まず、去年までの走行記録からおさらいしておきます。
06年(8月~12月) 1,090㌔
07年 6,531 (累計 7,621㌔ )
08年 6,155 ( 13,776 )
09年 5,021 ( 18,797 )
10年 4,423 ( 23,220 )
11年 4,513 ( 27,433 )
12年 4,747 ( 32,180 )
13年 4,021 ( 36,201 )
と走ってきたわけですが
66歳となった2014年は 本妻号 2,697㌔
愛人1号 1,215㌔ 合計 3,912㌔
となり累計走行距離が 40,113㌔ と遂に4万キロを越えました。 年初に多分越えるだろうと予想はしていましたが、なんとかクリアというところです。8年半で地球を一周したことになります。只、多少意識して乗り続けた結果に過ぎませんが一区切りという感慨はありますね。
随分と色んな所を走りました。恐ろしいことに、最近「旅番組」を見ていて周辺の景色を見ただけで、「あっ、ここは~だ」と町の名前や地域名がわかってしまう事がよくあります。(そのたびに家人には煩がられますが)
NHKBSで「日本縦断こころ旅」という火野正平さんの自転車旅行番組があるのですが、あれなどに出てくる風景、道路、橋、曲がり角などにはしょっちゅう見覚えのあるものにお目にかかります。目下の私の一番のご贔屓番組になっています。
特に北海道はその傾向が強いような気がします。普通の人は北海道の地名には疎く、例えば「名寄」と言われてそこを地図上で直ぐに指せる人は少ないと思います。その点、私は今では内地の人の中で、北海道の地名に詳しい人の上位30%に入る自信があります。つまらない事ですが…。
そんなこんなでやはり自転車旅行が好きです。
来年もスタイルは変わりますが色んな所へ愛人1号と出かけたいと思っています。
2014年12月31日水曜日
2014年12月1日月曜日
11月の走行記録など
まずは11月の走行記録
本妻号 走行距離 95㌔ 累計 38,812㌔
愛人1号 〃 101 〃 1,147
合計 〃 196 〃 39, 959
今月も走っていない。
サイクリングはベイサイドマリーナに1回と鶴見川ハーフを1回だけだったと思います。
去年の12月に下の愛人1号を買いました。
「畳める」事だけがとり得の自転車です。畳むとこんな姿になります。
輪行を考えての購入だったのですが、それについての進展がほとんど無く、ボケーっと1年を過ごしました。「これではいけない、前進しなくては…」と反省し、10月に「輪行バッグ」を購入しました。輪行にはルールがあって、車内・機内に持ち込む際には包み込むような物に入れなくてはならないとされています。大きさとか材質・体裁は問わないようです。色んなものがありますが、この車体専用のものがメーカーから純正パーツとして発売されているので(3000円位でした)、それにしました。
本妻号 走行距離 95㌔ 累計 38,812㌔
愛人1号 〃 101 〃 1,147
合計 〃 196 〃 39, 959
今月も走っていない。
サイクリングはベイサイドマリーナに1回と鶴見川ハーフを1回だけだったと思います。
去年の12月に下の愛人1号を買いました。
「畳める」事だけがとり得の自転車です。畳むとこんな姿になります。
輪行を考えての購入だったのですが、それについての進展がほとんど無く、ボケーっと1年を過ごしました。「これではいけない、前進しなくては…」と反省し、10月に「輪行バッグ」を購入しました。輪行にはルールがあって、車内・機内に持ち込む際には包み込むような物に入れなくてはならないとされています。大きさとか材質・体裁は問わないようです。色んなものがありますが、この車体専用のものがメーカーから純正パーツとして発売されているので(3000円位でした)、それにしました。
15cm×20cm程度にまとまり非常にコンパクトで軽いのが特徴で、
こんな形に収まります。サドルは中に収め肩掛けの負担を減らすために手で持つと良いようです。収める事自体は大した事ではなかったのですが、車体をきちんときれいに畳むのが意外と困難で、試行錯誤の末、やっとベストポジションを見つけることができました。
来年になったら、まず房総半島辺りで2泊程度の輪行ツアーを試そうと思っています。
2014年11月1日土曜日
9月・10月の走行記録など
本当に久しぶりの書き込みになります。
まず、この9・10月2ヶ月間の走行実績です。
本妻号 走行距離 162㌔ 累計 38,717㌔
愛人1号 〃 175 〃 1 046
合計 〃 337 〃 39, 763
要するに殆ど走っていません。
7月半ばに北海道から戻り、特に9月になってからは近来になく多忙感があります。オーバーに言うと定職から離れて以来、この2ヶ月程忙しいなあと感じた事はありません。一般の社会人と比べるとお話にならない位ヒマな日常を送っているのですが、「一日一事」が日常と化した年金生活者には、ちとタイトな日々が続きました。
地域活動(7月からは「民生委員」も加わりました)として敬老会やお祭り、臨時総会と続き、ヨット生活の面ではレース出場を果たし、大学のクラス会、映画の会の各種集い、息子をあてにしたソウル旅行などに加え、幸せな事には(こちらは主に家人が大変だったのですが)数週間に及ぶ孫達の世話が加わり、サイクリングの機会がありませんでした。
とは言いながら、それが自転車生活の低調さの原因かと聞かれると、どうもそうとは言い切れないような気がします。ちょっとした「目標喪失」でないかと感じております。
自転車キャンピングツアーを辞め輪行主体に変えたのですが、その姿が具体的にイメージできず、結果として「少しの隙間」を見つけてまでサイクリングをする意欲が失われたのではないかと自己分析する次第です。
きっと脚力は衰えているでしょう。
11月はサイクリングには絶好のシーズンです。早く次のプランを決めてそれに向かっての調整に入ろうと思います。
まず、この9・10月2ヶ月間の走行実績です。
本妻号 走行距離 162㌔ 累計 38,717㌔
愛人1号 〃 175 〃 1 046
合計 〃 337 〃 39, 763
要するに殆ど走っていません。
7月半ばに北海道から戻り、特に9月になってからは近来になく多忙感があります。オーバーに言うと定職から離れて以来、この2ヶ月程忙しいなあと感じた事はありません。一般の社会人と比べるとお話にならない位ヒマな日常を送っているのですが、「一日一事」が日常と化した年金生活者には、ちとタイトな日々が続きました。
地域活動(7月からは「民生委員」も加わりました)として敬老会やお祭り、臨時総会と続き、ヨット生活の面ではレース出場を果たし、大学のクラス会、映画の会の各種集い、息子をあてにしたソウル旅行などに加え、幸せな事には(こちらは主に家人が大変だったのですが)数週間に及ぶ孫達の世話が加わり、サイクリングの機会がありませんでした。
とは言いながら、それが自転車生活の低調さの原因かと聞かれると、どうもそうとは言い切れないような気がします。ちょっとした「目標喪失」でないかと感じております。
自転車キャンピングツアーを辞め輪行主体に変えたのですが、その姿が具体的にイメージできず、結果として「少しの隙間」を見つけてまでサイクリングをする意欲が失われたのではないかと自己分析する次第です。
きっと脚力は衰えているでしょう。
11月はサイクリングには絶好のシーズンです。早く次のプランを決めてそれに向かっての調整に入ろうと思います。
2014年9月2日火曜日
8月の走行実績など
8月の走行実績
本妻号 走行距離 106㌔ 累計 38,555㌔
愛人1号 〃 35 〃 871
合計 〃 141 〃 39, 426
何とも低調なひと月だった。これすべて猛暑と降雨の為だ。
自転車に乗ったのは殆ど通勤だけだ。辛うじてサイクリングと言えるのは、30日に鶴見川を1時間半ほど走っただけではないだろうか。一日中家の中で過ごしていた日がとても多かった。これはいかん!
キャンピングツーリングは止めた、と決めたものの、趣味としての自転車を止める積りは毛頭ない。ただ、次の姿が明確になってこないのでウジウジしている。漠然とはダホンルート(愛人1号)での輪行ツーリングを考えているのだが、それに適したルートなどがはっきりしてこない。
そんなこんなで、結局恒例の「狩野川100キロ」もパスした。
それでもトレーニングだけは続けなくてはと思う今日この頃です。
本妻号 走行距離 106㌔ 累計 38,555㌔
愛人1号 〃 35 〃 871
合計 〃 141 〃 39, 426
何とも低調なひと月だった。これすべて猛暑と降雨の為だ。
自転車に乗ったのは殆ど通勤だけだ。辛うじてサイクリングと言えるのは、30日に鶴見川を1時間半ほど走っただけではないだろうか。一日中家の中で過ごしていた日がとても多かった。これはいかん!
