2022年4月1日金曜日

孫を誘ってセーリング

 前回のブログのように3月27日に孫Bとベイサイドマリーナまでサイクリングをした件を、乗艇「AKATSUKI」のオーナーS氏へ報告したところ、29日にS氏より、31日に船を出したいのだが都合はいかがとの電話があり、私はOKですが孫たちも同行しても構わないですかと尋ねると、大歓迎との返事をいただきました。

早速娘夫婦に息子達にその旨を伝えて返事が欲しいと連絡をとりました。その結果上の息子、孫Aは行きたい、行ける。孫Bは行きたい、けれど塾との関係で行けないという事になりました。

当日はS氏の大学時代からのご友人のC.Sさんも同行するとの事でこれも嬉しい事が加わりました。わざわざ2時間かけて待ち合わせの場所まで来ていただけるのです。C.Sさんは造船工学の専門家でT大ヨット部の全盛期のキャプテンを務めた方です。さらに70歳を超えてから博士号をとられたという方でもあります。このお二人と同行させていただく私だけではなく孫Aにもきっと良い経験になるはずです。

当日は午後から雨も予想され、風も上がってくると思われるので、出航前、船上では港外まで機走して艇の調子を見て、状況次第でその辺をグルリとして戻っても良いかなという話でまとまりました。

その間にもオーナーS氏が艇の中を孫Aに案内してくれたり、簡単なチャートを見せて現在地や予定海面の説明などをしていただきました。私からはSさんの立場(オーナーでスキッパー)を細かく説明して、とにかく船の上ではスキッパーの指示、命令は必ず聞かなければならないと最低限の仕組みだけを言って聞かせました。そしてAの立場はゲストではあるが、訓練生でもあることを言い聞かせ、その指導は私が担当しました。出港準備はそれなりにいろいろな事があるのですが、なるべくAにも手伝わせて、その都度各部位の名称や役割の説明とか身のこなし方を教えました。多分半分も覚えていないと思いますが、それでいいのです。なんとかその責は果たせたかなと思っています。とは言いながら本音はAにヨット・クルーザーっていいなと感じてもらえれば十分なのです。

沖へ出てみるとそこそこの風(多分5~6㍍)があり天気もよいのでセールを上げ帆走になりました。4~5ノットの快走でした。そうなるとおじいさん3人はヨットが嫌いな方ではないのでご機嫌でどんどん南へ上って(いわゆるクローズドホールド)行き、八景島を右手に見ながら猿島が近く見える辺りまで来てしまいました。途中までは私がヘルムスをしていたのですがC.Sさんに久しぶりに舵をとりませんかと誘うと、初めはもう任せるよなんて言っていたのですが、「じゃあ」と言って交代しました。数十分も満喫したところで、眠そうにしていたAに代わりました。

真剣な姿です。風は安定していたので、とにかく陸上の目標を決めてそこからはずれないようにとだけ指示をしました。やはり中2(新学期から)ともなると理解力も上がりすぐに慣れたようでした。

予定時間になってきたので、その辺りでUターンをしてマリーナへの帰路につきました。フリーの走りになりますが、これがまた快適、Sさんは帆走は私たちに任せ趣味のハムを楽しんでいました。帰りはワンレグ(ジャイブの必要なし)で行けるのでここでもAにヘリムスをしてもらいました。大分慣れたようです。今のようにジャストヘルムなら手放しでも直進することを教えたので、以後少し手抜きも覚えたようです。

マリーナ眼前でセールを下ろし入港しようかという時、オーバーヒートのアラームが鳴りちょっとあわてましたが時間で回復し(原因は不明)無事帰着。

一応の後始末をしたところで、遅めの昼食です。程よい風に吹かれながらの食事はいつもの事ながらまた格別です。家人の心づくしのおにぎりとSさん用意のパン、先輩お二人の食欲も頼もしく、ややもするとAが負けそうな雰囲気でした。

その間もお二人がAに色々と話しかけてくれてAもそれに対応していました。学校の事、1回の授業でのOP体験等々。中でも面白く聞けたのが、父親まあ君の話題でした。スキーの腕前をはじめ物事に対する徹底した没入振りを楽しそうに自慢げに語っていました。息子の父親への親しみと尊敬は私のようなおじいさんから見て、嬉しく、好もしく思えました。普段は話しかけても碌な反応がない孫Aが生き生きとお喋りをしているのがとても新鮮でした。

後は私の担当のコーヒーを味わっていただき、最後の後始末と記念写真を撮って、船体の水洗いを済ませて退艇しました。

Sさんに最寄りの駅まで車で送っていただいたのですが、別れ際に「面白かったか、また来たいか」とAに聞いたところ、「はい」という返事だったのでお二人のご老人先輩も、私も満足した次第でした。孫Aの本音だと良いのですが…。

