2011年10月18日火曜日

2011ツーリング 20日目(9/06)

出発前、元自転車乗りだという駐車場のおじさんとの自転車談義が長引き

8:00 ホテル出発

遅れたついでというわけではないが、市中の自転車屋さんに立ち寄りタイヤの空気を入れさせてもらった。(携帯のポンプでは圧が不十分と感じていた) また、たまたま「クロネコ」の集配車を見かけた事がきっかけで、やっとキャンプ道具一式を自宅に送り返す事に決心した。その運転手に、ざっと営業所の位置を聞いて向かったのだが、意外と見つけるのに手間取った。市街地の西を流れる千代川を渡り数㌔程のところだった。

大きな段ボールを買い、そこにテント一式、寝袋、マット、グランドシート、炊事道具一式、食材かなり、つり道具などをそこに詰め込み重量を測ったところ16kgだった。前部のサイドバッグ(主に衣類)ごと後ろのバッグに収めたので、写真のようにスッキリした姿になった。

但し、バーナー用のガスボンベは宅配便では送れないと拒否されたので、二つともおばちゃん従業員に進呈してきた。気持ち良く受け取ってくれた。

9:00 クロネコ 出発

9:45 15㌔ 白兎海岸 ここも神話の世界だ。

10:20 20㌔ 浜村付近 天気晴朗なれど波高し なれど 快調に走行

10:32 24㌔ 下の図のようにR9は自動車専用道となり、海側の旧道を行く

天神川を渡ると北条バイパスという海岸線を一直線に走る快走路となる。

11:45 40㌔ バイパス道端の農産物直売所で梨をひとつ剥いてもらう。そう言えば鳥取の名産は梨だ。美味しかったので、お世話になっている勤務先の同僚宛てにひと箱宅配。

12:15ー12:30 46㌔ 道の駅北条公園で休憩

13:00 51㌔ 道路際の日陰で、途中のローソンで買い込んだトロロソバやパンの昼食。

13:37 56㌔ 大谷付近でR9は東伯・中山道路となり、ここは自動車専用なので、以後はズーッと海沿いの旧道を行く。

15:50 80㌔ JR大山口駅近く(下の写真)
時々、自分でも何でその写真を撮ったかが思い出せないことがある。上の写真もそうなのだが、風力発電地帯だと言いたいのか、天気の良さか、側道をメインに走ったという事なのかわからない。

16:52 92㌔ 米子目前 うかつにも、大山の姿を初めて意識して見た。
17:30 米子市中心部のホテル チェックイン

その晩の作戦会議で、明日の予定として境港方向には行かない、中海・宍道湖は南岸をひたすら西に走る、松江には寄らない、出雲大社には寄らない…、等を決めた。残り日数の余裕がないのと、松江、出雲大社は以前行った事があるからだ。

本日の走行距離 99、96㌔ 走行時間 6:16 平均速度 15、9㎞/h

2011ツーリング 19日目(9/05)

6:00 ホテル出発

今日の心積りは餘部鉄橋を見て鳥取までの凡そ90㌔。雨模様の日だが前進あるのみ。

7:00 10㌔ 江野トンネル(約1000㍍)通過

しかし抜けた途端に、後輪の空気も抜けていた。パンクです。遂にやってしまった。まあ、今まで無事だったのがラッキーというべきで自転車旅行にパンクは付き物だ。トンネル内でペチャンコにならなかっただけ良かったとしなければならない。(原因は細かい鉄屑のようなものだった)

しかし面倒臭い。搭載荷物を降ろさなければならない。地面が濡れているので気をつかう。予備のチューブと取り替えるだけなので、さほどの仕事ではないが前輪と比べて後輪は手間取る。タイヤは取り替えたばかりなのでゴワゴワして収まりが悪い。なんやかんやで結構時間を食ったので、ついでにブレーキ調整や汚れ落し、注油なども入念にした。

