2009年12月31日木曜日
今年も終り
良い天気なのだが北風が強かった。帰りに鶴見川コースを少し走って、合計20㌔少々。最近ではこの程度の走りが精々だが、やはりきもちが良い。愛車も絶好調。
これで今月の走行距離は256.54㌔。 やはり300㌔は走れなかった。
ついでに今までの走行履歴をまとめておこうと思う。
2006年(8月~12月) 1090㌔
2007年 6531㌔ (累計 7621㌔)
2008年 6155㌔ (〃 13776㌔)
2009年 5021㌔ (〃 18797㌔)
まあよくも走ったと思う。 さあてだ、来年はどこへ行こうか。
2009年11月30日月曜日
2009年11月25日水曜日
楽しみとしての自転車と憂国忌
今日は久し振りに「走り」に出かけた。朝方降っていた雨も上がり、午後には爽やかな空に変わっていたから、走りたい気分になったというわけだ。と言っても夕方からは出かけるので、余り長くは走れない。「鶴見川下流コース」を選択した。そう言えば半年くらいこのコースを走っていないなあ。
下水処理場辺りから土手道に登り、しばらくして河川敷のサイクリングロードに降り、綱島を抜けてしばらく行ってまた土手道に登り、国道1号線を過ぎて済生会病院の先まで来るとおよそ家から10㎞。走行時平均21㎞/hのペースで頑張ったので少し汗ばんでくる。ほぼ無風で絶好のコンディションだ。久し振りに「走った」ので息が上がる。ベンチで水分補給とタバコで一息入れ、隣に座った糖尿病のお爺さんとひとしきりお話をしてから、帰路に着いたのだが、往路ほどの疲労感は無かった。いつもの事だが10㎞を過ぎた辺りから体が馴染んでくるのだ。
2時間ほどで帰宅、シャワー・昼食を済ませて、永田町の星陵会館で行われる「第39回憂国忌」に出かけた。この3年、発起人の一人から誘いを受けて出かけているのだが、今回のお目当ては
シンポジウム 「現代に蘇る三島思想」
パネラー 富岡幸一郎(文藝評論家、司会)
杉原志啓 (評論家、徳富蘇峰研究家)
西部 邁 (評論家、『表現者』顧問)
西村幸祐 (評論家、『撃論ムック』編集長)
という部分だった。
それぞれ面白い発言があったが、西部が、あの11月25日の市谷での檄文に触れ
「たかが成文化された憲法に三島が命をぶつけるほどこだわったのは、ややお門違いではないか。大義とは個々人の胸の内にあるんじゃないか」と言ったのが印象に残った。
確かにあの檄文を改めて読むと、結論として書かれていることは自衛隊員に「これ(伝統ある日本)を骨抜きにしてしまった憲法に体をぶっつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死のう」と、心中を呼びかけているのだ。ちょっとおかしい。それにあの文章、論理がわからないし、風格が無い。ひょっとすると書かれたのではなく、あのバルコニーからの絶叫を活字にしたのかな。
こんなボクでも「命より大事なもの」とは何だろうと少しは考えさせられたし、あと、いまの政治についてわかったことは「現在、保守と言える政党は無い」ということだった。
2009年11月6日金曜日
2009年11月5日木曜日
冴えない釣果
ところが、投げたそばから餌をとられる始末。 お目当ては「メジナ」なのですが、全くその感触はありません。様々な情報から犯人が「カワハギ」だという事はわかっていました。始めは「魚信」があるだけいいかと思っていたものの、度重なるとイヤになってきます。キャスティングのたびの期待感、緊張感が失われてきます。
余りの悔しさに「犯人を挙げてやる」とい意気込んだものの、敵は餌取の名人です。色々なタイミングで合わせてもかかりません。本当に餌取の天才です。
やっと一匹かかったのが上の写真。10㌢にも満たない小物でした。こんなヤツが餌を取ってしまうのかとしみじみと顔を眺めてみたのですが、とぼけたものです。即リリース。
恐らく餌は20匹以上使ったと思います。明日も行く積りですが、良い釣果が出る事を期待しています。
今日の走行距離
19.03㌔ 自宅→釣り場→自宅 自宅→職場→自宅
これが最近では一番普通の走行パターンです。
2009年10月31日土曜日
2009年10月29日木曜日
久し振りの「獲物」
それを持って27・28日と出かけたのですがボーズ。ほとんど手応えすらありませんでした。
そして、今日のことです。午前中で仕事を終え、午後から出かけたのですが、相変らず魚信無しが2時間ほど続きそろそろ帰ろうかとリールを巻きかけた時です。ほんの2・3回転させたときクっという手応えがあり、竿がしなり始めました。動く餌に食いついてきたという感じです。
リールを巻いていくうちに段々重くなり、ハンドルがギリギリいい始めました。水面下に見えた姿は白く細長くメジナでない事はすぐわかりました。多少のやり取りの後に何とか抜き上げたのが上の写真のアジでした。(実測35cm)おニューの竿での初獲物が、産まれて初めて釣ったアジだったというのも何かの縁でしょうか。
これにはおまけの話があります。
直後に現場で鱗を取り腹を裂いて内臓を抜いていると、通りすがりの釣り帰りの自転車じいさんが「ほう、いい型じゃないか、それ食うのかい」と聞くので「ええ、その積りです」と答えると「じゃあ、これも持って帰りなよ」と、私のよりやや小振りなアジをくれました。何でもそろそろ暗くなり帰るところなので、獲物の始末をどうしようか迷っていたそうです。それも前者同様の処理をして帰宅しました。
明日の晩は「アジの塩焼き」です。
2009年10月24日土曜日
また、今日の走行距離
コースは、(午前)自宅→社会保険事務所→自宅→区役所→社会保険事務所→区役所→社会保険事務所→自宅 (午後)自宅→職場→自宅というものです。
今日は主に母の年金関係の処理をしました。そもそも自宅から戸籍謄本を持ち出すのを忘れたのが運の尽きで、区役所に2度行っているのは私自身の住民登録証をとり忘れたためです。最近、一回で用が足りない事がよくあります。困った事です。
家人が母の年金証書などをきちんと整理して保管していたので、かなりスムーズに事が運んで助かリましたが、母がかなり沢山年金をもらっていた事に驚いています。はっきり言って私より多かった。
これで一段落ですが、まだまだ預金関係や公共料金など、しなければならない事が山積みです。
あとは来週です。
2009年10月22日木曜日
本日の走行距離
今日は午前中に母の葬儀に際しての費用を葬儀場に払い込みに行き、その足で位牌の注文をしてきました。(これはセカンドバイク、つまりママチャリを使用)
午後からは区役所に行き、健康保険関係の処理をして、母の除籍謄本をとったり私の謄本をとったりしました。親を亡くすと実に色々としなければならない事があります。これからしなければならない事はまだまだ10項目くらいあるようです。とりあえず明日は保険事務所に行って年金関係の処理をしたり、印鑑証明を数通とってくる積りです。まあ、動いていると気が紛れのも事実です。
2009年10月19日月曜日
本日の走行21.66㎞
これは「高田中央病院」との往復です。
実は去る15日未明に母が亡くなりました。その時我々夫婦は息子とニュージーランドを旅行中で電波も届かないところに居たために、それを知ったのは同日夕刻でした。翌日、丸一日かけて700㎞以上走ってクライストチャーチに戻り翌17日の朝一番の便で日本に帰ってきました。
そんな事情のために、母が亡くなったときの様子を担当医から細かく伺ったり、お礼を言ったりするために病院へ行って来たという次第です。
享年86歳なのですが、穏やかな死に様だった事を聞いてホッとしました。天寿を全うして召されたようです。
これからお通夜です。そして明日は葬儀。しばらくは忙しさで気が紛れると思います。
2009年10月10日土曜日
ボトムブランケット(BB)の交換