キャンピングツーリングは止めた、と決めたものの、趣味としての自転車を止める積りは毛頭ない。ただ、次の姿が明確になってこないのでウジウジしている。漠然とはダホンルート(愛人1号)での輪行ツーリングを考えているのだが、それに適したルートなどがはっきりしてこない。
そんなこんなで、結局恒例の「狩野川100キロ」もパスした。
それでもトレーニングだけは続けなくてはと思う今日この頃です。
2014年8月2日土曜日
6・7月の走行記録 など
(こちらが「下書き」に残っていたので、遅ればせながら本日アップします。)
6,7月にかけて北海道にツーリングに出かけたので、2か月分まとめての集計になります。
本妻号 走行距離 1,744㌔ 累計 38,449㌔
愛人1号 〃 98 〃 836
合計 〃 1,842 〃 39, 285
このペースで進むと今年中には間違いなく累計4万㌔になるだろう。地球一周分です。
8年前に自転車生活を始めた頃には想像もしていなかった数字です。まあ、記念すべき数字かとは思いますが、通過点でしょう。ヨット乗りの間では「ケープホナー」という名誉があります。ホーン岬を回った事がある者だけが自称できる言い方なのですが、ほんの少しそれに近い感慨がない訳ではありませんが、問題は今後にかかっていると思います。
とは言っても大したことではなく、あと何年この楽しさを味わいながら生きて行けるかという事です。まあ、それはそれで大変な事ですが、だからと言って何をするとか、何を心がけるとかいう程の事は何も考えてはいません。
目先の目標がないとグターという姿勢になってしまう性質なので、一刻も早く次のプランを立てなくてはと思う今日この頃です。
(8月2日 記)
6,7月にかけて北海道にツーリングに出かけたので、2か月分まとめての集計になります。
本妻号 走行距離 1,744㌔ 累計 38,449㌔
愛人1号 〃 98 〃 836
合計 〃 1,842 〃 39, 285
このペースで進むと今年中には間違いなく累計4万㌔になるだろう。地球一周分です。
8年前に自転車生活を始めた頃には想像もしていなかった数字です。まあ、記念すべき数字かとは思いますが、通過点でしょう。ヨット乗りの間では「ケープホナー」という名誉があります。ホーン岬を回った事がある者だけが自称できる言い方なのですが、ほんの少しそれに近い感慨がない訳ではありませんが、問題は今後にかかっていると思います。
とは言っても大したことではなく、あと何年この楽しさを味わいながら生きて行けるかという事です。まあ、それはそれで大変な事ですが、だからと言って何をするとか、何を心がけるとかいう程の事は何も考えてはいません。
目先の目標がないとグターという姿勢になってしまう性質なので、一刻も早く次のプランを立てなくてはと思う今日この頃です。
(8月2日 記)
2014年7月23日水曜日
2014 北海道ツーリング 総括
下の図が最終的なコースとなった。
何となく8の字に見えるかな。これで1,270㌔になる。脚弱だけど北海道を満喫したいという私のような人にはかなりお勧めのコースではないかと自負している。何より手強い峠越えがない。代表的観光地富良野・美瑛・宗谷岬が含まれる点も満足度が高い。
実際にはこれに横浜・大洗の往復306㌔が加わるので総計1576㌔の旅程となり、過去と比べて平均的なものではある。そして、荷物を30㎏積んで年寄りが走るとすると、この程度が「身の丈に合った」ところだろう。
経費は以下のとおり
2014 北海道 経費一覧
宿泊代 食材費 外食代 飲物代 煙草代 雑費 フェリー代 合計
30700 10807 21663 10445 8400 17638 18140 117793
事前に準備した物もかなりあり、、雑費の中には各種土産、フロアマットやショックコード等の出費もあるので適当な 数字だが、それでも意外と少なく済んでいる。手持現金の具合から凡その見当はついていたが、いざ、集計の結果が出てみると自分でも驚いている程だ。これを少ないと思うか、多いと思うかはその人の旅行歴や価値観の問題だろう。
これは宿泊費が圧倒的に少ないからだ。 20泊の内訳はキャンプ 13、ホテル等 5、船中泊 2と過半数がキャンプだった事による。しかもキャンプ場の半分近くが無料だった。
今回の唯一と言ってもよい後悔は「虫対策」の失敗だ。 キャンプ場では必ず長袖、長ズボンに着替え、強力虫除けをテントに噴霧し、蚊取り線香を焚き、刺されたと思ったら直ぐに超強力ムヒを塗ったのだが、敵は手強かった。余りにも醜悪で画像でお見せできないのが残念?だが、特に右足首に多数のかさぶたや痒みがあり、、かきむしるたびに血だらけになっている。多分ある程度治まるまで2ヶ月、完全に枯れるまでは1年かかるだろう。それでも、シミになった跡は残る。虫の正体は未だに知らない。
最後にもうひとつ、後悔という訳ではないが今回の感想として、人との関わりが意外と少なかったかなと思っている。記録を見直してみるとかなりの方のお世話になっているし話しもしているのだが、印象が薄いのだ。感受性が乏しくなったのか、こちらから積極的にそれを求めなかったからだろうか。自転車旅行者と一緒にならなかったからだろうか。
実際にはこれに横浜・大洗の往復306㌔が加わるので総計1576㌔の旅程となり、過去と比べて平均的なものではある。そして、荷物を30㎏積んで年寄りが走るとすると、この程度が「身の丈に合った」ところだろう。
経費は以下のとおり
2014 北海道 経費一覧
宿泊代 食材費 外食代 飲物代 煙草代 雑費 フェリー代 合計
30700 10807 21663 10445 8400 17638 18140 117793
事前に準備した物もかなりあり、、雑費の中には各種土産、フロアマットやショックコード等の出費もあるので適当な 数字だが、それでも意外と少なく済んでいる。手持現金の具合から凡その見当はついていたが、いざ、集計の結果が出てみると自分でも驚いている程だ。これを少ないと思うか、多いと思うかはその人の旅行歴や価値観の問題だろう。
これは宿泊費が圧倒的に少ないからだ。 20泊の内訳はキャンプ 13、ホテル等 5、船中泊 2と過半数がキャンプだった事による。しかもキャンプ場の半分近くが無料だった。
今回の唯一と言ってもよい後悔は「虫対策」の失敗だ。 キャンプ場では必ず長袖、長ズボンに着替え、強力虫除けをテントに噴霧し、蚊取り線香を焚き、刺されたと思ったら直ぐに超強力ムヒを塗ったのだが、敵は手強かった。余りにも醜悪で画像でお見せできないのが残念?だが、特に右足首に多数のかさぶたや痒みがあり、、かきむしるたびに血だらけになっている。多分ある程度治まるまで2ヶ月、完全に枯れるまでは1年かかるだろう。それでも、シミになった跡は残る。虫の正体は未だに知らない。
最後にもうひとつ、後悔という訳ではないが今回の感想として、人との関わりが意外と少なかったかなと思っている。記録を見直してみるとかなりの方のお世話になっているし話しもしているのだが、印象が薄いのだ。感受性が乏しくなったのか、こちらから積極的にそれを求めなかったからだろうか。自転車旅行者と一緒にならなかったからだろうか。
2014年7月21日月曜日
20日目 7月6日(日) 21日目 7月7日(月)
7月6日(日) 曇り
入浴、カップメンの朝食後、船内でアルゼンチンの勝利を見る。
大洗入港が近付く頃家人からメールが届く。昨晩出航後に送ったメールが届いていなかったらしく所在確認の内容だった。
14:00 大洗港 入港 定刻どうり
Eデッキからはトップで下船
大洗海岸の公園で、手持のまま残っていた食パンとジャムの昼食後出発。周囲はサーファーで賑っている。
毎回の通り、涸沼南岸を通り水戸街道 を行く。この道は毎回のように楽しくない。楽しくないから余計に疲れる。特に土浦市街を抜ける登り降りには泣く。
18:20 恒例のように荒川沖駅前のビジネスホテルに投宿。3回目ともなると、支配人が覚えていてくれた。しばし世間話。
本日の走行距離 58、64㌔ 走行時間 3:23 平均時速 17、4㌔
7月7日(月) 雨時々曇り
7:20 ホテル 出発
最後の最後で降られてしまった。降ったり止んだりで、品川辺りまでは律儀に脱ぎ着を繰り返したが、以後は降り始めても着ない事にした。
松戸付近の交差点で左足を縁石にのせて停まっている時、何かの拍子にバランスを崩してしまい右側に倒れてしまった。足を着いて立て直す事ができず体ごと行ってしまった。最後の最後で右腰骨と右肘に打撲。
いつものように自宅近くの懇意の自転車屋に立ち寄り、「無事帰着。車体・身体問題なし」を報告し
16:30 自宅 帰着。
入浴、カップメンの朝食後、船内でアルゼンチンの勝利を見る。
大洗入港が近付く頃家人からメールが届く。昨晩出航後に送ったメールが届いていなかったらしく所在確認の内容だった。
14:00 大洗港 入港 定刻どうり
Eデッキからはトップで下船
大洗海岸の公園で、手持のまま残っていた食パンとジャムの昼食後出発。周囲はサーファーで賑っている。
毎回の通り、涸沼南岸を通り水戸街道 を行く。この道は毎回のように楽しくない。楽しくないから余計に疲れる。特に土浦市街を抜ける登り降りには泣く。
18:20 恒例のように荒川沖駅前のビジネスホテルに投宿。3回目ともなると、支配人が覚えていてくれた。しばし世間話。
本日の走行距離 58、64㌔ 走行時間 3:23 平均時速 17、4㌔