1週間の内に2人の孫に遊んでもらい、大満足の内に新年度が迎えられそうです。

あ、それから3月30日(セーリングの前日)糖尿病診察でいつもの病院にて、血液検査の後診察、面談があったのですが、現状維持で大丈夫との判断でした。大安心。

2022年3月28日月曜日

孫に誘われてサイクリング

3月27日(日)小3の孫Bに誘われて、横浜ベイサイドマリーナ(横浜市金沢区) へサイクリングをしました。

いつもの事なのですが、前の晩「明日暇ですか」という電話がかかってきました。当方無職、年金暮らしの身なのを知っての上なので多少腹が立つのですが、こちらにも誘われたからには受けて立たねばというおじい様としての矜持というものもあり、またいささかの下心としてのプランも浮かんだので、「昼飯はおばあ様が用意してくれるので、なるべく早くウチに来なさい。何時頃なら大丈夫か」と聞くと昼頃にはというので、当日は万端の準備をして待っていました。使用車はもちろん愛人1号です。

下心というのはベイサイドマリーナ(我が家から約14㌔)へ行って、乗艇のAKATSUKI」の様子を見てきて欲しいというオーナーのSさんのそれとない要望に応えようというものです。

13時自宅発として14:30到着、30分マリーナ滞在、15時現地発、自宅帰着16:30と大まかな予定なのですが、我が家から孫Bの家まで(約10㌔程)送り届ける責任がある?と思い、そうなると17:00再出発、即帰路としても18:00我が家へ帰着となるのでかなりタイトなスケジュールという事になります。ある程度の覚悟の上でした。

孫Bは12時になっても来ません。その時点で我が家で昼食という予定はキャンセルで、おばあ様心配りの揚げたてのとんかつは弁当仕立てにしてもらい、到着先で食べさせる事となりました。

12:30くらいに到着したのですが、「さあ時間がないからすぐに出るぞ」という当方の言葉にも関わらずちょっと疲れたので休みたいと言う。心やさしいおばあ様は時間の事などまるで無頓着に、上がってバナナだけでも食べていきなさいと言うものだから孫Bは嬉しそうな顔をして腰を落ち着けてしまいました。当方はジリジリしながら待つこと数10分、ようやく、何とか13:00には出発することができました。一応予定通りではありました。

道中はMM21から横浜の中心街を抜け順調に進み予定より短時間で半分(8㌔程)まで来たときにふと「今日は日曜日だな」と思い当たりました。

実はベイサイドへの道の途中に息子がお世話になり、その後私がマネージャーとして過ごした云わば「古巣」とも言える「横浜ジュニアヨットクラブ」があり、そこは原則日曜のみ稼働なので、もしかしたら今日なら誰か知り合いがいるかなと思ったわけです。只、3月27日と言えばもう納艇(企業で言えば仕事納め)が済み、誰もいない可能性もあるけれど孫Bにクラブを見せるだけでもいいかなと思い、往復1㌔の寄り道をしました。

そうしたところ、クラブ前の岸壁に一人、キャンバスチェアーに座り、沖(と言っても工場に囲まれた磯子湾内)を見つめる老人が居りました。旧友との出会い。

私がまだジュニアクラブに関わっていた頃は子供の親同士、その後は専任チーフコーチ、そして現在はクラブ代表として活躍されているM氏です。会うのは何年振りでしょうか。実はM氏の奥方と我が連れ合いは未だに濃密な付き合いがあり、その関係で最近のM氏自身の様子は薄々知ってはいたのですが、実際に会って話が進むのもまた嬉しいものです。当日は練習日ではないのですが有志の自主練習とかで、海上の指導・監督は若手のコーチに任せ自身は陸上支援にまわっているとの事でした。一見好々爺風ですが30年前と変わらないヨットと子供に対する愛情は変わっていませんでした。そんな風景を見ながら孫Bは時間が気になるのか、退屈なのかそわそわし初めたので歓談を切り上げ、互いの健康をいたわり合い、一路ベイサイドを目指しました。そこからは約4㌔程の行程です。

15:00頃の到着でした。チェックインの手続きを省略(その方法はこの際不問)して、早速艇の係留してあるバースに向かいました。ざっと目視で外回りを点検し異常なし。コクピットで孫Bとの記念写真を撮り、私は持参のコーヒーで一服、孫Bはおばあ様が持たせたとんかつ弁当の遅い昼食を食べ、のんびり過ごしました。のんびり過ぎたかもしれません。

      

