2012年7月31日火曜日

7月2日(月) 15日目

第15日目 7月2日(月) 弘前 → 青森 → 函館 

いよいよ本州の目的地、青森を目指す日になった。一応青森を最終目的地として走ってきたので、何とか目的が達成できそうだ。のんびりと走って来たつもりだが、「意外と早く着いたな」というのが感想。(まだ、着いたわけではないが) 今日も40㌔余り走って13:30位に青森のフェリーターミナルに着けば十分なので余裕だ。しかも大した難所はない。


早朝からサッカー・ユーロ決勝戦、スペインvsイタリアを見てしまう。あのスペインチームの完璧な強さに、日本人は絶望的な思いを抱いてしまうのではないかと不安にすらなった。

ホテルのサービス朝食をいただいて
   
8:00 ホテル発 うす曇り
今日もR7を避けて10㌔も行かないうちにR285に逸れる。この道は殆どR7の東側を走りJR奥羽本線に沿っており、間違いなく旧道だ。
(9:34 21㌔ 浪岡の町)

10:15   27.51㌔ 大釈迦峠(102㍍)

峠を越えるためにR7に出て、再度旧道(名前がR247になる)をヘルメット着用にて下る。出発以来ずーっと4~6メートルの向かい風だったが、急がない・焦らない旅なのでそれ程苦にはならずに済んだ。

(11:30 44㌔ 青森駅前)

青森駅前に着いてみれば、いつ降ってきてもおかしくない晴れ?になっていた。
これにて、一応、横浜 → 青森 1040㌔の旅は完了した。大したトラブルもなく良かった。
お祝いに駅前の吉野家でうなぎ2枚盛りのうな丼を食べ、フェリー乗り場へ向かう。
ところが、下の地図でもわかるように、JRの線路の東側に居る現在では長大な青森ベイブリッジを渡らなければならない事が判明し、ガソリンスタンドで聞いても、回避するには延々と大回りしなければならないと言われ、エッチラオッチラと漕ぎ上って行きました。その代わり、景色はそれなりに楽しめましたが。

青森港から函館には「青函フェリー」と「津軽海峡フェリー」と2社が就航しており、時間はそれ程変わらないのに、料金は圧倒的に青函フェリーが安い。

当然、その事務所に行き、手続きをとろうとすると、係員が「今日は海が荒れ気味なので、ひょっとすると、自転車の積荷は降ろしてもらわなければならないかも知れない」と言い、それは積み込みの寸前に、船側の係りが判断するのだと言う。それを承知ならば乗船手続きをとると言うのだが、冗談じゃない。そんなの、こちらからお断りして、高いのを承知で「海峡フェリー」の事務所ビルへ移動して手続きをとった。ひょっとすると、両社でそんな密約でもあるのだろうか。フェリー代金は自転車込みで4200円。


13:00 雨が降り出す。走り終わってから雨とは、何とラッキーなのだろう。

14:20 青森港出航
18:00 函館港入港 函館も雨

青森のターミナルで一緒になった、本格的なランドナーのTクンと船内で歓談。彼は東京から自走してきた猛者だ、が、ロングツーリングは初めてだそうだ。その後何人かのツーリストと話す機会があるのだが、全員私より若く、且つツーリング歴は私よりはるかに乏しい。何だか「俺ってベテラン?」と思ってしまいましたよ。そう言えばこんな旅を始めてからもう5年が経った。

ライダーズハウスに泊まるという彼とは函館のターミナルで別れ、

(Tクンと愛車のランドナー)

18:40 又も老人割引、3480円で予約してあった、スーパーホテルにチェックイン。自転車を屋根の下に停める事につき、やや、行き違いがあったが、まあ、解決。

夕食は町に出て、ほっけの焼き物、蟹汁など北海道モノでまとめる。

走行距離 54.88㌔ 最高速度 36km/h  走行時間 3:37 平均速度 15.1km/h

7月1日(日) 14日目

第14日目 7月1日(日) 大館 → 弘前


今日の目標は弘前、と言うより弘前城。数少ない現存する天守をもつ旧津軽藩の居城だったところだ。江戸時代初期に豪壮なモノが築造されたが焼失してしまい、末期になって現在の3層3階の天守が再建された。北海道・松前の城が焼けてしまい、日本最北端の天守となった。桜の名所でもあり、なかなか綺麗な咲き振りでシーズンには賑う。私は城が好きだ。現存する天守は殆んど訪ねていると思う。

