もちろん、まだ真っ暗。旅館の玄関先で荷物の搭載して、数百㍍離れた埠頭に向かう。別に時間の余裕が無くて焦ったわけではないが、ここでヘルメットを積み残してしまった。徳山到着後に気付き、旅館に電話をして、横浜の自宅に送っていただく事お願いをした。殆んど被る事がなかったので実害は皆無だったが、とんだ迷惑をかけてしまった。その旨を横浜に電話すると家人が笑っていた。前回の北海道行きの時には水戸のホテルに「入れ歯」を忘れて来たが、困ったもんだ。
2011年9月30日金曜日
2011ツーリング 9日目(8/26)
もちろん、まだ真っ暗。旅館の玄関先で荷物の搭載して、数百㍍離れた埠頭に向かう。別に時間の余裕が無くて焦ったわけではないが、ここでヘルメットを積み残してしまった。徳山到着後に気付き、旅館に電話をして、横浜の自宅に送っていただく事お願いをした。殆んど被る事がなかったので実害は皆無だったが、とんだ迷惑をかけてしまった。その旨を横浜に電話すると家人が笑っていた。前回の北海道行きの時には水戸のホテルに「入れ歯」を忘れて来たが、困ったもんだ。
2011年9月27日火曜日
2011ツーリング 8日目(8/25)
9:25 立石峠(147㍍)を越える。こちらも大した事はなく拍子抜けした。地図上に標記がある程度の峠で、しかも半島を横切るルートだからと覚悟をしていただけに肩透かしを食ったようなものだ。いや、喜んでいるのですが…。
9:50 42㌔地点 殆んど平坦な鉄道沿いの道が続き、計算通りのペースで進んでいる。宇佐神宮は近い。
10:25 46㌔ 宇佐神宮 着
竹田津へ行くにはいささか遠回り・寄り道にはなるのだが、ここに寄らない手はない。以前から訪ねたい神社の一つだった。宇佐神宮はまたの名を宇佐八幡とも言い、全国に散らばる八幡神社の総元締めらしい。私が走ってきたルートは神話に満ちた地帯なのだが、この神宮も例外ではない。宇佐神宮には三柱の御霊が祭られており、応神天皇・神宮皇后までは何となく理解できるが、もう一柱の御霊はどうも従来の土着の神様由来の三姉妹なのだ。しかも見方によっては、伊勢神宮をも凌ぐ程、皇室との結び付きが強い。とにかく、謎の多い神社だ。かなりゆっくりと参拝と見物をしてから
11:10 神宮出発 竹田津へ向かうのに、来た道を引き返すのがイヤだったので、何とか違うルートで行こうとして、結局6㌔程無駄な走りをしてから国道213号線に戻り、国東半島を時計回りに回るコースに入る。当初は平坦な走りやすい道が続く。
12:00 53.3㌔ 昼食(ラーメン)
この食堂で、思い切って、初めて、サーモスに氷をいただくお願いをした。快く応じてくれてサーモスの口切一杯まで氷を詰めてくれた。こんなうれしい事はなく、以後できる限り、昼食時に氷をいただく習慣?ができてしまった。
14:30 73.71㌔ 地点 あと少しだ。
後半に入ると、かなり複雑な海岸線沿いの、短いトンネル混じりのアップダウンの激しい道が続き、最後には
14:55 76.8㌔ 新竹田津トンネルを抜ける。
これも1010㍍の歩道・側道の無い恐ろしいトンネルだった。本当に怖かった。(過去何度もトンネルの怖さについて触れたので、簡単に言うに留めます)
15:10 79㌔ 竹田津フェリー乗り場 着
ここでお恥ずかしい話しをする。事前の調べでは、ここ竹田津から広島の徳山へは2時間毎に便があるはずだった。一体何を見たのだろうか? 待合室で時刻表を見ると午後は2便しかなく14:20、19:00発だ。あと4時間もある。オーバーに言えば、目の前が真っ暗になった。待合室と言っても冷房はなく、座りにくい椅子がいくつかあるだけだし、岸壁で釣りをして過ごすには暑過ぎる。別に急いでいるわけではないのだが、4時間は長すぎる。
と、その時、明日の始発が4:20というのが目に入り、同時に岸壁の入り口付近に旅館があったのを思い出した。こんな待合室で時間をつぶすより、近場の旅館でシャワーでも浴びて、寛いで、明日の始発で出発すれば、万事上手く収まるじゃないか!
