2024年9月4日水曜日

嘘をついてしまいました。これで本当に最後

前回、ヤフオクでスピーカーを…と書いたのですが、何と予算以下で私に落ちてしまいました。という事は嬉しいのか、困った事なのかわかりません。

 Wharfedale ワーフェデール DIAMOND 10.1 

というスピーカーです。もう50年以上前の事なのですが、秋葉原のお店のオーディオルームで聞いたスピーカーがとても澄んだ自然な音で、その時以来Wharfedaleというメーカーが気になっていたのです。と言うより、その時の価格がバカ高で、いつか金を儲けたらあんな物が欲しいものだと思ったものです。

 そんな時このメーカーのスピーカーが手頃な値段で出ていたのを見つけてしまったわけです。もちろん50年前の品番とは違う物なのですが、ブランド名につられました。

当初の値段の倍くらいで落札したのですが、これがこのクラスのスピーカーとして名品・傑作である事がわかりました。この価格で買えたのはラッキーだと思います。今日届いたのですが、この2・3日どうセットしようか、置き場所をどうするかなど色々悩んだ結果、6Pのトグルスイッチを一個買ってはいたので、早速組み上げてみました。

結局Wharfedaleを両サイドに、内側にONKYOを置いただけで何の工作もしませんでした。正直に言うとここに2セット置く意味は全くないのですが、古いのを捨てるわけにもいかず、そこに残したと言うのが本当の所です。

後は例によってワンスイッチで切り替えができるようにしました。うまくいったと思います。

只、ONKYOのインピーダンスが4ΩでWharfedale が6Ωなので、後者に切り替えると若干音量が落ちるのが気になりますが当然な事です。

ある程度ボリュームを上げてじっくり聴いてみると本当に素晴らしい。我が屋根裏部屋の環境としてはこれ以上は求めないことにしました。

            これが本当に最後です。

2024年8月31日土曜日

久しぶりの自転車関連

本来このブログは「自転車日記」 なのですが、この数カ月は「オーディオ日記」になってしまい、忸怩たるものがあります。前回走行記録を書いたのが3月末でしたから、5カ月も遠ざかっていた事になります。

この5か月間でオーディオ関連の遊びは一応終了しその成果を楽しんでいます。(しかし悪い癖は直らないもので、若い頃憧れたイギリスのスピーカーメーカーの物がヤフオクに出ていたので目下オークションに参加しています。あと2日で結果がでるのですが、ある価格で降りる積りなのですがどうなる事やら…)そして主に文庫本を10数冊買ってしまいました。これ以上本は増やすまいと思っているのですが困った事です。

只、一番の出来事は7月下旬、息子一家と、横須賀からフェリーで門司まで行き、北九州を走り平戸などを巡り、ハウステンボスに2泊、長崎、軍艦島見学という1週間の旅行ができた事ででした。

まあ、何事もなく無事に過ごせた5か月間ではありました。

ですから?「自転車生活」は低調そのものでした。只、言い訳をすると、この夏の異常な暑さがあります。連日「不要な外出は避けろ」と言われると、高齢、持病もちの身としては家に閉じこもり気味になるのは当然ではないでしょうか!

これがこの5か月間の走行記録です。

  3月末までの累計      5カ月間走行距離   累計

本妻号  46,235㌔    149   46,384

愛人1号  6,166     134    6,300

電動車   2,598      84    2,682

愛人2号    172       0     172

     55,171     367   55,538

数字にしてみると愕然とします。本当に走っていません。こんな事では自転車旅行など夢のまた夢になってしまいます。去年の9月は盛岡の先から大間、函館というツーリングができたのですからその程度の体力・脚力は維持したいものです。

2024年7月14日日曜日

もうこれで本当の最後

 毎日結構ヒマな生活を送っている事が全ての元凶なのです。必然的に本に向かうかPCに向かう時間が多くなりますよね。

PCに向かうと必然的にメールを見ますよね、そうすると必然的にAIが駆使されたお勧めメールが毎日届いていますよね、そうすると必然的に毎日ヤフオクで「プリメインアンプ」の出物をこれでもかというほど見てしまうわけです。