8:30 ホテル出発  天気晴れ

(8:57 6.7㌔)
街を出るとR7は直ぐに JR奥羽本線と並行するようになり、田舎道となってくる。

(9:22 11㌔)

9:45 15.3㌔  陣場駅

無人駅だ。この辺になると緩い登りにはなっているのだが、苦しさは殆んど感じない。曇り空になり湿度が高い。いよいよ330㍍の矢立峠にさしかかる。
(10:00 16.2㌔ ここも脇道、本道への登り)

ピーク付近は道路工事中で、工事人に誘導されるままに走っていると、温泉施設のある道の駅に到着

10:13 18.5㌔ 道の駅 「やたて峠」到着。 結局、漕ぎ通しました。




(道の駅付近の様子:携帯写真)

「結構きついよ」と教えてくれた同僚へ「無事到着」のメールを書いたり、付近を散策したり、エビ天蕎麦の昼食を食べたりして、だが、入浴はせずに

12:00 出発

矢立峠は県境に当たり、直ぐに表示が現れ、青森県に入る。

久しぶりにヘルメットを被り、気合を入れて峠を下る。やはりなんと言っても、これ、最高。


メモによると 12:10・19.35㌔から12:18・23.12㌔までを8分で下る、と嬉しそうにかいている。また、26㌔㌔地点の道の駅「いかりがせき」とは150㍍くらいの標高差がある。

弘前城は市の中心部からは北西の方角にあり、石川付近からは R7を離れ、標識に従い、お城を目指す最短距離の地方道へ逸れる。

(13:41 39㌔ 石川 岩木山が正面に)

(14:02 45㌔ 奥羽本線と交差 岩木山が近付く)


14:10 49㌔ 弘前城 到着





追い風に助けられ、意外と早くお城に到着。思ったより街中にある。平城なだけに城域が広く、上の案内図にある部分を回りきるには一時間は必要だ。保存状態がよく、堪能できました。

お城でアイスクリームを売っているおじいさんに、駅への道を訪ねたが、まるで何を言っているのか理解できなかった。「ありがとうございます」とお礼を言ってから、勘を頼りに駅方向に向かい、

15:40 ホテル到着 

夕食は町へ出て「にぎり寿司セット」を食べたのだが、歩いていると観光案内板に「旧弘前階行社」・「太宰治まなびの家」とあるのが目についた。

又も、事前調査の不行き届きに思い知らされた。ここ弘前は「八甲田山死の彷徨」の第8師団の本部があった軍都だし、太宰が高校時代を過ごした町でもあったのだ。その他にも歴史的建造物が多く残っているはずなのだ。

階行社とまなびの家は、幸いそこから徒歩圏内なので、見学に行ったが、閉館時間を過ぎていたので、全て外からだけの見学。階行社はルネッサンス洋式のレンガ建の集会所が残っており、現在は弘前厚生学院という保育科を主とする学校が管理しているようだ。
まなびの家は大正期の上流の一般民家の暮らしが再現されているようで、太宰が下宿時代に使った部屋が残されて、家具・調度、諸道具類が見られるらしい。まあ、外から概観できただけで良しとしよう。結局、弘前はお城が目当てだっただけに、観光としてはこれだけで終わった。

走行距離 54.39㌔ 最高時速 46.0㎞/h 走行時間 3:34 平均時速 15.2㎞/h

2012年7月27日金曜日

6月30日(土) 13日目

第13日目 6月30日(土) 能代 → 大館

ホテルのサービス朝食をいただいて

8:30 のんびりとホテル出発。 晴れ

今日の目標は大館。約60㌔。ここまで来ると、日程の余裕が十分にある事がはっきりと計算できるようになってくる。大館→弘前が55㌔くらいなので、少し気合を入れて早朝に発てば、弘前まで十分に行けるのだが、同僚から聞いていた「矢立峠」が気にもなり、のんびりと大館まで行く事にした。

基本はR7奥羽本線に沿って進むのだが、とにかくできるだけ脇道・旧道を選択し、ポタリング(自転車散歩)感覚で楽しむことだ。天気も良いし…。

9:15頃 11㌔地点 早速脇道を見つけ(大した見通しも無く)村落の中を進む。大した見通しも無くとは言え、マップルを眺めると、R7・奥羽本線は概ね米代川に沿ってもいるので、そちらに向かえば大きな間違いは無かろうという程度の目算はあるのですよ。

