔と見積もり10日間の予定としていた。

改めて、携帯で例の「NAVITIME」を使って距離を計測してみると

豊岡→鳥取        86㌔(ソフトの関係で、ここ本庄浜からは計測不能だった)
鳥取→出雲大社    180㌔
出雲大社→浜田     92㌔
浜田→萩        116㌔
萩→下関         93㌔

合計567㌔となり昨日の舞鶴→本庄浜54㌔、明日予定の本庄浜→豊岡70㌔を加えると690㌔となり当初の計算より若干長い事が判った。とすると、昨日今日明日と3日間使ったので、計画だとあと7日間ということになる。単純計算で1日平均90㌔進まなければならない。

只、どんなに遅ても9月12日夜、新門司発のフェリーに乗らなければならないので、そこから逆算するとあと9日間あり、2日間の余裕がある事が判った。とは言いながら実際には何が起こるかわからないので、余り余裕はないともいえる。とにかくこれからは1日90㌔以上を目指して走らなければならないのだ。その日その日のスケジュールを立てる際の大事な目安ができた。

昼食は、部屋で手持のインスタントラーメンを作って食べた。紅茶、コーヒーも携行しているので、その間の飲物には不自由しなかった。

昼過ぎに地区の様子を見に出た時の写真が下の3枚。上は民宿「もりとら」、私は2階の二部屋を使用。下の2枚は浜の様子。雨は大した事はないが、風は20m/sec程度、写真ではよく伝わらないが、打ち寄せる波はかなりのものだった。昨日の漁協は休みだった。

夕食は、又も豪華(といっていいだろう)なもの。
おまけに、饅頭のデザートが付いた。
食後本を読んでいると、防災無線だろうか、それとも広報車だろうか、「地域の避難所の用意ができましたので、不安な方はそちらに避難してください。」というアナウンスが聞こえてきた。おばちゃんは「ここは大丈夫」と言うので安心して眠りについた。