2012年7月31日火曜日

7月1日(日) 14日目

第14日目 7月1日(日) 大館 → 弘前


今日の目標は弘前、と言うより弘前城。数少ない現存する天守をもつ旧津軽藩の居城だったところだ。江戸時代初期に豪壮なモノが築造されたが焼失してしまい、末期になって現在の3層3階の天守が再建された。北海道・松前の城が焼けてしまい、日本最北端の天守となった。桜の名所でもあり、なかなか綺麗な咲き振りでシーズンには賑う。私は城が好きだ。現存する天守は殆んど訪ねていると思う。

8:30 ホテル出発  天気晴れ

(8:57 6.7㌔)
街を出るとR7は直ぐに JR奥羽本線と並行するようになり、田舎道となってくる。

(9:22 11㌔)

9:45 15.3㌔  陣場駅

無人駅だ。この辺になると緩い登りにはなっているのだが、苦しさは殆んど感じない。曇り空になり湿度が高い。いよいよ330㍍の矢立峠にさしかかる。
(10:00 16.2㌔ ここも脇道、本道への登り)

ピーク付近は道路工事中で、工事人に誘導されるままに走っていると、温泉施設のある道の駅に到着

10:13 18.5㌔ 道の駅 「やたて峠」到着。 結局、漕ぎ通しました。




(道の駅付近の様子:携帯写真)

「結構きついよ」と教えてくれた同僚へ「無事到着」のメールを書いたり、付近を散策したり、エビ天蕎麦の昼食を食べたりして、だが、入浴はせずに

12:00 出発

矢立峠は県境に当たり、直ぐに表示が現れ、青森県に入る。

久しぶりにヘルメットを被り、気合を入れて峠を下る。やはりなんと言っても、これ、最高。


メモによると 12:10・19.35㌔から12:18・23.12㌔までを8分で下る、と嬉しそうにかいている。また、26㌔㌔地点の道の駅「いかりがせき」とは150㍍くらいの標高差がある。

弘前城は市の中心部からは北西の方角にあり、石川付近からは R7を離れ、標識に従い、お城を目指す最短距離の地方道へ逸れる。

(13:41 39㌔ 石川 岩木山が正面に)

(14:02 45㌔ 奥羽本線と交差 岩木山が近付く)


14:10 49㌔ 弘前城 到着





追い風に助けられ、意外と早くお城に到着。思ったより街中にある。平城なだけに城域が広く、上の案内図にある部分を回りきるには一時間は必要だ。保存状態がよく、堪能できました。

お城でアイスクリームを売っているおじいさんに、駅への道を訪ねたが、まるで何を言っているのか理解できなかった。「ありがとうございます」とお礼を言ってから、勘を頼りに駅方向に向かい、

15:40 ホテル到着 

夕食は町へ出て「にぎり寿司セット」を食べたのだが、歩いていると観光案内板に「旧弘前階行社」・「太宰治まなびの家」とあるのが目についた。

又も、事前調査の不行き届きに思い知らされた。ここ弘前は「八甲田山死の彷徨」の第8師団の本部があった軍都だし、太宰が高校時代を過ごした町でもあったのだ。その他にも歴史的建造物が多く残っているはずなのだ。

階行社とまなびの家は、幸いそこから徒歩圏内なので、見学に行ったが、閉館時間を過ぎていたので、全て外からだけの見学。階行社はルネッサンス洋式のレンガ建の集会所が残っており、現在は弘前厚生学院という保育科を主とする学校が管理しているようだ。
まなびの家は大正期の上流の一般民家の暮らしが再現されているようで、太宰が下宿時代に使った部屋が残されて、家具・調度、諸道具類が見られるらしい。まあ、外から概観できただけで良しとしよう。結局、弘前はお城が目当てだっただけに、観光としてはこれだけで終わった。

走行距離 54.39㌔ 最高時速 46.0㎞/h 走行時間 3:34 平均時速 15.2㎞/h

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