2009年4月27日月曜日

横須賀・長浦港、母校を海から眺める


先週、S氏の29ftクルーザーを上架して船底塗料の塗り直しを手伝った。今日はそのテストのショートクルージングだ。

とりあえずベイサイドマリーナから八景島を目指したのだが、余りの天候の良さにつられ横須賀沖の「猿島」の東側まで来てしまった。するとオーナーS氏が不意に「横須賀港に入った事がないので行ってみましょう」と提案され、予定を変更した。横須賀港が近付いて来た時、S氏は水路誌を見ながら「ここを右に行くと田浦方面ですよね」言った。その時私は、あっと思い当たった。そこは現在海上自衛隊の自衛艦隊司令部のあるところで、実は私が中学1年から高校2年の1学期(その後移転した)まで過ごした母校のあった場所なのだった。

それでは是非行きましょうというS氏の好意に甘えて、矢印の針路をとり元母校に向かった。5年間見てきたその海側から眺める元母校の景色は、上物は随分変わっていたものの、当時を思い出すには十分だった。

左上は高校校舎があった辺りで、体育館として使っていた建物はどうも変わっていないようだ。右上は中学校舎、本部建物があった所だ。自衛艦は当時のままの岸壁を使用していた。もっとも我が母校は戦前の海軍(多分水雷学校)施設の跡地を使用していたので、元の持ち主に返ったという事だ。    
    
昼食は対岸の誰のものともわからぬ台船に横付けして持参のおにぎり。母校を正面に見ながら春の穏やかな日差しの下で食べるおにぎりは、また格別だ。                              
 
米国海軍が使用している基地に停泊中の「空母」を右手に遠望しながら帰途につく。上潮に乗って3ノット程度ののんびりとしたクローズドホールドの(風に向かって進む事)セイリングを続け、マリーナ近くでジブ(前の方にあるセイル)をたたみ入港準備にかかろうかという時に事件は起きた。          
しばらく前からスロットルレバーを目一杯押し込んでも回転が上がらなかったのだ。それでも2000回転位までは上がるので(5ノット程度は機走できる)何とかなるだろうと、後日点検することにして航海を続けてきたのだが、それまで2~3m/secの風が急に13~15m/secに吹き上がってきたのだ。しかも向かい風。加えて、その頃は1300回転位にまで落ちていた。                       
入港する際は、速度を落とし、細い水路を通りバース(繋留のために割り当てられた浮き桟橋付きのスペース)に入れなければならないので、セイルは全て下ろし機走するのが原則なのだが、風に逆らって進むにはエンジン出力が足りないのだ。最悪の場合、推進力を得る為にセイルを張ったまま入港する危険を冒さなければならない事態だ。                                       
S氏の判断は的確だった。「セイルを張って沖出ししましょう。」 ジブをまた張り直して、できるだけマリーナの入り口より風上にもっていこうというのだ。一旦風上に出られれば、弱い出力のエンジンでも何とか追い風に乗って入港できるという判断だ。                                   
その間のセイリングはかなりシビアだった。ジブはリーフ(セイル面積を小さくたたむこと)したものの、メインセイルまでは手が回らない、ほぼ横倒しになりかけたりもしたが、メインセイルはやや風を逃がし気味にセットして走らせ続けた。マリーナ入り口を風下に見る位置まで到達して、ジブとメインをたたんで機走に切り替え、何とかマリーナ内に艇を持ち込んだときにはホッとした。バースに舫い終わるとS氏の顔にも安堵の表情が浮かぶ。                                            
それでも、一通りの後始末が終われば、いつものようにコーヒーと菓子パンで、反省会を兼ねた語らいのひと時。夏の長期クルージングの計画等に話の花が咲く。                         
  
付け足しのようだが、もちろん自宅・ベイサイドマリーナ往復には愛車を使用。(これは自転車日記なのだ)                                                            
本日の走行距離 37.22㎞  午後7:45帰宅

