2011年10月28日金曜日
2011ツーリング まとめ
経費(日にち毎の明細書を作ったが、このブログにはその表がコピーできないので、集計だけ)
交通費 ¥ 50,940
宿泊費 112,528
外食費 24,295
食料費 5,278
飲料費 11,102
アイス類費 6,635
タバコ代 8,610
その他 10,252 合計 ¥229,640
どうです!意外とかかっているでしょう。殆んどビジネスホテル泊まりなので、一日平均で7000円~8000円はかかっています。アイスの類がもっと影響しているかと思いましたが大した事はありませんでした。しかし、経費については、納得です。
その他雑感
① 今回はキャンプが全然出来なかった。スタートでつまずいたせいもあるが、基本的にはそのエネルギーがなかった。やはり体力・気力・時間に余裕がないとキャンプは出来ない。ましてホテルの楽チンさに慣れてしまうと、もうダメです。
次回(あるとすれば)は、始めからホテル泊まりのプランを立てます。つまり、キャンプ・炊事用具は放棄です。そうすれば「輪行」も視野に入ってくるような気がします。
② リアのスプロケのインナーを32Tから34Tに増やしたが、殆んど効果はなかった。それよりフロントの48Tが要らない事の確認の方が重要。スピードは全く主眼にないのだから28T+38Tだけで十分です。もし新規に自転車を購入しても、フロントのギヤは小さいのに取り替えるかもしれない。
③ 真夏のツーリングなどするものではない。快適とは程遠い。やはり春か秋だろう。今回は「氷」の脅迫観念から逃れられなかった。
④ 履物はクロックスで正解だった。特に夏には十分だろう。
⑤ 携帯を新規購入して「NAVITIME」を入れたのだが、殆んど使わずor使えず、か?スマホならともかく画面が小さく、スクロールがサクサクいかず、反ってイライラの元になる。ネットには繋げるのだがPCのようには使えないことがわかった。
⑥ さて、次回はどんなスタイルで何処へ行こうか?
2011年10月26日水曜日
2011ツーリング 26・27日目(9/12・13)
殆んどの時間を、9/4山陰の網野駅で買った文庫本を読んで過ごす。本船はカジュアルといって、全室2等寝台のモノクラスで、レストラン等の設備がない。因みに運賃は、¥17,410+自転車運賃¥3,070で合計¥20,480。食事は「自販機」で賄う。以前九州を走った時もこのフェリーを利用したので、その不味さを知っていたので、朝・昼食は事前に買い込んで来たパンで済ませた。さすがに夕食は不味いのを承知で、親子丼とカップラーメン。3回程入浴をしたが、昨晩かなり揺れたらしく、浴槽の湯が膝までくらいに減っていた。
5:40 有明フェリーターミナル到着
明け方の都心・銀座、日比谷等を抜けて国道15号線で横浜の自宅へ帰着。
本日の走行距離 38、9㌔ その他の記録なし。
以上にて、車体・身体揃って事故にも遇わず無事帰還できた。
いつもながらホッとする。1800㌔以上走ってきたことが夢のようだ。ほぼ予定通りの期間で終えられたのも殆んど奇跡のような感じがする。
改めてお世話になったたくさんの方々にお礼を申し上げます。
まとめは次のページで書きますが、出発前と当日計測したフィジカルレポートは以下のとおり
体重 74、4㎏ → 70、1㎏
体脂肪率 21、6% → 18、9%
内臓脂肪レベル 16 → 12
現在はどうだか知らない。
2011ツーリング 25日目(9/11)
それにしても最後の最後でパンクとはついていない。しかしよく見てみると前輪に画鋲が刺さっている。どうもイタズラをされたようだ。くだらない事をする奴がいるものだ。幸い今回のツーリングにはスペアのチューブを2本持参しているので、まだ1本が残っていた。交換やら、ついでに船内持込用に荷物の整理もしたので、結局ホテル出発は10時になってしまった。
午前中は港周辺をゆっくりと散策。天気もよく気持がよい。「先を急がされない」というだけで、ゆったりした気分になれる。