早速フェリーの事務室に相談してみると、直ぐにその旅館に電話をしてくれ、「夕食は出せないけれど…」という条件で受け入れてくれる事になった。ばんざーい。我ながら頭の切り替えの速さに惚れ惚れした次第。ピンチはチャンス。
そこの女将は親切な方で、「丁度自分も食べるところだったから」と美味しいそうめんを出してくれた。もちろん美味。夕食は改めて、先ほどのフェリー乗り場の売店で弁当を買ってきて食べた。
これで第一ステ-ジが終了し、走行距離は469㌔となった。
計画より1日多くかかっているが問題は無いだろう。1日平均78㌔走っているのだから満足だ。明日からは山陽・瀬戸内海沿いを走る。
2011年9月23日金曜日
2011ツーリング 7日目(8/24)
6:30 ホテル出発
今日のそもそもの予定は上の航跡図とは違い、臼杵からは佐賀関半島をショートカットして、大分、別府へと行く積りだったが、臼杵の町で変更。その辺の事情は後で…。結果として正解だったと思う。
町を出ると直ぐに登りとなる。下の写真は6:53頃、先にはこれから登っていく道路が見えている。この辺りではまだ漕ぎ続けていたのだが、こういう景色が目に入ると、脚が弱く根性がない私は気分が滅入る。そして歩き始める。
7:30 6.52㌔ 新臼津トンネルを抜ける
140㍍の臼津峠を登りきるとトンネルがある。その手前で、例によって一息入れていると、傍らの野菜売り場からおばあさん(と言っても70歳なのだが)が出てきて、いろいろ話しをした。不思議なもので、横浜から来たと言うと(このような立ち話をした方は10人以上になるが)殆んどの場合、自身住んだ事があるとか息子や姪が居るとかで、横浜には縁があるという話しが出てくる。そして意外と菊名とか日の出町とか馴染みの地名が出てくるのだ。皆さんよく覚えていらっしゃる。
そんなおばあさんに励まされて、1600㍍を越える側道がない恐怖のトンネルに飛び込み、抜けた時は本当に安堵の溜息がでる。そこからは下り一本で臼杵の市街地に出るのだが、そのためには本線(R217)からは一旦降りなければならないが、これが今回は予期せぬ好結果を生んだ。
臼杵の町では小一時間程観光客になった。古いこじんまりとした城下町の風情が残っている。楽器店の店頭には「海援隊」のポスターが貼ってある。「まだ九州ではいけるんだ!」 ライブではなくトーク&ライブとは正直で良い。成功をお祈りしています。
ここからは大分を目指すのだが、半島を横切る県道21号線が近道で、当初はその積りでいたのだが、町外れで通りすがった郵便配達に、念のためにR21に至る道を聞いてみると、九六位峠がきついので、半島の海岸線沿いに行った方が良いというアドバイスをもらった。地元の方のアドバイスは貴重だ。それに従った。
9:00 26.3㌔ 佐志生(さしう)着
右手に臼杵湾を見ながら漁村から漁村へという細い道を走る。これで半島を回れたら最高だと思いながら佐志生で一息。下半身だけの水遊び。上の写真が佐志生の海岸で、近くでは2箇所でご老人、主におばあちゃんがグランドゴルフの練習をやっていた。(実は私も町内代表選手だ)結構盛んなんだ。
ところがその少し先(下の写真)付近で行き止まり。土地の人に聞くと左手の斜面を登っていくと国道217号に出られるという。当然、それに従ったが、これが坂というより崖。殆んど持ち上げ運ぶように、10歩進んでは1分休みを繰り返しながら、ようやくの思いで国道に出られた。
それでも、なるべく海岸線を走ろうという執念は止まず、下へ降りる道を見つけては、しばらく行くと「行き止まり」というのを2回もやってしまった。下の写真・図は10:17頃 30㌔付近。往復で700㍍のロス。
10:52 36.5㌔ レストラン佐賀関
頃合もよく、ここで昼食。11時開店というタイミングだった。
この辺りを走る予定が全くなかったために、一帯は手持の地図からは外れ、また、事前の調べもなく、予備知識がゼロだった。ここが「関サバ・関アジ」のご当地だったんですねえ。店内をブラついていて知りました。思わぬ収穫だ。
いただいたのは「リュウキュウ丼」+クロメ汁。リュウキュウ丼はある種のズケ丼で美味。クロメはかなり珍しい海藻で珍味ということだが、味噌汁好きの私としては値段の割にはイマイチ。このブログ作製に際して改めてツーリングマップルを見ると、近くには「関の漁場」という漁協直営店や「関の亭」という地元で人気の店などもあり、今になってから、こっちの方が良かったのかなあなどとも思うのは、無いモノねだり、或いは、貧乏人根性というのだろうか。