2009年10月5日月曜日
累計走行距離が18000キロに
試しに一月当たりの走行距離を試算しましたら474キロでした。自転車通勤者を除くと多い方ではないでしょか。我ながら感慨深いものがあります。ひと言で言うと「自転車を始めて良かった」という事に尽きます。勤め人生活を辞めて3年、本当にお世話になりましたというところです。
今では自転車は「趣味」というより「日常そのもの」です。10キロ以内の外出ならためらわず自転車利用です。もっとも最近では「出かける」といっても服装をそれほど気にしなくても良い行先がほとんどだということも関係していますが、外出=自転車が自然になってきてしまいました。
愛車はクロスバイクに分類されるGIANT3400 という自転車愛好家からはあまり見向きもされない地味なものですが、この3年間でその頑強さを十分に証明してくれました。これを見る人も「格好いいですね」とか「速そうですね」とは間違っても言ってくれませんが、時折「頑丈そうですね」とは言ってくれます。20kg以上積んでのキャンプツーリングをしてきたので結果的には良い選択だったと思っています。ただ、これからは体力の問題も含めてキャンプツーリングがいつまで続けられるか不透明なので、そろそろ買い替え、買い増しを考える時期かも知れません。具体的には何の計画もありませんが…。
2009年10月1日木曜日
2009年9月26日土曜日
ホームページのアクセス数が…
ご覧いただいて本当に有難うございます。この2500という数字が一般的に言って多いのか少ないのか見当がつきませんが、2007年7月25日に開設した当初には想像もできなかった数字です。おまけに愛車での累積走行距離が18,000㎞になろうとしています。
愛車を購入してから3年1ヶ月、HPを開設してから2年2ヵ月、この間いろいろな事がありましたが、何とかやって参りました。こんな感慨に浸れるのも自転車生活のHPを開設したおかげです。これを見てくれる方々がいる、それが励みとなって毎日の生活が送れているような感じがします。本当に有難うございます。
これからもよろしくお願い致します。
2009年9月19日土曜日
老妻頑張る
ギアチェンジの意味が全くわからない、地図が読めない、前方への注意がすぐ疎かになる、注意をするとすぐむくれるなど色々難はあるのだが、往復(それぞれ違う経路をとったが)約70㎞を走り切った事実には感服した。特に帰りはかなりの激坂が何箇所かあり、そこは歩いたにせよ(私はもちろん漕ぎ上がりました、はい)還暦を越えた女子としては相当なものだと思いませんか。たとえ平均時速が14.3㎞/hであったにせよ…。
もちろん帰宅後の夕食の準備は私がしたし、風呂にも私より先に入れてやった。ささやかなご褒美の積り。
問題は明朝になって「ここが痛い」とか、「階段が降りられない」などと騒がないかどうかだ。
2009年9月6日日曜日
港で遊ぶ
先月26日に釣りに行って以来久し振りに港へ遊びに行ってきました。基本的には釣行なのですが、先ず餌の購入から始めなければなりません。 と言って、一回の購入量は一日では消化しきれず、さりとてその寿命は精々4日なので、どうしても連続3日は港に通える目途が立たないと釣りに出かけられないのです。それに加えて、所用・天候の具合も関係するのでどうしても「久し振り」になってしまうのです。
今日はその久し振りの日でした。ところがいつも餌を買う「上洲屋」が休みで、新山下の釣り船屋まで行って「ジャリメ」を買い込みました。街中はかなりの人出です。
実は、大桟橋ではヘリ空母型護衛艦「ひゅうが」が一般公開されていると聞き、それも楽しみにしていたのですが、山下公園からも桟橋一杯の長蛇の行列が遠望でき、乗船は諦めました。
先月「ふっこ」をあげた「象の鼻」で釣り始めたのは10時半を回っていました。干潮の上に海水は赤潮気味にかなり濁っており、余り釣果は期待できない状態なのですが、偏光グラス越しには海面下に魚群がキラキラと見えるのです。ところが魚信は全然ありません。タナをいろいろ変えてはみたのですが効果はありません。12時半を回った頃諦めて撤収にかかったその時初めて魚信があり、あがったのが、久し振りの型の良い「メジナ」でした。(実測24センチ) やはりメジナは楽しい。あの引きは何とも言えません。その場で鱗を落とし、内蔵を除いて即帰宅。
今夜は塩焼きです。
2009年8月31日月曜日
2009年8月23日日曜日
今日はクルージング
久し振りのクルージングです。
毎年この季節、いつもお世話になっている29ft艇のオーナーSさんが奥様の学友関係者を艇に招待しクルージングを企画しておられる。実は私もそれがご縁で10年近くこの艇で遊ばせていただいているのです。
今年は奥様の学友は姉だけで、その妹の我が妻、甥っ子、姪っ子のダンナ、そしてSさんご夫妻とご子息という8名でのクルージングです。要するに姉関係者だけがゲストというクルージングでした。
まあまあの天候に恵まれ(ヨットの場合このまあまあというのは「余り風には恵まれなかった」という意味も含みます)浦賀のマリーナ「ベラシス」までのデイクルーズを楽しみました。ヨットが初めてという若者2人にその楽しさ、風だけで静かにしかしグイグイと進む快適さを分ってもらおうと、なるべく帆走したかったのですがなかなか豪快な走りに十分な風がなく、かなりの部分が機帆走になってしまいました。
途中何度か若者2人に舵を持つ体験をしてもらったのですが、帰途にはほとんどのゲストはコクピットで居眠り状態で(それ程快適だということです)Sさんと私でセイリングを楽しんでしまいました。
楽しい一日でした。Sさん、有難うございました。
2009年8月19日水曜日
大物が上がった
2009年8月11日火曜日
今日は映画生活
昨日遅く帰宅し、深夜近くに何気なくHKHBSのスウィッチを入れるとアンソニー・ホプキンズじいさんが子供と話しているシーンがでてきました。ちょっと見ただけで、子供はじいさんを尊敬している事、そしてじいさんは子供を友人として遇している事、じいさんはちょっと不良である事がわかりました。これだけで楽しい映画の予感です。番組情報ボタンを押して『世界最速のインディアン』だと知りました。
じいさんはオートバイマニアで(後からわかった事ですが見始めた場面はニュージランドです)、アメリカに渡って手塩にかけた愛車「インディアン」で公式のスピード記録を計測し、そのクラスのバイクでの世界最速を目指しているのです。
そこからは渡米、大陸横断と「ロードムービー」になり、記録会での「ドキュメンタリー」タッチに展開していきます。「不良じいさんの夢冒険実録」です。エンドロールによると実話だそうで、監督(名前を失念しましたが、『13DAYS』の監督さんです)が楽しく見せてくれます。「人間って捨てたものではない」と思わせてくれる後味が爽やかな作品でした。アンソニー・ホプキンズの名演は言うに及びません。
本当に未だ見ぬ名作が多いのだなと思い知らされました。
2009年8月4日火曜日
自転車とは何の関係もないけれど、すずめ蜂の巣
まず、隣・近所のお宅にお断りをしてから、ハチ・アブ専用の殺虫剤を買ってきて、隣家の玄関先からこれを噴射しました。もちろん長袖シャツ、長ズボン、帽子、めがね、マスクと防備は固めております。説明書には「10mの強力ジェット」と書かれていますが確かにかなりの威力です。その代わり10数秒で無くなります。巣からは数匹のハチが飛び出してきて散って行きました。
30分ほど経ってから二階の窓を少し開けて、近くに敵が居ない事を確認してから物差しで下に叩き落しました。細かく割れるのが見えたので、早速庭に降りて見てみますと、その残骸の側では死に損なったハチが一匹ヨタヨタ飛んでいました。恐々ではありましたがごみ挟みで自転車置き場に運んで焼却しました。