門司の観光といっても港周辺だけで、実に狭い範囲に限られる。そのコンパクトさが反って好ましい。横浜などなまじ広いエリアがあるだけに、何か散漫になってしまうし、整備といっても手間隙だけだかかって厄介なのだろう。門司はその狭い範囲に「門司港レトロ」を詰め込んで、うまく観光地に仕上げていると思う。
昼食は門司名物「焼きカレー」。食べてみるまではイメージが浮かばなかったが、要するにカレーのグラタンだ。いろいろバリエーションはあるようだが、下の写真はカレーライスにチーズをのせオーブンで焼いたもの。(¥1050)美味でした。
3時間もウロウロすると、行くところがなくなる。早いのは承知で、13時頃には門司港を離れる。ところが、これがちょっとした山越えで、最後になって、また、「押し歩き」が入ってしまった。しかし、時間の余裕があるというだけで、ゆったりとした気分で歩け、後半の下りはサイクリングを満喫しながら、最後の走りを楽しむ事ができた。少し迷って余分に走ったが
14:20 新門司港フェリーターミナル到着 お決まりの記念写真を撮る
乗船手続き開始まで大分時間があるので、近くのコンビニへ乗船中の食料、おやつ、デザートなどを買いに行ったのだが、ここでも例の「かき氷」を買ってしまった。一体今回はいくつのかき氷を食べた事だろう。後で集計してみよう。下の写真はお世話になったサーモスとかき氷。
ついでにサーモスについて書いておく。保温力・保冷力は大したものだが、宿命的に「水垢」がパッキンやねじ山にこびりつく。これは前回の北海道での苦い経験から学んだ。一週間も手入れをしないと、黒いヘドロのようなものがこびりつき、気が付いたときにはギョっとしたものだ。これは衛生や健康に関わる事なので、今回は宿泊のたびに、容器の中はもちろん、パッキンは外し、穴や細かいところは歯ブラシで丁寧に洗ったものだ。宿泊の際には洗濯だけではなく、そんな事までしていたんですぜ。
18:00 出航 下の写真は出航直後、対岸の山陽地方の山並み。
本日の走行距離 17.22㌔ 走行時間 1:48 平均速度 9.5㎞/h
ここで累計走行距離をリセットしたが、距離は1,738.76㌔だった。
2011年10月25日火曜日
2011ツーリング 24日目(9/10)
8:10 ホテル出発 実質的にはツーリング最終日だ。今日はひたすら国道2号線を西に行く。とは言いながらも、守りの姿勢から、また急ぐ必要がないので、支障がない限り側道を行くことした。
滑り出しは下の写真(8:43 5、5㌔)のような走りやすいもので、これで下関まで行けたらこんなに幸せな事はないと思ったが、そうはいかなかった。
さて、下の写真(8:56 7、3㌔)は何でしょうか。
側道からは外れ、並走する一般道を走って高架に差し掛かったときの光景だ。道端には車がずらりと並び、カメラを持った、中には三脚持参の30人程が集まっていた。聞いて見ると、「カシオペア」の特別列車?が下の線路を通るので、その写真を撮ろうと待っているのだそうだ。これが噂の「鉄ッチャン」達だ。その情報力と熱心さに感心し、オレも加わろうかとも思いはしたが、まだ、20分程待つと聞いて立ち去った。下の図はその地点。
10:11 20㌔地点 道には驚くほどたくさんの虫の死骸があるものだ。ここで力尽きたのだろう。
11:10 27㌔ 厚狭の手前 新幹線と交差して海側へ出る。
11:59 36㌔ 埴生手前 対岸にうっすらと関門橋が見えてきた。
13:30 49㌔ この辺りで明日18:00発のの新門司からの東九フェリーの予約を入れる。本来なら今日中に余裕で新門司には行けるのだが、昨日頑張ったご褒美に丸一日の休暇を自主的にとった。まあ、今度は旅行が終わるのが惜しくなってきたのだな。それでも、予定よりは一日早く帰ることになる。
13:51 54㌔ ますます関門橋に近付く
14:04 56㌔ 関門橋目前
14:08 57㌔ 到着 関門海峡を目前にしばしの休憩 一応目標達成かな!