2009年4月25日土曜日

老後の楽しみ

多分20年くらい以前、仕事で雑誌の編集に関係していた頃、「年末年始のお勧め読書」のような特集を組んだ事があった。各界の著名人がそれぞれコレという本を推薦するというものだが、その中で当時経済評論家として一世を風靡していた長谷川慶太郎氏が推薦していたのが『海の男/ホーンブロワー・シリーズ』だった。

このシリーズは別巻まで入れると文庫(ハヤカワ)で12巻に亘る一種の大河小説だ。ヨーロッパではナポレオン時代のイギリス海軍(もちろん帆船時代)、17歳で士官候補生として海軍に入り最後には提督にまで登りつめる男の物語だ。日本人で鞍馬天狗を知らない人はいない(現在ではそうとも言えないが)ように、イギリス人でホーンブロワーを知らない人はいないと言われるくらいの国民文学だそうで、かのチャーチル首相も座右において愛読したといわれている…、というような推薦文が書いてあった。

当時、数多い経済評論家の中で技術や軍事に詳しい事で密かに注目し、かなり親しくしていただいて方の、それも、へえーと思わせる意外な推薦書だったので、即、全巻購入して、アッという間に読破してしまった。

もう夢中になってしまった、と言っていいだろう。私自身、多少はヨットや海軍に対する知識があったものの、こんなに面白い小説分野があったのかと初めて知らされた思いだった。

それ以来

海の勇士/ボライソー・シリーズ』(27巻既刊)、『英国海軍の雄/ジャック・オーブリー・シリーズ』(20冊既刊)、『海の暴れん坊/オークショット』(現4巻・途中終了)『アラン、海を行く・シリーズ』(現7巻・途中終了)

さらには古本で

海軍将校リチャード・デランシー・シリーズ』(全6巻)、『ラミジ艦長物語』(全23巻)等を買い集めそれこそ夢中で読んだ。

このようにかなり多くの「帆船小説」は出版されてはいるのだが未了のまま終わってしまうものも数多くあるのが実情だった。

そんな中比較的新しいシリーズとして『海の覇者/トマス・キッド・シリーズ』が出たのだが5巻まで出版されてから、「終了」の噂がたった。事実続編は中々出なかった。これは寂しい事だと嘆いていたところ、「続編を望む声をハヤカワヘ送ろう」と呼びかけるサイトに出会い、及ばずながら私もそんなメールをハヤカワへ送ったりもした。その効果があったのか、しばらくして6巻がやっと出て、昨日、写真の第7巻「新艦長、孤高の海路」が発売されたのだ。

本シリーズは、英国・ギルフォードの町でかつら職人として働いていた男が強制徴募(詳細は省く)されて下級水兵になり、それこそ艱難辛苦を乗り越えて(古臭い表現でゴメン)士官となり、艦長になり(それが本書)、そして多分これから、提督にまでなっていくと言う流れだ。

この「強制徴募された下級水兵から」というのが本書の特徴で、既刊の書と比べて面白さを加えている。ただ残念なことは、「文学的魅力」「技術や戦術のディテイル」では、先輩諸氏の著作より浅いきらいがあるが、これからが楽しみなシリーズだし、何より数少ない「帆船小説」なのだから、期待する事大なのだ。

昨日は最初に入った書店で、店員さんが一発で本書を見つけてくれた時は、「さすがですねえ」と賛辞を贈ってしまったほど嬉しかった。

どうか私の「老後の楽しみ」を奪わないで続編を出版していただき、未完のものは、きっちり終わらせていただき、未訳の作品があればどんどん紹介して欲しいものだと願って止まない。

2009年4月21日火曜日

バルモラル城・バルモラル号

昨晩BSでヘレン・ミレン主演の「クイーン」を見た。劇場でも観たので2回目だ。ダイアナ(当時)元皇太子妃の事故死前後のエリザベスⅡ女王の生活を描いた傑作だ(と思う)。本質は王室の存続にかかわるポリティカル映画だ。