再度巣のあった場所を見てみますと、二匹程の敵が飛び回っていましたが数分の後には居なくなりました。
一件落着ですが、同じ所に巣ができない事を願うばかりです。
2009年7月24日金曜日
ホームページ開設2年目
2009年7月14日火曜日
今回の北海道記録UP完了
偶然ですが、その記録のホームページへのアップがたった今終わりました。全部で26ページの長いものになりました。なるべく多くの写真を載せようとしたために全体としてはかなりボリュームです。
過去4回のツアーもまとめてありますが、今回のまとめには大したものではありませんが、改良点が1個所半あります。
一点はそれぞれの日に「見出し」をつけました。なるべく短いフレーズでその日を表現してみました。
あとの半点はGPSのログを元にGoogle Maps上をカーソルがその日のコースを辿るというソフトを見つけたので、それをサイト上に上げてみた事です。これは、どうも接続が必ずしもスムーズにいかないのでまだ、テスト中というところです。
何はともあれ一応終了してほっとすると共に、ちょっと虚脱状態でもあります。
2009年7月10日金曜日
新しいコンテンツの試み
旅行中は「ログ記録」のみをする「GPS」を積んで走っており、HP製作の際には、そこから「Google Maps」に軌跡をプロットして1日のコース図を作っていました。
最近になって、その「ログ記録」を元に、同じく「Google Maps」上で、自転車の速度に応じてカーソルが動き、同時に色々なデータ(速度、方向、距離など)が表示されるというフリーのソフトを見つけ試してみたところ、とても面白く楽しめました。そこを走った自分としては「ああ、ここは快適に走っているな」とか「しょっちゅう休んでいるじゃないか」とか「苦しい登りの最中だ」とかいろいろ追体験でき時間の経つのも忘れます。
何とかこれをHP上でもお見せ出来ないかと、娘のダンナに聞いたり、あれこれ試行錯誤をした結果、何とか載せる事が出来ました。 よろしかったら、
http://www2.ttcn.ne.jp/arekore/
のメニューから 北海道③ 6月10日のページに行っていただき、最下段のリンク部分をクリックしてみてください。興味のある方には楽しんでいただけると思います。
2009年6月27日土曜日
A級ディンギーレース
2009年6月25日木曜日
北海道ツアーの旅行記HPにアップ中
このブログは、本来、私のホームページ「首から老眼鏡de自転車生活」のひとつのコンテンツとして置いてあるものです。そしてそのホームページは主に自転車旅行記を載せています。
先週の15日に戻りました三回目の北海道旅行の記録も、目下、1日分づつ毎日増えております。今日で4日目までアップし終わりました。まだ仙台一歩点前という所です。是非、そちらもご覧になっていただきたいのでご案内します。
http://www2.ttcn.ne.jp/arekore/
です。よろしくお願い致します。
2009年6月18日木曜日
画像修復成功;同行者のブログ
宗谷岬付近で同行した東京の若者がブログをまめに書いていて、私の事にも触れているので、その部分だけコピーさせてもらいました。 (以下コピー)
来たぜ最北端!最近リアルタイムで更新してないので、やはり鮮度が落ちますね。
なに書こうとしてたっけなとりあえず途中一緒に走ってた親父さんが早すぎて、びつくり。足痛めてるから遅いでといいながら、余裕ですいすいおれの前を走ってく。おれは立ちこぎでギアをガチャガチャしながら必死についてった。面目ない。
んで宗谷岬。霧かかってて風強いし、8℃くらいで寒かったがチャリで来ると違うな。ツアーバスがいたけど、適当に写真とって寒い寒いいいながら戻っていくやつをおれと親父さんで睨みつけ、ここはチャリで来る所だと言いながらもやはり寒く、ラーメン屋に入った。
その名も最北端ラーメンめっちゃ豪華☆おごってもらっちった○本当にありがとうございますm(__)m土下座とりあえず4分の1クリア。辛ければ辛いほど良い事アルヨ!バンテリンアルヨ (以上コピー終り)
この「親父さん」というのが私で「とても速い」という点と「ラーメンをご馳走した」という2点に注目して下されば幸いです。
なかなか面白いブログなので暇があったらご覧下さい。
http://plaza.rakuten.co.jp/kobinbin
2009年6月17日水曜日
大ショック
ショックの余り立て続けに煙草を5本くらい吸ってしまった。全く心当たりがないのだ。私としてはどうする事も出来ず、とりあえず近くの「PCデポ」に持っていき修復を頼んできた。調査だけで5000円、修復できたら更に15000円だそうで、当初は「金に糸目はつけないぞ」と思いつめていたけれど、現実に金額を聞いてしまうと「高けー」と感じてしまうのは貧乏人の悲しさだ。
19日には結果がわかるのだが、なんとも気がかりで夜も眠れない。
2009年6月15日月曜日
本日横浜に戻りました
札幌では去年お世話になった友人Sさんの奥方の御実家が経営するレストラン「グリュス・ゴット」でまたも美味なハンバーグステーキをご馳走になったのみで通り過ぎ、その日の内に苫小牧を出航寸前のフェリーに間に合わせて(これが我が人生最高の自転車苦労で、後日HPに詳しく書きます)戻ってきました。
初日に右足を痛め、今回のツアーは断念かと思われた事を想うと夢のようです。良くぞ持ち直してくれたというところです。
結局、横浜→仙台 469.6㌔、道内 1060.6㌔、大洗→自宅 142.8㌔ 合計1673㌔ 23日間の自転車ツアーでした。
終わってみれば、毎回そうですが、楽しさだけが残っています。
追ってHP上でその楽しさを(本当は多少の辛さも)お伝えしていきますので、折をみて覗いてみてください。
2009年6月11日木曜日
留萌に足止め
5日 途中からひどい雨になり、ちょっとした峠を越えてひたすら東に走り、ついにオホーツク海岸に出る。50キロを越えたあたりから足が痛み始める。少し北上して「雄武(オウム)」という町の旅館に宿泊。95.90キロ
6日 ひたすら北上。まあまあの天気。「クッチャロ湖畔」のキャンプ場泊。夜9時近くまでライーダー達といろいろな話で過ごす。ジンギスカン鍋等をご馳走になる。 84.49キロ
7日 途中の「道の駅」で自転車旅行中の若者の一緒になり「稚内」まで同行する。追い風に恵まれ結構な走りが出来、彼から「凄いっすね」とほめられいい気持ちになる。ユースホステル泊。 97.84キロ
8日 7:50分のフェリーで「利尻島」に渡る。良い天気。途中の「沓形」という町で昼食を食べ地元の少年と釣りをする。メバルを2匹釣り、その晩はソテーにして食べた。キャンプ場からは携帯が圏外となる。天気には恵まれる。一日中「利尻富士」の姿を見ながら走る。37.20キロ
9日 早朝に出発し、「逆さ富士」が美しいといわれる「姫沼」に向かう。観光客など誰もいない清新な風景を堪能。フェリーにて稚内に戻り、ノシャップ岬を経て日本海側を南下開始。これが最悪の状況となる。12~15メートルの向かい風がずーっと吹いている。こいでも進まない。進んでも非常に疲れる。手持ちの食料がなくなっても、途中どこにも店が無く調達不能。何度も「ここで今日は止そう」と思ったか知れないが、そんな町は通過しない。結局夜の8時に「天塩」のビジネスホテルにチェックインできた。最高に疲れた。 101.95キロ
10日 天気良し。途中「ママチャリ」の青年と出会い、しばらく歓談。彼より一足早く出発したのに次の道の駅までに追い越されてしまった。ショック。ソフトクリームをご馳走して喜ばれた。別れた後はマイペースで行ったのだが、海沿いの平坦な道が多く、しかも追い風に恵まれメーターは常に時速25キロ~28キロくらいを表示する。そんなに速く走る積りではないのに自然とそうなる。足の痛さはこいでいると気にならないから不思議だ。降りたとたんに「痛てて」となる。「留萌」まで一気に来てしまった。 明日の天気が不安なので安ホテル泊まり。118.06キロ(今回の北海道で最長)