そうすると悪い事に、先日SONYのレコードプレーヤーをこの屋根裏部屋に持ってくるのに新たにスペースを作ったために、若干の工作で、正面幅が40㌢強の機器なら収められるようになったのです。

はい、往年の名器、PIONEERのA-D5aというプリメインアンプを買ってしまいました。高出力でありながらフラット音域が出せ、ワンランク上のレベルを持つ、貧者のベンツのような機種です。

これが必要かと問われれば「必要ではない」と答える他ありません。まあ、オーディオの世界そのものが必要ではないと言ってしまえばそれまででしょう。広く言えば「趣味・道楽」の世界はそんなものなのですね。

上の写真がそれです。


以前買ったPIONEERのA-N901をSONYの下のスペースに棚を作ってそこに移し、元の場所に新アンプを収めたのです。

全体をお見せするとこのようになります。

実はプレーヤー2つ、チューナー1つ、CDプレーヤー1つ、スピーカー2セットをどのように機能させるかは全く考えないで新アンプを買ってしまったのです。まさしく衝動買いそのものなのですが「これが最後だ」という言い訳に裏打ちされた?確信の産物なのです。

例えば左の旧アンプを上にあるSONYプレーヤー専用にしてしまうというように割り切ってしまえば事は簡単なのですが、せっかく苦労して作った2つの「スピーカー切り替えスイッチ」と「プレーヤー切り替えスイッチ」が無意味なものになってしまいます。

色々説明するのは避けますが、結局、新アンプではphono(レコード)とCD(+USB)、旧アンプではチューナー(ラジオ)とPC音声と入力を分けました。つまり、新アンプでは両方のプレーヤーからの入力を受ける事が出来てる代わりに、チューナーからは切り離されているという事です。

本来でしたらどちらか片方のアンプだけでも賄えるものを分担させているのですから贅沢と言うよりも馬鹿げています。強いて言えば新アンプの音質の良さに期待したというところです。また、いざという時のバックアップという屁理屈も成り立ちますね。


上はPCでYouTubeに行って音楽番組を出しているところですが、この音声出力を旧アンプのLINE入力で受けているのですが、これが捨てたものではない程楽しめるのです。特に夜BGM風にJazzなどを流していると、どんどん読書量と喫煙量が進みます。

思えば「何でこんな事をしてしまったのだろう」との思いが拭い去れないのです。それぞれの機器は全部入れ替わったし、枕元のBOSEのCDプレーヤー、プレーヤーのカートリッジ2つまで入れると多分10万円近くにはなるでしょう。

ここまで書いて疲れましたので終わりにします。

2024年6月29日土曜日

久しぶりのミニサイクリング中に…

最近、オーディオに専念してしまい、脚力強化がおろそかになっています。昨夜の雨も上ったので、午後からいつもの「鶴見川コース」に行こうと小机駅裏を過ぎた辺りに人だかりができて、上を向いてある方向を指さしているところに出くわしました。

何とはなしに自分も自転車を降りその方向を見上げているとジェット機の編隊が見えてきました。「ブルーインパルス」だとすぐにわかりました。

最初見つけた時は5機編隊でしたが、その時はスマホが間に合わず、周りの人が「また来るよ」と言うので待っていると、展示用のスモークを吐きながら4機が見えてきました。反転する姿まで見る事ができました。 






比較的よく撮れたと思いますので、良かったらクリックして拡大でもしてご覧ください。

その後いつものコースを15㌔程走って我が家へ戻りました。

2024年6月26日水曜日

それでも飽き足らず再度のいじり

一段落してしみじみレコードを聴いていると、思い出されるのは階下の部屋のシステムに追いやってしまったSONYのレーコードプレーヤーの事でした。プリメインアンプを新調した勢いでYAMAHAの名器と言われるプレーヤーを買ってしまったおかげで隅に追いやられてしまったSONYの事です。階下のシステムのアンプにはphonoの端子がなく、AUX入力ではパワーが足りず、無理やり安いパワーアンプっをかませて 使用していました。