8:00 完了・出発

R178はこの辺りでは但馬漁火ラインなどと言われているが、佐津IC付近から自動車専用道となり自転車通行不能。R178から外れて海岸沿いの佐津の町まで北上し、県道11号線に乗る事となる。海沿いの部分は、晴れていればさぞかし快適だろうと思える風景が見えるが(下の写真)基本的には、かなりのアップダウンが続く山道が多い。
リアのディレーラーの調子が悪い。しまいにはギアチェンジが出来なくなった。チェンジグリップが空回りしており、ワイヤーが切れたらしい。仕方なく手でチェーンを8枚中真中辺りのギア(多分25T)に移動させてそこで固定し、フロントのディレーラーだけで走ったのだが、なるべく早く自転車屋を見つけ修理しなくてはならない。ところが、途中の「そこそこ」の漁村で尋ねると近くには自転車はなく、かなり先の香住まで行かないとないと言う。香住近くで、たまたまパトカーに出会ったのでその所在を聞いてみると実に懇切に教えてくれた。(そこは郊外を走る幹線道路なので、町へは一旦そこを降り、かなり走らなければならない。)

懇切に教えてもらったものの自転車屋が見つからず、町中をウロウロしていると、後ろからクラクションが聞こえ、振り返ると先ほどのパトカーだった。又も警官が降りてきて「そこの橋を渡って、左に曲がり30㍍ほど行った右側」と懇切に教えてくれた。親切な警官なのか、よほど不審で後をつけて来たのか、どちらでも良いがありがたかった。おまわりさん、ありがとうございます。

やっと見つけた自転車屋だったが、調べてもらうとワイヤーは切れておらず、ギアチェンジ機構は正常に動いた。狐につままれた(事はないが)ような感じ。そこのオヤジさんは「ままそういう事もありますよ」と慰めてくれ、接触部分や回転部分に注油までしてくれた。雨宿りも兼ねてオヤジさんと自転車業界の現状など30分程話し込んでしまった。

香住から、またもR178自動車専用道で乗ることが出来ず、引き返し旧道を行ったのだが、これが相当に堪えるトンネル交じりの峠道の連続だった。

11:25 40㌔ 餘部鉄橋が見えてきた。
数年前に家人とバス旅行できた時には、もうすぐ架け替え工事が始まるというタイミングで、鉄骨が高々と組み上げられたトレッスル方式の姿がまだ見られたが、今は工事が完了している。そばで見上げると本当に高い。海側には「記念碑的」な意味なのだろうか、一部旧構造体が残っている。
真下のレストランでカレーライスの昼食をいただき、「今、餘部鉄橋の真下でランチ」と友人多数にメールを送った。帰りがけにはサーモス一杯の氷を頂戴し、雨の中を

12:15 出発 早速登りとなり

12:45 46㌔ 桃観トンネル(500㍍)を抜けると、50㌔付近まで快調に下る。浜坂付近で日本海に出て5㌔ほど走り

14:15 60㌔ 居組に至るが、ここからも本道は自動車専用道となり、旧道を行くが、これがまた相当な峠道。(下の写真)やっと山道を越えて海に出たところが小羽尾(15:10 67㌔)。 うっすらと晴れているようだが、波が残っている。
16:00 75㌔ 大岩付近でR178R9(山陰道)に合流

下の写真は合流後R9からR178を見下ろしたところ。
合流した途端に駟駆山峠(これも読めない:「しちやま」と読みます)を越すと鳥取バイパスとなるが、ここは自転車も走れる。1000㍍クラスの湯山トンネルと少し短いもうひとつのトンネルを抜けると、数㌔で鳥取の中心部に出る。

それにしても、鳥取レベルの県庁所在地でも、中心部から5㌔離れると全く都市の臭いがしなくなる。都市の広がりは本当に狭い部分でしかない。東京が他を圧して、桁違いに全てが大きいのだ。

17:15 鳥取市内のホテル チェックイン なお、今日は「降ったり止んだり」が多く、降りが激しい時は主にバス停で、数分~数十分程度の雨宿りを4・5回余儀なくされた。

本日の走行距離 91.55㌔ 走行時間 6:56 平均速度 13.2㎞/h

2011年10月17日月曜日

2011ツーリング 18日目(9/04)