11日 起きてみると案の定、ひどい雨と風。走行断念。連泊決定。町の図書館で1日を過ごす。この天候では歩き回れない。 問題は明日からの計画。天候は相変わらずはっきりしない。
札幌までは120キロ余りなのだが、日曜日まで「ソーラン祭」とかでホテル事情が心配。また帰りの苫小牧発のフェリーは日曜日には無い、といって13日の土曜日では無理だ。さあ、どうするかというのが目下の問題。
2009年6月4日木曜日
降ったり止んだりの1日
昨日は旭川のPCすらないような駅前の安ホテルに泊まり、今日は85キロ北へ走って名寄の少し先のユースホステルに居ります。85キロを平均時速18キロで来られたので、足は何とかなりそうでほっとしています。
当初の予定では近くのキャンプ場に泊まる予定でしたが、天候が気になりユース泊まりにしました。でもここはきちんと昼に予約電話をしたのに夕飯は出せないと言う上に、富良野と比べると数段高い。場所は申し分無く建物もきれい・清潔なので「まあ、許せるか」という感じ。
昨日の富良野から美瑛を通っての旭川までの54キは峠をひとつ越えるだけのほぼフラットなコースで、うねうねとした丘を臨みながらの楽しい走りが出来ました。但し例のラベンダーにはまだチト早いので斜面は裸。「ケンとメリーの樹」なんかも見てきましたが、これは期待外れ。
今日も峠ひとつ越すだけの走りやすい道で、柔な右足を抱えた私にも何とかこぎ切れたのですが、雨が降ったり止んだりでカッパの上下の脱ぎ着を6回くらい繰り返し、そちらが忙しかった。でも皮肉なもんで、これを書いている今は青空すら見える爽やかな景色が広がっています。
第1回目の北海道と何か違うなと思いながら走っていましたが、例の飼料と糞の混じった臭いが無いのに気づきました。そうなのです。この辺りは「稲作地帯」なのです。牧場はほとんどありません。やはり道東とは違っています。
いよいよ明日は東へ向けてオホーツクに抜けます。天候が気になりますがとても楽しみな明日です。
2009年6月2日火曜日
今日はユースホステル
小学校の運動会を1時間ほど眺めてから、キャンプ場を求めて中富良野まで来たのですが、当てにしていたところがクローズで止むを得ずということでもありませんが、ユースホステル泊まりにしました。たまには良いものです。何しろ安い!チェックインまで相当時間があったので、バッグの補修や(途中でソーイングセットを買いました)寝袋やカッパの乾燥、読書でゆったりとしました。こんな旅行の醍醐味です。
今日は58キロしか走っていません。登りは計10キロ程なので大半は下りの極楽サイクリングでした。おまけに快晴。
富良野を満喫しています。明日は観光をしてから旭川へ向かいます。
2009年5月31日日曜日
今日は雨降りにつきお休み
とても北海道ォーと言いたくなるような道で、清清しい2時間程の走りができました。途中の昼飯を食べた店では楽しいことがありました。(これは後日HPに書きます)
「鹿公園キャンプ場」に泊まったのですが夜はかなり冷えました。明けてみれば雨でしたので、今日は「お休み」と決めて、近くの温泉施設「ぬくもりの湯」で1日を過ごすことにしました。 地方ではこのような施設をよく見かけます。一昔前の「ヘルスセンター」です。入浴ができて、休憩室があり食事もでき、いろいろな会議室まであります。おまけにネットに繋がったPCまであるのですから大したものです。 まあ、もっともここがあるので「連泊」を決めたのですがね。そして、もちろんあらかじめ地図上で位置関係を確認しておいた事は言うまでもありません。なんと言っても、出発前かなりの回数でシュミレーションをした成果です。
ここで十分「療養」をして明日からまた元気に走ります。天候は回復基調で足も80%復旧しています(昨日はフロントーミドル、リアー5速で時速22~25キロで走れました。平均時速18キロでした)のでなんとかなりそうです
2009年5月28日木曜日
やっと仙台たどり着き
我ながら「偉い」と感じたのは「騙し騙し」が非常にうまくなったことです。 フロントギアはインナー(28枚)のみを使用。少し説明すると、このギアは普段では先ず使わない。よほどの劇坂で使う非常用のようなものです。私でさえ普段はフロントアウター(48枚)を使っています。多分いきなりインターを使えば「空回り」してしまうほどの小さいギアです。これとリアは中ほどの4~5段目でくるくる回して時速20キロ程度というのが今の私に一番負担が少なく効率が良いのを発見しました。少し調子が良いからとフロントミドルに変えてみたりすると、たちまち響きます。
坂は押し歩きます。コース基本的には平地なので峠などはなく、多少長い坂があったりする程度です。歩いても数分です。
よく休みます。今日などは10キロ毎に休んでいます。
それでも初日は145キロ 平均時速17.1キロ
2日目 56キロ 12.1
3 75キロ 12.8
4 96キロ 13.6
5 79キロ 15.3
というように、「騙し騙し」が上手になって走行距離も平均時速も増しています。
それで、北海道へいく決心をしまして明日のフェリーを予約してしまいました。
今回の仙台コースは基本的には国道6号水戸街道を使うのですが、出来るだけそこから離れ、「海岸線を走る」に徹してみました。「どうせ急げないのなら、ゆっくりのんびり海を見ながら走ろう」という事なのですが、これが大正解。毎朝、朝日と共に起きだし、岬をかわす毎に変わる景色にどぎまぎしながら、また時には、松林の中の一本道をただ一人だけで走ったり、火力・原子力発電所の産業的な大きさも体験できたし、漁港も多数見ました。1時間でしたが釣りもしました。(釣果はなし)
故障を楽しみに変えた「おじさんの生き方」でした。
2009年5月24日日曜日
ちょっと困ったことに
早朝に横浜を発って松戸辺りから降り始めました。天気予報より降り始めが早まったようです。自転車旅行は自然相手の遊びなのですからなんでもなく受け入れられます。しかし、60キロくらいの柏あたりから右足ひざ裏の腱が痛み始めたのです。
この際「雨降り」の事など大した事ではなくなりました。はじめは登りで負荷をかけると痛む程度でしたが、80キロを超えるころには平地でも傷み始め、100キロを越えるころは我慢ができなくしばしば休憩を入れながら進みました。
雨降りなので大洗でのキャンプは期待できないのと、6号線をそれて別の道を行くのが面倒になり、140キロ程の水戸に来る事にしたのですが、本当に辛かった。
明日の様子如何では「取りやめ」なければならないかも知れない。困った。
夜は駅前の映画館で「消されたヘッドライン」を観ました。
2009年5月22日金曜日
準備完了
積んでみて少し走った感触は安定性がありバランスもとれており納得がいくものでした。前回の「四国」の時とそれ程変わっていないので当然といえば当然ですが…。
昨日重量計測をしてみたら前後4つのバッグだけで19㎏でした。今回は釣り道具やパイプ椅子、米なども積んだのでもう少し重くなると思っていましたので、その程度に収まりほっとしました。
これに、テントフレームやフロントバッグ・サドルバッグなどを加えても22㎏程度でしょうか。荷物だけを持ってみるとぞっとするような重さです。登山家はこれを背負って山に登るのですからエライモノです。これがあるので私は未だに自転車を「運搬道具」だと思っています。また愛車はこのような利用方法にこれまで十分応えてくれました。大したものです。
あとは出発当日、デジカメ・携帯電話・郵貯カード、健康保険証、名刺カードその他書類等小物の忘れ物のないように注意することを肝に銘じておきました。歳をとると忘れ物が多くていけない!