そのSONYはオート機能が付いており、カートリッジもまあまあの物が付いています。予備の針も残っています。長年使ってきた愛着もあり、元の住処に戻してあげる事にしました。

とは言っても、もはや置くスペースはないので、例のラックの左端を一段かさ上げしてYAMAHAと並べる事にしました。作業は1×4の90㌢物の板4枚と、6P・ON/ONのトグルスイッチの購入とで賄いました。想起から一週間の工期でした。

今回は珍しく設計、工作がうまくいき、スイッチ配線も経験済みで、運よく手持ちの接続パーツが使えたので手直しなしで完成まで持っていけました。電ノコとドリルが大活躍ではありました。


上が完成形で下がスイッチ部分の拡大です。これでphono端子を触る事なくSONYYAMAHAの切り替えができます。チョット自慢の工夫でした。

2024年6月17日月曜日

更に性懲りもなく

 今週は特に公務?がなく、ほぼフリーな時間となりました。「小人閑居して不全を成す」、まさしくその通りの時間を過ごしました。

例の新スピーカーの扱いの件です。いかに切り替えができるとは言え、あんなに近接して置いたら楽しくないなと心がうずき始め、私の奥の椅子近くに持ってこれないか思い始めました。深夜小さな音でしみじみ聴くのに例のウッドコーンの小口径のスピーカーは適しているのです。

とは言っても置く場所がありません。結局我が部屋の三角天井を使うしかないのですよ。さらに、とは言ってもダイレクトにくっつける事は論外ですしある種の「棚」を作ってやって、そこに置くしかないという結論に達した訳です。

全てはこのスケッチから始まりました。


先ず底の高さが180㌢以上なくてはならない。棚のサイズはスピーカーの底面サイズより縦横数センチずつ大きくなくてはならない。また、2つのスピーカーがあんまり近すぎてもいけない、棚は数㌔の重さに耐えれなくてはいけない、などを考慮して細紐を両サイドに渡して実際の情景を想像して、何とか辿り着いたサイズ入りのスケッチが上の写真です。

実際にこのサイズで仕上げたのですが、施工は困難を極めました。壁天井の4か所から吊るす訳ですが水平を2方向で見なけばならず、「水準器」を置く高さの問題もあり見にくくて微調整が困難で、特に30㌢余りの長い方の釣り紐に、縒った1㍉の被膜ワイヤーを8の字結びでヒートンに取りつけようとしたので、ここで一番苦労しました。短い方はその反省から普通の針金にしました。


これが出来上がりで、スピーカーを置いたところですが、微妙に水平がとれていませんが、この辺で妥協しました。天井板は石膏ボードなので小片を固定してそこからワイヤーを吊るしています。台に乗っての上向き作業で、木ネジやヒートンを40本以上ねじ込んだので肩と右腕筋肉が相当疲れました。

これが全景となりますが、スピーカー配線という肝心な作業が残っています。これまた大変な作業で、第一スピーカーコードが何メーター必要か、そもそも手持ちの物で足りるのかすら計測しないまま、先ず貼ってあった映画ポスターや地図をはがし、あるいはその上を配線を通し(もう何をしても惜しくない、全くの自分勝手な空間だからこそできる事です)奇跡と言うべきかコードはぴったり収まりました。本当はスピーカーコードは短いほど良いという原則があるのは知っていますが止むを得ません。しかも、何か所かで繋いでいるのですからきっと音質は低下しているのでしょう。もちろんつなぎ個所はハンダ接続をしたうえで絶縁テープを巻いてあります。

そして最後は新旧スピーカーの切り替えスイッチの移動があり、少しばかり神経を使いレコードプレーヤーのとなり、本棚の上に固定しました。(上の写真で右側に見える白い箱のようなものです。)

