2013年5月31日金曜日

やまなみハイウェイ走破?


起き抜けに、眼下の湯布院の町が霧に沈み、その中から湯煙が登っているという珍しい風景に出会う。(写真を撮ったが、事情があって後日付け加えます)

( 6/2追加 右のチラリと湯布院お町が見えるが、ほとんど霧に沈んでいる。下からは湯煙 )


8:00 YH出発

このYHの名称は「カントリーロード」。主夫妻が出発に際し、「カントリーロード」のギター弾き語りで送り出してくれる。 別府でも一緒だったK内さんご夫妻、カブライダーのW松さんと一緒に記念写真。昨日せっかく稼いだ高度を一気に使って由布院の町に走り下り、街中の拠点交番で念のために、眼鏡の紛失届けを出しておく。

1時間程で「やまなみハイウェイ」に出る水分トンネルを抜けたが、工事中の片側通行で返って安全に通れ助かった。何せ、そこまでの登りで、今日の「」を使い切ってしまったので、上り坂になっているトンネルを走り抜けるのはとても無理な状態だった。ここまでで10㌔足らずなのに、この先いったいどうなるのだろう。

事前調査の上では「阿蘇」まで66㌔。時速10㌔計算で約7時間。休みを入れて8時間。しかし1300㍍の峠を含み3つの峠を越えることを計算に入れ、さらに昨日の消耗度を考えて、到着は18時を想定した。それにしても、わずかな傾斜の登りでも持続が難くなっているので、実に不安な道中だ。なにせ当分はきつい坂とゆるい坂しかないのだ。


第一の目標の「朝日台」に着いたのは

11:20 27.14㌔ 標高920㍍ どれほど押し歩いたかはっきり覚えていない。相当歩いた。感覚的には半分歩いたような気がする。ここで早めにそばセットの昼食を摂ったのだが、店のおばちゃんの話によると、ここからダーと下って、飯田高原。その後長者原まで登って、さらに延々と「牧ノ戸峠」まで登らないと阿蘇にはたどり着けないという事だった。おおよその事は分かってはいたが、現実に聞かされると、へこむ。

食後の走りは、今日初めての快感。車の通りも少なく、思いっきり下りの爽快感を味わった。今日の最高速度、時速55.5㌔は多分この時だったと思う。

しかし、快感のツケは再度の登りに跳ね返ってくる。再度1035㍍の長者原まで登るのだ。それでも、その長者原を出発したのが13:20だから、この時点では18:00阿蘇着は確信出来た。が、そこからの「牧ノ戸峠」までの登りは苦行だった。道標で「峠まで5㌔」の表示があり、全部歩いても14:30には着けると腹をくくって登ったところ

14:10 牧ノ戸峠 到着 39.71㌔ 1330㍍

天気は薄曇り、気温は多分22度位。昨日よりはよほどしのぎ易い。ここはいろんな山への登山口になっていて、駐車場は賑わっている。老年登山者、女性登山者が多いような気がする。

とは言っても距離的には半分と少ししか来ていない。休憩もそこそこに走り始めたが、全くの杞憂だった。

オーバーに言えば、阿蘇まで漕がずに来られた。それも豪快な下りと高原の快走が待っていた。


写真では分からないかも知れないが、とにかく気持ちの良い道だ。

阿蘇の街へ入ってからは普通の街走りで、結局

16:35 阿蘇駅近くのホテルにチェックイン。 74.08㌔

実働 5:45 で 平均時速 12.8㌔ だった。按ずるより産むが易しと言う事か。

問題は明日だ。もう一日阿蘇周辺で過ごす予定なのだが、現ホテルは連泊には値しないので移ろうと思っているし、天候は弱雨。宿泊先、行動予定‥、これから決めなくては。

目下、PCが部屋で自由に使える環境ではないのが辛い。

2013年5月30日木曜日

湯布院へ 先が思いやられる


ここが昨晩泊まったユースホステル。看板もないし、これではスンナリ来られなくても仕方がないと思いませんか。どう見ても普通の民家だよね。

ブログをアップしたりしてグズグズしていて、小雨が降っていたので雨支度などに手間取り出発は

10:30 わかってはいた事だが、いきなり登りが始まる。そっれでも必死で漕ぎましたよ。しかし

11:00 4㌔地点 歩き始める

(以後、休んでは漕ぎ、歩いては休みの苦しみの連続で写真すら撮っていない)