2009年5月21日木曜日
第3回北海道ツアーのコース
一昨年の第一回目は大洗からフェリーで苫小牧へ、去年の第2回目は新潟から小樽へ、そして今回は仙台から苫小牧へフェリーで向かいます。
仙台までは約400㎞、たぶん2泊3日で到着、翌日夜、苫小牧へフェリーで渡ります。
苫小牧から岩見沢を通り富良野へ。ここで少しゆっくりします。富良野から旭川・士別・名寄を抜けてオホーツク沿岸の興部へ出ます。
興部からはオホーツク沿岸を北上して稚内へ。日程次第ですがここから利尻・礼文島を回りたいと考えています。多分行きます。そして日本海沿岸を南下して手塩・留萌・札幌(ここであのハンバーグを食べます)・苫小牧へ戻ってきます。 これで大体1000㎞+α(利尻・礼文)です。
最後は大洗までフェリーで戻り横浜まで自走(160㎞)します。
以上で概ね全行程1600㎞くらいになるでしょうか。走りで3週間(約20日)フェリー移動等で4日として何とか6月19日には戻れるのではないかと考えています。
あとは天候に恵まれる事を祈るばかりです。
2009年5月19日火曜日
北海道の準備開始
今日から具体的な準備(パッキング)を始めました。準備のために時間が十分にあるというのはありがたいもので、もうお楽しみが始まったようなものです。 写真の左の2つのバッグはリアのサイドバッグで主にテント・寝袋・コッフェル・米・燃料・釣具等アウトドア用品です。右の2つはリュックサック改造のフロントのサイドバッグで主に衣類・雨具・サンダルなどが入っています。自転車関連の所持品は常時積んでいるので機械油を少々加えるだけです。
現在は「あったら良いな」と思われるものを殆ど全て突っ込んでいますので、たぶん合計で20㎏を超えています。
これからは、「余分なもの」「現地調達可能なもの」などを抜いていく作業をしなければなりません。過去4回長期ツァーをやった事があるので、そんなに迷う事はないのですが、経験が増えた分「あったら良いな」モノが増えてくるので困っています。
2009年5月12日火曜日
北海道ツアーの準備
仙台まで自走してフェリーで苫小牧へ。富良野・旭川経由でオホーツク海岸に出て稚内。利尻・礼文島を走ってから日本海側を南下して札幌経由で苫小牧へ。フェリーで大洗へ、自走にて横浜・自宅という概ね1ヶ月の予定です。今回のテーマ?はキャンピング&フィッシング。6/20には大学のクラス会があり、それまでには戻るように言われているのですが「頑張るよ」と言ってあります。
コースの下調べは殆ど済んでいるので、今日は、行きつけの自転車店でタイヤの交換と車体の点検整備、散髪、釣具小物の買足しと「仕掛け」の作成、以前のツアーの際の虫刺され後遺症治療で皮膚科診療、出来上がってきた「入れ歯」(生まれて初めて)のフィッティングと忙しく過ごしました。
(とことんショートに散髪)
特に皮膚科と歯科は旅行前には必ず通っているのが我ながら面白く思えます。
この歳になると、自転車旅行に際してなるべく「冒険」の要素を減らしたいと考えているのです。その為の準備は真面目にするに越した事はないでしょう。それでも「予期せぬ事」が起きるのが旅の楽しみでもあります。
2009年5月7日木曜日
愛車・キックスタンド交換
北海道行きを前にして交換しなければならないと思ってはいた。
以前から二本足で中央部で支えるスタンドがあることを知ってはいたのだが、写真や解説ではどうもイメージが浮かばず、そして愛車に適応するのか否かがわからず躊躇していたのだ。
(こんな具合に亀裂が入っていた)
とはいいながら5月に入ってしまい、決断しなければならないタイミングになってしまったところ、目星をつけていたスタンドがアマゾンで格安(代引き料込みで¥4053)ででていたので注文を出し、今日の午前中に入手した。
(スイス製・PLETSCHER ESGE Y8833)
早速取り付けてみたところ、なんらの調整も必要とせずうまくいった。アルミの無垢材を使用している事もあり以前より500㌘ほど重くなるが、「さすがスイス製」と言いたくなるほど無骨だががっしりと出来上がっている。満足。さらに、ネット上の説明でよく理解できなかったのは「走行時に畳むと2本の足が車体左側にまとまる」という件だったが、これがメカとも言えないほど簡単な仕掛けで思わずうなってしまった。素晴らしい。
従来のスタンドが無くなったために、リアのホイール付近がスッキリしたのも副次効果といえる。
注意書きにあったのだが、定期的に締め付け状態を確認しないと思わぬ事故につながりそうだ。なんと言ってもビス一本で留まっているのだから。しかも「締めた物は必ず緩む」という事実は過去に何度も苦い経験をしているので、心しておこう。
2009年5月2日土曜日
映画 ヤングゼネレーション
『 「映画」ヤングゼネレーション(フジ=深夜2・0)79年アメリカ。デニス・クリストファー。高校卒業後、当てもなく毎日を過ごす若者達が、自分達を見下す地元の大学生に対抗し、大学主催の自転車レースに挑戦する。ピーター・イエーツ監督、字幕。 』
と小さく書かれていた。「自転車レース」、「ピーター・イエーツ」この2つがキーワードとなり「観たい」と思い、早速古いビデオデッキ(アナログ)に録画予約をしたのだった。
「自転車レース」については説明が要らないだろう。何せここ数年は自転車を頼りに生きているようなものなので、「シャカリキ」などという邦画まで(以前なら決して観なかっただろう)観てしまったくらいだ。
「ピーター・イエーツ」、大好きな「ブリット」「ジョンとメリー」の監督さんだ。「ブリット」はあのスティーブ・マクイーンがムスタングでサンフランシスコの坂道をジャンプしながら疾走する伝説的なシーンで有名だが、「ジョンとメリー」は多分知らない方が多いと思う。ダスティン・ホフマンとミア・ファーローのある種の青春映画で、一晩一緒に過ごした男女がその翌日いろいろあって、最後に「ボクはジョンだ」「私はメリーよ」と名前を告げ合うという、当時「結構いいじゃん」と思った映画だった。要するに私が多少なりとも観たくなる監督さんだという事だった。
昨晩遅く観ました。何しろラ・テ欄以上の知識を持たずに観たので、それ程期待はしていなかったが、なんと、これが「大傑作」。(ただ私が知らなかっただけなのだが)
私が好きな映画の要素がずっしりと詰まっているのだ。第一に「父子モノ」、私が唯一泣けるのがこれだ。「エデンの東」もそうだ。本編ではお母さん役の女優さんもまた良い。
そして第二に「青少年モノ」、「ラスト・ショー」「ビッグ・ウェンズデー」がそうだ。必ず何人かのグループで登場するのがお約束、そして情けなくなるほどにブザマで哀しい。
最後に「趣味モノ」、本編の場合は「自転車」。私は「自転車レース」の世界とは無縁だが、それでもロードレーサーに乗った「イタリア狂い」のにいちゃん(飼い猫に「フェリーニ」という名前を付けているのもご愛嬌)が、トラックの後ろに付いて時速40マイル、50マイル、60マイルとスピードを上げていき、トラックの運ちゃんが左手を窓外に突き出し速度を教えてやる場面には興奮をしたし(その運ちゃんはスピード違反でパトカーに捕まる)、レースシーンは「ブリット」を思わせるワクワク感がいっぱいだし、レースに備えてホイールの「振れ取り」でニップル回しをいじっているシーンには納得させられる。きっと、「自転車車体趣味」の人が本編を観たら、70年代のロードレーサー・そのパーツなど、きっと興味は尽きないと思う。
後で調べてみたら(偉そうに)「感動の映画ベスト100」[2006年米国映画協会(AFI)]で何と第8位にランキングされていた。因みに14位「戦場に架ける橋」、17位「カッコーの巣の上で」、30位「アラビアのロレンス」、32位「カサブランカ」…、どうです!驚くではありませんか。もっとも、どんな基準で、どんな人達が投票したのか全くわからないが、とにかく歴代の名作を抑えての8位というのには驚いた。恐らく日本ではこのような結果には絶対にならないだろう。「自転車文化の歴史の差」大きく影響していることは間違いない。これは「自動車文化」に就いてもいえるのだが省略。
残念な事に、日本ではビデオ、DVDは発売されていないようだ。
それから、HPのトップページ