8:45 民宿出発

雨はまだ降っており、風も相当強いが台風12号は既に日本海に抜け、状況がこれより悪くなる事はなさそうなので、雨がやや収まるのを待って出発する。おばちゃんが見送ってくれ、おにぎりをもたせてくれた。本当にお世話になりました。
それでも雨天走行装備だけは万全を期した。リフレクターベストまで着込んだが、これは結局この時だけの着用だった。
目的地は70㌔程の豊岡


国道178号線に出て(その辺りには浦嶋神社という何やら由緒ありそう名所があるのだが、今回はパス)登り続けて行くと丹後半島の最北端経ケ岬に達する。

9:48 11㌔ 経ケ岬トンネルを越える

トンネルを抜けて、国道から右に行くと岬の突端の灯台まで行けるのだが諸状況からパス。(どうも今回のツーリングではパスが多すぎる)それでも道端には時々猿が出没し、電柱の上から下を見張っている奴らもいた。それほど交通量が少ないという事なのだろう。その後しばらくは海岸ギリギリのR178なのだが、相変らず風は強い。多分10m/secは優に越えている。
5㌔程下って行くと宇川温泉よし野の里があったのだが、一昨日漁協で先ず教えられた旅館がここだったような気がする。とすれば、あの風雨の中峠越えを含めて15㌔も走らなければならなかったことになる。「来なくてよかった!」

11:15-11:45 25㌔ 道の駅テンキテンキ丹後

雨は上がっていたので雨具を脱ぐ。 この日のメモには昼食代がないところをみると、民宿でいただいたおにぎりと手持のお茶だけで本日の昼食としたらしい。もっとも、7時過ぎという時間に朝食をガッツリいただいていたので、おにぎりだけで充分と判断したのだろう。

走り初めて直ぐにかなり長い「新間人トンネル」を通過するが、これを読める人はまずいないだろう。「しんたいざとんねる」と読む。間人は地名。元々はこの字は「はしうど」とか「はしひと」と読むらしいが、これは聖徳太子の母の皇后名。それが地名となったのだが、住民がそれでは畏れ多いと思い、この地で皇后が退座したことからたいざと称するようになったという伝説があるそうだ。へえ、そうなんだ。

13:00 38㌔ 網野駅

ここはから再び北近畿タンゴ鉄道宮津線と付かず離れずのコースとなる。駅前の書店で文庫本を買う。なぜか、非常用食料と同じで、これが無いと不安なのだ。この後、数㌔でゴルフ場のある峠を越えるのだが、大した高さとは思われないのだが、越えてからの41㌔~45㌔にかけて相当な距離の爽快な下りが待っていた。「少し登って長く下る」という峠は、現金なもので何故か得をしたような気になる。

13:30 45㌔ 木津温泉駅

14:40 58㌔ 下の写真
はっきりと読めないが「久美浜交番」と書いてある。駅からわずかな距離の国道沿いなのだが、これが交番かと驚きパチリ。どう見ても警察署だ。きっと行政上の関係でそうなっているのだろうが、ここのトップは「番長」というのだろうか。

15:15 62㌔ 河梨峠(約150㍍)

この峠は京都府と兵庫県の県境 

下り切って円山川の豊岡大橋を渡れば、そこが豊岡だ。尤もこの円山川を7~8㌔ほど下れば城之崎温泉に至るが、例により諸事情から選択せず。

橋から上流を眺めると、相当水嵩が増しているのがいるのが判り、水が濁っている。

16:15 ホテル チェックイン

本日の走行距離 70.83㌔ 走行時間 5:00 平均速度14.1㎞/h

2011年10月13日木曜日

2011ツーリング 17日目(9/03)

朝目覚めると風が音を立てて吹いている。雨は降っていない。台風が近付いているのだ。早速おばちゃんにもう一泊をお願いする。朝食には梨のデザートが付いていた。

さて、今日1日全くの空白時間が出来たのだが、これと云ってすることも無く、見学に出かける先もない。基本的には手持の文庫本を読んで過ごす。例の往きのフェリーから持ってきたものだが、軽いアクション冒険小説。結局夜までには読み終わってしまい、民宿のおばさんに進呈してきた。