7月7日(月) 雨時々曇り
7:20 ホテル 出発
最後の最後で降られてしまった。降ったり止んだりで、品川辺りまでは律儀に脱ぎ着を繰り返したが、以後は降り始めても着ない事にした。
松戸付近の交差点で左足を縁石にのせて停まっている時、何かの拍子にバランスを崩してしまい右側に倒れてしまった。足を着いて立て直す事ができず体ごと行ってしまった。最後の最後で右腰骨と右肘に打撲。
いつものように自宅近くの懇意の自転車屋に立ち寄り、「無事帰着。車体・身体問題なし」を報告し
16:30 自宅 帰着。
家人撮影
これで今年の北海道ツーリングが終わった。無事に戻れてこんな素晴らしい事はない。皆様、ありがとうございました。
本日の走行距離 94、61㌔ 走行時間 6:31 平均時速 14、5㌔
本日の走行距離 94、61㌔ 走行時間 6:31 平均時速 14、5㌔
色々なデータは後日書く積りだが、フィジカルデータだけを記す。
体重 体脂肪率 内臓脂肪
出発前 72㎏ 21、4% 14
帰着後 68㎏ 17、4% 12
今回もそこそこのダイエット効果があったようだ。
2014年7月20日日曜日
19日目 7月5日(土)
7月5日(土) 曇り
6:45 起床 7:00 朝食
8:15 ユースホステル 出発
いよいよ北海道最後の日になってしまった。長かったような、あっと言う間だった様なツーリングだった。毎度の事だが去りがたい。これを未練というのだが、潮時という言葉もある。潔く引き揚げる事にする。また、フェリーに明日、日曜日の便はないので今日乗らないと明後日まであと2泊追加になるが、3日分のコースは思いつかない。悪あがきはしない方がよい。
いつもの自転車専用道を走って苫小牧まで出る。そして、20㌔程の卵屋さん、白老の「マザーズ」で卵かけご飯のお昼、そしてまた、苫小牧に戻りフェリー乗船。これが本日の予定。
自転車道は20㌔程だが、下り基調で楽チン。これで3度目かなあ。
9:50 23㌔ 苫小牧 市街 到着
マザーズは確か11時開店なので、のんびりと国道36号線を室蘭方向に走る。幹線道路でトラックの往来が激しく、何も楽しくない道だが、途中の「社台ファーム」の存在にはいつも目を瞠る。競走馬の生産組織としての知識しか持ち合わせていないが、どうもそれだけではないようだ。小学校までもっている。きっと、道内ではスゴイ存在なのだろう。
11:30 46㌔ 白老 「マザーズ」 到着
卵かけご飯(380円・卵のお代わり自由)をいただき、館内のカフェに移動してシュークリームとコーヒーで ひと休み。これでマザーズは4回目だが毎回これを繰り返している。気のせいか、以前より繁盛しているようだ。
6:45 起床 7:00 朝食
8:15 ユースホステル 出発
いよいよ北海道最後の日になってしまった。長かったような、あっと言う間だった様なツーリングだった。毎度の事だが去りがたい。これを未練というのだが、潮時という言葉もある。潔く引き揚げる事にする。また、フェリーに明日、日曜日の便はないので今日乗らないと明後日まであと2泊追加になるが、3日分のコースは思いつかない。悪あがきはしない方がよい。
いつもの自転車専用道を走って苫小牧まで出る。そして、20㌔程の卵屋さん、白老の「マザーズ」で卵かけご飯のお昼、そしてまた、苫小牧に戻りフェリー乗船。これが本日の予定。
自転車道は20㌔程だが、下り基調で楽チン。これで3度目かなあ。
9:50 23㌔ 苫小牧 市街 到着
マザーズは確か11時開店なので、のんびりと国道36号線を室蘭方向に走る。幹線道路でトラックの往来が激しく、何も楽しくない道だが、途中の「社台ファーム」の存在にはいつも目を瞠る。競走馬の生産組織としての知識しか持ち合わせていないが、どうもそれだけではないようだ。小学校までもっている。きっと、道内ではスゴイ存在なのだろう。
11:30 46㌔ 白老 「マザーズ」 到着
卵かけご飯(380円・卵のお代わり自由)をいただき、館内のカフェに移動してシュークリームとコーヒーで ひと休み。これでマザーズは4回目だが毎回これを繰り返している。気のせいか、以前より繁盛しているようだ。
とは言いながら、そうそう長居もできず
12:15 マザーズ 出発。 来た道を戻る。
14:00 苫小牧中心部 到着
フェリーの出航は18:45なので、いくら何でも港直行では早すぎる。馴染みの町ではあるが、苫小牧中心部をひと回りして、以前も寄った事があるミスタードーナッツで記録を書いたりして過ごした後
15:30 フェリーターミナル 到着
これで北海道8の字縦断コース完成。1,260㌔の旅だった。楽しかったなあ。事故もなくよかった。
18:45 出航
本日の走行距離 73、71㌔ 走行時間 4:40 平均時速 15、7㌔
18日目 7月4日(金)
7月4日(金) 晴れ
6:00 起床
8:00 ペンションン 出発
本日の予定は支笏湖のモラップキャンプ場まで。ここで手持の食料を全て終える積りだ。
支笏湖は過去2回程行った事がある。但しルートは苫小牧からと千歳方面からのもので、札幌から、ダイレクトに南下するというのは初めてだ。しかし、標高自体が低い湖なので軽い気持でスタート。ただ、残念な事にここからは予定外のコースだったので、地図を持っていない。手持の地図は札幌市街の20万分の一の物だけ。それによると、ペンションの近くから国道453号線(R453)が南下しており、真駒内を通り、地図の端には「支笏湖へ」と書いてある。迷うことなくそこを行く。
10:20 15㌔ 札幌市芸術の森公園
まあ、ここまではのんびりと何度も休み休みしながら、緩い登りを登ってきた。こんな調子で、支笏湖まで行けるものと思い込んでいた。
公園内では何かのイベントのリハーサルをしていてうるさかったが、明日のフェリーの予約電話をした。
6:00 起床
8:00 ペンションン 出発
本日の予定は支笏湖のモラップキャンプ場まで。ここで手持の食料を全て終える積りだ。
支笏湖は過去2回程行った事がある。但しルートは苫小牧からと千歳方面からのもので、札幌から、ダイレクトに南下するというのは初めてだ。しかし、標高自体が低い湖なので軽い気持でスタート。ただ、残念な事にここからは予定外のコースだったので、地図を持っていない。手持の地図は札幌市街の20万分の一の物だけ。それによると、ペンションの近くから国道453号線(R453)が南下しており、真駒内を通り、地図の端には「支笏湖へ」と書いてある。迷うことなくそこを行く。
途中で見かけた寝仏
10:20 15㌔ 札幌市芸術の森公園
まあ、ここまではのんびりと何度も休み休みしながら、緩い登りを登ってきた。こんな調子で、支笏湖まで行けるものと思い込んでいた。
公園内では何かのイベントのリハーサルをしていてうるさかったが、明日のフェリーの予約電話をした。
確かにR453は札幌から支笏湖に至る最短コースかもしれないが後半は、詳しく調べたわけではないが500㍍級の峠越えとなり苦しむ。
思いも寄らない峠越えに、歩きに歩いて
14:00 42㌔ 湖畔のポロピナイ 到着
最終の下りこそ最高だったが、着いたときは精も根も尽き果てていた。(少しオーバー)
やっとの事で「行者にんにくラーメン」の昼食にありつく事ができた。あとは少し体力の回復を待ってから、平坦な周回道路で丁度上の写真で見る対岸辺りのキャンプ場に行くのみ だ。
温泉街を過ぎて、記憶を辿りながらモラップキャンプ場を目指すが、何故か見つからない。幹線道路から(この道は間違っていない確信あり)右にちょっと目立たない枝道を下って行くと湖畔にあるキャンプ場に到着となるのだが、その枝道が見つからない。道路工事のニイサンに尋ねて走り込んだ枝道は、温泉街からの道に出てしまい結局辺りを一周しただけだったり(また、そのニイサンの前を再度走り過ぎた時にはイヤ味を呈しました)、さらに先に居た工事のニイサンの教えてくれた枝道は、進むに連れて林に迷い込んで行くだけで、不気味で熊が出てきたら‥と不安になるだけで引き返し、結局、以前泊ったユールホステルを電話予約する羽目になった。
(今になって確認すると、例の幹線道路をあと数キロ前進すればよかったようだ)
16:30 支笏湖ユースホステル 到着 疲れたー。
夕食は同宿の軽四輪旅行者のオジサン(同年輩)とジンギスカンをつつく。彼も酒を飲まず、色々と話しは弾んだ。
本日の走行距離 65、87㌔ 走行時間 6:04 平均時速 10、8㌔
17日目 7月3日(木)
7月3日(木) 曇り
5:30 起床 就寝が遅かったせいか、いつもより遅い
7:30 キャンプ場 出発
本日の予定は、只ひとつ。札幌市内の予て知り合いの美味しいハンバーグ屋さん「グリュス・ゴット」でランチをとること、それだけなので楽な気分で出発。
キャンプ場を出たところのコンビニでやや長めのソックスを買う。足首の状態が酷く、かさぶたができる前の粘液が垂れてくるので、包帯代わりの積りと自分自身がそれを見たくないための目隠しだ。それでも「漕ぐ」に際しては何ら影響はないので、殆んど気にはしていない。
R275を南下すること30㌔程で、前回とても怖い思いをした新石狩大橋にさしかかる。
何せこの橋は長大な上に交通量が多い。それも大型トラック・トレーラーが多く、片側一車線、側道なしという自転車乗りにとっては地獄のような橋だ。前回は何も考えずに、体をピッタリと左欄干に寄せ歩いて渡ったのだが、怖い上に疲れた。