http://www2.ttcn.ne.jp/arekore/
の左側のフレームの一番下に、私が編集しているメールマガジンの購読申し込み欄があります。映画好きの方にはお勧めです。主に松永太郎という非常に魅力的なおじさんの映画評論をお送りしています。
2009年4月27日月曜日
横須賀・長浦港、母校を海から眺める
先週、S氏の29ftクルーザーを上架して船底塗料の塗り直しを手伝った。今日はそのテストのショートクルージングだ。
とりあえずベイサイドマリーナから八景島を目指したのだが、余りの天候の良さにつられ横須賀沖の「猿島」の東側まで来てしまった。するとオーナーS氏が不意に「横須賀港に入った事がないので行ってみましょう」と提案され、予定を変更した。横須賀港が近付いて来た時、S氏は水路誌を見ながら「ここを右に行くと田浦方面ですよね」言った。その時私は、あっと思い当たった。そこは現在海上自衛隊の自衛艦隊司令部のあるところで、実は私が中学1年から高校2年の1学期(その後移転した)まで過ごした母校のあった場所なのだった。
それでは是非行きましょうというS氏の好意に甘えて、矢印の針路をとり元母校に向かった。5年間見てきたその海側から眺める元母校の景色は、上物は随分変わっていたものの、当時を思い出すには十分だった。
2009年4月25日土曜日
老後の楽しみ
このシリーズは別巻まで入れると文庫(ハヤカワ)で12巻に亘る一種の大河小説だ。ヨーロッパではナポレオン時代のイギリス海軍(もちろん帆船時代)、17歳で士官候補生として海軍に入り最後には提督にまで登りつめる男の物語だ。日本人で鞍馬天狗を知らない人はいない(現在ではそうとも言えないが)ように、イギリス人でホーンブロワーを知らない人はいないと言われるくらいの国民文学だそうで、かのチャーチル首相も座右において愛読したといわれている…、というような推薦文が書いてあった。
当時、数多い経済評論家の中で技術や軍事に詳しい事で密かに注目し、かなり親しくしていただいて方の、それも、へえーと思わせる意外な推薦書だったので、即、全巻購入して、アッという間に読破してしまった。
もう夢中になってしまった、と言っていいだろう。私自身、多少はヨットや海軍に対する知識があったものの、こんなに面白い小説分野があったのかと初めて知らされた思いだった。
それ以来
『海の勇士/ボライソー・シリーズ』(27巻既刊)、『英国海軍の雄/ジャック・オーブリー・シリーズ』(20冊既刊)、『海の暴れん坊/オークショット』(現4巻・途中終了)『アラン、海を行く・シリーズ』(現7巻・途中終了)
さらには古本で
『海軍将校リチャード・デランシー・シリーズ』(全6巻)、『ラミジ艦長物語』(全23巻)等を買い集めそれこそ夢中で読んだ。
このようにかなり多くの「帆船小説」は出版されてはいるのだが未了のまま終わってしまうものも数多くあるのが実情だった。
そんな中比較的新しいシリーズとして『海の覇者/トマス・キッド・シリーズ』が出たのだが5巻まで出版されてから、「終了」の噂がたった。事実続編は中々出なかった。これは寂しい事だと嘆いていたところ、「続編を望む声をハヤカワヘ送ろう」と呼びかけるサイトに出会い、及ばずながら私もそんなメールをハヤカワへ送ったりもした。その効果があったのか、しばらくして6巻がやっと出て、昨日、写真の第7巻「新艦長、孤高の海路」が発売されたのだ。
本シリーズは、英国・ギルフォードの町でかつら職人として働いていた男が強制徴募(詳細は省く)されて下級水兵になり、それこそ艱難辛苦を乗り越えて(古臭い表現でゴメン)士官となり、艦長になり(それが本書)、そして多分これから、提督にまでなっていくと言う流れだ。
この「強制徴募された下級水兵から」というのが本書の特徴で、既刊の書と比べて面白さを加えている。ただ残念なことは、「文学的魅力」「技術や戦術のディテイル」では、先輩諸氏の著作より浅いきらいがあるが、これからが楽しみなシリーズだし、何より数少ない「帆船小説」なのだから、期待する事大なのだ。
昨日は最初に入った書店で、店員さんが一発で本書を見つけてくれた時は、「さすがですねえ」と賛辞を贈ってしまったほど嬉しかった。
どうか私の「老後の楽しみ」を奪わないで続編を出版していただき、未完のものは、きっちり終わらせていただき、未訳の作品があればどんどん紹介して欲しいものだと願って止まない。
2009年4月21日火曜日
バルモラル城・バルモラル号
なんといってもヘレン・ミレンの名演技が光るのだけど、そっくりさんショウ的な面白さもあるし、エディンバラ公のどうしようもない頑迷アホ貴族振り、チャールズ皇太子って意外といい奴じゃんと思わせる演出、忠臣ブレアと、はねっ返りかあちゃん(名前は知らないが上手な女優さんだ)の対比など見所は満載の映画だ。
それらはさておき、王室一家はその時スコットランドの城に滞在中だった。城といっても山あり谷あり原っぱありのべらぼうに広大な領地を含んでいるのだ。領地内の移動は軍用車と見紛う4輪駆動車レンジローバー。そこでのレクリエーションは家来をたくさん使っての鹿狩り。そういった城だった。その名はバルモラル城。その名前にどこか引っかかるところがあったが、すぐには気が付かなかった。
今日になって気が付いたのだが、それは今月4日、大桟橋で見かけた客船の名前でもあったのだ。やっぱりイギリスの客船は王室がらみの船名を付けたがるんでしょうかねえ。
2009年4月19日日曜日
走行距離15000㎞突破!!!
ざっくり言うと東京・大阪間を15往復しているのだ! 地球を0.375周した事になる。
貧乏人がコツコツと100円貯金をしているようなものだが、これが自転車趣味のひとつの良いところかもしれない。特に自転車旅行においては、自分の置かれた環境・体力に応じて漕ぎ続けさえすれば必ず目標に達する事ができる。つまり、努力が(必ずと言い切れない部分は残るが)報いられる世界なのだ。どんな平凡な人間でもそこそこの事はできるんだよという実感を味わいたかったら、そして、とりあえず「これ」という得意分野や趣味がなかったら、更にもてあますほどの時間があるのなら、自転車旅行をお勧めします。
2009年4月18日土曜日
自転車な日
目標は関戸橋で開かれる自転車パーツ中心のフリーマーケットだ。長距離を走るのは正月の三浦半島以来なので、昨日は半日かけて愛車の点検・整備・調整・注油をした。諸準備も含めて万全の態勢で臨んだのだ。「今日は走るぞ!」気合十分で午前7時半スタート。うす曇で絶好の自転車日和。30㎞ほどの所にある関戸橋には予定通り9時到着。良いペースだ。
このイベントにはもう3回来ているくせに、今日もそうだが、何も買ったことがない。「マニアが集まる」という雰囲気を楽しみに行くようなものだ。普段仲間もなく一人で走り回っている私としては、たまにはこういうのも良いものだ。
各種自転車パーツのフリマなので、売り手・買い手共にかなりディープなマニアが集まるのは当然なのだが、来場者ははピカピカに磨きたてた愛車を駆ってファッションもビシッと決めてくる。多分来ている客の自転車と装備と衣類の合計額平均は20万円を下らないだろう。ちょっとした「晴れの場」としての社交場のような雰囲気がある。中にはハンチングを被ってニッカーボッカなんていうオールドファッションまでいるのだから、その雰囲気が想像できるだろう。そしてそこかしこである種の同好会・オフ会が始まっている。
実はそんな集りに、姪が、自分の走り仲間のために自転車のパーツ(本当はパーツメーカーまで特定してその刻印まで模して作ったこだわりの作品なのだが、詳細は省く)のクッキーを持ってくるというので、それを見て・食べて、少し貰ってくるのも今回の楽しみであった。これは凄いよ。彼女の相当うるさい仲間達からも絶賛されていた。
売り物か、誰かが乗ってきたものかははっきりとしないが、いたるところに惚れ惚れするような自転車が置いてある。それらを観て周るだけでも楽しい。キャンプツーリングが目的の私としては、昔からのイメージで、リアホイール接触のダイナモと、フロントのマッドガードの先端に砲弾型のライトが固定されている「ランドナー」の前では思わず足を止めて写真を撮ってしまった。