12:00 出発
半島周回の(途中からはR197)快適なサイクリングのうちに次第に市街地に変わってきて
15:00には大分中心部を過ぎ(68㌔)
15:45 別府の町中心部よりやや東のビジネスホテルにチェックイン。さすがに日本を代表する温泉地だけあり、相当賑っている。
酷暑の1日ではあったが、色々楽しい事も多かった日だった。夜はホテルから程近い温泉施設で温泉三昧。私は別に温泉趣味とは全く縁のない者だが、やはり別府といえば温泉、十分に堪能した。マッサージ器にも座ってきた。夕食はファミレスで刺身中心の定食をいただく。
本日の走行距離 79.29㌔ 走行時間 5:22 平均時速 14.7㎞/h
2011年9月22日木曜日
2011ツーリング 6日目(8/23)
5:45 出発
今日の予定は佐伯(さいき)を通り津久見までの約80㌔。殆んどが内陸部を走る。という事は、かなり登りが多いだろうと覚悟をする。
走り始めてしばらくは日豊本線と北川に沿った谷間のR10を進む。交通量はそれほどではなく、トンネルは短く危険は感じず、体も順調で、しかも早朝、さわやかなサイクリングだ。下の写真は22~23㌔地点で8:00頃。もうすぐ宮崎・大分県境というところ。日豊本線と交差します。
8:15 27㌔ 大体県境
「大分へようこそ」という看板はこの先にあったが、下りでスピードに乗っており、また小さかったのでパスした。大体、県境・市境というのは峠のピークにありちと苦しむところ。ここもご多分に漏れず、近くの旧道では「宗太郎越」と呼ばれる峠になっている。ここR10でも私は歩いた。歩く事に殆んど屈辱感を感じなくなっている。只、快適に歩けるかどうかだけが問題なのだ。
9:15 37㌔ 重岡駅
県境の先にはトンネルがあり、恐らくその辺りが分水嶺となっていたのだろう、そこを越えると下りとなる。その途端に雨が激しくなり「重岡駅」で10:00まで雨宿り。これも判断が難しいところだ。雨宿りは、しばらく待てば雨は収まるという判断の下にするのだが、これの判断が外れたら(一向に雨が収まらなかったら)只の時間の無駄になってしまう。今回は正解だった。
重岡の町は小さな町だが、駅も無人駅だった。
以後は快調な下りが続き(嬉しい)。
10:30 48㌔ 直川まるごと市場
のり巻き弁当の昼食を摂ったり、ソフトクリーム(滅多に食べない)を食べたりして休憩
11:30 出発
直川から10㌔程で番匠大橋に至る。番匠川に沿って右折しR217を行けば佐伯に出るのだが、河原で水遊びをして、近くの「道の駅やよい」に寄ってしばし休憩(本当に休んでばかりという感じだ)。
改めて手持の地図を見直すと、必ずしも佐伯中心部を通らなくても津久見に至るショートカットコースがあることを発見。県道36号線(佐伯津久見線)だ。そう言えば佐伯には何も思い入れはない。事前の調べの時に何となく通過点として設定しただけだ。大昔「佐伯鶴城高校」というのが水泳が強かった記憶があるくらいだ。当然パスすることにした。
例によって内陸ルートには峠が待っている。そして今回は長い(約1500㍍)トンネル。「彦坂トンネル」という。改めてGPSログを見ると71㌔地点から73㌔地点の間の2㌔くらいは歩いている。そしてその間150㍍登っている。
写真はトンネル手前の駐車場だが、休憩をとり息を整えトンネル越えの覚悟を決めているところ。この彦坂トンネルには歩道・側道はなく、50㌢ほどの点検通路があるだけなので走るより他に方法がない。見たところ下り基調なのがわずかに救いだ。私のように脚の弱い自転車旅行者は登り基調のトンネルは地獄の苦しみとなる。そもそもがトンネルが怖いので、一刻も早くそこを抜けたい、しかしスピードが出ない、どんどん筋力が抜けていくのが自分でもわかる、そして焦る…。
準備だけはしっかり点検。まず、積荷の固定具合。反射安全ベストの着用。リアライトを2つ点灯。ヘッドライトの点灯確認。車はまとまってくる習性があるので、両車線の一団が過ぎた直後を見計らって突入。15:00 74.6㌔ トンネルを抜ける。途中経過の定かな記憶はないが、後続車接近の際には(こんな時にはバックミラーが役に立つ)停車して車体を左へ倒してやり過ごしたような気がする。
