2013年6月11日火曜日

無事帰着しました -まとめとしてー

今回のツーリングは上の図のようなコース・日程で計画したのだが、出来過ぎと言っても良い程上手くこなせた。あり余る時間を何ヶ月もかけて練りに練った計画・準備だっただけの事はある、と、これは自画自賛。でも終わってみればよくこなせたと思う。

まして、途中家人と5泊6日の同伴旅行を挟んだのだから尚更だと感じる。老夫婦二人の体調・行動 が上手くかみ合うというのは、それはそれで大変な事なのだ。これで、ここ何年かはお互い壮健で過ごせそうだという自信じみたものが感じられるじゃありませんか。

これが今回のツーリングの一番の収穫。

次にデータ的なものを。

横浜・自宅~帰宅までの走行距離 1,151㌔

これは当初の想定より186㌔ほど多い。個々の日に少しづつ多く走っている事と、阿蘇・高千穂など観光に当てていた日(その日の想定はゼロ㌔)にもかなり走り回っていたことによるものだ。過去何回かのツーリングと比べてもそれ程長いとは言えないが、まあ、よく走ったと思う。

次にフィジカル面


               出発前           帰着後

体重           73.9㌔          70.7㌔

体脂肪率        22.5%          18.4%

内臓脂肪レベル     15              13    (これは意味が不明)

ツーリング中は普段以上食べて飲んで(酒は飲まない)いた事を考えれば、結構いい感じで帰れたかなというところ。これからはなるべくこれを維持しよう、と少しは意識しよう。

次に費用関係

フェリー料金 約5万円を含めて195,000円. 但し 家人同伴中の5泊6日分は一切含んでいない。

全ての宿泊がホテル・民宿等だった事を考えると概ねこんな処かな、と思う。自転車旅行と言えども、それなりに費用がかかることがわかっていただければ幸いだ。

その他

1. 今回初めてPCを持ちながら走ったのだが、これが意外と想定どおり?上手く機能したと思う。その日の記録はブログに残せたし、メールの対応も旅行を楽しくしてくれた。LANケーブル持参も良かった。そのためにタブレットを止めにしてPCにしたようなものなので正しい選択だったかもしれない。ビジネスホテルといえども、何処でもWIFIが可能ではなく有線LANならOKというところもたくさんあった。PCが使えなかったのは一部の旅館・民宿だけだった。重い思いをした甲斐があった。

2. 今回持参したもので全く使わなかったものは
 
      フリースのジャケット  半ズボン  折り畳みの傘  反射テープ付きのベスト 薬類
      ラジオ 
      (スペアとしての) タイヤチューブ×2  バックミラー  バックライト

パンクが無かった事は幸いだった。ラッキーだったとしか言えない。また、多分要らないだろうと思いながらも持っていった予備のブレーキシューには助けられた。阿蘇の雨ですっかり溶けて無くなってしまい、本当はもう一組欲しかったところだ。文庫本2冊持参も正解。

概ね準備した装備類は順調に機能してくれたと思う。只、サイクルコンピュータにはヒヤヒヤさせられた。何度か反応しなくなり途中で新品に買い換えようかとすら考えたが、何とか持ちこたえてくれた。そうなった原因は全く不明。

3. 全く別の収穫として

丁度九州では田植え時期という事と水利関係の見聞をした事が重なり、「稲作」とは「水の管理」だと改めて知らされた。稲作とはまず水利という土木作業があって初めて成り立つのだ。水の管理といっても、多分水温の管理なのだと思う。流しながら水温を上げる・保つというところが大変なのだろう。そして、こんな狭い一枚の田んぼにもと思えるほどトラクターが多用されていたのにも驚いた。手植えは一度も見かけなかった。逆に苗を積んで走る軽トラはイヤと言うほど見かけたものだ。

4. 改めて感じた

今回ほど「押し歩いた」ツーリングはなかったんではないか。一般的な感想としては登りで押し、下りはダーっという感じで、漕いだ部分が少ないのではないかなとすら思う。そんな事は決して無いのだが実感としてそう感じる。本当に漕ぎ登れない。