百草園の姉の家に寄って昼飯をいただき、再度関戸橋へ戻り「多摩川サイクリングロード」経由で戻ってきた。
自転車も自身の体調も問題なく75㎞を走れたのでホッとしている。しかも4時間近く走って平均20㎞/h超えというのも私としてはまんざらじゃない。ただ、かなり途中で休んでいますがね…。
2009年4月15日水曜日
セグウェイ発見
それでもやはり私に魚信がない。その後「せんちゃん」は小型のタナゴを釣り上げご機嫌になる。私より先に帰っていったが、帰り際に餌のアオイソを2匹置いていってくれた。それを全部使い果たしても釣果はゼロだった。
未だ陽が高いので山下公園までポタリング。その途中で噂の「セグウェイ」に出会った。巡回のおにいさんが乗っていたもので、ニュースとしてそういうものがある事は知っていたが、見るのは初めてだ。
なんとも不思議な乗り物だ。2輪なのに人が乗って静止・自立していられるのが面白い。走りもかなりトルクが強そうで、相当な坂でも登れるという。何でもパシフィコが2台購入したそうで実験的に使用しているそうだ。いろいろ話を聞いたのだが、「では」と言って去って行く時も、何かをしたようには見えなかったが、すうーと曲がって音も無く、かなりの速さで走っていった。不思議な乗り物だ。
2009年4月7日火曜日
釣果ゼロなれど新顔の客船が…
釣り場からマストが3本見えたので行ってみると、保安庁の岸壁に「日本丸」が停泊していた。久し振りに見るその勇姿に惹かれ埠頭に入り込み、間近に見せてもらった。思ったよりマストが低く感じられた。4本マストのバークという種類なのだが、横帆の名称が下からコース・トップスル・トゲンスルと、そこまでは思い出せたが、一番上が思い出せずしばし苦しんだ。よほど側に居た乗組員に聞こうと思ったが、イヤミな奴だと思うわれたくないので止めた。(帰宅後調べるとロイヤルスルだった)
もうひとつ先の大桟橋に、昨日も見かけた(実は昨日、夕方、餌を買いに赤レンガ倉庫街を通って桜木町付近まで出かけたのだ)外国客船を見つけた時は嬉しかった。初めて見る客船なのだが、船名がよく読めなかった。カメラを持っていなかったので「縁が無いのか」と諦めていたのだ。
「バルモラル号」といって、程好い大きさの(43,500トン)客船でフレッド・オールセン所有の1987年建造、「年増」と言ってよい位の姥桜だ。但し、昔は「~小町」と多少は騒がれたかもしれない。
その後釣り場付近でもよく外人さんが連れ立って歩いていたが、恐らくその殆どが同船の乗客だと思われる。丁度桜が満開の時期で良い思い出になった事だろう。
後半戦は例の太鼓橋に移ったのだが、大魚を釣り逃がした。久し振りのクックッと感触を2秒ほど味わっただけで針から切られた。悔しい!逃がした魚は大きいのだ。
明日も頑張ろう。
帰宅後歯医者で奥歯を抜いた。
本日の走行距離 16.13㎞
2009年4月6日月曜日
入学式
この小学校は私自身、娘と息子の出身校でもあるのだ。天気も良く、久し振りに通学路を歩いて行った。私の足で15分だから小さい子供なら30分かかるだろう。
校庭の桜も満開で絶好の日和。到着してみると新入生達も集まり始めている。 父親も同伴というのが多いのに驚いた。ほぼ年度始めの月曜日というのに…だ。
受付にて記帳を済ませ「お祝い」を差し出すと、「お返し」という事なのだろう、手提げに入った紅白饅頭とお赤飯の折を渡される。かえって恐縮してしまう。いくら地域との連携を重視するといってもここまで気を使うのは大変な事だ。因みに町内会代表というのは来賓序列でもかなり上のほうなのに驚く。PTA会長の次の次の次くらいだ。
子供が少ないといっても当校の新入生は100名・3クラスとの事で、その子供達が入場してきた時には思わずジーンとなってしまった。歳のせいだ。その新入生を歓迎するのに2年生が唄を歌ったり、ちょっとした芸をしたりするのを見たときもダメだった。やはり歳のせいだ。「横浜市歌」「校歌」斉唱という段になると、来賓を含めて周りの参列者で歌える人は少ない。私は自慢ではないが両方とも知っているので大声で歌った。本当に久しぶりの事だ。
その間、(主に)若い父親がずーっとビデオカメラを回しているのが印象的だ。しかし、ひと頃と比べると随分カメラが小さくなったモノだと感心したりもする。さすがに踏み台まで持ってきたりする親は居なかった。結構長時間の式なのだが、新入生達は神妙に椅子に座っていた。エライぞ。人間辛抱だ!
あと6年もすると孫の「里樹」もあんなになるのだろう。
2009年4月3日金曜日
今日は自転車でも釣りでもなくて、映画の話
「好きな映画」(優れた映画とか名作とかではなくて…、そんな事はどうでもいいのだ)とはどういう事だろうか。いろんな要素が絡み合って好きになるのだろうが、敢えて分析?してみると、好きな俳優さんが出ている、ストーリー展開が面白い、印象深いシーンがある、好きな女と観に行った…、とでもなるだろうか。
この「ニューシネマパラダイス」はそれら全てがあるのだが、もうひとつ、魅力的なキャラクターとの出会いがある。魅力的とは「こんな大人になりたいものだ」という憧れに近いかもしれない。この映画の場合はフィリップ・ノワレが演じるアルフレードという役だ。シチリアの田舎町の老映写技師だ。詳しくは映画を観ていただく他ないが、少年との関わり方が妬ましくなるほど格好良いのだ。
同じ事が「ラストショー」でベン・ジョンソンが扮するサム・ザ・ライオン、「ウォルター少年と、夏の休日」でのマイケル・ケインとロバート・デュバルが演じるハブとガースのマッキャン兄弟にも言える。
私だって自分の年齢が60歳を越えてきた辺りから、自画像としてどんなじいさんが格好良いかを多少は考える。そんな時に思い浮かぶのが上記のキャラクターなのだ。自分が少年の時、あんな大人が回りにいたらどんなに幸せで、わくわくした毎日だったかと思う。(別に私の少年時代が不幸だったわけではないけど…)
それにしても、揃いも揃って昔ワルだったり、無学だったり、女に苦労したりで、自分とは相当かけ離れた過去をもつメンバーなので、きっと、叶わぬ憧れで終わるのだろう。
2009年3月31日火曜日
桜は5分咲き、釣果はボウズ
前のブログで、この辺りの桜の木の数を10本程と書いたが大きな間違いで30~40本はある。しかしまだまだ5分咲きといったところだ。しかも木によって、日当たり・風当りの差だろうか、咲き方にものすごくばらつきがある。それに、一本の桜の木などは5分咲きのくせに、もう散り始め、葉がつき始めている。一体どうなっているのだろう。
と、書いてはきたが、私は基本的には桜には興味がない。花や木の名前などは殆ど知らず、植物自体に余り興味がないのだ。庭の雑草とりさえイヤで逃げ回っている。その延長線上で、桜にもこれといった思い入れは全くない。
「文化だ!」「DNAだ」と言ってしまえばお終いだが、何故我が国民はこれほどまで桜にこだわるのだろう。国花にまで指定し、気象庁が開花予想をし、桜前線などと愚にもつかないものを発表しているのを奇異とは思わないのだろうか。明らかな差別だ。桜がそんなにエライのか。(何にそんなに腹を立てているんだろう)
ひょっとすると、とても深い陰謀からの歴史的・民族的・国家的PRキャンペーンが存在したのではないかとすら思いたくなる。とすれば、大成功といえるだろう。中国だってパンダを貴重で可愛いものだと伝説化し、外交の道具として重宝に使っているではないか。あれと同じだ。日本国内では桜のおかげでどれほどの観光名所が出来上がった事か。また米都ワシントンはじめ外国に植樹をし日本を印象付けることに成功している事は事実だ。やはり今でも「国策」としてのキャンぺーンが継続しているようだ。
4日の土曜日には私も友人と花見をする約束がある。花に興味はないけれど旧交を温める材料にはなる。
本日の走行距離 15㎞程度。
2009年3月28日土曜日
料理教室 第4回目
「ちらし寿司:サワーライス・シーフード」 「ゆかりあえ」 「はんぺんと三つ葉のすまし汁」 「牛乳かん」の4品だ。特にちらし寿司はシーフード満載で海老・スモークサーモン・いくらのトッピングと豪華版だ。苦労したのは錦糸卵。なかなか薄いクレープのような卵焼きとその裏返しができず3回目くらいでやっと納得のものが出来上がる。