今回も分かってはいたが、何の解決策もないまま着いてしまった。と言っても石狩川を越さない事には札幌に入れない。手持のマップルでは3㌔上流にも橋があるようだが、側道・歩道があるのかは分からないが、とにかく迂回する事にした。出たとこ勝負だ。
結果的にはOKで上流の石狩大橋には一方にちゃんとした歩道があり、安心して渡れた。名前からするとこちらの方が古いようだが、新しい橋が歩行者無視とはどういうわけだろう。写真は、石狩大橋を渡りながら新石狩大橋を望んだもの。
市街地に入ってからは今までと比べ(当然だが)走りづらい事この上ない。大都会は自転車に向いてない。
12:20 60㌔ グリュス・ゴット 到着
5:30 起床 就寝が遅かったせいか、いつもより遅い
7:30 キャンプ場 出発
本日の予定は、只ひとつ。札幌市内の予て知り合いの美味しいハンバーグ屋さん「グリュス・ゴット」でランチをとること、それだけなので楽な気分で出発。
キャンプ場を出たところのコンビニでやや長めのソックスを買う。足首の状態が酷く、かさぶたができる前の粘液が垂れてくるので、包帯代わりの積りと自分自身がそれを見たくないための目隠しだ。それでも「漕ぐ」に際しては何ら影響はないので、殆んど気にはしていない。
R275を南下すること30㌔程で、前回とても怖い思いをした新石狩大橋にさしかかる。
何せこの橋は長大な上に交通量が多い。それも大型トラック・トレーラーが多く、片側一車線、側道なしという自転車乗りにとっては地獄のような橋だ。前回は何も考えずに、体をピッタリと左欄干に寄せ歩いて渡ったのだが、怖い上に疲れた。
今回も分かってはいたが、何の解決策もないまま着いてしまった。と言っても石狩川を越さない事には札幌に入れない。手持のマップルでは3㌔上流にも橋があるようだが、側道・歩道があるのかは分からないが、とにかく迂回する事にした。出たとこ勝負だ。
結果的にはOKで上流の石狩大橋には一方にちゃんとした歩道があり、安心して渡れた。名前からするとこちらの方が古いようだが、新しい橋が歩行者無視とはどういうわけだろう。写真は、石狩大橋を渡りながら新石狩大橋を望んだもの。
市街地に入ってからは今までと比べ(当然だが)走りづらい事この上ない。大都会は自転車に向いてない。
12:20 60㌔ グリュス・ゴット 到着
北海道神宮・円山公園の脇の坂(これが私には結構な激坂)をどんどん登りつめた先にあるここグリュス・ゴットは友人のSさんの奥方の妹さん(美人姉妹です)夫婦が開いているレストランで、これで3回目の訪問になる。特に前回は、当日苫小牧からのフェリーに乗ったのだが、勘違いから死ぬ思いで走って間に合わせたという苦い思い出もある。
お客様もそこはかとなく上品で、何とも場違いな、店には似つかわしくない風袋で伺うのだが、暖かく迎えていただけるので、毎回来てしまう。
ラグビーボールを小さくしたようなミンチの塊がジュウジュウいいながらプレートにのってきて、それを奥さんが目の前で縦に包丁を入れると、その塊は左右にサーと広がり、中からミディアムレアの赤身が見え、その切れ目を底にしてプレートに広げ、特製ソースが注がれるとジュウと煙があがり、えもいわれぬ薫りが広がる。
ライス、サラダ、スープ、美味しいコーヒー(お代わりをしてしまった)も付いたランチをいただく。
北海道での生活、子供の事、共通の知人の話題など話しが弾み(ご両親にまで挨拶してしまった)
辞去したのは2時間後だった。
14:30 グリュス・ゴット 出発
あとは市内でホテルを探すだけだ。の、はずだった。ところがどのビジネスホテルも全て満員。相当マイナーな小さなところまで10軒程当たったがダメ。そう言えば前々回もそうだった。縁がないのだろう。それでも2時間くらい探し回っただろう。
翌日は支笏湖に行く事にしていたので、とにかくR274を南の方に走りながら探してみよう、豊平川を渡れば道が拓けるだろう、という何の根拠もないまま走る。
上の図のようにしばらく行くと右に「丸富旅館」というささやかな旅館が目に入ったが、やはりビジネスホテルへのこだわりがあり、あと2㌔走っても見つからなければ諦めて丸富旅館に当たろうと進むが。ない。
引き返して丸冨旅館を訪ねるが、長期契約者で満室だという。しかしそこの女将さんは親切だった。近所に宿泊場所はないかと聞くと、自転車なら数分の所にペンションがある、と教えてくれ、電話番号を調べ、かけてくれた。ありがたい事に、夕飯ナシならOKという返事。そこは「雪輪」といった。女将の説明が極めて適切で、珍しく迷わず辿り着けた。
17:00 雪輪 到着
まあ、民家風の民宿といった風情のところだがホッとした。 夕食は紹介された近くの居酒屋で。
北海道の居酒屋には意外と家族連れが多く食事客も多い。肉野菜炒めが絶品。焼きホッケも美味かった。
本日の走行距離 713、41キロ 走行時間 5:06 平均速度 14、4㌔
2014年7月18日金曜日
16日目 7月2日(水)
7月2日(水) 曇り 無風
4:00 起床
キャンプ場の夜は意外と賑やかなのだ。鹿(多分)やその他の動物、鳥、虫の鳴き声そして偶に、はるか上を走る道路を行く車の音、木々のざわめき。そして、幌加内湖では、後にも先にもこの時だけ、NHKFMが極めて感度良く受信できた。ラジオ深夜便を聞く。
5:00 朝食 6:00 キャンプ場出発
本日は、当初の予定では滝川までの71㌔。
7:20 16、5㌔ 幌加内トンネル(標高270㍍ 全長1261㍍)
以前どこかのトンネルで「ここが今回最長」と書いたがそれは誤りで、このトンネルが最長だった。初めて持参のフロントライトを装着。かなり緊張して抜ける。
それからは雨竜川沿いの下り基調のR275を快調に進む。尤もこのコースは以前逆方向で走った事があるので余裕。
幌加内は道内でも有数の「蕎麦どころ」でこの辺りでも米作と蕎麦作りが共存している。因みに、米作は概ね名寄辺りが北限で、それ以北は牧畜がメインとなり、目下牧草の刈り取り・蓄積作業が行われている。
4:00 起床
キャンプ場の夜は意外と賑やかなのだ。鹿(多分)やその他の動物、鳥、虫の鳴き声そして偶に、はるか上を走る道路を行く車の音、木々のざわめき。そして、幌加内湖では、後にも先にもこの時だけ、NHKFMが極めて感度良く受信できた。ラジオ深夜便を聞く。
5:00 朝食 6:00 キャンプ場出発
本日は、当初の予定では滝川までの71㌔。
7:20 16、5㌔ 幌加内トンネル(標高270㍍ 全長1261㍍)
以前どこかのトンネルで「ここが今回最長」と書いたがそれは誤りで、このトンネルが最長だった。初めて持参のフロントライトを装着。かなり緊張して抜ける。
それからは雨竜川沿いの下り基調のR275を快調に進む。尤もこのコースは以前逆方向で走った事があるので余裕。
幌加内は道内でも有数の「蕎麦どころ」でこの辺りでも米作と蕎麦作りが共存している。因みに、米作は概ね名寄辺りが北限で、それ以北は牧畜がメインとなり、目下牧草の刈り取り・蓄積作業が行われている。
奥が稲の田んぼで手前が蕎麦畑。
8:30 34㌔ 沼田町付近 休憩
沼田に限らず、道内では上掲のような看板が至るところで見ることができる。自衛隊の存在を身近に感じる事ができるのは北海道が一番だろう。軍用車の隊列は普通に走っているし、駐屯地や演習地もたくさん見てきた。ひょっとすると「自衛隊」は道内随一の「地場産業」かもしれない。
道の駅「田園の里 うりゅう」で 一息入れていると、レーサーに乗った地元のサイクリストが声をかけてくれた。同年代らしく、話題は盛り上がった。私は一生懸命ツーリングの楽しさを語り、「オレは伝道師か」と我ながらおかしくなってしまった。
11:35 57㌔ (滝川市に入っている)ドライブインにて昼食
12:00 ドライブイン 出発
ここでこれからのコースについてある決断をしなければならなくなった。
意外といえるほどの順調さでここまで進んできた。まだ7月2日で、最短ルートで苫小牧への帰途を行くと3日にはフェリーに乗船可能、5日には自宅に帰り着く事ができる。しかし、休みの関係からすると11日に帰れば十分なのだ。なんとも勿体無い6日が生じるではないか。
という事で、頭の隅にズーっとあった「札幌行き」を決めた。 それにしてもプラス3日というところだ。
苫小牧へ向かうのなら滝川から12号線に乗るのだが、札幌方面ならこのままR275だ。この2国道の間を石狩川が流れ、そこには石狩川自転車道路があるので、当然の事のように行ける限り走ったのだが10㌔程(新十津川・砂川付近)で終ってしまい、以後はR275に復帰して、新しく目的地としたキャンプ場を目指す。
結局この日は今ツーリング中最長距離(117、03㌔)を走ったのだが、どうもこの長さになると「疲れる」と言うより「飽きる」 。やはり70㌔前後というのがベストペースらしい。
16:00 月形皆楽公園キャンプ場(200円) 到着 (ここは以前泊った事がある)
右後ろの白い建物が月形温泉ゆりかご(400円)
池を中心とした気持の良いキャンプ場で、設営を済ませ、買出し、食事の後、至近の温泉で寛ぎ
20:00くらいに就寝。
本日の走行距離 117、03㌔ 走行時間 7:05 平均速度 16、5㌔
15日目 7月1日(火)
7月1日(火) 曇り
7月に入った。旅もそろそろ終盤だ。
本日は幌加内のキャンプ場まで75㌔とした。。当初の計画では士別まで25㌔の予定だったが、これは翌日を併せると峠越え3ヶ所を含む80㌔になるので、安全を考えて分割した結果だ。しかし、今までの進行からして問題なしと判断して予定変更した。