5. 最後にどうでもよい事だが

ある連想から、ある車の車種名がどうしても思い出せず、折に触れて悩ましい思いをしながらペダルを踏んでいたのだが、本当に最後の有明→横浜で思い出した。

レガシーでした。

また、思い出した事があったら書き加えていきます。ありがとうございました。







2013年6月9日日曜日

最後のサイクリング 志布志へ下りる

23日目 6月9日(日) 実質最終日

8:15 国民宿舎出発

横殴りの雨。そう言えば、走りはじめの徳島も雨だった。

出発時 玄関先に鹿の親子が居た


配膳のおばさんによれば、ここから霧島神宮まではニュートラルのままで行けるそうだ。 これは本当だった。ブレーキの利きが甘くなり(ブレーキシューが減ってくる)途中3回ワイヤーを締め直す。

どしゃ降りなので霧島神宮へ寄るのを止めようかとも思ったが、「これが最後」になるかも知れないと思い直し、2㌔程寄り道をして参拝だけはしてきたが、本当に寄ったというだけ


基本的には標高800㍍から、0㍍へ下りるので、走りは約束されたようなものだ。おまけに10時位には雨が上がった。

いくつも考えられる志布志へのコースから考え抜いて選ん道から、ほんのちょっと外れたところに、下の写真の関之尾滝がある事を、これまた道を聞いた方に教えてもらい立ち寄ることも出来た。

雨上がりでもあり水量豊富で豪快なものだった

そして、最後は崖から転がり落ちるようにして志布志港フェリーターミナル到着。

15:00 73.26㌔


明日の朝7時の出航。多分6時には手続きをとらなくてはならないので、ホテルにチェックインする前に下見に来た次第。

一応これでツーリングは終わった。何とか動き続けてくれたサイクルコンピュータによれば横浜出発以来、1082㌔走った事になる。予定では横浜・東京往復も入れて965㌔予定だったので、それより157㌔程余計に走った訳だ。誤差にしては大きすぎるかな。

それでも、95%以上は予定のコース・宿泊地を巡れたのは素晴らしいと自画自賛しておこう。

総括は、また、改めて…。

遂に荷車になった自転車 えびの高原へ

(以下は6/9 志布志にて書いています)

6/8の事を記す前に、昨日書き忘れたことを…。

1.大口は、確か、西南戦争の際、熊本城攻略に失敗した西郷軍が鹿児島へ退く際、通過した所だと記憶しているが、見聞したものはナシ。

2.昨日から初めて進行方向がE(東)を示すようになった。今まではほぼW-S、つまり西か南方向に進んできたのが、初めて東方向に進むようになる。コンパスを見て一瞬戸惑う事があった。

では22日目6月8日の項です。

予定では50㌔走って霧島神宮側のユースホステルに投宿。えびの高原を通って行くので相当の登りを考え、ホテルのサービス朝食も断り

6:00 ホテル発

昨日夕食を食べたすき家で朝食の後

6:20 出発

昨日見に行った伊佐農林近くでえびのへ向かうR447(左方向)の分岐点にでるのだが、右方向へもえびの方面の表示がある。こういう時には迷う。そこで通りがかりの車に停まってもらい説明をしてもらった。

確かにR447は直接えびのに行くのだが、相当急な坂が待っているらしい。確かに地図上ではダブルで曲がりくねった(2重螺旋のように)部分が相当続いている。そういう道は決まってきつい。それより、三角形の一辺と他の二辺の関係のように一旦右のR268で南下して、栗野というところから北上した方が楽だと、(多分経験から)教えてくれたので、従う。(これが最初の予定変更)

7:45 19,12㌔ 栗野に着き、改めて地図を眺めると、そこから北上するR268には相当長い川添トンネルが待っている。しかしそれと並行して県道102号があり、そこにはトンネルはない。当然そちらを選択。(これが2回目の予定変更)


写真は8:05のもので、この辺りでは「良い選択だった」とほくそえんでいたものだが、この先は相当の「峠越え」となり(例によって歩く)下りきった吉松に着いたのは

8:44 27.34㌔ ここで橋を渡って従来のR268に戻り、えびの駅近くを通過したのが

9:50 38.84㌔ この時点で本来のルートR447をとったときに復帰した事になる。遠回りしたが、早目に出発したおかげで「まだ余裕がある」と前途を楽観していた。