全体の1/3ほどのところに別府ロープウェイの駅があり、ひとまずの目標をそこにいおいていた。
歩いてそこに到着し、さあ、昼飯・大休止だ!とホッとしたものの、食堂などは一切ないという。

ここで大事件発生。汗を拭おうとして顔に何もない事に気づいた。眼鏡がない!入れ歯以上のショックだった。登り始めの頃、道端のベンチで一息入れた時に置き忘れたのだ。歳はとりたくないものだ。探しに戻るという選択はありえない。諦めだ。またもモチベーションが下がってしまった。

早速家に電話して、同じ処方で眼鏡屋に発注して欲しい旨を伝えたのだが、家人の「タクシーで戻ってとってきたら」という発言には驚いた。私にはない発想だ。確かにそれもありだ。でも不採用。

少し行くと、うどんぐらい食べられる店があるらしいと聞いたので、さらに少し登ると確かに店はあったが、廃業していた。どこまでもついてない。仕方なく店前の空き地で、手持ちの「黒糖菓子」を5切れ程の昼食。飲料は十分に残っている。

さらにヒーコラして漕ぎ登ったり、歩いたりして城島高原辺りまで来るときつい登りはほぼ終わったようで、(もちろん)低ギアで何とか漕ぎ続けられるようになった。この頃には雨が収まり雨具を脱ぐが、涼しく気持ちが良い。


13:10 湯布岳の登山口の駐車場で大休止。15.38㌔。

下山者におにぎりとバナナをいただく。うれしかった。それ以上に「もう登りはありません」という言葉はもっと嬉しかった。


ものの数分で「狭霧台」という展望駐車場にでる。眼下に由布院の町が一望でき、ついでにこれから下る道も見え隠れしている。かなりの勾配の下りが続いている。登りとは別の根性が要る道だ。久しぶりにヘルメットをかぶり漕ぎ始めたが「怖い!」と思いながら下った。急勾配に加え、道が細く交通が激しい。後からデータを見ると、本日の最高速度は毎時46㌔なのだが、通常ならば50㌔を越えてもおかしくないところだ。コーナーのブレーキは定説に従い、スローイン・ファーストアウトをきちんと励行し、

14:35 由布院の街中に到着。22.32㌔

チェックインまで間があるので中心街を歩いてみたが、「なんと人が多いのだろう」という感想をもっただけ。「金賞コロッケ」(¥150)を立ち食いした。

本日予約のユースは、事前調査によると坂の上にあり最後の一キロは激坂だという。そして着いたら「漕ぐの大好き」と言うと200円値引きしてくれるという事なので、それだけを頼りに、最後は、喘ぎながら歩いた。


写真で激坂振りが分かるかな。でも、人には教えたくないくらいすばらしいユースです。 

15:35 到着 24.84㌔

風呂は源泉かけ流し、食事は最高(レストランといっても通用する)デザートもいけます。喫煙室もあり、そこからの湯布院の町の夜景は最高です。

明日もどうにか天気はまあまあ程度は期待できそうなのだが、「やまなみハイウェイ」を60㌔以上走り阿蘇まで行く予定なのだが、今日の25㌔でこんなに疲れたのに大丈夫だろうか。

いよいよ九州 その前に大洲

(実はこれを翌日の朝別府で書いている。どうも昨晩はネットの繋がりが悪かった)

本日は20㌔足らずのところの八幡浜発 10:15分のフェリーに乗ればよいので余裕をもって、、大洲の街の見学だ。3年前は素通りしてしまった町だ。余裕があるってすばらしい。