もうひとつ、これからのコースの検証とスケジュールの再確認という大事な作業をする事が出来た。当初の計画では、舞鶴→新門司を650㌔と見積もり10日間の予定としていた。

改めて、携帯で例の「NAVITIME」を使って距離を計測してみると

豊岡→鳥取        86㌔(ソフトの関係で、ここ本庄浜からは計測不能だった)
鳥取→出雲大社    180㌔
出雲大社→浜田     92㌔
浜田→萩        116㌔
萩→下関         93㌔

合計567㌔となり昨日の舞鶴→本庄浜54㌔、明日予定の本庄浜→豊岡70㌔を加えると690㌔となり当初の計算より若干長い事が判った。とすると、昨日今日明日と3日間使ったので、計画だとあと7日間ということになる。単純計算で1日平均90㌔進まなければならない。

只、どんなに遅ても9月12日夜、新門司発のフェリーに乗らなければならないので、そこから逆算するとあと9日間あり、2日間の余裕がある事が判った。とは言いながら実際には何が起こるかわからないので、余り余裕はないともいえる。とにかくこれからは1日90㌔以上を目指して走らなければならないのだ。その日その日のスケジュールを立てる際の大事な目安ができた。

昼食は、部屋で手持のインスタントラーメンを作って食べた。紅茶、コーヒーも携行しているので、その間の飲物には不自由しなかった。

昼過ぎに地区の様子を見に出た時の写真が下の3枚。上は民宿「もりとら」、私は2階の二部屋を使用。下の2枚は浜の様子。雨は大した事はないが、風は20m/sec程度、写真ではよく伝わらないが、打ち寄せる波はかなりのものだった。昨日の漁協は休みだった。

夕食は、又も豪華(といっていいだろう)なもの。
おまけに、饅頭のデザートが付いた。
食後本を読んでいると、防災無線だろうか、それとも広報車だろうか、「地域の避難所の用意ができましたので、不安な方はそちらに避難してください。」というアナウンスが聞こえてきた。おばちゃんは「ここは大丈夫」と言うので安心して眠りについた。

2011年10月11日火曜日

2011ツーリング 16日目(9/02)

7:00 ホテル 出発 いよいよ今回の主要テーマの第四ステージが始まる

まだ雨は降っていないが、台風12号が気になる。(当日13:00 室戸岬沖南270㌔ 965hPa 最大風速35m/s  速度が遅く、既に紀伊半島に甚大な被害をもたらしている雨台風だ)

走り始めて直ぐにちょっとした峠を越え、由良川に架かる大川橋を渡り、川に沿って河口に向かう。下の写真はその河口にある海水浴場。(7:50 10㌔)ここで持参のパンとアイスコーヒーの朝食。
9:20 24㌔ 天橋立 着

北近畿タンゴ鉄道宮津線
に沿って走り栗田トンネル(600㍍)を抜けてしばらく行くと天橋立に出る。地図上では、その砂州の中を道路が走っているので、そのまま行ってみると、松並木の気持の良いダートコースだ。途中休憩したり、宮津湾の水に足を浸したりして、その3㌔を充分に堪能した。尤も、以前こちらには来た事があるので、周辺に立ち寄る予定はなかった。

現時点では曇りながら蒸し暑い程で、台風の影響は殆んど感じられなかった。
10:00 天橋立を抜け丹後半島周回コースに入る。目指すは伊根の船屋

下の写真は10:55頃、40㌔、伊根の少し手前の大島の町並み。概ねこんな道路を走って行く。

 
11:00 42㌔ 伊根湾めぐりの遊覧船乗り場
伊根の船屋は何度かTVの旅行番組で見たことがあり、以前から行きたい所だった。今回のツーリング中でも数少ない観光をした場所だ。

11:30~12:00 遊覧船にて観光
丹後半島を周回する道路としては国道178号線があるのだが、伊根から先は殆んど内陸部を通っている。やはり半島はなるべく海岸線近くを走ってみたい。そこで六万部という地区の辺りからR178を外れて海岸寄りの地方道を選択した。それが下の図。
結果として、これが良かったのか悪かったのか今でも判らない。