じりじりと登りになってきたかなと思われる頃、10:20、本日の目途もついたと考えて、霧島のユースホステルに予約の電話をしたところ、ペアレントさんが翌日婚礼に出なければいけないので宿泊は受けられないという衝撃の反応だ。ついでに?心配になり、帰りのフェリーもと思い電話したところ土・日は休みだという留守電でこちらもダメ。これにはちとめげた。

10:30 「えびの高原 13㌔」の表示 43㌔ 本格的な登りが始まり、以後はきつい登りとそれよりややゆるい登りの連続、歩いた。覚悟はしていたものの、漕げる部分が全然ない。

11:50 48.16㌔ 白鳥上湯 温泉場で、ここで昼食。一息入れた格好だが、快復とは程遠いようだ。同じく食事をしていた夫婦から、「あと7㌔」だと言われた。ズーッと登りだけど、後はズーッと下りだというありがたいお言葉だった。

その7㌔の苦しかった事は筆舌に尽くしがたい。よって省略。

13:05 あと5㌔の表示。ここで標高900㍍。しかし最後の1.5㌔は下りになっていた。、


14:08 55、19 えびの高原到着。やっと着いた。「上高地」のような雰囲気で、登山客と観光客の双方でななり賑わっていた。撮った写真が上のものだが、後ろの看板に「えびの高原」と書いてあるのだが、こんな写真では分りはしないのに。

ここからは一気に霧島神宮目指して下る。ひたすら下る。途中で宮崎県から鹿児島県となる。という事はどこかで鹿児島県から宮崎県に入っていたんだ。マップル上では「高原地帯は快走できる」と書いてあるが、ヘルメットを被り、必死のブレーキ操作の連続だった。高原地帯というより森林地帯を縫って…、という北海道を走っているような感覚だ。

宿泊先が未定だった事もあり、また、今日はもう終い!との思いから、目印にしていた分岐点に建つ「国民宿舎みやま荘」に走り込み、飛び込み投宿。

14:50 64.01㌔ チェックイン。

源泉かけ流しの湯で2回も入浴した。登山客の間では有名な温泉らしく、立ち寄り客が多い。

夕食は所謂旅館食だが、てんぷらあり、刺身あり、焼き魚あり、しし鍋あり、茶碗蒸しあり、その他盛りだくさんだった。

ああ、疲れた!

2013年6月7日金曜日

出水から大口

ホテルのサービス朝食をいただいて

7:50 ホテル出発

今日走る予定は、大口(おおくち)まで、わずか32㌔。もちろん訳があっての設定だ。本来の目的地は霧島なのだが、出水からはえびの高原を経由して約90㌔、とてもではないが山岳サイクリングで一日では無理と判断して、経由地として目に留まったのが、この大口なのだ。

実は大口は義父(故人となってしまったが)の出身地なのだ。40年も前から地名だけは聞いていた。家人は小さい頃その実家に行ったことがあるらしいが、風呂に取り込む水に葉っぱが浮いていたような田舎だったという記憶しかないと言う。とにかく山に囲まれた盆地で行くのが大変だったらしい。

コース上にその地名を見つけた時、霧島への中継点として選び決定した。事前調査でも山越え(たぶん600㍍級)は必至で、その点からも老人の体力、疲労度から判断して32㌔はいいところだろう。

ところで、出水には、以前(多分10年くらい前)その義父(当時は指宿に住んでいた)とを見に来た事がある。鶴の飛来地として有名なのだが、実は薩摩藩の外城としての城下町の赴きが残っている町としても知られている。(これは現地で初めて知った事だ)大河ドラマ「篤姫」のロケ地でもあるそうだ。(これも現地での仕入れ)

ほんのちょっと寄り道になるだけなので、もちろん見学に立ち寄る。何せ時間の余裕は売るほどある。

山の斜面に整然としたきれいな町並みが残っている。どの家も数十センチの石垣を積み上げ、その上に生垣を植え見事なモノだ。家自体は立て替えたとしても外構は保存し、町並みの景観だけは残っている。通り、路地が美しい。