これで完了しました。構想から1週間で完成でした。

前日の筋肉疲労と寝不足のおかげで今日の「グラウンドゴルフ大会」の成績は惨憺たるものになってしまいました。

自転車は足として使う以外殆ど乗っていません。このブログも一刻も早く「自転車ブログ」に戻す必要があります。


2024年6月4日火曜日

オーディオ生活、性懲りもなく

 またもヤフオクで新規の物を購入してしまいました。


写真向かって右の白い小さなスピーカーです。これをセットで揃えてもう片方は左側に置いてあります。

ヤフオクニュースを見ていると(見なければ良いという話はさておくとして)前から気にはなっていた「ウッドコーンスピーカー」の出物があるではありませんか。しかも対抗者が現れる様子もなく格安で購入できました。振動板が木材でできていて中・高音域の音が繊細でシャープな事で知られています。右側ののスピーカーがそれで口径約65㍉です。左の従来のONKYOの物と比べてもその小いスケール感がお分かりいただけると思います。

そしてそれぞれのスピーカーを切り替えて聞きたいのですが、私のPIONEERアンプにはスピーカー端子が一つしかありません。いちいちスピーカーコードを差し替えるわけにはいかないので、どうしてもそのためのスイッチが必要となるわけです。

一番左の緑のリボンがかかったギフトボックスのようなものが、新旧二組のセットを切り替えるためのスイッチです。実はここで一番苦労したのです。「6P・ON/ON」というトグルスイッチを買ったのですが、この構造、配線がどうにも理解できず、まる一日費やしました。何とかスイッチを倒すとシステム①とシステム②を切り替えるられるようになりました。机周りの模様替えも含めて、これも丸一日がかりで終わらせやっと落ち着いたところです。

改めて新スピーカーを聞いてみるとジャズコンボなどには満足の音です。ベース等低音部も、不十分とはいえ、この屋根裏部屋という環境を考えれば十分な響きだと思います。


2024年5月17日金曜日

最近はオーディオ三昧

半年くらい前に20年くらい前に中古で買ったCDラジカセが不調になり廃棄しました。これは主にラジオとして使っていたので代わりにBOSEのチューナー付CDプレーヤーをヤフオクで買いました。

これは名器で十分満足できるものでした。日常的には全くストレスなく使用でき、音質もこのサイズにしてはさすがBOSEと言わせるものでした。

ところが、最近よくYouTubeを見るのですが、たまたま昔の大橋巨泉のJAZZ番組を見ていた時マイルス・デイビスの演奏を観て「そういえば自分は相当数の彼のレコードを持っているな」と思い出してしまったのです。私のLPレコードの四分の三はjazzです。無性にそれらを聞いてみたくなりました。

そもそも私のオーディオ趣味は学生時代から始まり何とか一応のセットを揃えたものです。特にスピーカーは格安のヤマハを秋葉原で見つけ、父に頼んで2人で担いで帰ったものです。(今は屋根裏の物置にお蔵入りしています)4チャンネルの20㌅オープンデッキプレーヤーも後から揃えました。とは言ってもバイト代でやっと買ったものですからチープなものではありました。

思えば半世紀以上前の事です。寿命という事と自分には修理する力がないので徐々にシステムは代替わりし、オープンデッキは売り払い、カセットデッキは廃棄、CDプレーヤー、チューナーとプリメインアンプはこの一年くらいでヤフオクで買いました。

そんなシステムでレコードをかけてはみたのですが、どうも調子が悪い。色々原因を追究してみたのですが最終的に右チャンネルの音がうねるというか聞きずらいというか、とにかく不調なのです。その時までたまにはレコードもCDも聞いてはいたのですが気が付かなかったのですね。

エーイという感じでプリメインアンプとレコードプレーヤーをヤフオクで買い換えました。やはりここでも新品で定評のあるものを買うという選択に至らないのが貧乏人根性なのですね。ついでにレコードカートリッジも2種買いました。

何とか落ち着いたのが一昨日でした。その間にもミニアンプを買って試したり、ヤフオクの主に問い合わせたり、従来のプレーヤーの活用を考えたり、色々ありましたが省略。

1×4の木材で作ったラックに収まっていますが、当初の置き場所と機器のサイズに合わせたので、今ではなんか落ち着かないセットになっています。

これが新規のプレーヤーでバックに小さく見えるのがスピーカーです。最終的な音の決め手はスピーカーなので、現システムがバランスからして丁度いいのではないかと思います。(今もこの打ち込みをしながらマイルスのレコードをかけています。真夜中なので音は絞っていますが、繊細な部分まで感じられています)