関門トンネルには人専用のものがあり、自転車・原付は押して通れる。
途中に県境がある。
下の写真は9月10日のメモ。右のページは、上のスタンプを下関で押して、下を門司で押して完成させた。全長780㍍。無料。
14:40 58㌔ 門司側へ 先ずは門司の町を観光 下は港の名物の跳ね橋
JR門司港駅 レトロな趣を残しており、門司自体が「門司港レトロ」をコンセプトに観光政策をとっている。
15:40 港周辺をのんびりと観光してから、近くのホテルにチェックイン。
夕方からは、夜の散策に。夕食は豪華回転寿司。
食後は港での野外ジャズライブを堪能する。キーボードが良かった。門司にはジャズが良く似合う。(初めて動画を貼り付けました。左下の▲をクリックしてください)
本日の走行距離 62、44㌔ 走行時間 4:19 平均速度 14、4㎞/h
2011年10月22日土曜日
2011ツーリング 23日目(9/09)
とにかく12日の新門司発の限界最終日まであと4日だ。余裕をみて3日とする。当初の予定通り、このまま萩、長門をめぐりグルーっと中国半島を回って下関・門司を目指しても200㌔程度、脚弱の私でも3日あれば何とかなるだろう。しかし「NAVITIME」で調べるとそのアップダウンは相当のものになり、それがほぼ全コース続くようだ。それでも、始の志からいっても、多分、こちらを選ぶのが正解なのだろうが(今・10/24ではそう思う)、登りのきつさを考えただけで敬遠してしまった。
さりとて、瀬戸内へ出るには、どのみち中国山脈を越えなければならないのだ。そこで、距離的にはそれ程得をするわけではないが、萩から 山口へ秋吉台付近を経由して行くことにした。まずは60㌔程の萩を目指す。
5:50 ホテル出発 昨晩までは本日のコースに、例のNAVITIME情報から、内陸を走る県道14号線を想定していたのだが、上のホテルの主によると「萩へのルートとしてあり得ない」との事で、海岸沿い・JR沿いの国道131号線を選んだ。
6:25 5㌔ 持石海水浴場付近の朝焼け7:00 15㌔ 人形トンネル(960㍍)を抜ける
7:22 17㌔ 山口県に入る
8:00 26.5㌔ 須佐
8:44 31㌔ 大刈トンネル(1421㍍)を抜ける 長くて怖い
今日に始まったことではないが、コース上には長短たくさんのトンネルが存在する。何度も書いたが、私はトンネルが嫌いだ。いや、怖い。できる事なら、そしてそれ程の登りが伴わなければ、迂回路を行くことがある。
9:00 34㌔ そんな迂回路のひとつ そして意外な絶景があったりする。トンネルはこんな景色を通行者から奪ってもいるのだ。ここで稲荷寿司の第二の朝食。
10:00 44㌔ サエガ峠
10:25 47㌔ 道の駅 阿武町 なんでもここが「道の駅」第一号だそうだ。
萩は今回のツーリングでの「行きたい所」のひとつだった。何といっても長州藩の城下町として、明治維新の志士達ゆかりの地なのだ。それなのに、まず始めに駅の観光案内所に行ってしまったのが間違いだった。いや、それは正しいのだが、そこで得た情報が、根本的な判断を誤らせたのだ。
もちろん萩の観光案内パンフももらったが、更にお願いして下の写真の折りたたみを広げると、裏が山口県の地図になる便利でありがたいパンフもいただいた。それを見ながら、係のおねえさんと色々と話していく内に、どうも「観光などしている場合ではない」という気持ちになってきたのだ。
おかしな事なのだが、北海道の知床半島でも同じような事があった。まる一日を知床観光に充てようと思っていたのに、先に控えている「峠越え」にせかされるように、同所には一泊しただけで通り過ぎてしまったのだ。ヒトって本当に進歩しないね。自分には学習能力が乏しいのだろう。
とにかく萩から半島縦断で南下を始めたら、ルート上に山口まで宿泊場所はないという事実が重くのしかかってきた。しかもいくつもの峠を越えていかなければならないところだ。と言うことで、一刻も早く出かけようと考えてしまったようだ。また、今日中に越えておけば、明日からが楽になるという事もあった。