たっぷり一時間以上散策して

9時頃、市中のコンビニでおにぎり2ケを買い込んでから大口を目指した。

走り前半は登りになるのだが、10:30頃までは漕いだり歩いたりの繰り返しで進めたのだが、それ以降は一時間以上歩いたような気がする。

こんな坂です

11:40 23,79㌔


伊佐市」(よくは知らないが、大口市とどこかが合併して、この名称になったらしい)の市界票が見え、~峠などという名称はどこにもなかったが、ここがピークだった。このすぐ下の駐車場でさっきのおにぎりの昼食。(言い忘れたが、出発時ホテルでブロック氷をもらってサーモスに詰めてきた)、ギンギンに冷えたお茶が滅法うまい。今日は非常に蒸し暑い。

そこからは一気に駆け下りる。これいつもながら爽快。あっという間に里に下りてきてしまう。

あの山々を越えてきた

目の前に大口の町が広がる

実は登りにかかる時に宿の予約をしたのだが、お目当ての民宿は休みだと言う事で、近くのビジネスホテルになってしまった。それにしても13時ではいくら何でも早すぎるし、時間の使い方としてはいかがなものかということで、地図上に見える「伊佐農林高等学校」を尋ねる事にした。数キロの所にある。確かここは義父の出身校だったはずだ。


不審者と思われないように、きちんと事務室へ行き、「実は義父がここの出身で、特別な用件があるわけではないが、敷地内を歩かせて欲しい」と申し出ると、ちょっとお待ち下さいと事務員さん?が引っ込んだきりなかなか出てこない。挙句、担当者が手が離せないのでしばらく待って欲しい、との事。

それ程の事でもないので、お騒がせしましたと謝り、多少構内をブラブラ見学しながら戻った。各種の設備が整った立派な高校とお見受けした。

そんなこんなで、今日もまたとんでもなく早く

14:00 ホテルチェックイン

2013年6月6日木曜日

国道を避けてサイクリング 出水へ

6月6日(木)大分残り少なくなってきた。

今日は出水までの予定。およそ77㌔、今回のツーリングでは長い方だが、そんなにアップダウンはないので問題はない。気候も曇りで丁度良い。プロパーコースは国道3号線水俣の先まで行き、米ノ津から左折(東進)して出水、という事だが、R3を走っても楽しくないので、なるべくそれは避けるコースを考えた。昨晩はそのためにずいぶん時間を費やしたものだ。


R3沿いのホテルで朝食をたっぷりといただき

7:45 出発。


8:20頃 山から下りてきて初めてを見た。八代海だ。何故かほっとする。

R3は基本的には海岸線を走るのだが、時折内陸側へ凹む事があり、そのときは殆ど峠越え、トンネル越えとなる。最初の凹みはプロパーコースどおり進み(地図上では標高117㍍と読めたので、少しなめてかかった)案の定、トンネル手前で少し歩いた。その時、自転車を押す地元のじいさんと話しながら歩いたのだが、横浜からだと言うと、次男が日産の技術者で横浜に…、と言っていた。本当に横浜って誰かしら縁者が居るようだ。たまにしか連絡がない、と寂しそうだったが、ひょっとすると私と同年輩なのかも知れないと後から思った。

9:10 18㌔ 赤松トンネル 680㍍長

こちらからは下りで、ダーっと抜けて、そのままの勢いで

9:20 21㌔ 道の駅 たのうら

ここで話しかけてきてくれたおじさんからの道路情報はありがたかった。今までで一番正確で、的確なアドバイスだった。私の計画していたコース取りでいいらしい。

半島を海岸線沿い」に走る事で、R3の山沿いコースを迂回するわけだが、2回にわたり、それぞれ6㌔、12㌔程走った。

もちろん多少のアップダウンはあったものの、車の騒音、煩わしさから開放され、景色に恵まれた楽しいサイクリングとなった。


こんな景色を楽しんでから


次の迂回路とはこんな橋でつながり

こんな海岸線をグルーっと走って行くと
12:00 52㌔ 津奈木(つなき)という町でR3に戻ってしまう。

腹も減って来たので、目に留まったラーメン屋で塩バターラーメンの昼食。店のオヤジの声援を受けて走り始めたのだが、

13:10 58㌔ もう水俣の市街地に入ってしまった。(途中の道も悪くはなかった)ここから今日の予定の出水のホテルへ予約の電話をしたのだがチェックインは15時だという。