しばらくはオーディオ生活が続きそうです。そういえば最近NHKでビリー・ホリデイの特集をしていたけれど、彼女のレーコードも多分4・5枚はありそうなので聞き直してみよう。

よく言われることだけど、レコードにそーっと針を落とし、かすかなサーという音がしてから音楽が始まるレコードのワクワク感、アナログの人間臭さが快く感じるのは年齢のせいでしょうか。CDと違いレコードは全ての音を拾っているというマニアもいますが、私の耳ではなんとも言えません。

音源として、レコード、CD、チューナーからAM・FMラジオ、YouTubeからの入力、USB入力と5系統あるので、余生はこれで過ごせそうです。

2024年5月2日木曜日

本妻号、フロントライトを交換、多分これで最後

 これまで散々苦労して取付け、使ってきたダイナモライトを取り外して、最近購入したCATEYEのUSB充電のフロントライトに取り換えました。これで少しスポーツバイクっぽく見えるかもしれません。       

これが今回取り外したモノです。ダイナモランプを苦労してフロントフォークに取り付けた跡がわかります。相当無理した工夫の跡です。

上の写真がライトを新しく取り付けた完成形です。

多分これ以上は本妻号をいじる事は無いだろうと思います。

そもそもこれを買った15・6年前以来、キャンプツーリング用に改装し、色々アクセサリーを考えてきました。目的は十分果たしてくれたと思っています。今残っているのはリアのキャリアだけです。感慨深いものがあります。

余生を共に過ごしたいと思います。                                                                                                                                        

2024年4月25日木曜日

20㍉から32㍉に車輪径を変更

 キャスターの直径を12㍉大きいものに取り換えてみました。

午前中に部品が届いたので(やっぱりamzonはすごい。昨日の注文で今日届く。しかし、小さいものを5点注文したのですが、ダンボール2つと封筒一つと3つのパッケージで届きました。送料無料なのでこちらの懐が痛むわけではないのですが、経費のムダではないでしょうか。)さっそく前の4つと取り替えました。


上の写真をクリックすると拡大されますので車輪の大きさの違いを見てください。



やはり走行性と安定性は良くなったようです。後は塗装をし直して実際に道路で試してみようと思います。

さあ、これを持ってどこに行こうか…、です。

2024年4月23日火曜日

新しい試み : 輪行キャリアー

又悪い癖が出てしまい、妄想が膨らんで、仕舞い込んでいる16㌅ルノープラチナ関連のモノを作りました。構想一週間、出来上がったモノがこれです。



前輪は回転自在車、後輪二つは固定車です。紫色の棒はFRPの釣り竿の先の方で、太さが微妙に変化しているのがミソ。強靭バネとなり下支えに使用し折れ目から弛むのを防いでいます。
これは輪行の際袋に入れた自転車を、肩にかけず、転がすための道具です。
3輪仕様です。真ん中で折りたためて、リュックに仕舞えるサイズになっています。

これでもサイズ決め等設計、折り畳み機構の工夫、車輪等小物の調達など結構楽しい苦労をしました。

このように乗せて、シートポストの下とタイヤは細ロープで固定してしまいます。ここがミソで、あとは車体に輪行袋をかぶせ(ここに使用中のDAHONの輪行袋はかぶせるタイプなのでこれが可能)下部の巾着紐を絞れば完成です。しかし…


何とか強度も含めて実用には耐えそうなのですが、安定性に欠けると思い頭の部分を1輪から2輪に手直ししました。


全体で4輪になったおかげで安定は良くなり、操作性も悪くなる事はありませんでした。これで一応の完成なのですが、車輪径が少し大きい方が操作性能が良くなるのではないかと思い、(これは径20㍉)32㍉に変更する積りで既に発注済でなので近いうちに報告します。これで費用4,000円程です。