 (9:15頃からの部分軌跡)

この選択は大正解で、

9:35 富根橋を渡り米代川対岸の土手道 、R64に出る事ができた。



(上2つ:富根橋)

(9:50 R64の土手道 専用道ではないが快適)

さらに川沿いを進むと、うれしい事にトンネルを2つかわした先のR7と合流する。

10:40 25㌔ R7に合流。気温25℃、湿度50%。

それでも上の地図にもあるように、勘を頼りに走ると時としてルートを外れてしまう事もよくある。そんな時は、早くそれに気付き修正するのが大切だ。そのために私はハンドルバーにコンパスをつけている。数百円の大雑把なモノだが、何回もそいつに助けられています。

11:45 40㌔ 道の駅 たかのす

大太鼓で有名な所らしいが、あまり興味はなく、買い置きのおにぎり・パンとジャム(これも買い置きでフロントバッグにいれてある) の昼食。

快晴、28℃まで気温が上がっており、アイスクリームを2つも食べる。

13:30 発 2時間近くの昼食休憩とは我ながら呆れるが、当時のメモには「暑い」とあるので、日陰で昼寝でもしたのかもしれない。

走り初めて間もなく、勘が狂い、又もコースを誤り、それでも、再度脇道に行ったのが下の部分図だ。
(13:45~14:00 脇道を走った部分軌跡)

たかが2㌔だが、車がビュンビュン行き交う国道を離れ、このような旧道を走れただけで満足してしまう。

14:00 R7に合流 以後は街中の側道をのんびり走り

15:30 61.6㌔ 大館駅 到着
(15:30 大館駅前)

大館は「秋田犬」の本場らしい!

最初に訪れたホテルは自転車の扱いにまるで愛情が感じられず、店外の料金表示より高い金額を要求するのでこちらから断わり、直ぐ近くのホテルに向かったのだが、先のホテルより1500円も高い料金だった。一瞬、しまった!と思ったが、対応が良かったので、にこやかに快諾しチェックイン。

当ホテルでは1000円でPCが借りられ、のんびりとメール処理やブログ更新ができた。さらにありがたいことに、明日の弘前のホテル情報が得られ、スーパーホテル弘前の老人割引3480円という予約ができた。

夕食はコンビニで買って来た寿司と蕎麦。夜10時過ぎにはホテルの大浴場温泉でゆっくりと疲れを癒した。

テレビではどこかでの最高気温が32.8度だったと報じていた。

走行距離 63.52㌔ 最高速度 37.5㎞/h 走行時間 4:24 平均速度 14.4㎞/h


2012年7月26日木曜日

6月29日(金) 12日目

第12日目 6月29日(金) 由利本荘 → 能代

 旅行記とは関係ありませんが一首
 
新しき 生命(いのち)産まれぬ朝ぼらけ
           7・26 結(ゆう)ちゃん記念日 

後日、(ゆう)ちゃんはちゃんと正式決定しました) : 2012.8.15 記

4:00 起床

(4:05 設営場所)

ラーメン・おにぎりの朝食・洗顔・歯磨き・排便・撤収作業等フルセットを終えて

5:40 出発 天気は晴れ

マップルに拠ると「快適なシーサイドライン」、R7酒田街道(羽州浜街道)を8㌔程北上すると

6:25 下の写真の道路標示 

概ねこの時点で、今日の宿泊地は能代と決定、さあ、あと95キロだ。

ところで、本日のテーマは八郎潟。かつて日本第2位の湖だったが大規模干拓で、今はわずかな水面が残っているという、その姿を見ることだ。

今日も例によって側道を走っている。しかし、以前書いたが、突如無くなってしまう事があったり、路面状態がデコボコで走行不能だったりするのだが、下の写真のように雑草が覆い被さり走行不能だったりもする。道路管理は非常に手間隙・費用がかかることはわかる、が、一方では、地場産業として「道路保守」が結構大きな比重を占めているのではないかと思う事がしばしばある。道路がある限り必要な「公共投資」なのだ。

(R7 7:00頃の側道、ここでは歩いた)