牛乳かんは牛乳を寒天で固め、イチゴ・バナナを間に挟み、あんこを添えた洒落たもの。寒天が固まらないようにタイミングが大事。
今回も概ね時間内に仕上げられて、美味しくいただいた。これで全4回の教室は終わったわけだが、今後一番使えそうなのが、「開花丼」で使った、酒・醤油・みりん・出汁が1:2:4:4の煮汁。自分でも何回か他のもので試してみたが、結構万能で使える。
残念ながら、友人はできなかったが、まあ、楽しい会だった。
終わってから、先週と同様、母の施設を訪問して帰って来た。途中の花見スポットも未だ2分咲きといったところで、満開は来週末だろう。
本日の走行距離 22.1㎞
2009年3月24日火曜日
まだ一分咲き
2009年3月21日土曜日
my自転車大活躍だが…
後部ホイールは取り外しスプロケット(歯車群の事)とチェーンの油汚れを灯油で綺麗に洗い落しピカピカにしてから、チューブ交換の練習も兼てタイヤを一旦外し向きを変えて付け替えた。
これはちょっと説明を要する。ちゃんとしたタイヤには必ず片面にメーカーロゴがついており、それはチェーン側のバルブの位置にこなければならないという業界のお約束事があるのだ。ひょっとすると性能的な意味合いがあるのかもしれないが、多分「見てくれ」の要素が強いと思う。ところが今までは旅先であわててチューブ交換をしたためにデタラメになっていたのだ。愛車の写真を撮るとき等に気になっていたので、この際だと思い着け直した次第だ。
シャーシャーという音の原因は、後部ディレーラー(変速機)の締め付けビスが少し緩んでいたためだと思われる。それを締め直したついでにシフトのストローク調整もしておいた。これでギア関係は万全だ。
さらについでに、ブレーキワイヤーが若干伸びてきた感じがするので、わずかではあるが締め直し、細かいところまで手が届く限りホコリ、汚れを落してやった。
それというのも翌日(つまり今日)は菊名での料理料理教室、母の施設、新横浜のユニクロと全てを自転車で回る予定にしていたからだった。
走ってみると、やはり違った。気になった音も消え、ギアチェンジも軽やかでスムーズ、ブレーキも信頼がもてる効き方となり全てに満足な走り心地だった。多分今までより楽にスピードに乗れたのではないかと思う。
料理教室も「甘栗としめじ(+特別に蓮の実)のたきおこわ」「鶏肉のから揚げ」「ポテトサラダ」「かにと豆腐のスープ」が美味しく出来上がりそして楽しく食し、その後晴天下、綱島を経て初めてのコースを8㎞程走り母の施設に行き、帰途、新横のプリンスペペ4階のユニクロでは目指すものを買い求めて、さあ帰ろうとした時だ…。
「後部ホイールの空気が抜けている!」
いわゆる「パンク」かも知れないが、念のためバルブを調べてみたが異常はない。空気を入れ直してみたが十数秒後にはペチャンコになってしまう。チューブに相当大きな傷ができているという事だ。突如空気が抜けてしまった事から推察すると、駐輪スペースに駐める直前にとがった物を踏んだか、いたずらされたかだ。いずれにしても何とかしなければいけないのだが、修理材料・道具は持っていても、人通りが激しい通りの事とて、店を広げられる状況ではない。結局、大した距離ではないので家まで歩いて帰ることにした。今日一日快適な自転車生活を送ってきたのに、最後にこんな目に遭うとはついてない。
帰宅後、気力がなくなり、パンク修理(或いはチューブ交換になるか)はせずに明日にまわした。 だからパンクの原因は未だ不明だ。
本日の走行距離(歩きも含め)23.02㎞。
2009年3月20日金曜日
海上から釣り場を : セーリング
9時半出航。本日の予報は概ねSWの風で午前中8m程度、午後は吹き上がり12m程度との事。行く先はベイブリッジを抜けて横浜港内。ベイブリッジ付近までは順風に恵まれリーチング(斜め後ろからの風を受けての帆走)で久し振りのセーリングを楽しむ。と言ってもかなりの数の本船が行き交うのでそれなりに神経を使う。
ベイブリッジ付近でセールを下ろし機走に切り替える。Sさんはハム用のカードを新調するのにベイブリッジと赤灯台を同時にワンフレームに納めた写真を撮る目的もあり「あの灯台の右を狙って、100mくらいになったら橋脚センターへ変針」などと、かなり細かくコースを指示してくる。しかもヨットで横浜に入港するイメージを作りたいのでサイドステーも入れたいなどと非常に凝った写真つくりをする。やはり一流の人は「事に望む姿勢」 が違うのだ。
何とか写真を撮り終わると「いつも釣りをしているところまで行きましょう」という事で横浜港内奥深く、臨港パーク前の海域に進む。
下の写真、左手の岸壁が私の釣りのホームグラウンドだ。上の写真でいうとセールのような形をしたインターコンチネンタルホテルのすぐ左側という事になる。やはり今日も釣り人は見えない。その後パシフィコ前の海域に移動し遊弋しながら持参のおにぎりの昼食。この辺りまでくると本船の往来はなくのんびりと過ごす事ができる。岸からの港の風景として「沖にクルーザーが走っている」というのは様になるのだが余り見かける事がない。もっと積極的に港内セーリングを推奨すれば良いのに思ってしまう。港を観光資源として活用しようというのならそのような発想が欲しいものだ。
帰路は予報どおり風が吹き上がり、白波が立つような海況となり、スプレーを浴びながら全て機走にて帰港。あの風での港内帆走はやはり避けたほうがよいのだろう。
舫いをとった後はいつものように菓子パン・スナック菓子とコーヒーでおやつタイム。政治・経済・国際情勢・海の話でどんどん時間が過ぎてゆき、気がつくとすでに日が暮れかかっている。あわてて艇の水洗いをしてマリーナをあとにした。
夕暮れのヨットハーバーはリギンの音がカンカン・カンカンと鳴り、どこかほっとした雰囲気があり、私が大好きな風景だ。
帰りは、信号以外はノンスットプで夜道を飛ばして7時半帰宅。「遅い」と叱られた。
本日の走行距離37.21㎞ 時間1時間59分 平均時速18.6㎞/h
2009年3月16日月曜日
滑り台
2009年3月11日水曜日
一ヶ月半ぶりの釣果
そこで今日は、久し振りに、少し離れた古巣のインターコンチネンタルホテル前の「川」に戻ってきた。やはり古巣は落ち着くが、今日も他に釣り人は居なかった。きっと桜が咲く頃までこんな調子だろう。
いつになく潮が引いていた。餌は「あおいそ」。そんな中、魚信はあった。当初はそれだけでも嬉しかった。(これで2月中の悲惨さが想像できるでしょう)しかし上げてみると「シマハゼ」ばかり。4・5尾はあげただろうか。
この写真で5cm程だ。このサイズでも浮きの頭まで沈むのだから「もしや!」と期待してしまう。しかしあわせたとたんに、手応えの軽さにすぐ、ハゼだ、と判りがっかりする。
昼前までは近くに住む「億ションKさん」が散歩の途中に立ち寄り、日本経済の行方や老後の過ごし方等についていろいろと話をしていたが「はぜ続き」に愛想を尽かして「釣れないから行くよ」と、つれない言葉を残して去っていった。
その10分程後、ちょこんと浮きが沈んだ。又か、と放っておくと今度はぐぐーっと沈み込む。明らかに今までとは違う。あわててあわせると、久し振りの感覚が竿先に感じられる。夢ではないか。さらにリールを巻き込むとずっしり重い。竿をしならせながら海面まで引き上げると余り見たことがない姿だ。一瞬「アイナメ」かとも思ったがどうも違う。さらに引き上げると異様に大きい目玉が目についた。「メバル」だ。以前6cmくらいの小メバルを釣った事があったが、本格的なのは今回が初めてだ。帰宅後計測すると20cmだった。大満足。
さあカメラで記録を撮ろうと獲物を針から外さずにぶら下げたまま、ふと対岸を見ると黒い服装の人がこちらに手を振っているのが目に入った。「オールドサーファーMさん」だ。しめた、この写真を撮ってもらえる。過去何回もMさんに写真を撮ってもらっているが、こんな素晴らしいタイミングで現れてくれるとは…。
待つ事数分でMさんがやって来た。最後は駆け足で坂道を降りてくる。「なに、メジナだった?黒い魚だったよね。向側から上げるところをずっと見ていたよ。」 我が事のように喜んでくれる。早速写真を撮ってもらった。いつもながらありがとうございました。
これから、煮付けにして夕食の準備にかかります。
本日の走行距離 12.09㎞