「おはなはん」のロケ地で、古い町並みが残っている。地図を頼りにかなり歩いた。




最後の城の写真は、朝練をしていた中学生に撮ってもらった。「頑張ってください」という声援ももらってしまった。

8時前には街を離れて八幡浜に向かったのだが、例により峠越えが待っていた。一つ目のトンネル(600メートル)を抜けてヤレヤレと思うと、再度の登りの後には2200㍍の「夜昼トンネル」が待っていた。

安全な歩道はない。、大型車も含め交通量は多い。しかも見たところ前半分は登りになっている。ふと、「歩こうか」と思ったが、危険には変わりがなく、時間がかかるだけなので、完全装備で突破に決定。

この時のために持ってきたヘルメットに装着できる、JAでもらった小さなライトをはじめライトを全て点燈。それでも実行に移すまでに煙草を2本吸う必要があった。

写真は出口。ここで今日のを使い切ってしまった。

それでも1時間くらいの余裕を持ってフェリー乗り場に到着。

3時間余りの航海の後13:10 別府港 到着。別府の町も以前は通っただけ。

意外にも快晴。蒸し暑い。ひるめしを食べたり海岸沿いをぶらついて時間をつぶす。やはり入れ歯がないと食事がうまくない。早く慣れなくてはいけない。


港近くにオーストラリアのパースにあるような桟橋があったので、愛車の記念撮影。沖の船は私が乗ってきた宇和海運のフェリーで、多分八幡浜に戻るところだろう。

ぐずぐずしていたには理由がある。予約済みのユースホステルはひたすら4㌔程登ったところにあるのだ。それが辛く、なるべく遅らせようという女々しい根性の故だ。わかってはいるが、辛いものは辛いのだ。

でも、登り始めた。今日のはのこっていないと思っていたが、何とか動く。

何とか一応の道路わきの目印のスーパ^のところまで来たが、例によって行き着かない。結局「地獄」まできてしまった。私は炎熱地獄。それから探すこと15分、やっとたどり着いた。

着いた途端にそこの主に、思わず「わかりずらいよ」と恨み言を言ってしまった。まだ、4時前だったので、定番の「地獄めぐり」に出かけ、


夕食後は(「りゅうきゅう」を特別に加えていただき満足)、お勧めの「ひょうたん温泉」にもいってきた。やっぱり、別府は温泉ですよね。日焼け跡も落ち着き何とかなりそうでホッとした。

2013年5月28日火曜日

降ったり止んだり・着たり脱いだり

8:35 フェリー 中島 大浦港 出航

10:00 三津浜港 到着


この船で到着。思いの他多くの人が乗っている。やはり瀬戸内海ではフェリーが必須のもののようだ。

今日は松山には寄らず、大洲まで約55㌔。予約したホテルには17時頃までには着きますと言っておいたので余裕の積もりで漕ぎ始める。

港から10㌔程走った時、(今では何がきっかけだったかはわからないが)民宿に入れ歯を忘れてきた事に気づいた。こういうのって、本当に気が滅入る。すぐ民宿に電話を入れ、横浜の自宅に送っていただくようにお願いして一件落着なのだが、実はこれで2回目なのだ。要するに進歩がない。モノ忘れにも限度がある。そしてテンションが一気に下がってしまった。だから‥というわけではないが、290㍍の犬寄峠を越すのに歩いてしまった。もっともトンネル2つを含む難所ではある。


もっともここを抜けてからは内子をとおり大洲まで谷川沿いの下り基調の私好みの道。

ただ、ここまで何度雨具を着たり脱いだりしたことか。昨日四国地方の梅雨入りが発表され、今日も走り始めてまもなく降り始めたので、荷物をほどき上下のカッパを着込んだのだが、11時半頃には薄日すら差し、脱いだ。只、用心のためしまい込まず荷台にくくりつけては置いた。サイドバッグはもちろんカバー装着。やはり数十分後には降りだしあわてて着る。