この頃から雨が降り出し、12:30頃にはかなりの降りになってきた。しかも道は上り下りを繰り返すトンネル含みの難所だった。雨具は着用したが、内側からの汗でグッショリ。登りで歩いている時など4年前の阿寒横断道路を越えた時の辛さを思い出した。おまけに空腹だったが食堂など見当たらない。

13:30近くに一つのミニ峠を越えて下り切った小さな集落(本庄浜)「何でも屋」風の店を見付けて入った。この時は心底ホッとした。実はここは漁協で手持の地図にもそのように出ている。確かにそうなのだが、それは昔の事で(奥には使われていない無線装置なども見える)現在は集落の住民のための日用品を販売する機能だけが残っているそうだ。

菓子パンとチキンフライというなんとも可笑しな昼食にはありつけたのだが、外の雨はますます激しくなってくる。たったの50㌔少々走って来ただけなのに「今日はもう終り」という気分になっていた。そこで例によって、店員のオネエサンにこの先どこか泊れる所はないか尋ねると、親切にも心当たりに色々電話で当たってくれたが、どうもかなり先の方にしかないらしい。それも途中には登りがきつい峠があるという。伊根まで戻る他なさそうだが、どうにもその気になれない。
その時点では、いざとなったらその漁協の片隅にでも泊めてもらおうかとすら考えていた。寝袋もマットもエマージェンシーマットすら持っているのでどうにかなる。そんな様子を見かねてか、この地区の民宿を当たってみようという事になり(始めからそうしてもらえれば良かったのだが、私がこの先の宿泊場所は…と訊いたのがまずかったのだ)何とかその内の一軒がOKだと言ってくれた。但し電話で話した所では食事は大したものは出せないと言っていたが、そんな事はこの際全く問題ない。

14:00 民宿 着

直ぐ近くにその民宿はあった。もちろん客は私ひとり。台風情報が必要でしょうと女将さんが言ってくれTVのある部屋に通してくれたが、そこのエアコンは故障していた。すると、隣のTVはないがエアコンは健在の部屋も使ってよいと言われ、結局、メインはそちらで、TVを見たい時にはもう一方と二部屋を使わせてもらった。本日の夕食が下の写真。
雨は激しくなっている。明日は連泊になりそうだ。

本日の走行距離 53.51㌔ 走行時間 3:34 平均速度 15㎞/h

2011年10月10日月曜日

2011ツーリング 15日目(9/01)

7:45 雨の中をお世話になった民宿のおばさんに見送られて出発。
午前中はかなりの雨で、写真を撮る余裕すらなかった。

昨日走ってきたR477に復帰して10㌔足らずで250㍍程の峠を越える時、ピークに農産物販売所があったので屋根の下で一息入れた。そこに地元農家の方が販売準備に来て、例によって「どこから来てどこへ行く」の質問から始まる話しが始まった。

今日は舞鶴まで行く積りだというと、まだ大分あるな、大変だあと感心やら同情をしてくれた。私は持参の地図を見せながら「こんなコースを行くのですが・・・」とこれからの予定を説明して「どうでしょうか」と意見を求めた。

ここでその「地図」を少し説明しよう。ネット上に「NAVITIME」というソフトがあり、ここで「自転車ルート選択」を指定し、出発地、目的地を指定するとGoogle Map上にルート・距離などを示してくれる。また、コース選択も「最短距離」とか「主要道路」などと選べるのだが、私は「高低さが少ない」を選んでいる。只、その図はそのままではA4サイズの手頃な大きさの印刷には適さないので、別の地図ソフトを印刷し(尼崎ー舞鶴で16枚)、そこにマーカーでプロッティングした物をケースに入れてハンドルの前に置いてある。

すると皆さんが私のコース図を見て、舞鶴に行くのにこんなコースをとる者はいない、この先をこう行って、園部から国道9号線観音峠を越えて、あとは標識に従って「舞鶴方面」をダーっと下るだけだと言うのだ。