道の駅 みなまた で休憩がてら時間を調整し、16㌔程走って、国道447号線沿いのホテルに

15:10 76,8㌔ チェックイン

(6月7日 朝に追加)

シャワーや洗濯、定期連絡、一連のPC作業などを終えて、町に夕食へ出たのだが、ホテルのすぐ裏の飲み屋食堂で注文した「肉野菜炒め定食」の件です。

肉野菜炒めは、それはそれで豪壮なものだったが、「アラカブの味噌汁」が絶品。別に「~汁」などと名前はついていないそうだが、要するに小ぶりのアラカブ(メバル)が一匹丸ごと入っており、その出汁だけで出来上がっている味噌汁だ。余りに美味だったので忘れないうちにと思い追加。

何故か「ところてん」のデザートが付いていた。

2013年6月5日水曜日

八代の街に下りてきた、ルートは御機嫌

(やっと、当日:6/5の記録にかかります)

今日の予定は60㌔先の八代。少し短いようだが、途中の峠を意識してのもの。

旅館の朝食をいただいて

7:50 出発

8:25 少し歩いて、万坂トンネル(標高470㍍ 全長600㍍)に到着


昨日の事もあり、フル装備で突入。中は概ね下りだったので多分時速30㌔以上では走れたと思う。後ろからの車は一台も無かった。

抜けてから、次の写真のところまでの7・8㌔程はブレーキワークだけの快適さ。左手には人工湖が広がっているはずなのに、チラっと見ただけだった。本日の最高時速、毎時51.5㌔は多分この時のもの。

ダーっと下りきったところが霊台橋


実はこれも重要文化財で、全長90㍍は単一アーチ橋としては日本一だという。ここでも説明を読むと、ここも昨日の通潤橋同様、土地の有力者がリーダーシップをとり、領主に働きかけたにせよ、ほぼ民間活力で作りあげている。幕末に近い時代なのだが、日本の封建制を見直したい気分だ。


これは同地の案内板。美里町というらしいが、下の方に石のアーチ橋がたくさん紹介されている。国道沿いにもたくさんあるが、その内のひとつに立ち寄った。


大窪橋という。ぐっと小ぶりだが保存状態は良い。この程度なら色々な所にありそうだが、狭い地区にまとまって現存するところが値打ちなのだろう。 ここでもまだ9:40だ。

この後はひたすら国道218号を西へ走り、宇城(うき)で国道3号線に出て、ここからは南下…というコース予定だが、宇城にでる5㌔程手前で左に折れる(南下)する県道32号線と立体交差する地点に出くわし、苦労して上に出る。予定変更だ。

これは大正解で10㌔ほど快適なサイクリングができた。

八代の15㌔程手前で、R3に出てしまった。大国道はちっとも楽しくない。

11:45 すぐに道の駅竜北に着いたので昼食。モツ煮込みとご飯。それはどうでもよい。

この頃から、今日の予定で悩み始めている。ゆっくり昼食をとったとしても、1時過ぎには八代についてしまう。八代については情報はなく、数時間過ごすあてがない。

天候も体も問題ないので、30~40㌔先まで行けるが水俣までの60㌔はちときつい。また、行けたとしても宿泊数を減らせるわけではなく、また、減ったとしても最終日が決まっているので意味が無い。

さりとて水俣までの途中でビジネスホテルがありそうな町がない。(これはあくまでも想像だが確かめる術がない)予約をしておかないと安心して走れなくなっているのだ。

私の決心] 八代のホテルに電話をして部屋でPCが使えるか、そして早めにチェックインさせてもらえるかを確かめ0Kならば即チェックイン。そうして夕食前をPC作業に時間を充てる。
NOなら、16時までは走り続け、それ以後走りながら出たとこ勝負で宿泊先を見つける。

ところがなかなか電話が繋がらない。その間はR3を避け、なるべく長くR3沿いの農道を走る事を心がけた。これも正解。


再度R3に出てしまい、ほとんど八代の街中になった頃やっと電話が通じ、全て0K

14:00 ホテルチェックイン。

事前調査が…

(実はこのブログは6月5日 八代で書いています)