主題からは外れるが、伊予市では正午にポール・モーリアの《恋は水色》が流れる。きっと謂れがあるのだろう。

内子の道の駅で大休止したときには止んでいたので、ホテルに着いてからの仕事を減らすために、上下ともきちんと畳んで、元通りに車体のくくりつけた。あと15㌔程なので、降ったら降ったで突っ走ってしまおうというつもり。

案の定、今まで以上に激しく降ってきた。

16:00 大洲駅近くのホテルに投宿。

一段落してから街に出て、タバコなどを買い、ついでに目に着いた四国銘菓「一六タルト」を夜食に買って帰る。


明日は(雨次第だが)チロっと市街見学をしてから八幡浜まで走り、フェリーで別府に渡る。ユースホステルを予約してあるが、最後の3㌔はほとんど登りだっそうだ。

久しぶりに今日のデータ。

走行距離 58.76㌔  累計 33808㌔  最高速度 毎時37,5㌔  走行時間 3:42
平均速度 毎時15.8㌔

2013年5月27日月曜日

またも寄り道 松山沖 中島

7:40 すぐ近くのフェリーターミナル(大和ミュージアムの裏)に向かうべく、家人とホテルを出ると、元気の良い掛け声とラッパの音が聞こえてきた。海自呉教育隊からだ。さすが軍港。

8;20 桟橋で広島へのフェリーに乗る家人を見送る。 これで5泊6日の珍道中は終わった。

9:00 松山観光港へ向け出航。

(民宿にて、なんと無線LANが使える。しかしこの写真をアップするだけで5分かかる)

港内では、もう短艇訓練が始まっている。


音戸の瀬戸を抜けて

10:55 松山観光港着

4㌔程北の三津浜港へ移動。13:00までの間大分時間があり、近辺を走り、MACで昼食。MACなんて本当に久しぶり。


三津浜の港は寂しいが、中島線の乗客は多かった。いくつかの島をかわしながら

13:55 大浦港に入港。

(海上から 大浦の港)

上陸はしたが、まだ多分チェックインまでは時間があるだろうと思い、なんとなく民宿と反対方向に走り始める。実は明日からは天気が崩れるという事なので、気持ちの良い走りの収めつもり。

これが大正解。ほとんどアップダウンのない、良く整備された気持ちの良い20㌔弱の周回道路でこんな景色がずーと続く。


民宿にはフェリーの到着時間を告げてあったので、遅れを心配するといけないと思い、丁度反対側の辺りから電話しようとしたが、「圏外」だった。SOFTBANKです。

15:15 民宿到着。

なんやかんやで24㌔走った。明日からは雨がちだそうだ。ついてない、というより今までが恵まれすぎたのだろう。日焼け過ぎで真っ赤だった両腕が赤剥けしてきて痛い。 

食後に追加

すごい! 鯛尽くしの夕食


 

2013年5月26日日曜日

今日はOFF 観光の日

自転車はお休み。

朝、フェリーで江田島へ渡り、旧海軍兵学校、現海上自衛隊第一術科学校・幹部候補生学校を見学する。時間毎に一般の申し込みを受け付けており、朝一番のグループで見学。

自分自身は3度目なので特に目新しいことはなく、付き添いの案内人(海自退役者)の至らないところを家人に解説する役目。でも、うるさがられる。

教育参考館では、わたしの名前、「眞人」の由来となった小説の主人公のモデル、九軍神の一人の遺書を読ませたりした。ぜんせん聞いてない。


隊内で昼食を食べてから呉に戻り「大和ミュージアム」と海自の広報館の「てつのくじら館」をじっくりと見学した。


夕食は、例のペンションだんなお勧め、「テール鍋」の関白の予定。

明日からの四国、松山付近のの天気が心配だが、「曇り」予報なので、当初の予定通り、松山沖の「中島」の予約をして、明日からの行動計画が完了。

私は明朝フェリーで松山へ、家人は若干早く同じくフェリーで広島へ向かう。




2013年5月25日土曜日

尾道から呉 竹原の歴史保存地区観光

7:25 家人に見送られホテル出発


昨晩泊まったペンションのダンナから、呉に行く途中にある「竹原」は古い町並みが残っていて見る価値があるという話を聞いて飛びついた。それまでは、只、私は自転車、家人は列車で呉に行き、そこで落ち合うという単純な計画だったが、これで企画が膨らんだ。