7:30 20㌔ 道の駅 岩城 その寸前のローソンでカフェラテを飲み一服し、ここは素通り。

しばらく行くと、「日本ロケット発祥地」碑 という表示があったが、その入り口が判らず素通りした。私が子供の頃、東大の糸川教授が中心になって、ここから日本海に向けてカッパロケットの打ち上げ実験を行っていたところなのだ。糸川教授とは元職時代何度かお目にかかった事がある。私が「この人は天才だ」と感じた数少ない人のひとりだが、それ以前ににいろんな意味で奇人だった。
(R7 8:06 バス停 本数が少ない)

9:15 41.62㌔ 雄物川の鉄橋・運河にかかる橋を渡ると正面に秋田の町が広がる。だが、今回は寄らずにR7を進む事にする。


(上2枚とも R7 9:15 秋田市街寸前通過)

9:40 47㌔ 秋田港のセリオンリスタ(タワーがあり展望が良いらしい)に立ち寄るが自販機のアイスクリーム(グリコ)を食べただけでスルー。

10:30 55㌔ 追分の町の郵便局でいささか現金をおろす。今回のツーリングでも、「ケチル」という意識は微塵もないが、意外と経費がかかっていないような気がする。宿泊数の割りにはキャンプが多いからだろうか。

例によって、10:30過ぎの最初の食堂で昼飯を、と考えていたが、またも、やっと11:10 59㌔の食堂で塩ラーメンと野菜炒めのランチ。もうそろそろ八郎潟が近い。

 
(R7 八郎潟付近の軌跡)

11:40 61㌔  やっと、左側が元・八郎潟という地域に差し掛かり、しばらくして、残った水面(八郎湖という呼び方もあるらしい)を見に左へ転じた。

(多分この辺りも埋立地、広大な田んぼが広がる)
(橋の上から湖面を望む)

何とか湖の水際まで近付こうと試みたが、適当な道が見つからず、橋の上からやっと湖面を見渡せただけだった。もっとも、埋め立ての中心部には入り込む事まではしなかった。

12:45 76㌔ 八郎潟を離れR7に復帰する。

13:32 北緯40度の標識。何でも西はマドリッド、東はフィラデルフィアと同緯度だそうだ。 


13:40 85.3㌔ 道の駅 琴丘

実は昨日午前中、道の駅 鳥海で見かけたひとりの男が気になっている。最初はその道の駅の近隣の住民で、買い物とか用足しに来ているのだろうと思った。普通のママチャリに普通の服装でいるのでそう思ったのだが、後ろの荷台に大きなボストンバッグを括り付けているのが印象的だった。
その後、10㌔以上進んだ信号待ちか何かで一緒になり言葉を交わし、(当然近場の人ではないなとわかっていたが)聞いてみると、愛知県の豊田からの旅行者だという。別にどこがというわけではないのだが、どこか所謂チャリダーとは違う趣で、出来ればあまりお近づきにはなりたくないなとは感じた。
ところが、私とは進むペースが同じくらいなのだろう、いつの間にか視界に入ってきて、つかず離れずで走っていた。泊まろうかどうしようかと迷った西目の道の駅でも顔を合わせていた。

今日は一度も姿を見ることも、顔を顔を合わせる事もなく、すっかり男の事は忘れていたら、昼を過ぎてまた顔を合わせることになったのには驚いた。普通ならここで記念写真を撮ったり、これからの予定や、いろんな話で盛り上がるところだろうが、そんな気配はいささかもわかず、一言「やあ」と声をかけただけだった。

下の写真はその男の自転車なのだが、これも隠れるようにして撮ったモノです。
ヒョッとすると、彼はものすごくベテランの自転車旅行者で、いろいろ試した挙句のスタイルがこれだったり‥‥、そんなことはないか。


最後の25㌔は北風に悩まされ、5㌔毎にお茶休憩をとりながら、ようやく東能代(能代はR7を離れ、R101を北上したところにあり、大館に向かうコースからは外れる)のビジネスホテルに

16:00 チェックイン

夕食はすき家でとん汁とおろしポン酢の牛皿(2倍)定食

また、例によって能代については何も知らぬ。

走行距離 108.82㌔ 最高時速 35.5km/h  走行時間 6:49 平均速度 15.9km/h

2012年7月24日火曜日

6月28日(木) 11日目

第11日目 6月28日(木) 酒田 → 由利本荘

昨日のページで「鶴岡」について何の知識もないのでパスしたが、ひょっとしたら寄り道をした方がよかったかも…、という迷いを書いていたが、今日(2012・7・23)になって、その迷いが裏目にでた事が判明してしまった。