なんといってもヘレン・ミレンの名演技が光るのだけど、そっくりさんショウ的な面白さもあるし、エディンバラ公のどうしようもない頑迷アホ貴族振り、チャールズ皇太子って意外といい奴じゃんと思わせる演出、忠臣ブレアと、はねっ返りかあちゃん(名前は知らないが上手な女優さんだ)の対比など見所は満載の映画だ。

それらはさておき、王室一家はその時スコットランドの城に滞在中だった。城といっても山あり谷あり原っぱありのべらぼうに広大な領地を含んでいるのだ。領地内の移動は軍用車と見紛う4輪駆動車レンジローバー。そこでのレクリエーションは家来をたくさん使っての鹿狩り。そういった城だった。その名はバルモラル城。その名前にどこか引っかかるところがあったが、すぐには気が付かなかった。

今日になって気が付いたのだが、それは今月4日、大桟橋で見かけた客船の名前でもあったのだ。やっぱりイギリスの客船は王室がらみの船名を付けたがるんでしょうかねえ。

2009年4月19日日曜日

走行距離15000㎞突破!!!

本日、母の施設への往復をして、現自転車での走行距離が15000㎞を突破した。2年と8ヶ月、970日かかった事になる。長期旅行4回で約5000㎞走っているので、それ以外でも日常的に10000㎞走っていることに驚いている。余り意味はないが一日平均15㎞強走ったことになる。

ざっくり言うと東京・大阪間を15往復しているのだ! 地球を0.375周した事になる。

貧乏人がコツコツと100円貯金をしているようなものだが、これが自転車趣味のひとつの良いところかもしれない。特に自転車旅行においては、自分の置かれた環境・体力に応じて漕ぎ続けさえすれば必ず目標に達する事ができる。つまり、努力が(必ずと言い切れない部分は残るが)報いられる世界なのだ。どんな平凡な人間でもそこそこの事はできるんだよという実感を味わいたかったら、そして、とりあえず「これ」という得意分野や趣味がなかったら、更にもてあますほどの時間があるのなら、自転車旅行をお勧めします。




2009年4月18日土曜日

自転車な日

自宅・横浜→柿生→多摩ニュータウン→多摩川・関戸橋→百草園→(多摩川サイクリングロード経由)丸子橋→自宅 というコースで75.63㎞を走った。実働3時間45分 平均速度20.17㎞/h。

目標は関戸橋で開かれる自転車パーツ中心のフリーマーケットだ。長距離を走るのは正月の三浦半島以来なので、昨日は半日かけて愛車の点検・整備・調整・注油をした。諸準備も含めて万全の態勢で臨んだのだ。「今日は走るぞ!」気合十分で午前7時半スタート。うす曇で絶好の自転車日和。30㎞ほどの所にある関戸橋には予定通り9時到着。良いペースだ。

このイベントにはもう3回来ているくせに、今日もそうだが、何も買ったことがない。「マニアが集まる」という雰囲気を楽しみに行くようなものだ。普段仲間もなく一人で走り回っている私としては、たまにはこういうのも良いものだ。

各種自転車パーツのフリマなので、売り手・買い手共にかなりディープなマニアが集まるのは当然なのだが、来場者ははピカピカに磨きたてた愛車を駆ってファッションもビシッと決めてくる。多分来ている客の自転車と装備と衣類の合計額平均は20万円を下らないだろう。ちょっとした「晴れの場」としての社交場のような雰囲気がある。中にはハンチングを被ってニッカーボッカなんていうオールドファッションまでいるのだから、その雰囲気が想像できるだろう。そしてそこかしこである種の同好会・オフ会が始まっている。

実はそんな集りに、姪が、自分の走り仲間のために自転車のパーツ(本当はパーツメーカーまで特定してその刻印まで模して作ったこだわりの作品なのだが、詳細は省く)のクッキーを持ってくるというので、それを見て・食べて、少し貰ってくるのも今回の楽しみであった。これは凄いよ。彼女の相当うるさい仲間達からも絶賛されていた。