このコースは以前に逆方向且つ雨中ではあったが走ったことがある。そしてもちろん竹原も通っていたのだが、そのときは夢中で走って何にも知らずに通り過ぎていたので、ありがたい情報だった。

10:30にた竹原の道の駅で落ち合う事として、家人より一足早く出かけた。


瀬戸内海沿いの、こんな気持ちの良い道(R185)を走り


こんなすばらしい浜辺の公園で一息を入れたりして、極楽サイクリングを堪能して

10:00 道の駅に到着 39.34㌔

30分ほど送れて家人と合流。 塩取引で栄えた商家やニッカの創始者の作り酒屋などが立ち並ぶ歴史保存地区を散策。



レストランでおいしいオムカレーをいただいてから

13:05 家人には何か計画があるようで呉到着時間が不明なので、とにかく先に着いた方が先にチェックインすることにして、呉を目指して走り始める。

ここ竹原がちょうど中間点なので、遅くとも4時には着けるだろうとの目算だったが、途中の向かい風と3・4箇所に及ぶミニ峠超えのおかげで、ヒイヒイいう羽目になってしまった。後半は苦しい走りになってしまう。

15:23 家人より「今、部屋」の電話が入る。 67.16㌔地点 まだ16㌔残っている。

の町からに入る長大な休山トンネル(2200m)は私が走ったことがある長いトンネルの中でも最良と言って良い。前回は呉から走り始めてすぐの事だったので余りありがたく感じなかったのだが、写真で見ていただければわかるように、トンネルの2/3程が透明な防音壁で完璧に区切られ、歩行者と自転車は全く安全に通行できるようになっている。


また、例によって街に入ってからのホテル探しに手間取って

17:05 ホテル到着。

夜は洗濯などを済ませてから、広島風お好み焼きの夕食。 堪能した。

真っ赤に日焼けてしていた両腕が、プチプチと水ぶくれとなり、ベロリと剥け始めた。





2013年5月24日金曜日

しまなみ海道無事終了

5:05 部屋の窓からの日の出を拝み、一日の安全を祈願する。 今日も良い天気だ。

朝の散歩の後、7時においしい朝食をいただき、NHKの朝の連ドラを見てから

8:45 ペンションの主夫婦に見送られて出発

昨日通った道をまた戻り、生口島を時計回りに回って生口橋を目指す。途中、古い町並みが残る瀬戸田の町を通過するのだが、4年前に雨の中、逆方向からしまなみ海道を渡ったとき、ようやく寝場所を得る事ができた思い出の旅館を見ることができた。

橋までの途中、ペンションで情報を仕入れた「ドルチェ」で、いちじくのジェラートを食べ、、形の良い生口橋を渡り因島に入る。

島中では瀬戸内海の景色の良い海岸沿いの道と、何箇所かの長い、きつい坂を越えて因島大橋のたもとの公園で、買い置きのパンでランチにする。 ここで12:30 31,03㌔

最後の橋へのアプローチの登りのきつかった事。家人はあのママチャリでよく登ってきたと思う。

因島大橋は唯一二階建ての構造で自転車は下の階を走る。料金が50円の割には、渡りきった後ではとても長かったような気がする。これで「しまなみ海道」の橋は全て終了。向島に渡った後は7㌔ほど走り尾道へのフェリー乗り場に至り、無事しまなみ海道走破完了。

お疲れさまでした!