5:30起床。洗濯物は全て乾いている。6:40までに出発準備を整えて、ホテルサービスの朝食(と言っても、今までのサービス朝食の中で一番粗末なもので、ロールパンとゆで卵、コーヒーだけ。パン4個。たっぷりジャム、ゆで卵は2つ)をいただいて
7:00 ホテル 出発
8:30 22㌔ 士別 到着。 往路、水郷公園でキャンプした町だ。ここからは西に方向転換してR239に入る。8の字縦断の下のループの開始だ。
この部分は以前予定ルートでありながら、ある事情で走らなかったところだ。(それは後で)
学田峠・西士別峠・士別峠(最高で264㍍)を越えて、R275(空知街道)との分岐点で南に方向転換し
11:10 47㌔ 手打ちそばの店・霧立亭 到着 実はこの店の開店時刻に合わせた積りの調整をしながら走ってきた。
4年前のツーリングではここまで北上して来たのだが、ちょっとした間違いと激しい雨と夕刻が迫ってきたピンチに見舞われ、ここ霧立亭て立ち往生してしまったのだ。その時若い店主夫妻の好意で北に位置する朱鞠内湖のホテルに予約を取ってもらい、軽トラで迎えに来てもらいピンチから救ってもらった事があったのだ。
そんな事情で、その時は士別へは行かずに、朱鞠内湖から直接名寄方面に行ってしまったのだった。
奥方はその事を覚えていてくれて、当時お腹の中に居た子は3歳だと言う。当時の思い出話やお礼を言って
12:00 出発
薄日の下、雨竜川沿いの下り基調のR275を20数㌔程行くと幌加内の町に着く。この町にはコンビニ・スーパーはなくAマート(農協の経営)にて食料を調達。
3㌔ほど東にある幌加内湖を目指したのだが、これが相当登らなければならない。最後はのんびりと押し歩いて
14:30 ほろかない湖公園キャンプ場(200円) 到着
6時前には夕食を終え、十分に明るい湖畔を独り占めしつつコーヒーを淹れゆったり過ごす。
本日の走行距離 78、62㌔ 走行時間 5:14 平均速度 15、0㌔
7月に入った。旅もそろそろ終盤だ。
本日は幌加内のキャンプ場まで75㌔とした。。当初の計画では士別まで25㌔の予定だったが、これは翌日を併せると峠越え3ヶ所を含む80㌔になるので、安全を考えて分割した結果だ。しかし、今までの進行からして問題なしと判断して予定変更した。
5:30起床。洗濯物は全て乾いている。6:40までに出発準備を整えて、ホテルサービスの朝食(と言っても、今までのサービス朝食の中で一番粗末なもので、ロールパンとゆで卵、コーヒーだけ。パン4個。たっぷりジャム、ゆで卵は2つ)をいただいて
7:00 ホテル 出発
8:30 22㌔ 士別 到着。 往路、水郷公園でキャンプした町だ。ここからは西に方向転換してR239に入る。8の字縦断の下のループの開始だ。
この部分は以前予定ルートでありながら、ある事情で走らなかったところだ。(それは後で)
学田峠・西士別峠・士別峠(最高で264㍍)を越えて、R275(空知街道)との分岐点で南に方向転換し
11:10 47㌔ 手打ちそばの店・霧立亭 到着 実はこの店の開店時刻に合わせた積りの調整をしながら走ってきた。
4年前のツーリングではここまで北上して来たのだが、ちょっとした間違いと激しい雨と夕刻が迫ってきたピンチに見舞われ、ここ霧立亭て立ち往生してしまったのだ。その時若い店主夫妻の好意で北に位置する朱鞠内湖のホテルに予約を取ってもらい、軽トラで迎えに来てもらいピンチから救ってもらった事があったのだ。
そんな事情で、その時は士別へは行かずに、朱鞠内湖から直接名寄方面に行ってしまったのだった。
おろしざる蕎麦とミニたらこご飯。
12:00 出発
薄日の下、雨竜川沿いの下り基調のR275を20数㌔程行くと幌加内の町に着く。この町にはコンビニ・スーパーはなくAマート(農協の経営)にて食料を調達。
3㌔ほど東にある幌加内湖を目指したのだが、これが相当登らなければならない。最後はのんびりと押し歩いて
14:30 ほろかない湖公園キャンプ場(200円) 到着
静かなキャンプ場で例によって私ひとり。林の中の東屋に設営しようとしたが、蚊・ブヨが多く諦め、湖が見下ろせる駐車場のコンクリート上に変更した。
臨時だという管理人のオジサンにはゴミの始末など色々と世話になり世間話などをしたのだが、5時には引き揚げて行った。
6時前には夕食を終え、十分に明るい湖畔を独り占めしつつコーヒーを淹れゆったり過ごす。
本日の走行距離 78、62㌔ 走行時間 5:14 平均速度 15、0㌔
2014年7月17日木曜日
14日目 6月30日(月)
6月30日(月) 曇り
4:00 起床
6:30 キャンプ場 出発
今日は音威子府に戻り、さらに名寄まで戻る75㌔程度の予定。
間もなく天北峠に差し掛かる。地図上では190㍍表示なので甘くみていたら、とんでもない。7:10~7:30 12、5㌔地点~14.5㌔地点の登り区間を殆んど歩いた。無理をしない原則にしろ、自分でももう少し何とかならないかと思う。しかし、「曇り」なので助かる。
音威子府までは長い、概ね下りの快適コース。アッという間の10㌔だった。天北峠は南下の方ががきついかもしれない。
8:20 26㌔ 音威子府 到着
これで北部のループ(8の字上の部分)が完成した。楽しい周回コースだった、と思う。一人で、ポカリスウェットとメグミルクで祝う。
ここで本日宿泊予定の名寄近くの「道立トムテ文化の森キャンプ場」を確認しようと持参の紙資料を見ていて「月曜休」の文字が目に飛び込んできた。見落としていた。しかも今日は月曜日。これは確かめなければならない。こちらは、たとえ休みでも使用できれば良いのだ。
9:00を過ぎた頃を見計らって、振興公社に電話をしたが、何人かに回された揚句、こちらでは判らないので改めて私に電話連絡をくれるという。15分程待ったが電話は来ない。
音威子府の町を出発してしばらく経った頃、やはり気になるのでこちらから電話をすると、また、何人かに回され、結局、「大丈夫です。公園内の野球場の管理室で判るようにしておきます」となったのだが、一連の対応が気になり「これからの天候、体調もあるので、必ずしも伺うとは限らないのでよろしく」と応えておいた。実際、午後からの予想は、にわか雨の公算大というもので、今の空模様も怪しいものだ。
そんなこんなで?、何となく「宿泊まり」の誘惑がでてきた。ズーっとテント泊だったので、布団・ベッドが恋しくなってきたのかもしれない。
懐かしの天塩川温泉を通り過ぎ
10:00 40㌔地点 道路脇でパン3枚の昼食
11:00 びふか道の駅でソフトクリームを食べ、ホテルのチェックイン時間に早や過ぎないようにゆっくり、ゆっくり走る。
14:00 名寄の町に着いてしまった。
14:20 駅前のビジネスホテルにチェックイン。
名寄はそこそこの地方都市なのだが、国道沿いが大型商店などもあり賑っており、駅周辺の旧市街は寂れている。現に、洗濯等をすませ、食事に出かけたのだが(雨が降っており傘を借りた)、食欲をそそるような飲食店がなく、コンビニ弁当を買ってきて部屋で食べた。
4:00 起床
6:30 キャンプ場 出発
今日は音威子府に戻り、さらに名寄まで戻る75㌔程度の予定。
間もなく天北峠に差し掛かる。地図上では190㍍表示なので甘くみていたら、とんでもない。7:10~7:30 12、5㌔地点~14.5㌔地点の登り区間を殆んど歩いた。無理をしない原則にしろ、自分でももう少し何とかならないかと思う。しかし、「曇り」なので助かる。
音威子府までは長い、概ね下りの快適コース。アッという間の10㌔だった。天北峠は南下の方ががきついかもしれない。
8:20 26㌔ 音威子府 到着
これで北部のループ(8の字上の部分)が完成した。楽しい周回コースだった、と思う。一人で、ポカリスウェットとメグミルクで祝う。
ここで本日宿泊予定の名寄近くの「道立トムテ文化の森キャンプ場」を確認しようと持参の紙資料を見ていて「月曜休」の文字が目に飛び込んできた。見落としていた。しかも今日は月曜日。これは確かめなければならない。こちらは、たとえ休みでも使用できれば良いのだ。
9:00を過ぎた頃を見計らって、振興公社に電話をしたが、何人かに回された揚句、こちらでは判らないので改めて私に電話連絡をくれるという。15分程待ったが電話は来ない。
音威子府の町を出発してしばらく経った頃、やはり気になるのでこちらから電話をすると、また、何人かに回され、結局、「大丈夫です。公園内の野球場の管理室で判るようにしておきます」となったのだが、一連の対応が気になり「これからの天候、体調もあるので、必ずしも伺うとは限らないのでよろしく」と応えておいた。実際、午後からの予想は、にわか雨の公算大というもので、今の空模様も怪しいものだ。
そんなこんなで?、何となく「宿泊まり」の誘惑がでてきた。ズーっとテント泊だったので、布団・ベッドが恋しくなってきたのかもしれない。
懐かしの天塩川温泉を通り過ぎ
10:00 40㌔地点 道路脇でパン3枚の昼食
11:00 びふか道の駅でソフトクリームを食べ、ホテルのチェックイン時間に早や過ぎないようにゆっくり、ゆっくり走る。
14:00 名寄の町に着いてしまった。
名寄はそこそこの地方都市なのだが、国道沿いが大型商店などもあり賑っており、駅周辺の旧市街は寂れている。現に、洗濯等をすませ、食事に出かけたのだが(雨が降っており傘を借りた)、食欲をそそるような飲食店がなく、コンビニ弁当を買ってきて部屋で食べた。
本日の走行距離 80、37㌔ 走行時間 5:30 平均速度 14、6㌔