しかし、これは明らかに間違った判断だったと思う。そもそも、「萩をゆっくり観たい」を優先させて、そのためにはどうするかを考えるべきだった。今回は「中国山脈越え」という重さに負けていたのだ。さらにさかのぼれば、脚の弱さ、峠道に対する劣等感が原因だ。
正解は、これからの半日を萩観光に充て、今夜は萩泊。そして、明日瀬戸内まで出て、なるべく下関まで近づいておく。そして明後日、新門司よりフェリー…、これで計画通り一日の余裕をもったプランになったのだ。
そんな反省はさておき下のパンフはありがたかった。裏面を折りたたんで必要箇所が見えるようにして、ケースに入れ常時見えるようにして使った。駅前の食堂で昼食。ありがたいことに、店主と客が一緒になって相談にのってくれて最適ルートを探ってくれた。結論は、下関を目指すのなら、山口ではなく小郡に出た方が良いだろう言われ、確かにその通りなので、ありがたく従う事とした。地元のヒトは小郡というが、駅名では「新山口」となる。新山口の方が十数キロ西になっている。ここでも氷をいただいて
13:00 出発 結局萩では何ら観光はせず、街中の街道を抜けただけだった。町外れの川を渡ると、途端に登りが待っていた。
14:15 72.4㌔ 想定のコースと新コースとの分岐点 上の部分図を見ていただくと分かるが、いくつもの峠を越えた。概ね200㍍~250㍍。下の写真の雲雀峠では 14:30-15:00 2㌔殆ど歩いている。この峠で78㌔地点だ。だが道は良い。
16:00 89㌔ 呑水峠 16:40 96㌔ 才ケ峠 17:10 101㌔ 二本木峠
と越えてゆくうちにどんどん時間が過ぎてゆく。暗くなる前には新山口に着きたいものだ。二本木峠を越えても、まだ10㌔はあるなあ、と思って下るうちに、道は細い川沿いの自転車道風のところへと導かれていった。しかもその流れの向きは進行方向!分水嶺は越えたようだ。(この川は四十八瀬川)そこからの数㌔は今までの苦労が全て報いられるような、暗雲立ち込める曇天から一気に快晴に変わったようなものだった。降りきってからホテルを求めて新山口駅前に出るまでのコースは、尋ねた相手が悪かったために若干まごついたが、
18:00 ホテル チェックイン
本日の走行距離 110、64㌔ 走行時間 7:36 平均速度 14、5km/h
2011ツーリング 22日目(9/08)
昨晩スーパーで買っておいた「お稲荷さん・のり巻き弁当」の内お稲荷さんを食べホテルを出る。この時間に出ると、100㌔は楽に行ける。自転車ツーリングの秘訣は「早朝出発」。今日の目的地は島根県の(多分)最西の市、益田。
一旦「大田市駅」に戻ってから国道9号線に乗る。やはり寂れている。ましてこの時間だと人影はない。
今日のコースは基本的にはJR山陰本線と並行しているのだが、それにしては、やたらとトンネル・峠道が多かった。下の図は走り始めて1時間ほどの五十猛(いそたけ)付近だが、このように、ある区間しばらく鉄道と離れる(それも陸側に)ときがそれに当たり、今日は馬路付近、湯里付近、周布付近、折居ー益田など何箇所もそういう区間がある。それぞれは標高差が100㍍に満たないのだが、トンネルが絡むので、体力だけではなく気力も消耗し、距離以上に疲労感が残るのだ。
7:40 20㌔ 湯里駅前
写真は駅前のバス停の中からホームの反対側を見たところ。確かここはひと峠越えて下り切った所だったと思う。
8:30 32㌔ 黒松駅近く 道の駅サンピコごうつ
未だ開店前で、休憩室にて朝食残りののり巻きを食べる。第二の朝食。
右から3つめのポスターは「森山良子45周年記念コンサート」で「9月25日(日)江津市総合市民センター 前売り券¥5000、当日券¥5500」という物。九州で見かけた海援隊といい、団塊の世代の皆さんは、なんやかんやとしぶといねえ。嬉しいような、悲しいような…。