上の写真はフェリー乗り場、目の前の対岸は尾道市街。

家人の自転車をターミナルで返却し(当方の勘違いで保証金の1000円は戻らなかった)

15:30 かねて予約のホテルにチェックイン。45,44㌔



ホテルの部屋には自転車を持ち込め、眼下の景色はご覧のとおり。(我々が乗ったフェリー乗り場が見える)高いだけの事はあると変に納得。

夕食は街に出て「尾道ラーメン」

明日は呉に向かう。

2013年5月23日木曜日

しまなみ海道前半戦

6:06 ホテル出発。

6:50 サンライズ糸山到着 ロビーはどこかの社員研修の若者で一杯だった。これが満室の原因だった。

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こんなお洒落なプレートをいただき、8時頃出発。


家人は自分ga選んだ「ママチャリ」で一応内装3段。荷物が積めるからという理由だそうだ。

来島大橋→大島(山越えに相当苦労して、村上水軍資料館に寄る)→大島大橋→伯方島→大三島(多々良大橋の付け根の道の駅でのんびり昼食)ここで12:40  40㌔


橋へのアプローチの登りがママチャリではややきついかも知れない。少なくとも自分はしたくない。



本日最後の多々良大橋を渡り、生口島の東側にある開業したてのペンション輪空(RINK)に到着したのは

15:15 50.76㌔

予定より大分早く着いてしまったが、コールドレモン水のウェルカムドリンクで迎えていただいた。ここは名前のとおり「自転車野郎」が開業したペンション。食事も最高。お勧めです。



明日は尾道までの、予定35㌔。


大分予定が変わってきた

(22日分はPC環境の関係でアップできなかったので23日宿泊のペンションから更新)

今日は40キロ程の今治までなので、ホテルにて朝食(卵焼きが最高だった)をいただき、朝の連ドラを見てから

8:35 出発。


走り始めてまもなく、今治で合流予定の家人から「今、今治駅の観光案内所だが、今治で何か大きなイベントがあってどのホテルも満室でとれない」と言ってきた。一大事だ。そもそもこの日は「しまなみ海道」の今治側の出発点「サンライズ糸山」に宿泊予定のところがとれずに、それではと、駅近くのホテルへ変更していたのだ。そのホテルがとれないとなると、根本的に計画変更しなければならなくなる。そこで「何としても駅近くのホテルを確保して欲しい」と指示をして、走り始める。

9:30頃 11㌔地点にて、「とれた」との知らせにホッとする。そのときにやや、予定変更で、駅前のターミナルでレンタサイクルを借りてしまい、明日の朝から一緒にスタートしてしまなみ海道を目指す事となった。

今日走っている国道11号線は難所がない代わり、何の楽しみもない、只の国道。そんな中、唯一マップル上に目を引いたのが「うちぬき」で〔豊富に噴出すうちぬきが市内のあちこちに、日本一おいしい水でもある〕と書いてある。どうもイメージが沸かないまま、北海道の「やくも飲料」をイメージしながら、地図をたよりに行ってみたが、「確かこの辺りなのだが」というところで、土地の人にそれはどこだ、と尋ねると、「すぐそこ」と指差してくれたのが、下の写真の一画。


どうも「市内いたるところ」というのとはちがうようだ。でも確かにおいしい。この地帯の水道源だという。地元の人だろうか2組ほどが大量のペットボトル持参でこれを汲みに来ていた。

この辺り一帯もそうだが、国道から外れたところに「広域農道」が走っており、実に走りやすい。


どうです、これが農道ですよ。皆さんもぜひご活用ください。今回も、それとか集落の中の旧道を選んでは見たが十分に走れたとは言えなかった。

11:00 26㌔地点 道路沿いの「自家焙煎」の文句につられて喫茶店へ。モーニングのランチ?。ベニー・グッドマンのCDがかかっていた。久しぶりのおいしいコーヒーだった。