2014年7月14日月曜日
13日目 6月29日(日)
6月29日(日) 晴れ
4:30起床
6:30 キャンプ場 出発
今日は再び内陸部の音威子府に戻るコースの途中、中頓別を目指す約70㌔の予定。距離は短いが内陸部を行くので峠の印はないものの相当の登りがあると考え、かなり早めの出発とした。
まずは、浜頓別・クッチャロ湖を目指す。のんびりと側道を走り
39㌔ 浜頓別 クッチャロ湖畔 到着
以前泊った思いで深いキャンプ場を見てから、公園内の足湯を見つけ寛いだ。
混浴した地元のオバチャンと記念写真。
10:30 浜頓別 出発 オホーツク海から離れ、内陸部へ。
登りになっているはずだが、それ程の負担は感じず(のんびり漕いでいるせいだろう)トンネルを越えてしばらく行くと、懐かしい?F104戦闘機が展示してある公園があり、中頓別の町へ出る。
60キロ 中頓別 到着 町のコンビニで弁当を買い、近場の日陰でいただく。夏の自転車旅行者に欲しいものは日陰とベンチなのだ。
12:15 中頓別 出発
なんとも気持の良い走りを続ける。暑いが快適。しばらくすると「四つ葉牛乳・宗谷工場」 がある。四つ葉牛乳は知る人ぞ知る?北海道の牛乳メーカーで、その牛乳は、気のせいか確かに美味い。北海道に来た時は必ず一回は飲んでいるご贔屓だ。あわよくば売ってもらえるかなと期待しつつ、敷地内で通りすがりの工員さんにその旨を伝えると、反って怪訝な顔をされ、小売はしておりませんとつれない反応。残念。「牛乳の北海道」という割には意外と飲めるチャンスは少ない。
13:30 目的の中頓別ピンネシリオートキャンプ場(400円) 到着
本日の走行距離 75、36㌔ 走行時間 4:47 平均時速 15、7㌔
4:30起床
6:30 キャンプ場 出発
今日は再び内陸部の音威子府に戻るコースの途中、中頓別を目指す約70㌔の予定。距離は短いが内陸部を行くので峠の印はないものの相当の登りがあると考え、かなり早めの出発とした。
まずは、浜頓別・クッチャロ湖を目指す。のんびりと側道を走り
39㌔ 浜頓別 クッチャロ湖畔 到着
以前泊った思いで深いキャンプ場を見てから、公園内の足湯を見つけ寛いだ。
混浴した地元のオバチャンと記念写真。
10:30 浜頓別 出発 オホーツク海から離れ、内陸部へ。
登りになっているはずだが、それ程の負担は感じず(のんびり漕いでいるせいだろう)トンネルを越えてしばらく行くと、懐かしい?F104戦闘機が展示してある公園があり、中頓別の町へ出る。
60キロ 中頓別 到着 町のコンビニで弁当を買い、近場の日陰でいただく。夏の自転車旅行者に欲しいものは日陰とベンチなのだ。
12:15 中頓別 出発
なんとも気持の良い走りを続ける。暑いが快適。しばらくすると「四つ葉牛乳・宗谷工場」 がある。四つ葉牛乳は知る人ぞ知る?北海道の牛乳メーカーで、その牛乳は、気のせいか確かに美味い。北海道に来た時は必ず一回は飲んでいるご贔屓だ。あわよくば売ってもらえるかなと期待しつつ、敷地内で通りすがりの工員さんにその旨を伝えると、反って怪訝な顔をされ、小売はしておりませんとつれない反応。残念。「牛乳の北海道」という割には意外と飲めるチャンスは少ない。
13:30 目的の中頓別ピンネシリオートキャンプ場(400円) 到着
またも、私一人。
余りにも早く着いてしまったので道の駅でコーヒーを飲んだりして寛ぎ、のんびりと設営をしてから
3時頃至近の「望岳荘」へ入浴(380円)に行く。途中、遠雷の音を聞く。私にしては異常に長く入浴し、さらに休憩室にて携帯の充電をしつつごろごろ過ごし、5時よりえび丼の夕食。入浴者は100円引きとかで750円。
6時にはテントへ引き揚げる。
2014年7月13日日曜日
12日目 6月28日(土)
6月28日(土)
真夜中12時に目覚め星を眺め(最高の夜空は天塩川温泉だった)次に5時起床。まず、天気を見て安心し熱いコーヒーを淹れる。
散歩・排便などを済まし、携帯の充電をしながら(一応今回は乾電池使用の充電器を持参したが一度も使わずに済んだ)朝食。ラジオ(NHK)を流しながら車体掃除・注油などを済まし、のんびりと撤収作業。
今日は以前逆方向ではあるが、走った事がある道を60㌔程行くだけなので余裕。
9:00 キャンプ場 出発。
3㌔程戻ってコンビニで買い物をしてから再出発。まずは宗谷岬を目指す。左手に大きく湾曲して見えているのだが中々近付かないものだ。
11:30 31㌔ 宗谷岬 到着
本日の走行距離 62、43㌔ 走行時間 4:00 平均時速 15、5㌔
真夜中12時に目覚め星を眺め(最高の夜空は天塩川温泉だった)次に5時起床。まず、天気を見て安心し熱いコーヒーを淹れる。
散歩・排便などを済まし、携帯の充電をしながら(一応今回は乾電池使用の充電器を持参したが一度も使わずに済んだ)朝食。ラジオ(NHK)を流しながら車体掃除・注油などを済まし、のんびりと撤収作業。
今日は以前逆方向ではあるが、走った事がある道を60㌔程行くだけなので余裕。
9:00 キャンプ場 出発。
3㌔程戻ってコンビニで買い物をしてから再出発。まずは宗谷岬を目指す。左手に大きく湾曲して見えているのだが中々近付かないものだ。
11:30 31㌔ 宗谷岬 到着
観光客に撮ってもらった写真だが、は土曜日にも拘わらず意外と客が少ない。
やっぱりここでは記念写真を撮りたくなる。なんと言っても最北端。私だけでなく、色々なサイトでの自転車日記を見ても必ず写真を撮っている。気持はよーく判る。今回のツーリングにとっても「折り返し点」とも言える。
前回は、途中で知り合った若者と一緒だった。その時寄った「最北端食堂」で「最北端ラーメン」を食べようと思ったらメニューから消えていた。オバチャンに「前はあったよね」と聞くとしばらく前に止めたという事だった。採算が合わなくなったのだろうか。
12:20 宗谷岬 出発
地図で見ると目的地のさるふつまで は単純にオホーツク沿岸を南下しているように見えるが、実は二箇所内陸部の丘陵地帯に入り込む。これがかなり手強い坂道で、歩きました。本当に登りが漕げない。
15:00 62、43㌔ さるふつ公園キャンプ場(400円)到着
例によってキャンパーは私一人。テントは何処にでも張れるが、そうなるとかえって迷うもので、大抵、東屋、炊事場、トイレの近くを選ぶ傾向がある。
設営を済ませたら隣接する道の駅にあるさるふつ温泉で入浴(350円)。久しぶりの入浴が嬉しい。今、右足首が虫のせいで腫れあがりただれて酷い事になっていて、はたして温泉に浸けてしまって良いものかどうかわからないが構ってはいられない。
売店から職場の同僚達に地元の産品を宅配便で送り、館内で夕食。さるふつ定食(1400円)
2014年7月12日土曜日
11日目 6月27日(金)
6月27日(金) 晴れ
7:00 出発
昨日はいろいろあったが、ここまですこぶる順調に行っている、いき過ぎている。もっとのんびり、ゆったりと進もうと思う。
今日はサロベツ原野を通って稚内か宗谷岬辺りまで行く予定。
R40に出て間もなく、パンケ沼を見に湿原の方に降りて、以後は湿原内の道を選んで走った。
原生花園があり、木道をグールっと散策。エゾカンゾウが咲き誇っていた。
100円でカップ牛乳をいただき
10:45 センター 出発
以後はアップダウンの連続する広域農道を楽しく走り継いで
12:40 65キロ 兜沼公園 到着
ここも宿泊地の候補ではあったが、時間的に早すぎるので、先に進む事にして、パン(手持の食パンとジャム)と紅茶のランチをとった。
13:10 公園 出発、宗谷湾に出てからはR288を走り
以前行った事がある稚内の町や野寒布岬には寄らずに右折して、
15:30 道立宗谷ふれあい公園キャンプ場 到着
7:00 出発
昨日はいろいろあったが、ここまですこぶる順調に行っている、いき過ぎている。もっとのんびり、ゆったりと進もうと思う。
今日はサロベツ原野を通って稚内か宗谷岬辺りまで行く予定。
R40に出て間もなく、パンケ沼を見に湿原の方に降りて、以後は湿原内の道を選んで走った。
ほんの数㌔西はもう日本海で、遠く利尻富士が見えている。 海岸沿いにはオロロンラインと呼ばれる道道106号線が走り、以前向かい風と空腹に苦しみながら南下した事があるが、その時にはとてもサロベツ原野を見学する余裕はなかったので、今回はリベンジともいえる。
10:00 38㌔ サロベツ湿原センター 到着
100円でカップ牛乳をいただき
10:45 センター 出発
以後はアップダウンの連続する広域農道を楽しく走り継いで
12:40 65キロ 兜沼公園 到着
ここも宿泊地の候補ではあったが、時間的に早すぎるので、先に進む事にして、パン(手持の食パンとジャム)と紅茶のランチをとった。
以前行った事がある稚内の町や野寒布岬には寄らずに右折して、
15:30 道立宗谷ふれあい公園キャンプ場 到着
本来入場料が1400円かかるのだが、老人割引で免除となる。サイト使用料200円のみ。設備の整った安心で清潔なキャンプ場だ。風呂はないが無料の温水シャワーがいつでも使え、素晴らしい事にシャンプー、ボディソープが備わっている。
他にはバイクのキャンパー一人のみ。
本日の夕食 パックごはん、シジミの味噌汁、缶詰のサバの味噌煮、たまごサラダ、白菜の漬物、デザートにメロンゼリーです。
本日の走行距離 96、20㌔ 走行時間 5:52 平均時速 16、4㌔
10日目 6月26日(木)