9:50 42㌔ 江の川を渡る かなり峠を越えてる割にはまあまあのペースだ。
11:30 62㌔ 例によって峠を越えて「浜田」の市街地へ出る。昼前に当日の予定の半分以上を走っておくと、後半あせらなくて済むので、理想の展開だ。
12:00ー12:50 67㌔ レストランにて昼食
そろそろ腹も減ってきたところで、浜田港を見下ろす高台に洒落たレストランがあった。食堂ではなくレストラン。振り返ってみると、今回のツーリング中「きちんとした」レストランで昼食を摂ったことがない。たいてい食堂かラーメン屋か道の駅かコンビニ弁当だったりする。常識人の自分は、レストランには今の服装や風袋が場違いだという事を承知しているからなのだが、今回は空腹に負けた。
しかし、いかに商売だとはいえ、そこの女主は私を暖かく迎えてくれ、カキフライ・チキンソテー・スープ・コーヒーの日替わりランチを出してくれた。おまけに、わざわざ、アイスピックで氷を砕いて持参のサーモスを満たしてくれた。思わず長居をしてしまった。
13:45 76㌔ 折居駅この辺りは海岸・山陰本線・国道9号線がわずかな間隔で並び、「走っている私の直ぐ右手を一両編成の ローカル列車がガタゴト走ってゆく」という、実に地方サイクリングらしい光景となる。
この後、直ぐに「道の駅 ゆうひパーク三隅」で休憩すると、R9は山陰本線とは離れ、一旦石見津田で出会いまた益田までは山中を走ることになる。例の「峠とトンネル」だ。中道峠、日ノ峠など名のある峠を越えて
16:45 益田のホテルにチェックイン
この日のメモには「何度もアップダウンとトンネルを通る。5㌔毎に休息をとる」と書いてある。途中の景色や出会った人より「峠とトンネル」が一番の関心事なのだ。
晩には、明日からの行動予定を決定する大事な作戦会議をひらいた。
本日の走行距離 102,62㌔ 走行時間 6:59 平均速度14,7㎞/h
2011年10月20日木曜日
2011ツーリング 21日目(9/07)
従ってこれからの方針としては、次の宿泊地として、凡そ100㌔のところにある、そこそこの町を選定する事にした。そこで、本日の目的地を太田(おおだ)に決めたのだが、かの地について何の予備知識もない。第一、「おおだ」と読むことすら道路標識を見るまで知らなかったのだ。
7:30 ホテル 出発 ホテル提供の朝食をいただくと、こんな時刻になってしまう。
7:40 3㌔ 中海の東端で鳥取県から島根県に入る。
8:10 10㌔ 安来駅
あの「ドジョウすくい」の安来節の安来だ。駅もそれをコンセプトにしているようだ。ここでトイレを使わせていただいたが、とても整った素晴らしいものだった。今回使用した公衆トイレのナンバーワンだ。
9:30 30㌔ 中海の南岸が尽きると「松江」の南郊に差し掛かるが、市街地には向かわない。
10:05 35㌔ 宍道湖南岸を走ると、玉造温泉が直ぐだ。写真はその付近。
この辺り、天気も良く快走中。天気次第で気分が随分と変わるのは当然の事だが、自転車旅行では特にそれが顕著だ。こんな日は本当に、しみじみと健康と境遇に感謝し、幸せを感じる。
10:45 43㌔ 宍道湖南岸中ほどの来待
本日はずっと山陰本線沿いに走っており同名の駅がある。ひなびた感じの良い町なので?郵便局に寄り、現金をいささか引き出す。
11:10 48㌔ 宍道湖が尽きた辺りの「丸亀製麺所」で昼食
いつもながら安くて美味い。お稲荷さんも食べて480円。
12:00 50㌔ 道の駅 湯の川(「荘原駅」近く)
足湯で寛いでいると、隣に座った自転車趣味のおじさんが話しかけてきてしばらく談笑。先に上がったと思ったら、「差し入れだよ」とお茶のペットボトルを買ってきてくれた。本当にこういうのって嬉しいねえ。
14:00 65㌔ 出雲市付近通過
ここから北へ5~6㌔程で出雲大社へ至るのだが、以前お参りをしたことがあり、スケジュール的にもきついので、ここもパス。「先を急ぐ」気持が勝っていた。