売り物か、誰かが乗ってきたものかははっきりとしないが、いたるところに惚れ惚れするような自転車が置いてある。それらを観て周るだけでも楽しい。キャンプツーリングが目的の私としては、昔からのイメージで、リアホイール接触のダイナモと、フロントのマッドガードの先端に砲弾型のライトが固定されている「ランドナー」の前では思わず足を止めて写真を撮ってしまった。

百草園の姉の家に寄って昼飯をいただき、再度関戸橋へ戻り「多摩川サイクリングロード」経由で戻ってきた。

自転車も自身の体調も問題なく75㎞を走れたのでホッとしている。しかも4時間近く走って平均20㎞/h超えというのも私としてはまんざらじゃない。ただ、かなり途中で休んでいますがね…。

2009年4月15日水曜日

セグウェイ発見

午後から風が収まったので臨港パークへ出勤。良い天気だ。太鼓橋付近には「せんちゃん」しか居ない。一応、道具は持参していたが、竿を出すかどうかは決めていなかった。ポタリングだけでもいいや、と思っていた。しばらく観ていても「せんちゃん」に魚信は無い。釣りは諦めて立ち去ろうと「餌を買ってからまた来るよ」と、でまかせの挨拶をすると「いいよ、オレの餌を使いなよ」言われて、竿を出さざるを得なくなった。

それでもやはり私に魚信がない。その後「せんちゃん」は小型のタナゴを釣り上げご機嫌になる。私より先に帰っていったが、帰り際に餌のアオイソを2匹置いていってくれた。それを全部使い果たしても釣果はゼロだった。

未だ陽が高いので山下公園までポタリング。その途中で噂の「セグウェイ」に出会った。巡回のおにいさんが乗っていたもので、ニュースとしてそういうものがある事は知っていたが、見るのは初めてだ。

なんとも不思議な乗り物だ。2輪なのに人が乗って静止・自立していられるのが面白い。走りもかなりトルクが強そうで、相当な坂でも登れるという。何でもパシフィコが2台購入したそうで実験的に使用しているそうだ。いろいろ話を聞いたのだが、「では」と言って去って行く時も、何かをしたようには見えなかったが、すうーと曲がって音も無く、かなりの速さで走っていった。不思議な乗り物だ。

2009年4月7日火曜日

釣果ゼロなれど新顔の客船が…

絶好の釣り日和なれど、釣果ゼロ。余りの魚信の無さに、釣り人達は情報交換というか、お話し大会に興じる。

釣り場からマストが3本見えたので行ってみると、保安庁の岸壁に「日本丸」が停泊していた。久し振りに見るその勇姿に惹かれ埠頭に入り込み、間近に見せてもらった。思ったよりマストが低く感じられた。4本マストのバークという種類なのだが、横帆の名称が下からコース・トップスル・トゲンスルと、そこまでは思い出せたが、一番上が思い出せずしばし苦しんだ。よほど側に居た乗組員に聞こうと思ったが、イヤミな奴だと思うわれたくないので止めた。(帰宅後調べるとロイヤルスルだった)

もうひとつ先の大桟橋に、昨日も見かけた(実は昨日、夕方、餌を買いに赤レンガ倉庫街を通って桜木町付近まで出かけたのだ)外国客船を見つけた時は嬉しかった。初めて見る客船なのだが、船名がよく読めなかった。カメラを持っていなかったので「縁が無いのか」と諦めていたのだ。

バルモラル号」といって、程好い大きさの(43,500トン)客船でフレッド・オールセン所有の1987年建造、「年増」と言ってよい位の姥桜だ。但し、昔は「~小町」と多少は騒がれたかもしれない。