2024年4月8日月曜日

横浜で満開宣言

 夕方、愛人1号で日産スタジアム下の運動公園一帯を10㌔程走ってきました。最近の運動不足解消と桜情報取集が目的でした。


御覧のように満開で、ちらほら散り始めていました。

因みにこの写真は新しいスマホで撮ったものなのですが、このブログに張り付けるのにえらい手間がかかりました。何とかしなくてはと考えております。

2024年4月2日火曜日

開花はまちまち

 今日は気持ちの良い午後で、いつもの鶴見川コースを本妻号で17㌔程走ってきました。

鶴見川堤(鴨居付近)の桜はせいぜい三分咲き。


日産スタジアム下の河川敷公園の周回路の桜は五分咲き。

多分、週末くらいに満開の予想です。尤も自分は桜の咲き具合には殆ど興味がありません。

2024年3月31日日曜日

3か月(1月・2月・3月)の走行記録

3月が終わるに際して、ここ3カ月の走行記録を出しておきます。サイコンデータを元にしての記録です。

      2024年1・2・3月の 走行記録

          走行距離     累計

         本妻号    88㌔   46,235
     愛人1号   75       6,166
     電動車      47          2,598
     愛人2号      0       172
     合計     210㌔   55,171㌔

大した意味はありませんが、いつかサイコン故障でデータを再入力しなければいけないときの参考にはなると思います。

それにしても、ひと月70㌔しか走っていないのは情けない。これから春です。どんどん走る積りです。

2024年3月30日土曜日

本妻号、最後の改装

 前回少し触れましたが、新しくワイヤレスのサイコンが到着したので以前の年代物の物と取り替えました。ついでに何か所か追加の改装を致しました。多分これ以上のいじりはないだろうと思っています。               

これが全体の姿ですが、盛んにツーリングをやっていた頃から比べるとすっきりしています。多分1㌔くらい軽くなっています。


まず、ハンドル廻りです。右の白いのが今回ヤフオクで買ったワイヤレスサイコンです。例によって設定に手間取りましたが期待通りの十分な性能でした。まだ、操作を完全に理解してはいませんが何とかなるでしょう。左の黒いのは「チープカシオ」と呼ばれるデジタルウォッチです。元々は手製の木製マウントにセットしてハンドルステムに付けていたのですが、直付けに丁度よいゴムパッドがあったのでハンドルに移しました。しかしながら新しいサイコンには常時時間が表示されるので(写真をクリックすると拡大され、それが確認できます)時計は無くてもよくなりました。


次はダイナモランプです。実はここで一番迷いました。選択肢としてこれを外して充電式のライトを付けようかとも考えました。そのためのライトも5つくらい持っています。しかし、昨晩「愛人1号」を夜間使用したところ電池切れで無燈で帰ってきたことを思い出し、使い続ける事にしました。但しダボ穴代わりのアダプターを一つとって上にずらしました。
(この辺わかりずらいかもしれませんがご容赦を)それでダイナモのローラーとタイヤの接触が向上しました。念の為、小さめのフロントライトをリアバッグに入れて置きます。


最後は空気入れです。元はトップチューブに付いていたのですが、留め具がリアブレーキのワイアーと擦れてしまうという欠陥がありました。加えてその留め具が壊れてもいたので取付方法を考えて、写真のようにシートチューブに抱かせる位置に変更をしました。只、空気入れの長さが大きくシートチューブに若干収まらないのですが試走してみても大丈夫でした。

今日も鶴見川コースを走りましたが、好天土曜日のせいか人とイヌが多かった。桜はあと2日という所でしょうか。





2024年3月27日水曜日

久しぶりのポタリング

 久しぶりの晴天に恵まれいつものコースに本妻号でポタリングに出かけました。出発前にサイコンが死んでいる事に気付き、リセットし直したりしたため11時半くらいの出発になりました。理由は不明なのですが何せ10年以上前の年代物なので深く追及はしませんでした。加えて、ワイヤレスの物を購入済で今週中には交換予定なので、今回の使用が多分最後です。数日前にフロントキャリアを取り外し、ペダルも取り換えたので(ヒマだと自転車をいじりたくなるのが悪い癖です)試走の意味合いもありました。満足の結果でした。