当初のルートは薗部からは山陰本線に沿って走り、山家駅付近からほぼ北上して舞鶴に至るというものなのだが、確かにそれなりに山道で大変そうだ。何しろ観音峠を越えればあとは下りという単純さが気に入った。もちろん、そのままを鵜呑みに信じたわけではないが、地元の人が言うのだから損はないだろう。

9:50 22㌔ 観音峠(300㍍)を越える

10:30 27㌔ 国道27号線に入る

11:00 下山駅近くで山陰本線を越える。由良川沿いの全般的には下りのコースだが、まだ山間部で、時々登りがあるが大した事はない。(下の写真)


画像を追加11:40~12:15 道の駅 和でコロッケを食べて、これが昼食。 雨が上がる。

下の2枚は由良川越えるR27の風景
綾部からはR27はJR舞鶴線に沿うように北上する。

全般に走りやすい道路で、普通に走れる限り側道も良く使うのだが、下の写真(淵垣駅)のように側道が駅のホームに吸収され行き止まりというのには驚いた。(14:05 舞鶴までもう一息)
15:20 76.2㌔ 西舞鶴駅

前に書いたような事情で、この辺りの地図は持っていない。それがちょっと困った結果をもたらした。実はこの西舞鶴駅前を通過した時、しばらく走れば当然舞鶴駅という駅(実際には東舞鶴駅はあるが舞鶴駅はない)があり、そこからは舞鶴港が近いはずだと思っていた。ところが持参の地図の最終(16枚目)の舞鶴周辺部分には今走っているR27が海岸沿いに東西に通っており、おかしいなとは思いながら走っていると唐突に海にぶつかってしまったのだ。
15:30頃 舞鶴港

ところが、ここは同じ舞鶴港でも西港で、本来の軍港・舞鶴はもっと東にあるのだ。そして私が観たかったのはそちらだ。横須賀・呉・佐世保と殆んどの海軍基地を観てきた私としては、旧海軍鎮守府所在地としての舞鶴は見ておきたいところだ。
だがそれには10㌔近く進行方向とは逆行しなくてはならない。だが、80㌔以上走った後の老体には、そのエネルギーは残っていない。せめてこの西港で宿泊し、明日朝一番で東港を見に行こうかと考えたが、たまたま目に入った「舞鶴ホテル」に行ってみれば、そこは葬儀場だったりして、結局ホテルはない。

それなら舞鶴に泊る理由はなくなり、そこで聞いた5㌔ほど天橋立方面に走った所にある温泉施設付属の宿泊施設に宿泊することに決定。

今日のコースは「日本海に出てから西に向かう」というツーリング全体から見れば、多分、効率的だったかもしれないが、今現在(10/10)では少し残念な気がしないでもない。

これで第三ステージが終り、明日からは最終でメインの第四ステージが始まる。それにしても、動きが遅い台風の動向が気になる。

写真は温泉施設部分。中で食事もとれる。但しここでは携帯(Softbank)は繋がらなかった。

本日の走行距離 85、77㌔ 走行時間 5:18 平均速度 16、2㎞/h

2011年10月8日土曜日

2011ツーリング 14日目(8/31)


7:45 ホテル 出発 

出発前に車体整備と注油。気分的に「気合」を入れた積りなのだが、ハンドルバーに取り付けたデジタル時計の液晶画面が真っ白になっていた。長時間の日照に耐えられなかったのだろう。(帰宅後確認したところ復旧していた。)今日の予定は「とにかく行けるだけ北に行く」、それだけだ。

御影・芦屋・西宮などの馴染みのある地名が過ぎて行く。

9:15 19㌔地点で既に31℃になっていた。


9:45 24㌔地点 尼崎市内


あと数㌔で大阪・梅田というところで、いよいよ日本海・舞鶴に向けて国道2号線を左折、北上を開始。これより第三ステージとなる。JR東海道線、名神高速道路、阪急神戸線、山陽新幹線と順に交差し、伊丹空港を右手に見ながら中国自動車道と交差し阪急宝塚線「川西能勢口駅」を越えた辺り(11:15 37㌔)から県道12号線となり、しばらくは能勢電鉄妙見線に沿って行く。とにかく北上。