改めて記すと以下は6月4日(18日目)の記録です。(W杯で日本が大会出場を決めた日です)

その前に、前日夜の高千穂神宮の観光用夜神楽の写真を一枚


150人位集まっていた。ほとんどホテルからの団体さん。中身は面白かった。本当はこれを村ごとに夜通し演じるというのだから、伝統ってすごいものだと思う。 わが地元、横浜の岸根町にも「岸根囃子」っていうのがあって、副会長さんなんてそれは上手いものだ。

さて、4日です。この日は目的地を西に50㌔程行った山都(やまと)町に決めていた。これは旅程と登りの関係だけで決めた。ただ、昔読んだ「邪馬台国はどこか」関連の本で、大和政権との絡みで高千穂のそばには「やまと」があると、この山都が大和に比定されていたような記憶があり、「ここがそうかな」と思ったことも少しは関係するが、要は、たまたまそう決めただけだ。もちろん同地には何の知識も持ち合わせていない。今回は「結果オーライ」だったから良かったようなもので、やはり下調べは大事な事を、またも知らされた。それは後で…。


6:15 おばあちゃん(世話になったペアレントさんの実母)に見送られユースホステル出発。標高600㍍の津花峠が頭にあり、こんな早い出発にしたのだ。

早速に歩き始めた。こんなにも登ってくる。が、余裕?で歩く。


8:30頃 トンネルの入り口に着く。 14㌔

走れる歩道はない。車は結構来る。しかもここは947㍍と結構長い。臆病者のおじさんは10分位、お茶を飲んだり、煙草を吸ったり、タオルで顔を拭ったりグズグズ、ウジウジしたのだが、意を決して、ヘルメット、持てるライト(4個)を全て装着・点燈の上、ミドルギアで突入した。前半は登りになっていて、死ぬほど苦しいが、後ろからのエンジン音の恐怖の方が強く、何とか突破した。抜けた時には8:45になっていた。



ここからは、サイクリングだった。なんか久しぶりに「自転車旅行」に出たような気分。


上は10時頃のものだが、何を撮ったのか今では不明だが、気分の良い道と爽やかな気候を感じていただければ幸いだ。少しは楽しさが伝わると良いのだが。

昼は道の駅「清和文楽邑」でコロッケの定食を食べたのだが、大事な点は、ここで始めて「山都」の情報を得た事だ。

通潤橋」というのをご存知だろうか。石造りのアーチ橋の中央から左右に勢いよく水が流れ飛んでいる写真を見た事がないかな。私はあった。これは山都にあったんだ。しかもありがたい事に、街道脇の道の駅に隣接してあり、その他にも近くに水関連の色々なものがあるという。実を言うと通り過ぎぎて来た幣立神宮も相当なものらしいが、知らなかったのだから仕方がない。

宿に入るのにまだ時間があり過ぎる悩みはこれで一挙に解決した。


これはちょっと寄り道した所にある「円形分水」といって、農業用水を地域毎にある比率で分配する装置なのだが、初めて見た。現代技術のもので、古いものではないが、その説明を読むと、この辺りが水で苦しんで来た事が良く分かる。



これが「通潤橋」。重要文化財に指定されている。今日は水は噴出していない。もちろん上がって渡ってみた。まだ、現役だそうだ。150年以上経つがビクともしていない。大したものだが、ローマの古代遺跡の水道橋は2000年経っているしなあ…。

この橋の裏山をドンドン下っていくと五老ケ滝が見られ、滝壺まで下りられる。しかし、相当足にくる。もちろん行った。


そんなこんなを見たりしているうちに15:30いなり、途中から予約した旅館(これがまた近いところにある)に投宿した。いい感じの商人宿といった趣だ。


街中には「八朔祭」という地元の祭りに町内毎に作ると言う巨大なモノが至る所に展示してある。自然物だけで、毎年テーマに沿ったものを作るのだという。今あるは去年のモノ。