鶴見川土手の桜はまだまだ小さい蕾でしたが、ニッサンスタヂアム下の遊水地公園の菜の花は盛りでした。20㌔程走りました。


前後しますが、24日(日)ベイサイドマリーナとパシフィコでの国際ボートショーに行ってきました。お世話になっているクルーザーのオーナーSさんから入場券をいただいたのです。
最終日の24日にパシフィコ会場で辛坊治郎氏のトークショーがあり、それが主目的です。
先ずはベイサイドマリーナに行きAKATSUKIをざっと目視で点検し、船上で持参の昼食を食べてからシャトルバスでパシフィコに戻りました。30分の行程でした。

トークショー開始まで1時間ほど余裕があり、ザっと会場を回ったのですが釣り関係が多く、せめて記念に何か出物があれば買おうかと物色しても、それなりのものはそれなりの値段がして結局なにも買いませんでした。

さすがにトークショー会場は満員になりました。私はほぼ毎日午後3時半からのニッポン放送の「辛坊治郎ズームそこまで言うか」という番組を、約3年前のガン手術入院中以来、太平洋単独横断中継の頃から聞き始めて今に至っている関係上、”講演では何を言うのかな”という興味から聞きたかったのです。

40分ほどの時間でしたが内容は乏しいものでした。「日本中の島を巡ろうという企ては諦めた」と「成功よりも失敗から学ぶ事の方が大事」という内容でした。
恐らく聴衆は海・ヨット関係者が多いので、セーリングそのものの話ではかなわないという思惑からか、無難なテーマでお茶を濁した感じです。私は放送やYouTubeでは聴けないような「ここだけの話」的な危険なものを期待していたので拍子抜けでした。
翌日の25日の放送では早速ボートショーでの出来事をネタにしていましたので、まあ、彼にしては元はとれていたのでしょう。

2024年2月17日土曜日

珍しいものが出てきました

 今週に入って確定申告の準備を始めました。ようやく書類が出来上がって、さてまとめようかという段階の時、マイナンバーカードのコピー添付が必要となりました。

それが見つからないのです。それこそ「絶対ここにはない」と思われる場所の隅々まで探し回りました。同じ個所を3回はさぐりました。そんな事を丸一日かけてやったのですが、遂に発見には至りませんでした。この徒労感たるやとめどなく出てくる溜息ではどうにもならず、なにか捨て鉢なアナーキーな気持ちになりました。暗い気持ちのまま床に就きましたが、別に寝付けないなど言う事は全くなくストンと寝落ちしました。

翌朝、「もうこれは再発行の手続きをとる他はない」と思い定めて何か所か電話をかけた挙句、紛失の手続きをとり、面倒くさいけど自分が悪いのだからしようがない、区役所に行くかと腹をくくりました。

その直後、ふと「ある所」をもう一度さぐってみたところ(この行為の意識の動きが今でも不明です)ありました。多分これを天啓というのでしょうか。確かに睡眠中にこれが見つかった夢を見た事は事実ですが。

その時家人は外出中で自分一人だったのですが、思わず「あったー」と叫びましたね。本当に良かった。しかし、そこにしまった記憶が全くなかった事は本当に困った事です。

その過程で出てきたのが下の切手つき封筒でした。20年近く前ニュージャージー在住の友人から送られたクリスマスカードです。その時は「面白い切手が貼ってある」というのでその封筒を仕舞い込んだのだと思われますが、もちろんそんな事は忘れていました。

ジャズピアニストのセロニアス モンク、と俳優で若くして亡くなったジェームス ディーンの2枚です。USAの記念切手なのでしょうがこんな切手があるのですね。

さて、これをどこに保管?しましょうか。

2024年2月14日水曜日

先ずは一安心

 昨日「内分泌内科」、本日「外科」の検査結果を聞きに行ってきました。双方とも「異常は認められず」という事で、一先ずホッとした次第です。何と、血糖値関連の数値など殆ど正常値になっていて、薬は弱いものに処方が変更になりました。おまけに、現総合病院との縁切りを宣言され、これからは近くの個人医院に面倒を見てもらう事になりました。