その後釣り場付近でもよく外人さんが連れ立って歩いていたが、恐らくその殆どが同船の乗客だと思われる。丁度桜が満開の時期で良い思い出になった事だろう。

後半戦は例の太鼓橋に移ったのだが、大魚を釣り逃がした。久し振りのクックッと感触を2秒ほど味わっただけで針から切られた。悔しい!逃がした魚は大きいのだ。

明日も頑張ろう。

帰宅後歯医者で奥歯を抜いた。

本日の走行距離 16.13㎞

2009年4月6日月曜日

入学式

今年から町内会の役員をする事になった。最初の仕事?が地元の小学校の入学式への来賓としての参列だ。

この小学校は私自身、娘と息子の出身校でもあるのだ。天気も良く、久し振りに通学路を歩いて行った。私の足で15分だから小さい子供なら30分かかるだろう。

校庭の桜も満開で絶好の日和。到着してみると新入生達も集まり始めている。 父親も同伴というのが多いのに驚いた。ほぼ年度始めの月曜日というのに…だ。

受付にて記帳を済ませ「お祝い」を差し出すと、「お返し」という事なのだろう、手提げに入った紅白饅頭とお赤飯の折を渡される。かえって恐縮してしまう。いくら地域との連携を重視するといってもここまで気を使うのは大変な事だ。因みに町内会代表というのは来賓序列でもかなり上のほうなのに驚く。PTA会長の次の次の次くらいだ。

子供が少ないといっても当校の新入生は100名・3クラスとの事で、その子供達が入場してきた時には思わずジーンとなってしまった。歳のせいだ。その新入生を歓迎するのに2年生が唄を歌ったり、ちょっとした芸をしたりするのを見たときもダメだった。やはり歳のせいだ。「横浜市歌」「校歌」斉唱という段になると、来賓を含めて周りの参列者で歌える人は少ない。私は自慢ではないが両方とも知っているので大声で歌った。本当に久しぶりの事だ。

その間、(主に)若い父親がずーっとビデオカメラを回しているのが印象的だ。しかし、ひと頃と比べると随分カメラが小さくなったモノだと感心したりもする。さすがに踏み台まで持ってきたりする親は居なかった。結構長時間の式なのだが、新入生達は神妙に椅子に座っていた。エライぞ。人間辛抱だ!

あと6年もすると孫の「里樹」もあんなになるのだろう。

2009年4月3日金曜日

今日は自転車でも釣りでもなくて、映画の話

夜、町内会の集りがあり帰りが遅くなった。おかげで9時からBSで放映する「ニューシネマパラダイス」の冒頭の20分程を見損なった。その時間には帰れる積りだったのでVTRの予約をしていなかったのだ。非常に残念ではあったが、ノーカット版なので未だ見ていない部分が見られたこともあり、十分に堪能できた。大好きな映画だ。マイ・ベストファイブには間違いなく入る。

好きな映画」(優れた映画とか名作とかではなくて…、そんな事はどうでもいいのだ)とはどういう事だろうか。いろんな要素が絡み合って好きになるのだろうが、敢えて分析?してみると、好きな俳優さんが出ている、ストーリー展開が面白い、印象深いシーンがある、好きな女と観に行った…、とでもなるだろうか。

この「ニューシネマパラダイス」はそれら全てがあるのだが、もうひとつ、魅力的なキャラクターとの出会いがある。魅力的とは「こんな大人になりたいものだ」という憧れに近いかもしれない。この映画の場合はフィリップ・ノワレが演じるアルフレードという役だ。シチリアの田舎町の老映写技師だ。詳しくは映画を観ていただく他ないが、少年との関わり方が妬ましくなるほど格好良いのだ。

同じ事が「ラストショー」でベン・ジョンソンが扮するサム・ザ・ライオン、「ウォルター少年と、夏の休日」でのマイケル・ケインとロバート・デュバルが演じるハブとガースのマッキャン兄弟にも言える。

私だって自分の年齢が60歳を越えてきた辺りから、自画像としてどんなじいさんが格好良いかを多少は考える。そんな時に思い浮かぶのが上記のキャラクターなのだ。自分が少年の時、あんな大人が回りにいたらどんなに幸せで、わくわくした毎日だったかと思う。(別に私の少年時代が不幸だったわけではないけど…)

それにしても、揃いも揃って昔ワルだったり、無学だったり、女に苦労したりで、自分とは相当かけ離れた過去をもつメンバーなので、きっと、叶わぬ憧れで終わるのだろう。