夕食後はTVでW杯予選、日本ーオーストラリアを観戦。これも結果オーライだった。












2013年6月3日月曜日

観光な日 高千穂

今日は一日観光な日。YHの客は私一人なので、昨晩、奥さんと相談で朝食は8時とし、ゆっくり寝ていようという事にした。とは言いながら、私、6時半には起きてブレーキシューの交換やら、潤滑油が流れてしまった部分の注油、油汚れ落としなど、整備に時間を費やした。

そこで、朝飯だが、下の写真。


気が向いたら品書きを拡大して欲しいのだが、ご飯と味噌汁のおいしさ、手のこんだ品々は並みの旅館の水準をはるかに越えている。ご飯をお代わりした。それは卵かけご飯専用としていただいた。これに苺ジャムソースのヨーグルトと淹れたてのコーヒー。言うことなしです。

それやこれやで、出発は9時半くらい。まずは4㌔程の天岩戸神社。ここは神職に依頼して案内付きで「岩戸」まで案内してもらう。その後、徒歩で1㌔先の天安河原に向かったのだが、ここは神話時代天照大神がお隠れになった時、八白万の神々が善後策を練った岩屋がある河原で、ちょっとしたパワースポットかもしれない。




その後、高千穂神社へ向かう途中、「あまのいわと駅」という小さな道標が目に入り、後先も考えずどんどん坂を下ってしまった。

実は、泊まっているYHはその先の鉄橋の下にあり、その橋は何度も見上げていた。廃線になった「高千穂鉄道」の遺構とも言えるもので、その橋の付け根に「あまのいわと駅」がある。




なんかこう言うのって Stand  by Me を思い出す。やっぱり下ってきて良かった。ここは余りガイドブックには載っていない。

えっちらおっちら坂を戻ったところで、重大事発覚!。なんとサイクルコンピュータが反応していない。何でここまできてトラブルを起こすのだ。このデータはツーリングにとって、写真の次くらいに大事な記録なのに…。センサーと磁石の位置関係、断線はしていないか、ブラケットに本体がカチッと嵌っているかなど点検したが原因不明。あれやこれややってみたが動かない。諦めて次の目的地に向けて走り出すと反応した。ホッとしたのもつかの間、止まる。また、点検。そんな繰り返しを何回もしていたら、YHの奥さん推奨の飯所に着いた時には1時を過ぎてしまい、営業時間が終わってしまっていた。残念。

仕方なく高千穂神社近くの物産市場のレストランで食べたのが「一日5食限定 高千穂牛の薄切り何とかランチ」というもの。¥1000 美味かった。


最後は高千穂神社と高千穂峡。

何でも高千穂神社は神武天皇のお兄さん系統が祭られているという。そんな説明を読んだ後、はるか下のほうまで坂や階段を下って高千穂峡へ行ったのだが、疲れた。真名井の滝から歩いて戻るのもまた大変なのだ。




夕方になって宿へ戻るとき虹を見た。写真で分かるだろうか。


夕食後は高千穂神社の夜神楽へ連れて行ってもらった。

さあ、明日からはまた、「歩きと走り」の一日」が始まる。八代に向けて走るのだが、途中の山都が目的地。

それにしてもサイコンが心配だ。







2013年6月2日日曜日

いよいよ高千穂

(今日は書くことはほとんどない。写真を多く載せます。)

7:30 出発。 おばあちゃんがバナナを持たせてくれる。 直後に、リアのブレーキワイヤーを締めたが、六角レンチが効かず苦労した。

今日は漕いでいない。登りは押し歩き、下りはダーっと下る。その繰り返しだった。


最初で最大の難関、箱石峠。880㍍。まだ9時15分頃。永久に登りが続くかと思った。


自信はなかったが、道を違わず、高千穂への国道325号へ出られた。ここからは22㌔の標識が見える。回り道になるが、ここを左に行くところを右に行きコンビニへ昼食を食べに行く。道中、食堂はないと言う。


ここで11:40 やっと今晩宿泊希望の高千穂ユースホステルに予約の電話が出来た。朝の段階では確実に着ける自信が無かった。


前方の長大な橋を渡るが、その眼下には下のような景観が広がる。


最後に「玄武山トンネル」(1022㍍)を抜けると、もう高千穂は目と鼻の先だ。


そのはずだったが、町に入ってから例により、散々迷って、ようやくユース到着。



客は私一人。