艇の事、セーリングの事を色々と話したのですが大した反応なし。多少の興味は持ったようなのがわずかな収穫でした。

そこから自宅には15:30には出発する旨LINEで送ったのですが実際はもっと遅くなりました。孫Bに明日の予定は殆どない事を確認して、私としてはその時点で孫Bを我が家に泊まらせる方向に舵を切っていました。もちろんBとしても親の許しを得なければならないので連絡をとらせたのですが、何か家庭内の事情で話がまとまらないような様子でした。その連絡には私は一切口を挟む事は致しません。そこは孫Bの仕事です。どこか不安そうなBでしたが、とにかく我が家に戻る事に専念し後の事はそれから、と言い聞かせて、多分15:45位に出発。

Bは私より体力があるらしく、ややもすると私に並んだり前に出ようとするのでその度にたしなめるのですが、今何キロ出ているのかとか、帰着時間はどのくらいになるのか、兄の孫Aはここまで来たことがあるのかとか色々と話しかけてくるのです。当初はなるべく応じていたのですが、終いには、こちらの疲れも溜まってくるしで無視をしてやりました。それでも性懲りもなく話しかけてくる孫Bでした。どうも心の不安を払拭しようとしていたのではないでしょうか。

ほぼ往路を戻って帰宅。17:00帰着。正直に言って私は相当疲れ、と言うより太腿の筋肉痛がこたえていました。Bもかなりつらい様子ではありました。

その後電話で何とか親(娘夫婦)との話が付いたらしく当夜は我が家に泊まりました。(その間にも色々と話題はあるのですが省略)

孫Bのおかげで、私自身の体力の確認のためにも、またM氏にも会えた事、Bへの理解が深まった?事などで楽しい一日を過ごす事ができました。ありがとう。

2022年3月11日金曜日

名ベーシストの死

 今日の新聞に鈴木勲さんの訃報が出ていました。


鈴木勲、彼は日本のジャズ、特にベースでレジェンド的存在です。昔から名前だけは知っていたのですが、13年前彼の演奏を聴く機会がありました。

地元の六角橋商店街の路地を入ったところにあった(ビッチェスブリュー)という10人も入れば一杯というジャズライブの店でした。当時私は知り合いのドラマーとの関係で足繫くその店に通っており、出演情報には敏感でした。(店は残念ながら閉店しました。)

そんな折、鈴木さんが出るというので当然聞きに行きましたが、その時は共演の纐纈雅代(こうけつ まさよ)という女性サックス奏者の存在を知った事の方が印象に残っています。纐纈さんが鈴木さんに師事しているという雰囲気でした。


上の写真は自室の天井壁に貼ってあるちらしですが新しいアルバムの宣伝です。聞きに行った時に受け取ったのでしょう。

実はその時彼のアルバムを購入していたのでした。

先日来、自室の大改装をしたのですが、その時にレコード・テープ・CDの棚卸もしたので、そういえば確か彼のCDがあったよなと思い出した次第です。「黒いオルフェ」というタイトルで紙ケースでハイブリットCDとかで希少なものでした。おまけにその時いただいたサインまで残されていました。2009年2月7日にお会いしたのですね。

徐々に思い出してきました。当日はベースではなくチェロのような楽器で演奏していたので気になって聞いたりしたものです。相当な年齢だと思っていましたが、記入によれば76歳との事で、今の私といくらも違わないお歳だったのですね。

早速聞いてみました。若いトリオをぐいぐいリードしている若々しいところと、渋みを感じる叙情味たっぷりの素晴らしい1枚です。そういえば多分過去数回しか聞いていなかったような気がします。

訃報がいい機会になったというのも考えさせられますが「見送り」の積りで聞き入りました。

https://www.youtube.com/watch?v=CgYZvGzHT60

ユーチューブにもたくさんアップされていますので検索してみてください。

2022年3月10日木曜日

第3回目のコロナワクチン接種完了

 本日第3回目のワクチン接種を済ませました。

実は1・2回目を受けた地元の整形外科に予約の電話を入れたところ、市の予約センターからしか受け付けないと言われ(前回はそんな事はなかった)、予約センターに電話したところまるで繋がらず30分くらい待った上に、いろいろ名前や生年月日など聞かれた挙句、近場の医院で3月中に受けられるところはないと言われました。仕方なく「それなら結構です」と丁重にお断りしました。

NETによる予約の方法もあるのですが、まだらっこしくていけません。年寄りには不向きです。

それを見ていた家人が、自分が接種した新横浜駅近くの医院なら予約なしでもいけるかもしれないというので、ダメもとで散歩がてら出かけてみました。老人パスのおかげで交通費はタダです。

ビルの1~3階を占めるかなり大きな整形外科で2~3階が会場になっていました。手際のよい受付で、すんなり受ける事ができました。尤もファイザーは予約が必要という事で(できればそちらを希望していましたが)断られ、モデルナにはなりました。別に異論があるわけではなく、並びの待ち人も少なく、流れ作業で進み15分の接種後待機もいれて40分くらいで終わりました。