14:40 78㌔ 道の駅キララ多伎(「おだ駅」付近)
午後に入ってからは向かい風が強く辛い思いをしている。向かい風の辛さは登りのそれ以上だ。
ここから5㌔ほどの「たき駅」辺りから山陰本線と離れ、国道9号線は目的地の大田市まで内陸部を行く。その前半部は完全な峠越えで、高さは大した事はないのだが、幅員がない割に工事個所が多く、加えて大型車の往来も激しく何度も怖い思いをした。今回の「怖かった個所ワースト3」に入る。しかも、下ってからも「もう着くはずだ」と期待しながら、いくら走ってもなかなか町らしくならず、不安になってきた。町の予備知識が全くないのでこのような事になるのだ。
16:30頃 やっと駅前に出たのだが、とてもビジネスホテルのあるような町の雰囲気ではない。普通の田舎の駅前の趣きなのだ。こんな時は土地の人に聞いてみるのが一番だ。
3人程でたむろしていたじいさんグループに尋ねると、心当たりのホテルを教えてくれるのだが、どうも道順で「ああでもない、こうでもない」と意見がまとまらず、終いに喧嘩風になってしまった。一人は最短の行き方を、もう一人はわかり易い道順を言い張るのでまとまらない。自分は側で聞いていて困った事になったと途方に暮れた。結局、凡その所を頭に入れて「わかりました、ありがとうございました」と退散させていただいた。これからは尋ねる相手を慎重に選ばなくてはならない。
17:00 ホテル チェックイン
本日の夕食は、ホテルの裏手にあるスーパーで調達した割引弁当。
本日の走行距離 97、43㌔ 走行時間 6:15 平均速度 15、5㎞/h
2011年10月18日火曜日
2011ツーリング 20日目(9/06)
8:00 ホテル出発
遅れたついでというわけではないが、市中の自転車屋さんに立ち寄りタイヤの空気を入れさせてもらった。(携帯のポンプでは圧が不十分と感じていた) また、たまたま「クロネコ」の集配車を見かけた事がきっかけで、やっとキャンプ道具一式を自宅に送り返す事に決心した。その運転手に、ざっと営業所の位置を聞いて向かったのだが、意外と見つけるのに手間取った。市街地の西を流れる千代川を渡り数㌔程のところだった。
但し、バーナー用のガスボンベは宅配便では送れないと拒否されたので、二つともおばちゃん従業員に進呈してきた。気持ち良く受け取ってくれた。
9:00 クロネコ 出発
9:45 15㌔ 白兎海岸 ここも神話の世界だ。
10:20 20㌔ 浜村付近 天気晴朗なれど波高し なれど 快調に走行
10:32 24㌔ 下の図のようにR9は自動車専用道となり、海側の旧道を行く
天神川を渡ると北条バイパスという海岸線を一直線に走る快走路となる。
11:45 40㌔ バイパス道端の農産物直売所で梨をひとつ剥いてもらう。そう言えば鳥取の名産は梨だ。美味しかったので、お世話になっている勤務先の同僚宛てにひと箱宅配。
12:15ー12:30 46㌔ 道の駅北条公園で休憩
13:00 51㌔ 道路際の日陰で、途中のローソンで買い込んだトロロソバやパンの昼食。
13:37 56㌔ 大谷付近でR9は東伯・中山道路となり、ここは自動車専用なので、以後はズーッと海沿いの旧道を行く。
15:50 80㌔ JR大山口駅近く(下の写真)
時々、自分でも何でその写真を撮ったかが思い出せないことがある。上の写真もそうなのだが、風力発電地帯だと言いたいのか、天気の良さか、側道をメインに走ったという事なのかわからない。
16:52 92㌔ 米子目前 うかつにも、大山の姿を初めて意識して見た。
17:30 米子市中心部のホテル チェックイン
その晩の作戦会議で、明日の予定として境港方向には行かない、中海・宍道湖は南岸をひたすら西に走る、松江には寄らない、出雲大社には寄らない…、等を決めた。残り日数の余裕がないのと、松江、出雲大社は以前行った事があるからだ。
本日の走行距離 99、96㌔ 走行時間 6:16 平均速度 15、9㎞/h