6月26日(木) 晴れ S風強い
4:00 起床
7:30 キャンプ場 出発
今日の目標は幌延(ホロノベ)まで約67㌔
8㌔程で音威子府到着。ここからは今回のツーリングのために新たに選択したルートとなる。そしてここを南の交点としてグルーっと時計回りに周回する予定なので、何日後かには又戻って来る事になる。満足して戻って来たいものだ。
JR宗谷本線に沿って先ず30㌔程佐久まで西行、そして北上となる。基本的には下り基調なので楽しく走行できたのだが、途中の冨和(トミワ)トンネル(955㍍)には例によって緊張した。これが今回最長のトンネルだが、難なく通過できた。
10:00 33㌔ 佐久 到着 これより北上開始。 快晴
10:25 40㌔ 中川道の駅
ここからが困惑と苦難の時間の始まりだった。
マップルで見るとR40と天塩川を挟んで対岸にはJR宗谷本線に沿った道道256号線が走っている。これは幌延に直行している。当然こちらを選択した。
歌内(ウタナイ)辺りまでは想定どおりの道で、自分の選択の正しさに独り酔いしれていた。その時にマップル上に歌内の駅が見えない事の重大な意味に気付けばよかったのだ。小さい駅だから記載がないのだろう位の考えで踏み切りを渡り、またいつか線路を越えて戻ってくるのだろうなと走り続けてしまった。相当走ってからコンパス方位と余りに違うのでおかしいとは思いながらも、途中分岐する道もなく漕ぎ進んでしまった。さすがに2時間以上も経つと、どこか間違ったとは思いながらも、尋ねる人もなく途方に暮れる。しかも途中の道路標識に「幌延方向」の表示があったりして尚更混乱してきた。
14:00 たまたま通りかかった家の前にジイチャンが座っていたのでここは何処ですかと尋ねてもそこが手持のマップル上に何処にも見つからないのだ。地図を元に話し合っても訳が判らなくなってきた。只大きくコースアウトしている事だけは理解でき、結局、相当距離があるし、登りもきついがとにかく現在の道をしばらく行き、左に折れれば上幌延に出られることが判った。
結局14:50~15:50の1時間程はあえぎながら峠を登り、ピークの時点では83㌔走行しており、そこには「幌延まで17㌔」の表示があった。
R40を行けば70㌔程度で済んだものが100㌔走る事になったわけだ。北海道をたくさん走れて良かったという考えもあるが、一日60㌔~70㌔ペースで来た身体にはこたえ過ぎた。まして最後に(多分)500㍍級の峠を越えたのだから尚更だ。
ようやく浦幌の町に着いてコンビニに寄った時にはもうキャンプを張る気力がなくなっており、旅館泊まりに心は決まっていた。と言っても、目につくようなビジネスホテルがあるわけでもないので、その若い店員さんに、どこか心当りの旅館はないかと尋ねると親切な彼は3軒程電話をしてくれたが、どこもダメ。
例によって工事関係者の長期滞在だそうだ。こんな事もあるさ。きっと、天の声なのだろう。止むを得ず、当初予定の町中のキャンプ場に向かった。
(混乱の原因は明日のために地図を用意している時に判明した。言葉では説明しにくいのだが、今回事前の準備として地図をバラして、ルート沿いの部分をズーっと長く張り合わせて用意し、当日は見開きの2ページ分を開いてケースに入れ、左1ページ分が終わると折り返して次の1ページを右側に送る…という事を繰り返すのだが、その部分に限って、固定された2ページに設定されていて、1ページ飛ばして繋がっているような形になってしまっていたのだ。地図を余りに念入りに準備したために、地図と現実の余りの食い違いが受け入れられず、困惑してしまった結果だ。)
4:00 起床
7:30 キャンプ場 出発
今日の目標は幌延(ホロノベ)まで約67㌔
8㌔程で音威子府到着。ここからは今回のツーリングのために新たに選択したルートとなる。そしてここを南の交点としてグルーっと時計回りに周回する予定なので、何日後かには又戻って来る事になる。満足して戻って来たいものだ。
JR宗谷本線に沿って先ず30㌔程佐久まで西行、そして北上となる。基本的には下り基調なので楽しく走行できたのだが、途中の冨和(トミワ)トンネル(955㍍)には例によって緊張した。これが今回最長のトンネルだが、難なく通過できた。
10:00 33㌔ 佐久 到着 これより北上開始。 快晴
10:25 40㌔ 中川道の駅
ここからが困惑と苦難の時間の始まりだった。
マップルで見るとR40と天塩川を挟んで対岸にはJR宗谷本線に沿った道道256号線が走っている。これは幌延に直行している。当然こちらを選択した。
14:00 たまたま通りかかった家の前にジイチャンが座っていたのでここは何処ですかと尋ねてもそこが手持のマップル上に何処にも見つからないのだ。地図を元に話し合っても訳が判らなくなってきた。只大きくコースアウトしている事だけは理解でき、結局、相当距離があるし、登りもきついがとにかく現在の道をしばらく行き、左に折れれば上幌延に出られることが判った。
結局14:50~15:50の1時間程はあえぎながら峠を登り、ピークの時点では83㌔走行しており、そこには「幌延まで17㌔」の表示があった。
R40を行けば70㌔程度で済んだものが100㌔走る事になったわけだ。北海道をたくさん走れて良かったという考えもあるが、一日60㌔~70㌔ペースで来た身体にはこたえ過ぎた。まして最後に(多分)500㍍級の峠を越えたのだから尚更だ。
ようやく浦幌の町に着いてコンビニに寄った時にはもうキャンプを張る気力がなくなっており、旅館泊まりに心は決まっていた。と言っても、目につくようなビジネスホテルがあるわけでもないので、その若い店員さんに、どこか心当りの旅館はないかと尋ねると親切な彼は3軒程電話をしてくれたが、どこもダメ。
例によって工事関係者の長期滞在だそうだ。こんな事もあるさ。きっと、天の声なのだろう。止むを得ず、当初予定の町中のキャンプ場に向かった。
17:00 幌延町ふるさとの森公園キャンプ場 到着
風呂には行かず、手持のさらうどんとお握りの夕飯を食べ早々にテントにもぐりこみ寝る。
そう言えば、今日は北緯45度表示を何度か通過した。それだけでもおかしい。
そう言えば、今日は北緯45度表示を何度か通過した。それだけでもおかしい。
(混乱の原因は明日のために地図を用意している時に判明した。言葉では説明しにくいのだが、今回事前の準備として地図をバラして、ルート沿いの部分をズーっと長く張り合わせて用意し、当日は見開きの2ページ分を開いてケースに入れ、左1ページ分が終わると折り返して次の1ページを右側に送る…という事を繰り返すのだが、その部分に限って、固定された2ページに設定されていて、1ページ飛ばして繋がっているような形になってしまっていたのだ。地図を余りに念入りに準備したために、地図と現実の余りの食い違いが受け入れられず、困惑してしまった結果だ。)
本日の走行距離 100、8㌔ 走行時間 6:13 平均時速 16、2㌔
9日目 6月25日(水)
6月25日(水) 晴れ
6:00 起床 ラジオにてWC日本対コロンビアを聞く。終わった。
もう地元の年寄りがパークゴルフを始めている。皆、朝が早い。
8:30 キャンプ場 出発
今日の目標は音威子府(オトイネップ)少し手前の天塩川温泉、約70㌔
10:10 23㌔ 名寄 到着
ここ名寄には過去2回来ている。地方都市では大きい方かもしれない。その時はいずれも東へ方向転換してオホーツク岸の興部(オコッペ) に向かう途中だった。だから、名寄から北上するのは未知の道という事になる。
名寄ではコインランドリーを探した。こればかりは地元の人に尋ねなければならず、たまたま聞いた老婦人が「そこを右に曲がって一、二丁行った左側」と教えてくれた。溜まった洗濯物を一気に洗った。時間は一時間、経費は全自動マシーンで1000円だったが、洗濯・脱水と乾燥をそれぞれやれば600円で済んだのを後で知った。損した。
「すき家」で昼食後
12:00 名寄 出発
ほぼJR宗谷本線に沿ってR40を北上。
美深(びふか)を通り、そこそこの数のアップダウンに喘ぎ、コーラやガリガリ君やアイスクリームやリアルゴールドやキリンメッツなどで水分補給をして、これこそ自転車ツーリングの一日だなどと思いながら走っていると、いつまで経っても目的の天塩川温泉に至らない。
たまりかねて向こうから歩いてくる徒歩旅行者に尋ねると2㌔程行過ぎているという。(彼も天塩川温泉に向かうところだった)どうも看板を見逃したらしい。戻ってみると、見落としようのないくらい大きな看板がそこにあった。余程注意が散漫になっていたのだろう。情け無い。
16:00 天塩川温泉リバーサイドパークキャンプ場 到着
ここは温泉施設(400円、食堂あり)のすぐ裏がキャンプ場で、私にとって理想の環境だ。設営を終え露天風呂に浸かっている時ほど充実した1日をしみじみと感じる時はない。
本日の走行距離 75、39㌔ 走行時間 4:23 平均速度 17、2㌔
6:00 起床 ラジオにてWC日本対コロンビアを聞く。終わった。
もう地元の年寄りがパークゴルフを始めている。皆、朝が早い。
8:30 キャンプ場 出発
今日の目標は音威子府(オトイネップ)少し手前の天塩川温泉、約70㌔
10:10 23㌔ 名寄 到着
ここ名寄には過去2回来ている。地方都市では大きい方かもしれない。その時はいずれも東へ方向転換してオホーツク岸の興部(オコッペ) に向かう途中だった。だから、名寄から北上するのは未知の道という事になる。