13:00 39㌔ 道の駅「今治湯ノ浦温泉」でアイスを食べたりして休んでいると、同年輩のカーボンのレーサー・レーパンの方と話し始めた。大阪から新幹線で尾道、しまなみ海道を走って来たそうで、新居浜からの今晩のフェリーで戻るので時間が余ってしまって・・・、と。つい、うちぬきの事や長期ツーリングの楽しさ、北海道の気持ち良さなど話しがはずみ、気が付くと3時になっていた。

あたふたと別れを告げ、今治駅前のホテルへと向かった。10㌔ちょっとのところを、やや探しまわってしまい、

16:00 ホテルチェックイン。 家人はすでに着いていた。そこで、またも若干予定変更。サンライズ糸山に「レストラン風」があり、朝7時から営業していることがわかり、明朝早くホテルを出て、6㌔ほど離れた「サンライズ糸山」で朝食をいただき、しまなみ海道へ走り出そうという事になった。

結果的には最高のプランとなった。結果よければ全て良し。夕食は和民で満腹。

2013年5月21日火曜日

境目峠は正解だったが・・・

6:00起床

昨日買っておいたおにぎり等を軽く食べ

7:10出発

昨日から県境の境目峠の事が重くのしかかっていた。(少しオーバー)調べた限りではそこを貫くトンネルは狭くて長い(800メートル)。交通量が激しいと恐ろしいことになりそうだし、そこを回避するルートの旧道があるらしいのだが状況がよくわからない。結局決まらないまま出発。


この池田大橋を渡ってさらに西へ進む。渡って左へ行くと小歩危・大歩危等を通って高知へ抜けられる。

10㌔程でその迂回路を発見。(少し手前で土地の人から情報を得てはいる)大型車を含み結構な交通量なのでトンネルは断念し、こちらを選択。

8:15頃 左手に入ってゆく迂回路に入るのだが、いきなりの激坂。ギアを相当落として取り掛かる。


ウンウン登って行くと、ものの10分ほどでトンネルの上に出た。その後は大体足弱な自分でもなんとか登れる、気持ちのよい道が続く。もっとも、トンネルができるまではここが本道だったのだから、そんな急な辺鄙な道であるはずがない。


しかし、これが本道だったとすると、やっぱり交通の難所だったのだろう。ここを大型車が走っていたと誰が信じられるだろうか。



「峠」の表示は至って簡素。ここから愛媛県。

こんな感じで峠越えは終わるのだが(右へ曲がってR192へ合流)、この峠越えは、もともと本道が通っていたところなので、点在する集落を縫っていくようないい感じだった。何より漕ぎとおせたのがうれしい。さらに、峠から40分くらいのくだりは爽快そのもの。自転車旅に出てきて良かったと思わせてくれた。

どーんと瀬戸内海に出たところが、あの大王製紙で有名な川之江。

そこからは予讃線に沿ってR11で新居浜へ向かえばなんでもなかったのに、時間が余りすぎていたのが致命傷。マップルに拠ると土居というあたりで海沿いの方に右にそれてゆく県道13号というのがあり「R11を回避 風景良し」とあり、遠回りにはなるのだがこの文言につられ行ったのが間違い。いえね、これに偽りはなかったけど、途中延々と登る事がどこにも書いてないじゃないか。いくらバイク相手の地図でも一言ぐらいあってもいいんじゃないか。今回のツーリングで初めて押し歩きました。それ小一時間くらいだったかな。

でも終盤は最高の下り。多分本日のMAX52.5㌔はこの時のもの。



それでも時間があまり、ホテル近くの国領川で足など冷やしながらまったりとしてから

15:50 ホテルチェックイン

本日のデータ 

走行距離 65.83㌔ 累計 33491㌔ 最高速度 毎時52.5㌔ 走行時間 4:43 平均速度 毎時13.9㌔

天気は一日中薄曇り(薄晴れ?) 両二の腕が昨日の日照りで真っ赤になって、軽度の火傷状態。