そもそも日常の生活感覚的にも異変は感じられず、日々の体温、血圧、血中飽和酸素量の計測でも安定していたので、結果を聞くのに不安は無かったのですが、やはりホッとしたのも事実です。日頃病気の事など殆どお構いなしの生活を続け、、決して模範的な養生生活を送っていない自覚はあるので、かえって「これでいいんだ」とお墨付きをもらったような自信?を持ってしまいました。それでも当分病院とは縁が切れない生活は続きます。

あと数年はこんな生活が続けば十分です。

2024年2月1日木曜日

1月最後は本妻号で

今日で1月が終わります。

23日には孫Aと合同で誕生会を開いてもらいました。はい、76歳になりました。孫Aはあと60年も生き永らえないとこの歳になれないのかと思うと、「大変だなあ」と思わず溜息が出てしまいました。


やはり健康・体力維持が何よりとかなり意識して走りに出ています。お決まりの「鶴見川コース」を15㌔程走っています。鶴見川を上流方向に「鴨居」まで走り、対岸へ渡り、戻って「日産スタジアム」下の総合グラウンドをグルーッと回ってくるコースです。 

今日も天気が良く、久しぶりの「本妻号」も絶好調で何よりでした。

2024年1月25日木曜日

今日、誕生日 76歳です

今日で76歳になりました。しかしながら何の感情・感動も湧かず 、ああ今日も無事終わったなと感じるだけです。そして今日はいつもより早めに起きて「きしねの郷」を運営して、町内会会長と組の再編について相談して、午後は少しポタリングサイクリングをしようかななどと、うすぼんやり考えています。つまり普通の日常が普通に流れていく感じです。

2024年1月7日日曜日

自転車生活開始

 2024年になり1月5日(金)から自転車生活を始めました。まず、カバーをかぶって半年近く放っておかれた本妻号を点検、空気充填の上、鶴見川コースを鴨居近くまで往復17㌔程走ってみました。車体快調、天気晴朗気持ちの良いサイクリングでした。6日は同じようなコースを愛人1号で。日産スタジアムでは少年サッカーのかなり大規模な大会と港北区の消防出初式が相俟って人が溢れていました。

7日(日)は愛人1号で久しぶりに横浜港方面に行ってみました。

やはり海は気持ちがいいですね。(クリックして拡大すると、ベイブリッジの下にこれから入港する客船が見えます。)
只、犬連れの人の多さには辟易しました。それも玩具のようなちっこいヤツを2・3匹も連れていたり、赤ちゃん用の乳母車に乗せている人までいて、何故かそういう人種には共感がいまいち持てないのですね。(いや、ここだけの話です。)赤レンガ倉庫街では横浜市の消防出初式が行われていて大層な人出でした。
帰り道、一休みしているとすぐそばの手摺にカモメが止まりました。

18㌔しか走っていませんが、車体も自分の躰も好調でした。

2024年1月3日水曜日

2023年(令和5年)の走行記録

      2023年 走行記録

       走行距離     累計

本妻号    117㌔   46,147㌔
愛人1号   727       6,091
電動車    1,211          2,551
愛人2号   172       172
合計     2,227㌔   54,961㌔

以上が昨年の走行記録です。2022年との大きな差は、何と言っても愛人2号の新加入です。ルノープラチナライト8という16㌅のフォールディングバイクで8.8㌔という軽さと小ささに目がくらみヤフオクで買ったものです。年末に銚子➡水戸で輪行旅行に使ってみましたが、今後も利用価値がありそうです。整備して畳み仕舞い込みました。

昨年は電動車を普段使いに、愛人1号(20㌅ ダホンルート)をサイクリングに使っていました。また愛人1号で仙台➡大間の輪行旅行も実施できました。今年も原則は変わらないと思いますが、本妻号の出番を増やしたいとも思っています。18年前に購入した老妻ではありますが、何度もパーツを交換したり、駆動系は殆どリニューアルしてまだまだ使える状態です。最後まで見届けてあげる義務のようなものを感じています。

今年は愛人2号を使って何回か輪行旅行にチャレンジしたいと思います。