あとは津久見の町に走り降りるだけで楽勝。駅前で大友宗麟像の記念写真を撮って、ホテル探し。意外と手間取る。
16:00 ホテルチェックイン。
町では一番大きなホテルに落ち着く。ツインしか空いてなく、それでも1泊4,800円。夕食はジョイフルでチキンステーキ
本日の走行距離 83.82㌔ 走行時間 6:00 平均速度 13.9㎞/h
2011年9月21日水曜日
2011ツーリング 5日目(8/22)
15:30 79.59㌔ 延岡市内 ホテル チェックイン
2011年9月20日火曜日
2011ツーリング 4日目(8/21)
5:15 起床
パンとコーヒーの朝食をとり着替えをしてから
6:45 出発
今日の予定は「西都原古墳群」を見に行き、その後、行ける所まで行こう、というアバウトなもの。
時々雨の天気予報なので、リアサイドバッグにはカバーをかけ、フロントバッグも直ぐにカバーをかけられる態勢で出発する。昨日トンネルを出てしばらく戻るようなコースで下ってきたので、今日はいきなり登りから始まるが、朝一番の走りとして、快調にスタートする。
8:45 22㌔ 宮崎中心部
途中、観光地青島等を通り、R220で宮崎市内に入る。
宮崎市内にはこれといった目的物は何もない。ただの通過都市なのだが、市内を流れる大淀川に架かる橘橋を渡る時、ふと思い出したことがあった。
家人の母方の祖母(故人だが私も可愛がってもらった)が宮崎の名家の出なのだが、何でもその彼女の父親だか、祖父だかが亡くなった時、遺産の中に大淀川河口近くの「中洲」があり、その処理が結構大変だったという話しを聞いたことがある。当時は、「中洲」なんてかなり不安定なもので、そんな土地にも所有権があるんだなあ、と面白く感じたものだった。
そこで、その中州ってどこだろと橋の上から眺めてみたが、その中州は見当たらなかった。
宮崎からはJR日南線から離れ日豊本線沿いに北上するのだが、なるべく海岸線に沿って進む積りで「一ツ葉道路」へ出ようとしたのだが、行ってみるとそこは自動車専用道路で、戻って内陸よりの道路を行かなければならなかった。その後もこのようなケースが度々あり、その度に「クソッ」と思ったものだが、今思えば、そのほうが反って静かな道を走れたような気がする。
10:40 39㌔ すき家にて早めの昼食(ハンバーグ定食)
11:20 出発
12:00 44㌔ 一ツ瀬川に架かる日向大橋
実は先程の「一ツ葉道路」が終わったあたりが「宮崎佐土原西都自転車道」の起点となって、「西都原古墳群」まで通じている事が、そこにに行ってみようと思った理由の一つでもあるのだ。せっかく自転車道があるのだから、なるべくそれは走ってみたいではありませんか。この自転車道は一ツ瀬川を遡るように古墳群に通じているので、途中からではあるが日向大橋南側から自転車道に入れるというわけだ。
以前から、雨は降ったり止んだりを繰り返していたのだが、このあたりから、特に降り方がひどくなる事が多くなってきた。そのためにカメラが入った小バッグをフロントバッグに納め、そこにカバーをかけてしまうので、写真を撮る機会が殆んどなかった…、これは本日の写真が2枚しかない理由。
そんな雨があったにせよ、この自転車道は正解だった。これまでで、一番気持ち良く、周囲の風景を満喫しながら、ああこれがサイクリングかあ等と思ったものだが、ほんの10㌔程で国道219号(米良街道)に合流してしまった。
13:30 60㌔ 西都原古墳群 着
古墳群自体が高台にあり、西都の町からはかなりの急坂を登らなければいけない。当然歩いた。雨は殆んど上がっている。
殆んど予備知識がなく訪れたのだが、いやあ、広大なものだった。自転車で走り回るのには丁度良いが、歩いて回ったらさぞ大変だろう。上の写真は古墳群の一画を見下ろしたところ(これでは広大さも古墳も何もわからないね)、下は資料博物館。
本当に日向は「神話の国だなあ」と思う。ここも当時一大勢力のあった地方豪族の古墳群かと思うと、なんと宮内庁が所管するご陵墓が二つもある。要するに天皇家のルーツとも関係があるらしい。それだけではなく、何箇所か立ち寄った神社も、その由来を読むと、ごく普通に「神武天皇」の名前が出てくるのだ。これは絶対に、こちら関東には見られない事だ。「神武東征」を実感する。