気になって確認してみると、鶴岡は藤沢周平の傑作「蝉しぐれ」などの一連の作品の舞台、「海坂藩」のモデルとなった酒井家の荘内藩の藩都だとわかった。映画になった「たそがれ清兵衛」や「武士の1分」のロケもそこで行われたという。今でも藩校をはじめ歴史的建造物が多数残されているそうだ。そして藤沢さんの記念館もあるらしい。
実は、そのモデルの町を「角館」だと思い込んでいたのが、そもそもの原因なのだが、今となっては致し方がない。事前の調査を怠った自分が悪い。日程の余裕はあったのだから、一泊してもよいくらいなのに、惜しい事をしたものだ。

さて、本日は、ほとんど計画はなく、松尾芭蕉「象潟や雨に西施が合歓の花」の句で知られる象潟に行って、蚶満寺を訪ねる事とその辺りの珍しい地形、昔、潟の中にあった多数の島が、その潟が地震で隆起して、今では平地にその島が岡として残っているのを見る事を決めていただけで、目的地は成り行き…、という、例によっていい加減なものでスタートした。

7:45 ホテル出発
鳥海山を右に見ながらR7を北上する。

9:05 道の駅 鳥海
ここからは海側のR345をしばらく走る。ありがたいことに、海の上に張り出して側道が作られている。もちろん人は通らず快適に走れる。
 




9:50 24㌔ 女鹿付近でR7に戻る

10:23 26.5㌔ 秋田県に入る

11:20 38.92㌔
象潟の町に入り、マップルに「ラーメン&カレー丼のセットはおすすめ」と書いてある食堂「マサ苑」を捜し求めて行ってみたが、カレー丼はやっていないとの事で「ねぎラーメンとミニマーボ丼」(890円)を注文。

12:00 頃 蚶満寺拝観

(芭蕉像)

(寺からの象潟の奇景)

寺を辞してから、しばらくR7から離れ海沿いの旧道を10数㌔走ったが途中にも下のような地形が随所に見られた。

13:35 53㌔ R7に戻る

今日も概ね側道を走っている。快適な走りができているのだが、時にその側道が消えてなくなることがある。そのような時は当然、車道の左端を走るが、今日に関してはNo Problem。

(R7 13:47 55㌔ : 突如なくなる側道)

14:10 64㌔ 道の駅 西目
ここで職場の同僚達に地元の特産品「サクランボ」を宅送する。
そろそろ、宿泊地を考える頃合になり、マップルにキャンプ場印が付いている「本荘マリーナ」へ予約の電話をしてみると、まだシーズン前でオープンしていないという返事。残念!
敷地内に「にしめ湯っ娘ランド」という温泉施設があるので、覗いてみると、16:00からではあるが、2500円で一食付いて仮眠室で宿泊できるという事だ。その仮眠室を見せてもらったが、薄暗い部屋に、リクライニングの椅子が並んでいるだけだ。一瞬、お世話になろうかと考えたが、後一時間半も待たされる事とこんなに天気が良い日にキャンプをしない事の後ろめたさから、それは断念し、さっきのマリーナがある子吉川の近くに設営場所を求める事にして出発した。

本荘大橋を渡り、左折して町中を河口方向へ進むと「友水公園」という標識があり、直感的に「ここならキャンプができる」と確信し、途中のバス営業所で場所を尋ね、キャンプが可能かどうかを確かめて(大丈夫だと思うとの返事)着いた所が大正解だった。

15:00 頃 公園到着


ここは土手の上。下は芝、東屋があり、近くに水場とトイレがある。これで決定です。眼下には川が流れ、漕艇部の高校生が練習に励んでいる。

ひとつ残念だったのは、この東屋で家族連れがバーベキュウをするというので、20時くらいまでそこが使えなかった事。まあ、そこはよそ者としては遠慮しなくてはならないだろう。

そのすぐ隣で、肉の焼ける良い匂いをかぎながら、こちらは米を炊き、5時半頃カレーライスとスープの夕食をとる。コーヒーを飲みながら夕陽を眺めたりし、まったりと時間が過ぎてゆく。

(18:35 対岸に沈む夕陽)

走行距離 70㌔ 最高速度 39.5㎞/h 走行時間 4:25 平均時速 15.9㎞/h