名寄ではコインランドリーを探した。こればかりは地元の人に尋ねなければならず、たまたま聞いた老婦人が「そこを右に曲がって一、二丁行った左側」と教えてくれた。溜まった洗濯物を一気に洗った。時間は一時間、経費は全自動マシーンで1000円だったが、洗濯・脱水と乾燥をそれぞれやれば600円で済んだのを後で知った。損した。
「すき家」で昼食後
12:00 名寄 出発
ほぼJR宗谷本線に沿ってR40を北上。
美深(びふか)を通り、そこそこの数のアップダウンに喘ぎ、コーラやガリガリ君やアイスクリームやリアルゴールドやキリンメッツなどで水分補給をして、これこそ自転車ツーリングの一日だなどと思いながら走っていると、いつまで経っても目的の天塩川温泉に至らない。
16:00 天塩川温泉リバーサイドパークキャンプ場 到着
ここは温泉施設(400円、食堂あり)のすぐ裏がキャンプ場で、私にとって理想の環境だ。設営を終え露天風呂に浸かっている時ほど充実した1日をしみじみと感じる時はない。
8日目 6月24日(火)
6月24日(火) 晴れ
5:00 起床
昨日から同宿者が居る。スキンヘッドの徒歩旅行者で30歳代だろう。Oさんという。彼は長年日本のみならず海外にまで放浪し、自身の考えをしっかりと持ちながらも他人の意見にも耳を傾ける姿勢を失わない好青年だ。
それ加えて地元の住人で自称山岳ガイドの得体の知れないオヤジが夕べ遅くまで我々と話し込んでいたのだが(何かと不満の多い人で、北海道内に拘わらず政治家をはじめ指導者はろくでもない人達だ…、という事を延々としゃべり続け、私は辟易として、なるべく拘わらないようにしていた)、まだ朝の6時だというのに、もうキャンプ場に顔を出して昨日の続きを始め出した。
Oさんとはもう少し話しをしたかったが、彼が主にそのオヤジの相手をしていたので、私は早々に出発する事にした。
8:00 キャンプ場出発
今日の目的地は士別。約60㌔の行程だが、旭川からは国道40号線となり名寄街道と名前を変える。
町を出ると直ぐに旭橋で石狩川を渡るのだが、そこからは国道を避け石狩川に沿って走るサイクリングロードを見付け、ここを進む事にする。現場に来るまでは予備知識としては知らなかった事だ。
5:00 起床
昨日から同宿者が居る。スキンヘッドの徒歩旅行者で30歳代だろう。Oさんという。彼は長年日本のみならず海外にまで放浪し、自身の考えをしっかりと持ちながらも他人の意見にも耳を傾ける姿勢を失わない好青年だ。
それ加えて地元の住人で自称山岳ガイドの得体の知れないオヤジが夕べ遅くまで我々と話し込んでいたのだが(何かと不満の多い人で、北海道内に拘わらず政治家をはじめ指導者はろくでもない人達だ…、という事を延々としゃべり続け、私は辟易として、なるべく拘わらないようにしていた)、まだ朝の6時だというのに、もうキャンプ場に顔を出して昨日の続きを始め出した。
Oさんとはもう少し話しをしたかったが、彼が主にそのオヤジの相手をしていたので、私は早々に出発する事にした。
8:00 キャンプ場出発
今日の目的地は士別。約60㌔の行程だが、旭川からは国道40号線となり名寄街道と名前を変える。
町を出ると直ぐに旭橋で石狩川を渡るのだが、そこからは国道を避け石狩川に沿って走るサイクリングロードを見付け、ここを進む事にする。現場に来るまでは予備知識としては知らなかった事だ。
この道は時には河川敷を、時には堤防上をと変化に冨み実に快適なところだったが、方向の関係から当麻という辺りからR40に復帰せざるを得なかった。このまま目的地まで行けたらどんなに幸せな事か。
10:00 21㌔ R40へ復帰
比布を過ぎ しばらく進むと、今日唯一の峠、塩狩峠(260㍍)だ。漕ぎ上がり
11:40 塩狩峠 37㌔ 途中リアを最大まで落とした時にチェーンが外れたが(ホイールを取り替えた時ストッパーを取り除いた関係か?)大事に至らず直ぐに回復できた。
しばらく進むと和寒(わっさむ)だ。 12:30 45㌔。 ここで昼食。
14:45 69㌔ 士別市つくも水郷公園キャンプ場 到着
剣淵川に面した公園の一画にあるキャンプ場で素晴らしい環境なのだ。小学生達が カヌー実習をしていた。また、キャンプ場では地元の中学生が屋外実習?にたくさん来ており、多少の遠慮をして16:00くらいに引き揚げるまで設営はせず、園内のサイクリングターミナルで休憩したり、公園内を散策。
設営後、自転車にて人に聞きながら町の銭湯に。入浴料(410円)、帰路に食堂にて夕食。
環境は素晴らしいのだが、唯一、名前は不明だがタンポポの綿毛を大きくしたようなフワフワが雪かと見紛うくらい舞っていてそれを避けるのには苦労した。
本日の走行距離 69㌔ 走行時間 4:38 平均速度 14、8㌔
2014年7月11日金曜日
7日目 6月23日(月)
6月23日(月) 曇り→晴れ
6:00 起床 昨日のマットは問題なし。 ヤレヤレ。
昨晩炊いたご飯の残りと残りのおかずと味噌汁の朝食
予定より先に進んでいるおかげで、今日は旭川まで(以前走った事がある)50㌔足らずの距離。余裕で近場を散策したり、のんびりとお茶を飲んだりして
9:20 キャンプ場出発
10:20 深山峠(288㍍) 10㌔ 普通に漕ぎ登って到着 展望台に登ったりして景色を楽しむ
わずか2㌔程行った道路際でとうきびを売っていたので、また休憩がてら一本食べる。まだ今年は収穫前なので去年モノだが、美味しい。(250円)そこの売り手のバアチャンがジャガイモの予約注文を要らないというのに、聞かなかった振りをして何度も勧めるのがおかしい。
下れば美瑛。
前回もそうだったが、ラベンダーなどのお花の時期には未だ早く、丘の連なりが続くのみ。上の写真は今回のツーリング中で、たった一枚の風景写真らしいまともな写真。
そのまま通り過ぎるのが惜しい気持もあり、かなりの登りを承知で、前にも行った「ケンとメリーの木」を見に行ってしまった。
6:00 起床 昨日のマットは問題なし。 ヤレヤレ。
昨晩炊いたご飯の残りと残りのおかずと味噌汁の朝食
予定より先に進んでいるおかげで、今日は旭川まで(以前走った事がある)50㌔足らずの距離。余裕で近場を散策したり、のんびりとお茶を飲んだりして
9:20 キャンプ場出発
10:20 深山峠(288㍍) 10㌔ 普通に漕ぎ登って到着 展望台に登ったりして景色を楽しむ
わずか2㌔程行った道路際でとうきびを売っていたので、また休憩がてら一本食べる。まだ今年は収穫前なので去年モノだが、美味しい。(250円)そこの売り手のバアチャンがジャガイモの予約注文を要らないというのに、聞かなかった振りをして何度も勧めるのがおかしい。
そのまま通り過ぎるのが惜しい気持もあり、かなりの登りを承知で、前にも行った「ケンとメリーの木」を見に行ってしまった。
かなりの観光客が集まっていたが、特に休憩もすることなく写真を何枚か撮って戻ったのだが、今回のツーリング中の最高速度、時速51、5㌔はこの下りで出たものだった。
14:15 少し迷って旭川の街中にある神楽岡少年キャンプ場 到着
時間が早く日差しもあったので、テント、寝袋、フロアマットなどを干す。
夕食を済ましテントにもぐりこんだのだが、近くのバーベキュー場で地元の若者がパーティーを始め、酒も入りうるさくて仕様がなかったが、じっと我慢。11時頃にはいなくなった。
本日の走行距離 45、54㌔ 走行時間 3:08 平均速度 14、6㌔
6日目 6月22日(日)
6月22日(日) 晴れ
7時 朝食
結局フロアマットの補強は殆んど意味がなく、結局買い換えることにし、今日1日は富良野滞在とし、買い物を兼て富良野周辺をブラブラ走る事にした。
実はもうひとつ買わなければならないものがあった。後ろの荷台にプラケースを乗せているのだが、これを抑えるショックコードのひとつを車輪の軸に絡ませて切断してしまったのだ。まだ、先は長いので2本買う事にした。
買い物・昼食を済ませ、空模様が怪しくなってきたので
14:30 キャンプ場 帰着
右が従来のマット、左が富良野のホーマックで買った物。二周りくらい大きく厚いのは判っていたが、これしかなかった。(4.298円)収納袋には縦に巻いて納めるのだがこれでは自転車バッグに入らない。いざとなったらそのまま荷台にくくり付ける覚悟で買ったのだが、半分に折ってきつく巻き締めるとギリギリ収まりホッとした。古いのは止む無くごみ処理場に廃棄。
案の定、にわか雨に見舞われる。テントに逃げ込み読書タイム。
大きく厚くなったおかげで居心地・寝心地は格段に向上したが、またこれで一段と重くなった。値段の割にはしっかりしており最終日まで十分期待に応えてくれた。
7時 朝食
結局フロアマットの補強は殆んど意味がなく、結局買い換えることにし、今日1日は富良野滞在とし、買い物を兼て富良野周辺をブラブラ走る事にした。
実はもうひとつ買わなければならないものがあった。後ろの荷台にプラケースを乗せているのだが、これを抑えるショックコードのひとつを車輪の軸に絡ませて切断してしまったのだ。まだ、先は長いので2本買う事にした。
買い物・昼食を済ませ、空模様が怪しくなってきたので
14:30 キャンプ場 帰着
案の定、にわか雨に見舞われる。テントに逃げ込み読書タイム。
大きく厚くなったおかげで居心地・寝心地は格段に向上したが、またこれで一段と重くなった。値段の割にはしっかりしており最終日まで十分期待に応えてくれた。
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