半分狐につままれたような気分で帰ってきました。現在12時間以上経ちましたが、腕がかすかに痛む程度で全く問題はありません。

2022年3月8日火曜日

自室の改装

実は2月に入って急にオーディオの見直しを始めました。何故か理由はわかりません。衝動としか言えません。使っていたCDプレーヤーが不調なので買い替え、2階の居間のコンパクトセットの本体も買い換えました。ついでにカセットプレーヤーは廃棄しました。幸いな事にこの3点は「普通ごみ」で処理ができました。

これだけなら部屋の改装とは無縁なのですが、上の写真の自作のオーディオラックは下の写真の左隅ギリギリのところにあってその前には書類箱やアウトドア用品が置かれ、装置に近づき操作するのがが大変で、それが原因でオーディオから遠ざかってしまったという側面もありました。これを表舞台に出そうというのがそもそもの発想でした。

自室は屋根裏部屋で床面積は相当あるのですが、立って歩ける幅が少なく、当然壁と言える部分は限られてきます。そのうえ数十年間に溜まった書類が殆ど未整理のままダンボールに入れられて床に置いてあり美観?を損ねていました。この際これも整理しようと初めてしまったものだからえらい事になってしまいました。と言っても必要な書類、ホールダーも相当残るので、その他カバン(これがまた多いのです)置き場などの為にカラーボックスを3つ買いました。かかった費用はこれだけです。


床が大分見えるようになってから配置換えをしたのですが、これがまたえらい苦労と試行錯誤の連続で、落ち着くまで3日くらいかかりました。その他本、本棚の移動もあり落ち着いたのが3月に入ったところでした。

部屋全体が3つに分かれこの部分は一番奥になり、こじんまりとした、居心地の良い空間になったと自己満足しています。

肝心の「確定申告」をしなくてはという後ろめたさを感じながらの作業でしたが、まだそちらは出来ていません。えらいこっちゃ!

2022年2月12日土曜日

性懲りもなく愛人1号アクセサリー工作

愛人1号用のフロントバッグです。前回の写真(ベイサイドで撮ったモノ)にあるフロントバッグは散々苦労して細工をしたのですが、どうもしっくりいきませんでした。まあ、あれはあれで使い道があるのでそのままにします。従って取付金具はそのままです。

そこでズーっと以前に買って長らくツーリングの友だった大容量のフロントバッグを着けてみる事にしました。もともとこれには取付金具が付いていて早々にそれは取り外して、フロントキャリアーに載せて使っていました。

それをハンドルバーにベルクロで取り付けるようにしました。材料は全て手持ちのモノで済みました。バッグの中にある、形を保つための金具のビス穴がそのまま使えたのはラッキーでした。

意外と上手くいきました。ハンドルに取りつけるピタッと収まり(当然計算の上です)、少し走ってみたところガタつきもなく十分使用に耐える事がわかりました。 

この仕様で走る計画は、目下のところ全くありませんが何とか使ってみたいものです。

2022年2月6日日曜日

愛人1号試験中

 最近、愛人1号を整備しています。

フロントブレーキの片効きと擦れるような小さな雑音の解消を手がけました。これらはうまく行きました。その試験と自分の躰の試験の為に5日の土曜日ベイサイドマリーナ(最短19㌔)の往復をしました。MACでハンバーガーを食べて帰ってきました。何やかやで43㌔のサイクリングでした。

結果的には良いサイクリングができました。愛人1号は問題なし。快調の一言です。が、アクセサリーとしてのフロントバッグの課題がはっきりとしてきました。上部の透明部分にスマホのナビを入れると前方に垂れてしまい運転姿勢では画面を見られません。せっかくなので何とかしたいです。

躰の方はかなりきつかったです。無理をせず小まめに休憩をとって(帰路などは5㌔毎に)やっと帰宅、というような感じでした。太腿前面が悲鳴を上げていました。平均時速12㌔という数字が何よりの証拠です。従来ですと、この小口径の愛人1号でもメーター上の巡航速度は22㌔、遅くても20㌔を保っていたのですが、最近では17~18㌔がいいところです。が、これは「良し」としましょう。体力的にはこんなもんでしょう。ツーリングを考えた時、1日50~60㌔を連続して走れるかが問題なのです。

で、昨晩は風呂に入り入念にマッサージをして、消炎剤を塗りこみ早めに就寝しました。そして今日は、TVで将棋とマラソンを見てから10㌔程を走ってみました。まあ、最後の坂も最大のギヤダウンで登りきることができほっとしました。多分40㌔程度は行けたと思います。