さて、これからどうするかだが、大して疲れたわけではないが、雨模様ではあるし無理する事もないな、などと理屈をつけて本日は西都泊りにした。
15:00 64.22㌔ ホテルチェックイン
コインランドリーで洗濯。夕食は町のレストランで豪華ステーキ膳
本日の走行距離 64.22㌔ 走行時間 4:17 平均速度 15㎞/h
2011年9月18日日曜日
2011ツーリング 3日目(8/20)
近くのコンビニでインスタントラーメン、食パン、ジャム等を買い込んで
7:45 きちんと出発
8:20 7、8㌔地点。
鹿児島県から宮崎県(串間市)へ入る。(コース図で左の赤ピン)自転車では始めての県だ。さらに5㌔程志布志湾沿いを走って、福島今町付近で、都井岬を先端とする半島?部分を横切り日向灘へ抜けるコースへと入る。JR日南線とほぼ並行する国道220号線だ。
10:45 39.50㌔ ちょっとした峠(少し歩いた程度)を越えて日向灘の初めての町、南郷の目井津漁港に出る。実は九州部分については「ツーリングマップル」ではなく、地図ソフトをプリントアウトしたもの(約20枚、1cm→1㎞)を使用しており、そこには要所要所に図上で計測した距離を記入しておいたのだが、その地図上では目井津までは28㌔となっている。実測値は39.5㌔、この誤差は大き過ぎる。もちろん実測値を信じなくてはいけないのだが、これでは今後のツーリングプランに齟齬が生じてしまう。
もちろん、その他にもルート距離計測ソフトで測ったデータは持っているのだが、当面は持参の地図で移動するので、自分で記入した数値より少し大目に意識して走る事にする。
11:45 46.5㌔ 油津着
丁度昼時なので食堂はないかと町中を走るのだが、手頃な店がない。たまたま見かけた「何でも屋さん」へ入ると、パックに入ったご飯やお惣菜があったので(どれも1パック100円)それらを買って中で食べさせてもらった。というのもその頃は相当気温が上がってきており、とにかく「涼」が欲しかったのだ。
さらに面白い事に、その店は何故か「ナノ水」(説明は聞いたのだがよく理解できなかった。ただ体に良いものだという事はなんとなく分かった)を頒布していて、食事の際にも大きなコップに入れて出してくれた。冷たくて美味しかったので、もう一杯お願いした程だ。おばちゃんがあまりにホイホイ飲ませてくれるので、厚かましさついでに、丁度空になっていたサーモスにまで満たしてもらった。そこに家から持参の粉末ポカリスエットを溶かして、これで午後の「冷たい飲物」の確保できた。本当にありがとうございました。
12:30 油津 出発
ここからは日南線から離れ「日南フェニックスロード」と呼ばれるR220を進む。
15:30 75.3㌔ 内海
海岸沿いで景色は良いのだがそこここに峠がありその度に歩いた。途中お目当ての「オーシャンヒルキャンプ場」に立ち寄ったのだが、ライブコンサートがありキャンプサイトは駐車場になるのでと断られ、それ以降は、「今日はどこでテントを張ろうか」を考えながら走る事になる。とにかく青島まで行けば何とかなるだろうと思いながら走ると、堀切峠(あとで調べると、わずか62㍍)越えで疲れ切ってしまい、長いトンネルを越えた後(トンネル内でひと休みした事は滅多にない、よほど疲れていた証拠)、旧道をUターンする格好で「道の駅 フェニックス」に向かった。
16:00 79.84㌔ フェニックス着
結局1000㍍超えのトンネルを4つ越えて来た。少なくともその数だけ峠があったわけで、初日にしては疲労が大きかったといえる。ただ、その全てに自転車が走れる安全な側道があったので危険や恐怖感を感じないで済んだのは幸いだった。やはり今でもトンネルか嫌いだ。
まだ明るいので観光客も多く、それらに混じってアイスクリームを食べたり、缶コーヒーを飲んだりして時間をつぶし、薄暗くなり、観光客も居なくなり始めた頃、道路脇の公園風のところにテントを張り(もちろん道の駅の職員には許可?をとって)、夕食のカレーライスをつくり、ベンチでゆっくりコーヒーを楽しみ
20:00頃にはテントにもぐりこみ就寝
何はともあれ膝関節と股関節が問題なく機能してくれたことにホッとした走り出しの日だった。まだまだ先は長い。
下の写真は設営場所風景と、そこから下の海岸を見たもの。かなり高いところにあることがお分かりでしょう。
本日の走行距離 79.84㌔