11:50 38㌔ 鶯の森駅 先 橋を渡り対岸の国道175号線へ出る。


11:55-12:20(39㌔) 吉野家で昼食


この辺から徐々に本格的な登りが始まり、一の鳥居駅で二股の右ルート・国道477号線(今後の主要道路)へ進路をとる。これからのコースは兵庫・大阪・京都が入り組んだ地域で、今日は兵庫→大阪→兵庫→大阪→兵庫→大阪→京都と何度も県境を越えることになる。その県境は殆んど峠になる。


能勢電鉄妙見線の終点妙見口駅真如寺(能勢妙見)への玄関口。地図で見る限り道路脇からケーブル、リフトがある妙見山(660㍍)に位置する由緒ある寺で観光地でもあるようだ。事前の計画段階では「寄ってみようか」とも考えていた所なのだが、そこまでの登りの疲れと時間の関係で、迷う事もなくパスした。因って、今でもどう云う所なのか全く知らない。


13:50頃 48㌔地点 兵庫・大阪の県境大槌峠を越える。


下ったところの野間稲地で一旦バイパスに入り、再びR477と合流した所でひと休みしていると郵便配達の車が通りかかった。


2時半前だった。まだ、50㌔ちょっとしか走っていないのだが暑さと登りの疲労のせい、というより、もう走るのがイヤになってきており、ここから先の最初に見つけた旅館に泊ろうと思い始めていたのだが、それまでの集落には民宿すら見かけなかった。そこで、郵便配達に情報を求めたのだが、R477沿道にはそれらしいものはないというのだ。郵便屋さんが言うのだから確かだ。


ただ、6㌔ほど先を右に折れて亀岡方面に向かうと「湯の花温泉」があり、そこなら旅館が数軒あるという話しだった。自転車でも1時間もあれば大丈夫だという言葉を信じて、最後の力と気力を振り絞って走り始めた。


確かにそれはあった。が、最初に見つけた××荘という民宿はいかにも泊めたくないという風情で、感じが悪かった。で、一車線なのに大型トラックが行き来するような危ない道を下り、温泉街(といえるかどうかは微妙)を走って他を探してみたが、営業をしている店が見当たらない。1軒だけは営業中なのだが「政府登録~」とか「国際~」などの看板が仰々しくその気になれない。(要するに宿泊料が高すぎる予感) 困り果てて、今来た道を引き返し、先ほどの××荘近くに観光案内所を見つけたのだが無人の様子。困った。


案内所前に佇んでいると、明らかに地元の方と思しき女性が通りかかったので、事情を話し、どこか何とかなりそうな所はないかと聞くと、亀山方面へしばらく行くと民宿が2軒あると教えてくれたが、営業しているかどうかわからないという。丁重にお礼を言って、その方向へしばらく行くと、確かに聞いた名前の民宿があったが、声をかけても応答がなく人の気配がない。直ぐ近くのもう一軒にも声をかけたが同様だった。止むを得ず、玄関先の看板にある電話番号に電話しよう、でも市外局番が判らないなあ、などとオロオロしている時だった。


ガラっと戸が開き、おばあさんが出てきてくれたではないか。地獄で仏とはこの事だ、と思った途端、「今日は休みなのよね、その積りで何にもしていないので泊めるのはちょっとねえ…」という地獄へ逆戻りのお言葉。目の前は真っ暗。そんな様子を見かねたのか、「まあ、それ程の事は出来ないけれど、とにかくお上がりなさい」という言葉に、再度仏に出会った想いだった。15:45 民宿チェックイン


それでも風呂は温泉。夕食は下の写真。自転車は空になった車庫に入れさせてもらい、夕刻から降り出した雨にも 問題はなかった。


しかも夕食時、タヌキが餌をもらいにくるおまけまで付いてきた。

本日の走行距離 62.16㌔ 走行時間 4:58 平均速度 12.5㎞/h